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2023-07-03 10:12

【思想】相手を知らずにコメントはしない 謝るなら発言は消さない

白い背景は、思想・価値観・考察のたからんです。

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はい、どうもこんにちは、たからんです。
えっと、今日は、うーん、前ね、【反論の流儀】っていうのをちょっと自分で配信したことあるんですけども、
反論とかね、自分の意見を述べるにあたって、私はっていう意見をね、一般論じゃなくて私はっていうことを言うべきなんじゃないのかなっていうふうに自分は思ってるという話をしたんですが、
そこにちょっと似てる話でですね、ツイッターとかスタイフとかいろんな人の話っていうのが聞こえてきて、
中に自分とは考え方が違うとかですね、特にツイッターなんかだと文字数がすごく少なくて情報量が少ない中でポンって一言入ってくるじゃないですか。
それが一言で言ってしまえばカチンとくるような内容だったりすることもあるわけですよ。
その人がね、そう思って言ってることに対しても、自分の考えと違うんじゃないかなと思ったときに、
それに対して何かコメントしたりとか反論したりとか、または自分の話について賛同してきてくれた人に対しても、
その人にコメント返しとか反応を返すときっていうのは、私は一回その人のところを見に行くっていう話ですね。
やっぱりパッと見たもの、パッと聞いたもの、目に入ってきたものっていうので、
まあまあ刺激的なことがあったりする言葉遣いだとかね、こういうのは多いので、
見てほしいっていう、見てもらうためにそういうふうに、特に短い文章の中で納めるとなるとそうなっちゃうので。
いろんな思いがあるんですけれども、そのときに、特につながりがあった人だったら別にもう全然そこからコメントするんですが、
初めてだった人とかだった場合は、正確に見に行くんですよ、アカウントのプロフィールとか。
例えばツイートとかスタイフとかだったら、その人が配信してる発信、発言、スタイフの収録とかですね、
いくつか聞いて、こういう内容のことで発信してるんだなとか、こういう考えのある人なんだなとか、
いうことをまず見るっていうことをします。
じゃないと何も言えないというか、また誤解になるというか、
そこ見に行っただけでも全然まだまだその人のことを理解とかわかるっていうことは全然達成しないんですけども、
でもその表面的にパッと聞いて、いいですねって言われたこと、ちょっとおかしいじゃないですかって言われたことに対して、
この人のその考えの背景ってどういうことなのかなっていうのを一回見に行くんですよ。
っていうのは、賛同してくれたとしても、私と同じ考えなわけではないなっていうのが私の考えなんですね。
私が自分で突き立ってきたことの時からいろんな経験してきて考えてる感情とか価値観とかっていうのはあって、
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賛同してくれることは、共感してくれることってすごく嬉しいことなんですけど、
でも同じ人生を歩んできて同じように感じてるわけではないと思うんですよねっていうのがまずあります、私の中には。
だから、この人はどういう感じで思っていて、自分の発言に対して、私の発言に対してそう思ってくれたんだろう。
どんな過程意識持っててとかね、どんなことをいつも感じていてそういうふうに思ったんだろうっていうところが気になるし、
反論だったとしても、この人は俺と違うことを言おうとしてるとか、
こっちから見るとなんだよそれって思うようなことに出てきてるって思ったときに、
どんなことをしてる人なんだろう、何を思ってそう思ったんだろうっていうのがやっぱり気になるんですね。
直接聞くっていうのが一番いいかもしれないですけども。
だから、あいにい。あいにいっていうこともないんだけど、パッて反応しても全然いいと思うんですけど、
でも、まず見に行くんですよ。
それをするのが、礼儀っていうのともちょっと違うんですけどね、ある意味礼儀だとも思うし、
それしない、逆にそれしないでポンって印象だけでその人の感覚、この人こういう人だって勝手に思っちゃって、
それにコメントしちゃうっていうのは、やっぱりちょっと失礼かなと思うんですよね。
で、失礼な奴ら多いなってやっぱり思うわけですよ。申し訳ないけど。
なんかこう、バンって出てきたものに対してですね、感情的に反応するのは別に仕方ないしそういうもんだと思うんですけど、
でも、そこからいろんな話になって、その反射的な反応どうか、その後何回かやり取りが続いたりとかっていうのがツイートとかでもあったりするのを見ますけども、
なんかやっぱり、自分の今思ってるその立場のことでしか話せてないよねっていう話しかないんですよね、ほとんどの場合。
それってあんまり建設的じゃないなというのを思ってて、それはそれぞれ立場違うんだから、いうことは違うでしょうと。
だけど、今そこの話なのか、論点がちょっとずれたりするんですよ。
言い合いしてるのにそれぞれに論点が違ったりとか、私が自分に関わってる時でも、そこの話じゃないじゃん、そこに食いついていちいち来るんだよっていう。
そこの話したいんだけど別の議論しましょうよっていうところがたまにあってですね。
っていうのがまあまあありますよね。
だから、ちょっとそういうのは嫌だなって思う。
で、もう一つ、私一回自分で発言したことに対して、何か違うと思いますって言われたことがあるんですね。
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生の話の話だったんですけど、これはまた別のところで改めて話そうと思うんですけども。
そのときも、私はその人が言ってる主張っていうのをよく知らなかったんですよ。
知らないで自分はいいと思ってしゃべったことなんだけど、
そういうのだと傷つく人っていうか、そういうもんじゃないと思いますっていう話があって。
でもこういうことじゃないんですかっていうようなことをこちらからも聞いて、またそれに対して反論が来る。
っていうのをよくよく聞いてみていくと、
ああ確かにそこのところ俺は考えてなかった部分があるなっていうのが出てきたりするわけですね。
で、自分の主張主張でいいと思ってたとこあるけども、
やっぱり相手の立場の話を聞くと、その視点はなかったからそこを考えるとしたら少し考えは変わるかわかんないけど、
考えてみる人があるだろうなっていうふうに思う。
なので言ったことはそのままはこの表現だと誤解を与えるし、
そちらの意見考えてない話になってるから、これよろしくないなとはこの時点思いますと。
自分が言ってること全てを見直す気は今のところはできないけども、
まだ考え尽くしてないんだけども、ツイートポンとしたこれ自体については確かにおかしいとこあるなと思ったんで、
そこはちょっと訂正します、謝りますって言って、そのツイートに対して自分の発言の立意として、
これを言い方が誤解を与えるものでしたっていうふうに言って書き換えるんですよ。
書き換えられないからツイートをしたんですね。
その時は結構誠実な対応ありがとうございますくらいのことを言ってもらえたんですけど、
やっぱり謝るとかね、ものを訂正するとかっていうときに、
本当に元のツイートが本当にちょっと攻撃的なものだったらいいとかして、
炎上とかすれば消すとかもあると思うんですけども、
でもね、消す、なんていうのかな、難しいな。
時と場合にも寄り切りですけど、私はやっぱり発言したことに対して責任っていうのかな、
それなりにちゃんと誠意を持って訂正するのは、それを残して訂正するべきだと思うんですよね、謝るとか。
消す人いるんですよ、何かこう言っても、あ、まずかったって思った時に。
消したんですよ、それは。何書いてあるのかわかんないし、謝りますって書いてあって何を謝っているのかわかんないから、
何も残らないじゃないですか、エビデンスが。だから何もならない、意味はないなって思ってて。
ていうか謝る気ないなって思ってて。
私だけ謝りましたよ、訂正しましたよって言うけど、何よっていうとこがないんだったら、なかったことにしてるじゃないですか、消したっていうのはね。
それは責任ないことだなってやっぱり思うんで。
やっぱり相手のことを考えて知って謝りたいと思ったら、これは謝りでした、ここの部分までは謝りでした。
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っていうのはやっぱりはっきり言うとちゃんと示すくらいのことをしなきゃ意味はないなと思ったりしています。
なので、発言とか反論とか訂正とかっていうのは、SNSなんで好きなようにやればいいっちゃいいんですけども、
自分の言葉は自分の言葉として大事にしてるかどうかっていう人かどうかは私は見てますね。
そういう人と付き合いたいなと思ったりしています。
それができてない人がいたんで、こういう人はダメだと思ったんで、こういう形なんじゃないですかと思って今日発信しました。
今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日になりますように。
タカランでした。それではまた会いましょう。
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