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はい、どうもこんにちは、たからんです。
ちょっとこのところですね、自分の理念観というか、ちょっといろいろ頭の中整理しているところでして、
【ふぞろいな和】っていう、それぞれ違う人間同士だけども、【和】を作っていく。
そういう社会になるといいなという、そこを目指すのに必要な要素っていうのがあるんじゃないかなっていうことをちょっと考えてまして、
で、ちょっと受講ぐらいあるんじゃないかなって思ってて、前回、「自分と他者」、「自と他」っていうところを話しました。
で、今回もちょっと2つ、もう2つ、3つ目4つ目をしゃべるんですけど、
今回の3つ目4つ目は、結構前言った、「自分と他者」の関係性というか、そこから繋がるところになって、
ちょっと話被るところもあるかもしれないんですけども、ちょっと聞いて、ちょっとしゃべってみたいなと思っています。
で、今回の字はですね、文字、漢字は、語、相語の語、互いにっていう字ですね、互いの語っていうのと、4つ目が知、知るですね、知るの知の2つでですね、
自分と他人、他者がいて、相手がいて、それだけじゃ何も生まれなくて、やっぱりそこに相互関係、相互の関係性、互いに、互いの、互いにっていうところを感じるっていうところと、
そこからやっぱり知るっていうところが繋がって、やっとこの4つで字と他と相互、互い相互と、そこからまた知るっていうことで、それでさらに自分と他人、自分に戻ってくるっていうような、
なんかこのサイクルといいますか、繋がりがあって、1つのいいところに向かうっていうのが、これが私のイメージしているものなんですね。
前回の自分の話をした時も言ったかもしれないですけど、たぶんね、自分のことがわかるっていうのが、たぶん幸せに近づく一歩というか方向性の一つなんじゃないかなと思っています。
自分はこういう人間になって、自分はこうだなって思える、自分はこれでいくぞって思えるとか、それで自分なりの幸せって、自分なりの目標、理念っていうのがあって、そこに向かっている時って人は幸せと思えるんじゃないかなっていうふうに思っていて、
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それはどこに向かうかというと、本当に人それぞれになりますよね。ただその自分どこに向かえばいいかというか、いいかって考え方がいいのかどうかまだよくわからないところなんだけど、自分が気持ちのいい幸せになる考え方って何なのかっていうのが、そこがわかるっていうのが一番大変じゃないですか。
そんなのわかればみんな幸せじゃないですか。それがわかんないから苦しいんですよね。そうなんだけど、そこがわかるヒントになるのが、やっぱり他者がいて、自分だけではわかんないと思うんですよ。自分だけで自分の中で考えたりとか、自分をね、今の自分でいいんだとか思う。今の自分って何よ、みたいな感じになっちゃうんで。
って言った時にやっぱりわかりやすいのは、わかりやすいとかわかるきっかけになるのが、やっぱり他の人がいて、その人と自分はこう違うんだっていう、ちょっと俯瞰してみるところ。狭間から見るっていうラジオ面してますけど、まさに自分と相手の狭間に立って、自分ってこうなんだって思ったみたいなところに行くのが結構一つのいいやり方なんじゃないかなと思います。
なので、自分と他者がいて、互いに相互関係。相互関係って言ったらいいのかな。一番は私の中だと、違いを見つける。差を見つける。
で、差を見つけるにあたって、大体の場合は、相手のいいところが見えて、自分にはないなって思うっていうのがまず一番わかりやすいやつですよね。
自分にはないけど、あの人こんなことができる、すごいなみたいなのがあって、自分はそんなこと全然できないしっていうのがまずよく見える。
で、そこで一回目線を、それ自分目線なんですよね。自分の主観で見てるから、自分にはできない、相手にはできる、あぁいいなってなるんだけど、自分が相手に対してそう思ってるってことは、相手から見ても自分がそう見える部分があるんですよね。
これね、あるんですよねって、私はもうあるって確信してるというか、あるでしょって思ってるんだけど、あるって思えるようになるまで、基本思えなかったですよね。
なんで思えるようになったかも、ちょっときっかけもよくわかんないんだけど、結構いろいろと苦しんでて、いろいろ頭グルグルしてるときになんとなくそこにたどり着いた感じがするんですけど、
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アドラーとかを読んだときにね、すごい頭がそういうふうにスッキリした感じがしたんですけどね。
自分にすごいところがあるっていうのって、自分じゃやっぱりわかんないんですよね。だって当たり前なんだもん、自分が。
自分がやってることが当たり前すぎて、自分の思考回路が当たり前すぎて、当たり前すぎてっていうか、それが自分だからそれしかないじゃないですか、自分の思考回路って。
それしかなくて、そこに人と比べたときの劣等感を感じてるわけだから、自分に優れてるところなんかないと思っちゃうんだけど、結構相手の言葉を聞く。
相手からの宝でこういう考え方をするとか、こういう言葉を言ったよねとか、そういうのを聞くと、自分ってそんな言葉を使ってるのかとか、よくこういう話題とかを気にするのかとか、
普通にそういうこと言うと思ったんだけど、他の人に言わない、考えないのか、考えないのか、みたいな、そういう感じですよね。
そうか、これって自分の特徴だったんだ、みたいな感じのやつが、やっぱり人との関わりをしてる中で見えてくるんですよね。
だから、人と話してて、話してる人と人との関係があった中で、何て言うんだろう、良い方も悪い方も違いがよく見えるわけですよ。
相手が自分にとっては、こんな当たり前でできたら当たり前だと思うのに、全然できなくて、きついなこの人、みたいな感じに思うことがあるんだけど、
それも、きついと感じるんだな、私は、っていう感じなんですよね。
こういうのがきついと感じる。だって、その人はそれを全く感じないで生きてきてて、
今、私、大人になってるか大人の関係性の中でもそういうふうに生きてきてて、別に生きて普通にいけるんですよ。
そして、じゃあその人が悪人かって言うとそういうふうに思ってるわけでもないし、
違う考え方とか違う感じ方で、そういうふうになるんだな、自分はそうじゃなくてこういう人間なんだなっていうふうに思うところ。
自分ってそういうところ面白いなっていう感じですかね。
そういうところを相互関係の中から知るっていうこと、やっぱり今日の言ってた語っていう、互いの語っていうのと知るっていうのはセットだと思うんですけど、
相互関係を意識しないと知ることができないんですよ、自分を。
で、相手のことも知ることもできない。相手はもう知る目線に至らないんですよね。
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相手のことが違うって思った瞬間に遠い人と思ったりとか、あの人はできるからとか、あの人は恵まれてるからとか、逆にこいつはもう無理なんだってなっちゃうとか、
そういうふうに自分と違うことでもうそこにシャッターを降ろしちゃうっていう感じになっちゃうんだけど、
まず第一感情っていうか主観としてはそれで別にいいと思うんだけど、そこからもう一つ、
それはそれだけど、その人の人生があって、今そういう形なんだよなとか思ったりとかすると、
それが別に悪いことでもないし、自分と違ったんだっていうことだし、で、自分とは違ったんだから相手とは違う自分だったんだっていうことじゃないですか。
自分ってそういう考えとかをするタイプの人間ってことなんだなみたいに思うと、
やっぱりちょっと自分のことを客観視するとすごい面白いんですよね。何がそう自分をさせたんだろうっていうような、
子供の頃の影響っていろいろ大きいんじゃないかなと思ってて、自分の経験というか家族だったり学校だったり地域だったりいろんなとこに、
いろんな経験があったりなかったり、なかったりも結構大事なんですよね。
経験をしたことも重要だけど、経験をしてないことで感じたことみたいなことが多分あって、
そういうのも全部その人作ってると思ってて、だから自分が何かを持ってないんじゃなくて、
持ってないと感じる自分を持ってるとか、多分自分には気づいていない他の人から見たら、
全然経験してない感じたこともないことを感じる資質を持ってるっていうのが多分絶対あって、
めちゃくちゃいっぱいあって、それがだんだんこれもか、この考えも俺の特徴かみたいな感じのが見えてくるっていうのがすごく面白いと思います。
そのための相手との互いの関係性と、いろんな関係性と、そこから知るっていう、
自分がいて他者がいて、互いの関係性があって知る、この4つのものの要素のサイクルがぐるぐる回ると、
どんどんどんどん自分を知ることによる良い方向にいくんじゃないかなと思ってる。
やっぱりそういう自分が分かる相手が分かるっていうのがベースにないと、
私が今ゴールに考えている不揃いな輪っていう形にはならないと思っていて、
そこがうまく回るっていうのが大事かなって思っているってことですね。
地の、互いと地って話をするとここまでなんですけど、
この次のところでは、この4つのサイクルが最小体位で回るっていうのがすごく大事だと思っていて、
それがうまく回せるようにするために何か必要なことっていうのがあるようなと思うのがあるので、
ちょっとそこの話を次はしておこうかなと思っています。
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はい、ということで今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるなんとの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように。
ダカランでした。それではまた会いましょう。