Kindle本【運が良くなるサウナ術】
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サマリー
銭湯の起源や発展について、古代から江戸時代、明治時代までの歴史が語られています。メインテーマとして、銭湯がどのようにして現在のスタイルに成長していったのかが紹介されています。
銭湯の起源と江戸時代の発展
この放送は、11月26日、いい風呂の日に、運が良くなるサウナ術というKindle本をリリースする、たかばーすがお届けします。
はい、みなさんおはようございます。サウナのためのコミュニティ、サウナだおとですね、ミドル世代のスキンケアを応援する肌ととの代表をしております、たかばーすです。
はい、ということで、今日はですね、先週の金曜日に引き続きまして、銭湯のお話をしていきたいと思います。
いい風呂の日、11月26日ね、これは僕のKindle本の発売日にもありますけれども、いいお風呂の日ですから、それが近づいてきているということで、お風呂の話、そして銭湯の話をしていきたいと思います。
こちらですね、第1回目はですね、金曜日ですね、銭湯、こちらがですね、最近減ってきてはいるんだけれども、若い人たちがね、その事業継承がするのがね、少し増えてきているよというお話をしていた中で、
銭湯がですね、どういう風に日本に入ってきたか、その銭湯の起源をお話しさせていただきました。
まだお聞き慣れてない方はね、金曜日の放送をですね、聞いていただいて、こちら聞いていただくとより楽しめると思いますので、よかったら聞いてみてください。
はい、ということで、今日はですね、銭湯の発展編、ここをですね、お話ししたいと思います。
最初はね、奈良時代に入っていた銭湯は、木浴で湯舟はなくて、仏教的な要素が強かったよというお話をさせていただいたんですけれども、
じゃあなぜですね、銭湯というのが今の形、スタイルになったのか、これはですね、江戸時代、この江戸時代がかなり関わってきています。
蒸し風呂だったところがですね、まず湯舟になったのも江戸時代なんですね。
江戸時代は実は非常にですね、この銭湯というのが大発展した時期でして、歴史詳しい方はご存知だと思うんですけれども、
江戸には人口100万人を超えていたと言われて、世界有数の大都市だったらしいんです。
ただ、やっぱりね、各家庭にお風呂っていうのがあったわけじゃなかったので、
そこでですね、湯屋っていうね、お湯の湯に屋台の屋で湯屋っていう風に呼ばれたのが銭湯の始まりだったらしいです。
この江戸っ子たちっていうのは、銭湯が大好きだったらしいんですね。
もちろんお風呂に入るのも気持ちがいいんですけれども、やっぱりコミュニティ、近所の人たちが集まっていろいろ情報交換したり、
今みたいにエンタメみたいなのがないですから、そういったね、集まってお話しをするっていうのがみんなの楽しみだったみたいで、
そのコミュニティの中心にあったのがこの湯屋、いわゆる銭湯ですね、だったらしいです。
今では、江戸時代の江戸の町には数百軒の銭湯があって、朝から晩までみんなそこにたくさん集まっていろんなお話をしていたみたいです。
蒸し風呂から湯船になったのはこの時代ではあるんですけれども、まだ江戸時代の頭の方、初期の方はまだまだやっぱり蒸し風呂形式っていうのがほとんどだったらしいです。
ただですね、だんだんだんだん湯船に使えるスタイルっていうのが主流に変わっていって、ちょうどここでお風呂に浸かる、お湯に浸かるっていったところが始まっていくらしいです。
銭湯は単に体を洗う場所じゃなくて、やっぱりそういうコミュニティ、社交上としての役割は強かったので、身分とかね、そういうね、お風呂入ればもう服着てないですから、
身分とか職業とか関係なく、みんな裸の付き合いでいろんな話をしてたみたいでしたね。
その中でやっぱりね、銭湯っていうのが、この銭、なんで銭湯ってなるかっていうと、銭湯って銭湯って書きますよね、銭湯って書くじゃないですか。
これは銭を取ってお金をもらって湯に入るっていったところ、なので湯船に入るっていうことなので、ちょうどこの時代に銭湯を取って湯に入る。
この湯屋から銭湯っていう風に呼ばれ始めたっていう、そういう話もあります。
ここで銭湯なんですね。やっぱり江戸文化なんですね。
その中でどんどん江戸時代が終わって、今度明治時代。
明治時代になると、衛生面とか建築の技術なんかも進んでいったので、宮作りっていわれる昔の銭湯、木造の作りからタイル張りになったりとかしてきて、
そうすると銭湯でも有名な富士山の絵、これが描けるようになるんですね。
湯船に浸かりながら富士山の絵を見ながら入るっていう、そういう癒しの部分っていうのもここでできてきたっていうふうに言われています。
面白いですね。銭湯、江戸時代から明治時代で色々と変わっていって、今のスタイルに非常に近づくわけですよ。
もしこれが違うスタイルになってたら、今皆さんがお風呂に入っているお風呂が全然違うものだったかもしれないなんて、そんなこともちょっと考えたりもしたんですけれども。
ということで今日は銭湯、これがどういうふうに発展したのかっていうお話をさせていただきました。
明治時代の銭湯の変遷
いよいよ明日は現代の銭湯、ここを深掘っていきたいと思いますので、よかったら明日も聞いてみてください。
はい、ということで今日も最後まで聞いていただきましてありがとうございました。
それでは今日も整って参りましょう。
06:09
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