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はい、どうもこんにちは、たからんです。
ちょっとね、私の頭の中にあるこの理念と言いますか、
こういう風になりたいなっていうのが、最近というかこの1ヶ月ぐらいずっとよく考えてまして、
ちょっと言語化できそうな感じがするっていうところになったので、
ちょっと喋らせてくださいっていう感じになってます。
興味がある方は聞いていただきたいなと思ってて。
自分がね、いろんな発信をしていたりとかいろんな活動をしたいと思っているのが、
たぶんこういうところに結びついてるんだろうなっていうことをちょっと頭の中整理したいと思ってます。
キーワードはですね、ここを目指したいというのが1つあると思っているっていうのが、
【不揃いな和】を作る。
和っていうのは、和食とか和気やいやいとかの和ですね、和むっていう字ですね。
その和で不揃いなんですね。
不揃いな和っていうのを作りたいっていうのが、ちょっと今んとこ自分の中で持っていっている、
そこに向かいたいと思っているキーワードかなって思いました。
単純に言うと不揃いなので、いろんな違いのある人たち、
我々みんな一人一人違いがあってっていうのを前提として、
それぞれ違うよねっていうのを感じながら、理解しながら、
それでも和を作っていくっていうそんなイメージですね。
和って言葉を使いたかったのは、
結構日本の文化というか、日本人感覚の和って結構不思議な感じがするんですよね。
和だから、ポジティブなイメージ。
ポジティブというか、共同体、仲間のような感じのイメージがありますよね。
なんだけど、その境界線が結構曖昧な感じがしてて、私のイメージだと。
何々の仲間ですね。
学校、小学校のママさんグループですねとか、
うちの会社のなんとか協会の仲間ですねとか、
何々地区のメンバーですねとか、そういう線がはっきりしているようなものじゃなくて、
ちょっと境界曖昧、境界がふわっとしている。
我々何だよねっていうわけじゃないけど、
私たち人間ですからって言うんじゃないけど、
人間って言っちゃうともう人間っていう括りでまるっと全部になっちゃうんですけど、
はっきり所属は我々一緒だよねっていう風じゃないけど、
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やっぱり一緒に生きている仲間ですよねじゃないけど、
そのぐらいの曖昧さのある輪、
もちろん多分輪に入れない、入らないっていうのもあるかもしれないけど、
こっちの輪があってそっちの輪があって全体の輪みたいな感じのイメージをちょっと輪っていう言葉で言ってます。
イメージとしては過去、昔の日本というのかな、
いわゆる集団行動、
同調しての仲間意識っていうのも、
同調が悪いってわけじゃないと思ってるんですけども、
みんな一緒だよねっていう感覚が前提としてある仲間意識とか、
そういうのは良かったけど、
それぞれ違うっていうことのほうが前提になってくるんじゃないのっていうところで、
それぞれ違うから、あの人違うから、俺と違うから、
そっちは勝手にやってくれればいいやとかね、
自分と違うのを何考えてるんだっていうような対立でいきなりするんじゃなくて、
あと無視するとか、個人主義みたいな感じになるんじゃなくて、
違うんですよ、みんな。
違うんで、違うの前提だから、人違ったって別にいいし、人が違ったって別にいいし、
だけどその違いっていうのをうまく感じながら、
でも強調できるよね、輪は作れるよねっていうような感覚、
そういう社会的な常識というか感覚というかマインドというか、
っていうのが育ってきた、育つ日本になったら、
なんかめっちゃ強いんじゃないかなっていうふうに、そんなふうに思っています。
多分そこに、その輪になると、不揃いの輪っていう状態になると何が起こるかっていうと、
一人一人が自分を自分のまま生きていける、
それが実現できるっていうような感覚を私の中で持ってて、多分それをしたいんですよね。
自分を周りに合わせてとか、周りのイメージによって作られた自分みたいなのがあっちゃって、
それで自分を出し切れないやりづらさとか、
自分らしく生きようとすると、
社会の考え方とか社会の仕組みとかに潰されちゃうっていう現実があって、
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そうなりたいわけじゃないけども、何ていうのかな、諦めざるを得ないというか、
自分を押し殺さなきゃいけないみたいな、そういうことがあったりする。
そういうのをなくすのに必要なのが、
何か型にはめてこれになることが大事だよねっていうんじゃない、
みんなバラバラなんだけど、それはそれでバラバラでいいよね、
でも協力し合って何か作れるよねっていうような当たり前の規範ができていれば、
自分が自分でいられる、あなたもあなたでいられるっていう、
そういう風になるっていうのをちょっとイメージしてるんですよね。
だから私自身が多分そういう縛りみたいなもので、
自分がそのまま自分のその状態で生きられてなかった、
今も微妙にそうかもしれないけども、そういう部分があるから、
それを何とか解消したい。
で、人との違いでねたんだりとか、
吹きあったりとか、
炙られたりとか、
そんなの意味がないっていう、
そんなことをしても意味ないから、意味ないよね、いらないよね、
みんな違うことは当たり前なんだから、いらないよね、
それぞれ違って、それぞれいいじゃんっていう評価される。
評価基準なんですよね。
評価が、人の評価っていうのが、
一律に何かに、一つのものに良しとしてしまって、
そこまでいってないとダメみたいな感じに、
勝手に人々が思っちゃう、そういうのをなくしたいんですよね。
そういうのがなくなった状態が、不揃いでもいい、
不揃いじゃん、みんなでも大丈夫じゃんっていう、
そういう状態を作るっていうのがすごく必要だなと思っていて、
それが多分、ちょっと考え方とか仕組みとかを変えればできると思う。
そういうふうに思っています。
多分日本人って、日本の文化って、
違いを、自分が人と違うことをすごく恐れたりとか、
自分と違うものに対する恐怖心とかっていうのが、
結構あると思っていて、
それを何とか避けたいとか、
合わせたいとかっていうふうになっちゃうんだけど、
それで合わせることによって、みんなが同じように統制が取れるっていうのが、
その性質もすごく重要だと思うんですよね。
それは民族的にそういう意識が根付いているから、
そこはもうできるんで、みんなで合わせて一気にやるっていうことができるんで、
そのマインドを持ちながらさらに、
でも違ってもいいよねっていうのが乗っかったら、
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違ってもいいんだけど、みんなでその違ってもいいよね感の同調の中で、
やっていくぞっていうふうになると、
すごいエネルギーを出せると思うんですよ。
そこに行きたいんですよね。
そういう、そこに行きたいと思っています。
ちょっとまた別で話すと思うんだけど、
そこに行くための要素っていうのが、
何個かあって10個くらい今ちょっと思いついているんですよ。
その10個に関わることっていうのが大事なことっていうのがあって、
そこのためになることっていうのが、
今私が興味を持っている分野に全部なる。
ジェンダーギャップのこととか、スナイパーギャップのこととか、
包括適正教育のこととか、
インターネットとかITのこととか、
メタバースのこととか、
保育、教育のこととか、
子育てとかね、そうなんですけど、
その状態、新しい日本人の感覚で、
その次の段階に行くために、
今までなかった、今までちょっと考えられてなかった分野というか、
もっとここ大事にした方がいいんじゃないっていうところがあると思っていて、
それが全部つながっているんだなっていうのは、
自分の中では結構しっくりきているところがあります。
なのでちょっとそれをね、そのために必要なんだよなっていうことを思っていて、
だからテーマを私一つに絞れないんですよね。
正教育だけやってればいいっていう話じゃないんだよね。
包括適正教育で正教育のことを学ぶっていうこと自体が目的なんじゃなくて、
そこを通すことによって自分を知ることができるとか、
相手を知ることができるとか、
自分と相手の立場を尊重する気持ちが育てられるとかっていうところに意味があると思っているから
包括適正教育だけやってるんだって。
その他のことも、その一つ一つの考え方とか捉え方、物の捉え方っていうのに起因して、
またそれが広がることに役立ってとか、
広がるためにはここの部分がもっとこうならなきゃいけないとかっていうのが感じるんで、
色々言ってるんだよなって聞くことが何となく分かってきました。
自分の中でね。
なので、ちょっとその私が迎えたいところっていうことにも含めて、
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話をするときにできたらなって思いますね。
やっぱこういうことができると、この不揃いの輪っていう、
みんながそれぞれの形で輪になることができる方向に行くじゃんっていう、
そっち行きたいよねっていうような話をちょっと長くなっているので、
一回ここで切るんですけども、
さっき言った10項目みたいなやつをまた話したいかなと思ったりしています。
こんな話はあまり面白くないんですけど、
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように。
田川でした。それではまた会いましょう。