2023-06-06 07:48

反論の流儀

「私は」をちゃんと発することが、相手への誠意を示すことだとだと、私は思います。
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はい、どうもこんにちは、たからんです。
今日は、私ね、いろんな言いふらしおじさんという名前を付けてるんですけど、
いろんな人の配信を聞いて、こんなことを言ってたよとか、
あとはね、配信した、聞いた方のコメント欄にコメント書いたりとか、よくするんですけども、
その時に、結構、共感するのももちろんたくさんあるんですけども、
共感しながら、意見が考え方がちょっと違うなって思った時に、
こう思うんだよね、っていう反論をすることがあります。
反論というかですね、反論は反論なんだけど、それとは逆の立場の考えだよっていうことを言うんですけども、
その反論をするっていうことに対して、私、流儀と言いますか、マナーと言いますか、
そういうのがあるなと思っていて、気をつけてることっていうのかな、考えてることをちょっと話そうかなと思ってます。
やっぱり反論するのに一番大事なのは、私っていう言葉を入れるってことですね。
日本語って主語を省略することがすごく多くて、特に自分の考え、自分の意見っていうのって、
私って言わないんですよね。英語だったら、たぶん、私英語得意じゃないんだけど、
I speak、I thinkとか、必ずIが入ると思うんですよね。
I言わずにいきなり動詞から入るってことは、文法としてかなり気持ち悪いんじゃないかなと思っていて。
そうなんだけど、日本語って、やっぱりこういうふうに思うんだよねっていうふうに言ったときに、
当然思うって言ってるんだから私だとは思うんですけども、私が思うんだよねとは言ってないんですよね。
そこはたぶん、私が思うんだよねっていうふうに言うっていうことがすごく大事だと思ってます。
結構、これってやらなきゃダメじゃんとか、やっぱりこういうのが大事でしょとかっていうふうに言い方をしたときに、
それって誰の考えなのかっていう話なんですよね。
だいたいそういう自分の意見だよってつもりで言っていたとしても、何かそれが世の中の意見じゃないけど、
一般論的な感じに聞こえるって言ってるように聞こえちゃうっていうことがよくあって、
そうすると相手にとっての反論っていうのは世の中の反対意見だ、世の中を反対してるっていう感じになっちゃうわけですよ。
そうすると、あなたは世の中に対して全然間違ってるっていうふうにも捉えられないっていう、結構そんなふうに聞こえることがよくあって、
カチンとくるというかですね、っていうのがあると思うんですよね。
反論を言うっていうことはすごく悪いことじゃないと思っていて、
よく最近のセミナーというか対話会じゃないけどそういうところを言うと、否定をしないでくださいっていうふうに言うことがよくあるんですよね。
否定は確かにしない方がいいと思うっていうのはあるんだけど、
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否定と反論とか批判するとかというのと非難するというのが違うと思っていて、
建設的な批判意見っていうのってあってしっかり言うべきだと思うんですね。
なければただの同調にしかならないみたいな感じになっちゃって、
人はみんないろんな立場があっていろんな考え、経験をしているので、
それぞれの考えというのはもう確実に違うというのが私の中にはあります。
なので、完璧に合うことのほうがむしろおかしいぐらいの感じで、
違う中でちょっと合うところが共感できるっていう、そこはいいよねっていう話があるんですね。
でも基本違うんだから、違う意見が出ていいと思うんですよ。
ただ、やっぱり違う意見っていうのは相手のことをある意味否定というか、
私はそういう経験をしてきたからそう考えるのかもしれない。
でも私はそういう経験をしていなくて、違うこういう経験をしているから、
私はこう思うんだよね。あなたと違うこういう考えなんですよ。
っていうふうになると思うんですね。
理論上というかこの話の流れ上。
なので、あなたの言っていることはちょっとおかしいよ。
おかしいよっていうのは私がおかしいと感じているよっていうことなんで、
私がおかしいと感じていることはいいんですよ。
あなたがおかしいわけでもないっていうことになるので。
なので、やっぱり私がどう感じているかとかは、
私は違うと思うよ。で、いいと思うんですよね。
そこの私がないと、それは違うと思うよって言うと、
それは一般論として世の中的にあなたは違うと思うよってただの否定になってしまうので、
しまうので そうならないように私は肛門を必ず入れるようにしています
あとは根拠ですね 自分が何でそう思うかという根拠というか経験というか
そこのところを話さないことには相手には何も伝わらないと思っていて 相手の言ってることにも根拠なり
その人の経験したことによる感じている今あるというふうに考えるようにしています こっちの言ってることも全然わかんないなということもよくありますし
感覚的に合わないなっていうのもあるんですけども それは合わないのはその人がおかしいんじゃなくて
自分とは違うからということですよね 自分とは違うのでどこが違うのかなっていうところを考えたりすると
そういう経験だったりそういう性格だったり そういうことがあるとそういう考えるのかなっていうことを自分でもわからないと気持ち悪いんですよね
だから自分はあなたと経験が違うのは どこかなって考えて
自分こういうことを経験してきたんですよねっていう例を出しますね こういうことだったからこういうふうに思うんですよっていうと
相手はそこのところ違うなっていうのをどこか見つけてくれると思うんですよ そこがわかってくると僕とあなたはここが違うんだねっていうところがわかって
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なんか意見が違うのも少し納得ができてくるような気がする 完全に納得できるかどうか受け入れられるかということはまだちょっと別なんですけど
でもこいつ何言ってるかもう全然わかんないやべやつっていうことじゃなくて
分からないけど分かり合えるみたいなところがあると思うんですよね そこに向かっていくことが大事だなと思っているので
やっぱり自分の意見は自分の考えだよ それはやっぱりこういうことがあったからなんだよっていうのをなるべく言えるように
あとは言えなくてもその上でなるべく考える でも考えた上で分からないっていうふうに分からなければ分からないって言うし
そういう対話の仕方が大事かなっていうのをよく思っています なのでこれからもですね
やっぱりこういう誰かがこう言ってた 私はこういうふうに思うっていう違うっていうことをやっぱり言っていきたいなと思っていて
言うにあたってはその相手の方が言っていることはその方の考えとして 何か大事な経験があったからそうだと思っていることは
理解してます 理解してますというか把握はしてますっていうかね その上でのこういう意見ですっていうふうに
言いますので ただたまに熱くなると私がっていうのを忘れちゃうことも多分あると思うので
一応ちゃんとあの 相手の言葉尊重して考えてますっていうことは覚えておいてもらえるといいかと思います
はい ちょっといろんな考えの方のね
意見をいろいろ吸収してというか 教えてもらっていろんな見え方をですねしていきたいなと思っています
はい今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました 私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します
皆さんにも素敵な息づきのある毎日となりますように だからでしたそれではまた会いましょう
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