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はい、どうもこんにちは、たからんです。
私の理念というか理想の世界みたいな感じのところを話しているシリーズなんですけれども、
まだ概念的なことばかり話しているので、いまいち面白くないとは思うんですけれど、
全体像というか繋がりみたいなところを抑えておくと、
ちょっと私がいろいろ関心を持っている内容がですね、
例えば、性教育か日本の経済を救うみたいな、そんな話に、そんな飛躍した話に聞こえるかもしれないところが、
繋がりがあるんじゃないかなみたいな話が分かってくるところがある気がするので、
私の中ではそんな部分があるので、そういうところまで持ってきたくて、
ちょっとまだしばらく概念の話をさせていただこうかと思っています。
理想の世界がですね、不揃いな輪というのに行きたいという話をしていまして、
一人一人が異なる人たちなんだけど、それを前提としてそれでいいというふうに思いながら、
でもみんなで輪になって社会が成り立っていくというのを目指したいなというふうに、
簡単に言うとそういう話をしています。
概要欄とかでいくつかリンク貼ってますので、よかったら聞いていただきたいんですけど。
その中でですね、不揃いであってもちゃんと輪になるというふうに、
必要な要素というのが10個ほどあるかなと思っていて、それを漢字一文字で表していまして、
今回は5番目、6番目の話ですね。
今まで4つ、自分の自、他者の他、それからその2つの間で発生する相互の関係の互いにという語、互いという字ですね。
あと、それがあるからこそ自分たち、自分のことがよく分かっていく、知ることができるという知るの知、知識の知ですね。
その4つをちょっと紹介してきたんですけど、
今日はその4つがうまく絡まったというか、自分と他者とその相互作用で知っていくという、このサイクルがちょっと大事だと思っていて、
それを成り立たせるために必要なものという話になります。
それが2つの漢字でちょっと紹介しますけども、1つが場ですね、場所の場。
そしてもう1つが、これ音読みで言うと、ちょっとごめんなさい、忘れちゃったというか調べられていなくて、つながるっていう意味ですね、つなぐっていう字です。
これも2つとも似たようなことなんですけども、やっぱりまずは場ですね。
場っていうのは結構大事かなと思っていて、自分のことを知るためにはやっぱり他者との対話するとか、語り合うとか、違う人との意見を聞くことで自分のことが分かるという、
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そういう話をしてきましたけど、そのためにはやっぱりそういうことを話せる場っていうのがすごく必要だと思うんですよね。
これ一対一の場でもあるかもしれないし、何人かで集まっての場であってもいいんですけれども、
改めて自分の言葉を話す、自分の意見、考えっていうのを表明するっていう場、
そして相手に対して感じたこと、自分から見ていいなと思ったこともそうだし、
自分の意見として否定するわけじゃなくて、こういうことは自分とは違うと思ったとかね。
それが比較するための違いでもあってもいいし、自分は実はそういうのが苦手だとか不快に思うとか実はあるんだという表明でもいいと思うんですよ。
ただそれを言うにあたっては、安全性、言葉を意見を出していいその場の安心・安全の和作りっていうのが絶対条件としてあると思っていて、
逆に言うと不揃いの和の世界になっている環境では、安心・安全が当たり前っていう感じになりたいっていうのが一つあるんですよね。
今々はそういうふうになっていないから、改めてこういう場を作って、ここではそれぞれの意見を言っていいし、
よくありますね、ワークショップとかグループワークの時に、相手の言葉は否定しないでくださいと、ちゃんと聞きましょうというような話があると思います。
否定しないって言葉もすごく誤解を与えやすくて、否定しないって何でも家様になるっていうことではないんですよ。
さっきもちょっと言ったんですけど、意見としての違い、意見の違いとか、形としてはもしかしたら対立するかもしれないっていうのがあっても、
それは自分の見方ですね、見方、見え方、見方としてそういうふうに捉えているんですっていうことをちゃんと表明する。
だから相手の見方はそうなんですね、あなたの見方はそうなんですね、私は違うんですよねと。
できれば違う背景とか理由とかっていうのも話せるといいと思っていて、その背景とか前提が違うから意見が違うんですねっていう話であれば、
単なる事実で済むんですよね、あなたはこう考えている、私はこう考えている、それをあなたの言ったことは違うよっていうふうに言っちゃうと、
自分の主観が一般論として違うよ、あなたはもう世界の中で否定するべきだみたいな感じの言い方に聞こえちゃうんですよね。
自分の意見を言ってたとしても、意図としてそういうふうに言ってたとしても。
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だからそういうんじゃないからちゃんとそういうことで意図で話すってことで聞きましょうねとかね。
そういう、なんかね、まだね、zoom会とかそういうのよく参加するんですけども、否定しないようにしましょうっていうのがちょっとやっぱりね、
いまいちまだ誤解を与えているような気がしています。誤解というのかな。
本当にね、相手の言ってることを否定しないんですよ。肯定するとかいいですね、そういうのもいいですね、その考えもいいですねとか、
そういう考え方もありますよね、そういう考え方もありますよねって言って済ませることがあるんですけど、
ありますよねって言うのはもちろんありますなんだけど、でも私は違うんですまで言えるかどうかですね。
それ言っていいんですよね。そこの言っちゃったときに相手をそれで嫌な思いをさせるんじゃないかとか、
あと逆に私は違うんですよねって言われたときに、敵対しちゃったとか、自分は相手に嫌な感じのことを思わせちゃったとか、
逆に言われて自分がちょっと嫌な気分になっちゃったとかっていうことがまだまだ当たり前ですけどあって、
そういう訓練してないんですからね。客観的に互いの意見を見るっていうのを多分日本の教育の中ではあまり訓練されてないと思っていて、
攻撃だと受け取っちゃうんですよね。そこをそうじゃないんだよっていうのをやっぱりね、そういう場なんだと、
そういう場作りをするってことが大事だし、そういう場があるんだ、だから言っていいんだっていうふうに気づいてほしいし、
世の中全部そういう場であってほしいというか、そういう場であるべきって言っちゃうとあれですけどあるべきだと思ってる。
そういうふうに見ようよ。もちろん主観でゴンゴンって勘定でぶつかることもあるかもしれないけど、
やっぱりちょっと置くと、でもそれはそれぞれの考え方でっていうふうに考えれば、意見の違いは言っていいよね。
これ具体的な話はちょっと後に別のところで話したいんですけど、やっぱりその包括的説教育とかの中でですね、
同意とかバウンダリー協会とか、それをちゃんと自分で話す、相手を聞くっていう中でもやっぱり嫌なことは嫌っていう。
それは相手を否定することじゃない。ただその事実を伝える、ちゃんと伝えて理解し合うっていう、
そういうことに必要なんですよっていうことがやっぱり大事で、そういう場を作っていこうっていう、
その考え方とか、それに慣れるとか、そういうのがすごく大事なんじゃないかなって思っています。
で、やっぱりその場作りで会話をしていく、その中で気づいていく。
で、場ができるから、繋がりができると思うんですね。
自分と同じ境遇だったりとか、近い人だったりとかっていうところにあえて安心感を得て、
繋がって、またいろんな視点を知れるっていうのがあったりとか、
逆に自分と意見の違う、境遇が違う、似たようなことだと思ってるけどやっぱり考え方が少し違う、全然違う、
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そういう人たちと繋がって、新しい視点っていうのがあって、
やっぱりそこから自分の視点っていうのがさらに明確になっていくっていうので、
いろんな人との繋がりが自分も鮮明にしていくし、相手も見えるようになっていくしっていう、
いろんな発展が起こるんじゃないかなと思います。
その繋がりがですね、まずその場でできた繋がりっていうのが、
今目指している不揃いな輪っていうものの小さな一つの単位にはなるかなと思っていて、
その繋がりがどんどん広がっていく。
大きな輪になって、大きな輪、輪っていうと輪っかの輪じゃなくてね、
なごむ輪ですね、輪になっていくっていうような、
そういうふうになっていくっていうイメージを持っているっていうことになります。
なので今回はそこですね、やっぱり場作り、場のほうがウエイトが大きいですね。
場があるから繋がりができる。繋がりが単調な同齢の人たちだけの繋がりだけじゃなくて、
いろんな違う人とも関わって築き合える、
そういう繋がりになっていくっていうところで、
その場っていうのがいろんな形の場が必要だなというふうに思いました。
今回はその場と繋がりっていうところの考えだったんですけども、
この次ですね、この次はそれを作るために、
もうちょっと俯瞰して、もうちょっと広くみたいな感じのところの話、
ちょっとここで話すの難しいんですけど、
それが全体の輪になっていくために必要なもう一つの流れっていうのを考えているところがあるので、
それがお話できたらなと思っています。
ということで今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように。
タカランでした。それではまた会いましょう。