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いつからか、子供に経験を「与えなきゃ」になっている
2026-10-14 19:42

いつからか、子供に経験を「与えなきゃ」になっている

#子育て #育児 #習い事 #幼児教育 #世代間ギャップ
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はい、どうもこんにちは、たからんです。
今日もですね、ここのところちょっとしゃべっている、幼児期の習い事というのかな、体験というか、ということの悩みがあったという話から、
そんなに気にしなくていいよ、と気軽に考えて、もちろんほっといてもいいし、子供が感じるようにすればいいんじゃない、というような返事をしたら、
今はそんな時代じゃないんだ、と、もっとしっかりと子供のことを考えて、投資して、子供のためにできることをやりたいです、という、
そういう親御さんの気持ちがあったという、そんなエピソードを話しています。
最後にも話したいなと思っているのが、子供をほっといても育つよ、大丈夫だよ、という言葉の意味というのが、
昔、昔、昔、昔、と2回言っちゃった。そんな昔じゃなくて、私が子供の頃、昭和から平成初期にかけて、という頃の感覚とか今の感覚で、
その時代背景というか、今のパパさんたちが、いや、今はそんな時代じゃないです、もっと考えなきゃなんです、という気持ちになるというところって、
結構時代背景というのかな、その時代時代での子育ての環境の背景が、違いがあるんじゃないかなと考えてみたいなと思って、今日は撮ろうとしています。
昔のよりも今のほうが、習い事とか、体験させなきゃ、みたいな気持ちというのが、なんか強く出る理由があるんじゃないかなと、すごく私は思っていましたね、今回、思ってて。
あのね、1回目、2個前かな、このシリーズ喋ってて、1回目の時の、私が子供の頃の経験というのを話したんですけども、私が子供の頃、昭和の頃というのって、
よりも今の子たちって、体験するというもの自体が、子供から自発的に出すのがすごく難しくなっているというのがあるんじゃないかなという、そういう話ですね、今日、思ったのが。
自分が子供の頃って、小学校行ったとき、学童保育なんて単語すらなかったんですよ。保育園もあまりなかったですよね、専業修復が多かったから、幼稚園は行ったけど、保育園に通っていると、あまり周りにもいなかった。少なかったんじゃないかなと思いますね。
両方とも働いているとか、片親だとか、親が働いているから家で見れないから保育園なわけですよね。そう考えたときに結構、親も家にいたのもあって、例えば小学校ぐらいのときっていうのは、小学校じゃないな、まず幼児期かな、幼児期っていうのは幼稚園に行きましたら帰ってきますよね、3時ぐらいに帰ってきますよね。
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で、母親と一緒に家で何かやったりとかお菓子作ったりとかしたこともあるかもしれないし、家の庭で泥遊びしたりとかっていう風になったかもしれないし、周りのママ友っていうのかな、母親と、母親同士であって子ども同士も同時にあってみたいな感じで、お茶会している場に行って子どもたちと一緒に遊んだりみたいな感じもあったし、みたいな。
なんかね、帰ってきてからいろいろやる時間っていうのが結構あるんですよ。
で、小学校になってくると今度はどっちかというと自分たちで動いてて、小学校1年のときでも帰ってきてから遊びに出て行って、一人でですね、で、上級生とか同級生とかと空き地で遊んだりとか誰か家で遊んだりとかっていうのをやって、5時までには帰ってきてくださいって言って5時までには帰ってくるっていう感じですね。
5時過ぎると怒られるみたいな。そんな感じだったし、スマホもなければ携帯もないんで、子どもどこ行ってるかなんかわかんないし、でも自分たちで勝手に遊びに行くわけですよね。
で、いかにすべて何やってるかというと、まあいろいろやりますよね。なんか田んぼのカエルとかお玉焼きしとったりとか、野球やったりとか、もうなんか思いつくままに子どもって適当な遊びを、適当っていうのかな、思いつくことをしますよね。
まあ缶切りやったりとかっていうのもあるし、いわゆる外遊びのいろんなことをオーソドックスなことをやりながらも、たまたまそこで見つけた変な虫とかいじったりとか、いろんなことが発生するわけですよ。で、子どもたちもなんだなんだって集まったりとか喧嘩したりとかあるんですよね。
そういうどこに行ってもどこで何してもっていう経験が結構多い。で、あと田んぼに入って遊んでるとかですね、田んぼじゃない、畑とかね、稲刈りした後の稲のこう刈られた、ツンツンで出てるとかあるじゃないですか。あれこれ踏むとザクってして気持ちいいんですよ。
ザクザクザクザクしながら歩いたりとかね。桑の実って分かりますかね。海溝の洋産のために桑畑が結構あったんですよ、私のことも頃って。で、あれってドドメっていうブドウみたいな実がなるんですよね。あれ取って食べるとかね。紫になってベトベトになって食べるとか、そんなことやったりとか。
今考えると、それ農家さんの桑だし農家さんの畑なんだから勝手に減っちゃダメじゃんってなるんだけど、敷地入ってんじゃんみたいな。ってなるけど、その辺なんなんでしょうね、おおらかだったんですよね。
そういうとこで子供が文句で親を呼び出されたりとかそういうことはないですよね。今だったらそうなっちゃわないっていう気がして、畑なんか入っちゃダメです、行きませんっていうふうに静止するよね、親がね。打ち脱れしますよね。
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なんかそういう辺の感覚の違いっていうのがものすごくあるような感じがしますね。いつまでそんなの良くて、なんで良かったんだろう、いつからダメだったんだろうっていうような、そんな感じを受けてます。
あとは、子供が一人で遊びに行くっていうようなことって、今は私の中では、私の地域というのかな、この辺はそんなになくて、小学校って低学年代じゃないかな、昔はそうは言ってもお上級生の子供もいっぱいいたわけですよね。
小さい1年生くらいで遊んでたこともあるけど、やっぱり上級生も一定の中で遊ぶ。本当に怪我とかなんかしたときは、上の子たちが家に来てくれて、何々ちゃんが怪我しちゃったとかって親に言ってくれてとかね、そういうので飛んでいくみたいなこともあったりするわけですよ。
どっかいち行っていれば他の親御さんが見てくれてっていうこともあったりするわけですよ。だけど今、うちの近所でも半分くらいは家に親が普段日中いないですね、共働きしててとかっていうので、近所で遊びに行っても親いないかもしれないし、上級生もいないかもしれないしみたいなことになるんで、だから学童保育になっちゃうんですよね。
学童入っていると、学童の敷地内から出れないから、それ以外の経験って子どもたちできないですよね。そこの中でできることしかできない。ってなると、やっぱり体験を子どもが何かするっていうのって、わざわざ用意しないとできないことになるじゃないですか。
だから、それが分かってて親も子ども自由に遊んでいいよっていうふうにできないんですよね。そういうのもあって、やっぱり子どもが自分で何かを経験するっていう場っていうのってすごく限られちゃってて、悪く言えばもう鳥かごの中にっていう感じになっているわけですよ。
その中で何ができる?親も仕事があっても時間がなくて、たまに休みにどこを連れて行くとか何させる?習い事何させるとかね。そこに意識がすごく強くなって、何させなきゃいけない?ちゃんと選ばなきゃいけない?子どもには限られた時間の中で何を与えらればいいんだろうかっていうふうに強く思うようになっているっていうのはすごく理解できるんですよね。
自分もそうだったんですよね。だから、今回のエピソードの元になった子どもに等身してちゃんと育てたいんですっていうのってすごく極端な聞こえ方にも感じるし、正解を求めるっていうね。今、若い世代、正解を欲しいっていう言い方されることがあるじゃないですか。若い世代って隠っちゃう失礼だと思うんだけど。
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だけど、その、正解がないと不安。で、責任が持てない。親の責任って話がちょっと出たんですけど、自分がね、この子をちゃんと育てられる、ちゃんと困らないようにしてあげられる自信がない。責任を持てない。だから子どもを作らないとかね、結婚しないとかっていう言い方をする方もやっぱり多いんですよ。
で、それはなんかね、おかしいと思う。おかしいっていうのは、そこができる人が親になってるわけじゃないんで。そんなことに子どもが絶対将来大丈夫だっていう準備を親として出せる責任が持てない。そんなことが出せる責任が取れる親なんて一人もいないんですよ。未来どうなるかわからないんで。
だから、そこを子どもを持てない理由にしてほしくないんですよね。そこじゃないぞと。で、さらに同じようにそこを心配して、親としてダメだとか何とかしなきゃっていう思い詰めるっていうのもちょっと違うと思ってるんですよね。そこじゃない。
だけど、やっぱり体験させるためには選ばなきゃいけないっていう状況に昔よりなってるなって感じはしますね。だからね、安直にほっといても大丈夫だよっていうのはやっぱり通じないと思うんですよ。昔のほっといても大丈夫だったっていうのとはちょっと状況がやっぱり違うかなと思ってて。
そこを踏まえた上で、気軽で大丈夫だよっていうのは、そうは言っても限られた生活の経験の中でも子どもは子どもで感じていることがあると思うから、習い事でなんとかなるとか補完になる、補えるっていうわけではないと思うんですよね。
全てがちゃんと経験になってるから、子どもにとって。だから、習い事でなんとかしなきゃっていう考え方にはならなくていいと思う。でも、体験はやっぱり準備するっていうのはやってあげていいと思う。親としてね。体験の与え方っていうのはどんな形でもいいと思う。
習い事をいろいろ調べてもいいし、前回もちょっと言ったんですけど、どっかに習い事じゃない場に連れて行くでもいいし、大人が大人の付き合いをしている場に子どもも一緒に連れて行くとかね、そういうのもいいですよね。
仕事もそうだし、仕事じゃなくてもあるなっていうのがあって、そういう場があるんだっていうのを知るっていうだけでも子どもにとって経験になると思うから、それでもいいんじゃないかなって思うんですよね。
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子どもにとって経験を与えなきゃいけないというのは、その頃の時代と同じように今はできない。今そういう時代じゃないんですよっていう言葉があったけど、それはたぶんその通りだと思うんですね。
でも今は、与えないと与えられないんだけど経験は。何か子どもが困らないようにっていうのとはちょっと違う。で、違うって考えていいかなっていうふうにちょっと思いますね。
選択肢もいろいろあるから、前回も言ったけど大人も子どもも大人も子どもっていうのかな。馬が合う経験っていうのを選んでみるっていう感じかなっていう気がしますね。
娘はピアノやってたんですけど、ピアノ本当に好きで超やってるから。小さい頃から。今もピアノ辞めちゃったんだけど、ピアノ弾きたいなって言って弾くこともあるんですよ。そういった時にたぶん心が落ち着いてるんですよ。
そういうものに出会えたらすごくいいかなと思うし、そういうところには親も時間とってしっかり送ってるとか続けられるようにっていうふうにやってあげるっていう。そこに時間とか努力かけるっていうふうにはかけようっていうふうに思ってましたね、私は。
今も子どもたち部活頑張ってるんで、そこには時間とお金はかけようっていうふうに思ってる。
これが身になりそうだからっていうのは基本考えてはこなかったですね。英語以外は特にやってはいたけども、実際それは身になったのかもしれないんだけど、そのためにやらなきゃとは思ってなかったかなと思いますね。
ただね、分かんない。これはちょっと分かんないんですけど、英会話だけについて言いますと、やっぱり小学校になりましたとか中学校になりましたぐらいから習うことはありますよね。
たぶん全然それまで英語に触れてこなかったことを比べたら差はあると思うんですよ。それがどう似てるかっていうのは私は分からないんですよね。
うちはやってたからスイッと入ってできてるっていうのは確実にあるとは思ってて、それはありますよね。やってたんだからっていう。
それがね、学校の成績とかに反映されちゃうとかってなるとちょっとつらいかもしれないね。ちょっと今どうなってるのか分かんないですけどね。
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息子と娘は英語については成績が悪くないんでね、それがそのおかげだったのかって言われるとちょっとそうかもしれないしとは思うけど、
学校成績は一つの目安でしかないんでね、それが悪くたって別にいいっていうか、徐々に徐々に別に学校のカルキュラムに合わせて他の子が多少できてたり進んでたりしてもできるようになっていけばいいし、
別にできないんだったらできないでもいいし、私が英語を捨てた身なんで、別にできないならできないでいいしとも思ってるんだけど、
やったことがどっかでやってない子がいたら、もちろんそこは差があるっていうことは確かです。それはどう考えるかですよね。
そこでみじめな思いをさせたくないから英会話からやっておいたほうがいいかなっていう選択するのも別にいいんじゃないかなと思います。
親の考えとしてね。いや英会話、塾とかそういうんじゃないよ、いいんだよって言ってやるのもそれで別にいいと思う。
大事なのはそういうんじゃないんだよって別にいいんだよっていうのを子供にも伝えたほうがいいかな、伝えるほうがいいかなと思いますね。
別に英会話やってた子はそれでできるだろうし、やってない子はできるのはあるかもしれないけど、できるから偉いってわけでもないし、別にそれでいいんだよと。
今から始めたことをやっていけばいいし、苦手だったら苦手ってことが分かればいいしっていうふうに言って、
そこの誰かがやってる、うちの子がやってる、あの子の子はやってないっていうことに対して、
劣等感というかまずいんだっていうふうな単純な評価を自分自身にしないように子供がね。
っていうところは注意するというか、教えて伝えてあげたほうがいいかなと思いますね。
やっぱりできるできないっていうのは目に見えちゃうんで、点数とかって目に見えちゃうんで、
それでそれは良い悪い、それは良い悪いの数字じゃないと。できるできないはただそうなんだっていうことが分かるだけ。
どっちが優れてるのかっていうわけじゃ、何て言うんだろうな。
なんだよっていうことを親としてね、私は、親は、お父さんはそういうふうに思ってるからっていう、
思ってるんだよっていうことを伝えるっていうのは、これちょっとね、はっきり言ったほうがいいと思う。
言わないと多分ずっと届かないと思う。子供を通じないと思うし、
親はそう思ってるんだなっていうだけでもね。
それだけでも先生が違うこと言ってたりしても、あんまり違う考えがあるんだなっていうふうに判断できるんで。
そういうのは習わせる場合もですよね。
英語を習わせてそれを言わなきゃだな、私言ってきたかな、ちょっと分かんないな。
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親の考えっていうのを伝えたほうがいいかなって最終的に最後ふと思いましたね。
こういうこと、好きだからピアノが好きだって言ったら、やってきたらよかったねっていうことを言ったりとか、
あれは合わなかったけど、やってみて分かってよかったねとかね。
やってないことで差がついてもそれは別にいいんだよ、そこで焦らなくていいんだよって思ってるよっていう、
いいんだよ、一般の人としていいんだよ、じゃなくて、やっぱり、
私はね、お父さんはそういうふうに思ってるよ、お母さんはそういうふうに思ってるよって言わないけど、
そういうふうに伝えておくっていうのが大事な気がしてきました。
ということで、ちょっと話がずれちゃったんですけど最後。
時代背景が違うから、やっぱり子供に何か経験してもらいたいなっていうのって、
いろいろ考えなきゃいけないことが増えてきちゃってるなって思うけど、
親としてはそんなに焦らなくてもいいと思うし、
ただ、やっぱり親の考えはどうだからこういうのどうかって思ってるとか、
こんなこといらないと思ってるとかね、
そういう考えを伝えておくのがすごく大事かなって思いましたということで、
結論にしたいと思います。
何かの参考になればいいかなと思っています。
ということで今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な日付のある毎日となりますように。
高倉でした。それではまた会いましょう。
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