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人生に「余」白を持ち、繋がりが「巡」ることで完成する【ふぞろいな『和』】
2026-06-21 12:15

人生に「余」白を持ち、繋がりが「巡」ることで完成する【ふぞろいな『和』】

#ふぞろいな『和』
それぞれ異なる私たちが作る『和』の形
これが形作られれば、日本はもっと豊かで活き活きとした国になると思う
今実現したい日本の姿に向かうために必要な要素を考察していきます。

【理念】「ふぞろいな『和』」で周る世界を作りたい
https://stand.fm/episodes/6a34702a652f16e2f4136ecb
「自」と「他」は別々であること【ふぞろいな『和』】
https://stand.fm/episodes/6a35371ddd5b059d20ff6bb3
「互」いへの意識から自分を「知」る【ふぞろいな『和』】
https://stand.fm/episodes/6a364386e31c815bb590ee9c
「場」作りが「繋」りを生む 【ふぞろいな『和』】
https://stand.fm/episodes/6a369f617bdacaa88250bddd

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サマリー

本エピソードでは、「ふぞろいな『和』」という概念に基づき、日本社会をより豊かにするための要素として「余白」と「巡り」の重要性を考察する。「余白」は、人々に余裕をもたらし、自己理解や他者との対話を深めるための時間と空間を提供する。「巡り」は、個々の繋がりが連鎖し、広がることで、社会全体が調和のとれた「和」を形成していく様を表している。

「ふぞろいな『和』」の理念とこれまでの要素
はい、どうもこんにちは、たからんです。 ここのところですね、自分の向かいたい世界ってことで、「ふぞろいな和」、いろんな人が別々の立場なんだけど、それで和という共同体っていうのかな、そういうのを作っていく社会を目指したいなというような話をしているところでして、
そこに向かうためにいろいろと要素が必要な要素があるんじゃないかなというところを最近話しています。ちょっと概要欄にもリンク貼っておこうと思うんですけれども、
要素のところをですね、十項ほどあると思っていて、漢字一文字で表していまして、今までのところで自分の自、他者の他人の他者の他、自分と他者との相互関係を考えるというところでの相互の合ですね。
互いにっていう合と、あとそこから自分のこと、相手のことを知るっていう知る地ですね。この四つ合をうまく回していくっていうことで、それを回していくためにその場、場が必要っていうことで、その場を設けることで人と人とが繋がっていく、繋がるっていう地ですね。
その今六つの関係性をちょっと話してきたところでした。で、今日は七つ目と八つ目なんですけど、あのちょっと今までとはちょっと違って、その場を、場がを作って繋がるってことが大事だっていう話があって、その場がどうすればできるかっていうところって話と、場をどうしていけばいいかっていう話みたいなちょっとそんな話になります。
「余白」の重要性:余裕と対話の場
今回選んだ漢字がですね、一つ目がよ、あまりですね。あまりのよっていう字と、あとその次がめぐるっていう字ですね、じゅんっていうこの二つの話をしようかと思っています。
ちょっと前回のところで、場作りですね。安心安全の場、心理的安全性ってやつですね。そういう場を作って、ちゃんと自分の意見を言える、自分の言葉を自分の考えっていうのを出して、人と違うのを、人と違うことを言って、相手を傷つけてしまったり、自分が傷ついてしまったりっていうことを、まあそういう要素はあるんだけども。
否定するわけじゃないよ、でも反論というか違う意見はあるよっていうその微妙なバランスですね。そういうのを言っても大丈夫なんだ、そういうのあるものなんだ、そこから関係性とか考えをしていけばいいんだっていう、そういう場を作っていくっていうのはすごく大事だと思っていて、そういう経験をするっていうことがすごく大事だと思うんですよね。
なのでそういう場で対話の場っていうのかな、そういうのがたくさん必要かなと思うんですけど、えっとね、その場に生きるかどうかって、もう一言で言うと、もっと生活に余裕がないとダメかなっていうふうにすごく思うんですよね。
日本人が忙しすぎるんじゃないかなっていうふうにちょっと思っていて、余って余りって書くわけですけど、余白の余だったりね、余裕の余だったり、そういうとこですよね。
遊ぶ時間すらない、遊ぶ時間っていうのも変なんですけど、自分でね、自分に向かうとか楽しむとかも含めて、夜間の時間っていうのとちょっと違うんだよな。
休みをとってね、休むっていうのもそうかもしれないんだけど、時間があるからこそ考えられたりとか、そういう場に行って新しい出会いを試してみるとか、そういうのがありますよね。
どっか旅行とか行って知らないところに触れるっていうのもいいかもしれないですよね。
そういうのがもっとできるような余裕じゃないですけど、そういうのが欲しいなと思ってます。
余裕というか、詰め込みすぎちゃってそれをこなすため、主に仕事みたいなところなんですけど、仕事を詰め込むために必要だと思っていること。
ちょっと具体例みたいなところを簡単に出すと、私よく思うのは保育園とかのことなんですけど、仕事が朝からあるから保育園に子どもを預けなきゃ。
保育園が預かってくれるから仕事ができますっていうようなことあるじゃないですか。
ああいうところですね。それそのとおり事実なんですけど、仕事をすることが大事だからって、その前に仕事に時間を縛られなきゃいけない。
なんて言ったらいいのかな、これ難しいんですけど、縛られなきゃいけないっていうのがあるから、それを預けなきゃいけない。
保育園に預かってありがたいですっていう前提というか縛りによって発生している事象であり感想ですよね。
仕事を別にそんなに長く続かなくても、世の中がちゃんと回っていける。
ちゃんと経済的にも豊かになるっていう、もしベースがあったとしたら、仕事を守るために保育園を預けたいですっていうこと自体が、
そんなにその目的のためにすることじゃなくなってくるじゃないですか。
やっぱり保育って、預けるための子供を手から離すためのものって考えると、ものすごく本質と違うかなって思ったりしていて、
保育って子供の幼少期の発達とかを見守って育ちを見るっていうことって、もっともっと深い意味があると思うので、人間が人間になってくっていう上でね。
そういうところを見過ごされがちになっちゃうかなっていうのがありまして、もうちょっとそういうところまで考えるような余裕っていうのが欲しいかなって思ったりしますね。
さっきちょっと言い踊ったのはですね、何だっけ、ワークライフバランス。ワークライフバランスっていうことにすごい拒否反応を示す人とか結構いるんじゃないかなって思うんですけど。
最近ね、仕事したいのにそれをさせないってどうなんだみたいな話も出てくるんですけど。
やっぱりそこの表面的なところだけ話すとそういう話になっちゃうんで、そういう目の前のことだけ喋ると、何だろうな、それぞれの見てる目の前のことしか言ってないだけで、あんまり議論にならないんですよね。
その前提とか背景とかっていうのがあって、だからこういう視点っていう話になるよねっていう文脈を出し合わないと、それはね、それぞれ大切にしていることとかやりたいこととか違うんで。
俺はこれからやりたいんだ、俺はこれからやりたいんだ、思いとは違うじゃないかっていう、それだけでただの対立になっちゃうんで、それだと何の意味もないと思うんですよね。
それこそ余裕を持って話し合うが、相手をいいくるめ潰してやろうっていう討論番組とかじゃなくて、どういう背景でそれぞれ喋ってるのかなっていうのを知るっていう場を作るためには、やっぱりそういう時間を取る余裕とか余白とかっていうのは結構必要かなと思っていて、そういうのが足りないんじゃないかなっていうふうにちょっと思ってるようにしてますね。
余裕を作るっていうのが結構大事かなと思ってます。
「巡り」の概念:繋がりの連鎖と社会全体の和
で、あと巡るってことなんですけど、巡るのはやっぱりその繋がり、バーって話したら繋がりができるって、だんだんと自分と自分じゃない人、知らなかった世界っていうのを繋がってくるっていうふうになってきたときに、それが自分たちの繋がり。
一つの輪みたいな形になっていて、そこから別のところに、またその別の場から違う場にまた繋がっていく。それがあっちこっちに巡っていくっていうんですかね。
自分自身がいろんなところを巡っていくっていうのもそうだし、自分と相手の繋がりがあって、その相手がまた別のところに行って別の繋がりを持つっていうような、人とは繋がってまた別の人に繋がっていくっていうことの繋がりの連鎖っていう感じですね。
それを巡るっていうふうにちょっと考えたんですけど、やっぱり一人一人が関われる範囲ってそんなに多くないので、自分の中での世界が広がっていくっていうのがあって、
その広がった相手、私も広がり、あなたも広がりってなったときの、あなたが私が到達しての全然違うところへのまた広がりがあるっていう感じにしていくと、それがどんどん巡っていくわけですよね。
みんなでその場があって話していきましょうっていう感じの場がどんどん巡り広がっていって繋がってやっていって、っていうふうになって初めてもう世の中全体が輪になっていくっていうような感じがあるかなと思っています。
なので、まず場ができれば、場ができて、あっちにも場ができて、こっちにも場ができて、それが繋がったりとか、また別の場と繋がったりとか、新しい場が発生したりとかっていうような感じで、
場作りを広めたいというような感じなのかな。でもそうかもしれないですね。場作りを広げていくことによりいつの間にかその場が埋め尽くされて、世の中が全部が場になっているみたいなイメージかな。そうかもしれないですね。
それでちょっと巡るっていう感じをすごい入れたかったんですよね。ただ順々に構築されていくんじゃなくて、その巡った先は私はわからなくていいと思っているんですよ。私が繋がっている部分は自分の範囲なんだけど、そこで繋がった誰かがまた別のところで輪を作って、巡り巡ってまた別のところから帰ってくるみたいなことが実際起こっているんですよね。
オンラインの繋がりなんかしていると、全然違うところの繋がりからまたあの人に会ったみたいなこともあったりとかして、面白いなってすごく思って。
ネットの世界も一応似たようなカテゴリーに繋がりやすくなる傾向はもしかしたらアルゴリズム的になりやすいことはあるかもしれないけど、でもやっぱりそういう広い世界にいろんな人がいる中でいろんな巡り合わせがまた繋がるんだなというのがあると。
やっぱり楽しい、面白いですよね。そういうふうに広がっていくというのがいいかなと思って巡るという風に考えました。
という感じで、繋がりの場を作るために余白をもっと作りたいなということと、それがどんどん巡ってどんどん広がっていく。
一つの輪になっていくというようなことのイメージがここまでまだ8つなんですけど、これでだいたい輪になっていくかなというイメージが考えついています。
まとめと今後の展望
なのでそれぞれ本当に個々地と他を見つける場所とかと、ちゃんと互いに話せる場作りをするということとかと、
そういう余裕を持つということとか巡り巡る形を作っていくことみたいなところの、そういう一つ一つに繋がるようなことというのが一つ、いろんな場面で大事かなというふうに思いますね。
あと残りの2つはちょっともうちょっと輪がもうできてるんですけど、輪をちょっと俯瞰的に見るようなところの話になってきて、
そこもね、そこが割と、じゃあなんで輪が必要なんだっけというところですね。
そっちの目標は輪を作ることなんですけど、その輪って何必要なの?本当に必要なの?というようなところを見るための言葉要素があるかなと思って、
そういうそれをちょっと次に話したいと思っています。
ということで今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となれますように。
タカランでした。それではまた会いましょう。
12:15

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