第39回目は、ブログも含めたら何度も話しているネタ、不思議のダンジョンは人生であるというおはなし。 #ゲーム #声日記
- 不思議のダンジョンで人生を学び、 RPGで世の中のありようを学ぶ #ゲームとことば - 高見知英のかいはつにっし(β) https://blog.onpu-tamago.net/entry/2022/12/17/092300
- 不思議のダンジョンは人生である - 高見知英のかいはつにっし(β) https://blog.onpu-tamago.net/entry/2020/12/18/100000
- 『風来のシレン6』やり込みライターが開発者にインタビュー。「祝福された巻物は必ずラッキーが出る」など細かい話もたっぷり聞いた。アプデ第2弾も予定「長く楽しめる作品にしたい」 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com https://www.famitsu.com/article/202404/3472
- #19 - 風来のシレン - 高見知英のゲームの話しかしないポッドキャスト - LISTEN https://listen.style/p/takamichie_gameonly/qsnlgimy
サマリー
不思議のダンジョンシリーズのゲーム体験を通じて、人生におけるトラブルや選択に対処する方法について考察しています。さまざまな困難や理不尽な状況に直面する中で学べる教訓や生き方の選択が、ゲーム内の経験と密接に関連していることに触れています。また、不思議のダンジョンを通じて人生の教訓を得ることができると語っています。このゲームの特性は、常に変化する冒険の中で、他人の助言を鵜呑みにせず自分で考える重要性を示しています。
不思議のダンジョンの意味
高見知英のゲームの話しかしないポッドキャスト第39回は不思議のダンジョンは人生であるという話についてやっていこうと思います。
まあ、ブログを含めると何度目でしょうかっていう内容なんですが、自分の中ですごく大事にしている考え方でもあるので、せっかくなのでここでもまたお話ができればなということで、
ちょっとお話をしていきます。ちょっとお付き合いいただければと思います。
この不思議のダンジョンは人生であるっていうのはどういうことかっていうと、やっぱり不思議のダンジョンっていうシリーズって本当に人生に近いところがたくさんあるなっていうふうに思うからなんです。
そもそもじゃあこの不思議のダンジョンってなんやねんっていうと、まあ、風来のシレンとか、あとはポケモン式のダンジョンとか、そういうような派生作品いろいろありますけれども、そういういわゆるランダムに生成されるダンジョンで冒険をしていくっていうようなゲームシリーズですね。
まあ、もともとはローグっていうゲームがあって、それをもとにしたものなのでローグライクとかいうふうに言われてますけれども、こういうようなゲーム、まあ自分は結構好きでやってます。
まあ、もともとのこの風来のシレンについては以前にもこのゲームしかしないポッドキャストでもお話をしたんですけれども、まあこういうようなものとかそういうもの全体についてですね、ちょっと今回はお話をしてみようというふうに思います。
まあやっぱりね、結構この不思議のダンジョンの中で、実生活にこういうことあるよねっていうトラブルってたくさんあると思うんですよ。
例えばモンスターハウスとか不意のトラップとかのトラブル。そんなトラブルから上手く立ち回ってダメージを最小限に抑えて探検を続行するっていう、そんな時の考え方って結構不思議のダンジョンシリーズと人生で結構共通するところがあるんじゃないっていうところもあるし、
常日頃からトラブルが起こった時の対策を考えて動くと、対策を考えて被害が起こった時のダメージを最小限に抑えること。そして持ち物の容量が限界になった時、もう持てないっていうような状況になった時にどうやってうまく取捨選択をするのか。
これは要るもの、これは要らないものっていうふうに考えることとか。あとは適度に引き際を考えるとかね。これはちょっと状況的に引き返した方が良さそうだっていう判断を下すこと。そのタイミング。やっぱりそういうものって結構不思議のダンジョンシリーズで学んだことなんだろうなっていうふうに思ってるのはすごくたくさんあります。
そういうなんていうんですかね。人生のいろんなターニングポイントでどういうふうに立ち回るのか。どう振る舞えばいいのかっていうね。そういうのを予測する。そういうテクニックは結構不思議のダンジョンで培ったものなんじゃないかなっていうふうに自分は思っています。
階層と人生の関係
階層イコール年齢だっていう話も結構ブログの中ではちょくちょくしていました。不思議のダンジョンシリーズって基本的なフォーマットは1階から99階を目指す。上の方向か下の方向かはゲームやダンジョンによって違うんですけど基本的には99階まで行っていくっていうようなものが多いです。
そうすると階層イコール年齢っていう考え方が結構近くなってくるなっていうふうに感じるところがあるんです。10階くらいまでは結構ノリと雰囲気でなんとかなったりする。ただ事故死にだけは気をつけなきゃねっていうレベルの階層。20階あたりまでは深層に向かうにつれて激化してくる戦闘に備えるっていう状況の階層。
そしてそれ以降になるとまさに真剣勝負ですね。あるものでどうトラブルを対処するか。場面によってはその階をスキップしていくなーんていう考え方も必要になるかもしれませんし、その階層で可能な限り粘るっていうね、そういう考え方も必要になるかもしれません。
そういうふうに、どの階層でどういうふうに行動していくかっていうのを真剣に考えないと生き残れないみたいな環境。そういうフォーマットってなんかある意味人生に近いものがありませんかねっていうふうに感じるんですよ。
まあ今回の風来のシレンなんかだと、メーカーインタビューでも書かれている通り、基本的には階層少なめにデザインされているダンジョンが多いのでちょっとバランスは変わってきます。なんですが基本的な構造ってそんなに変わらないんですよね。前半は結構ノリでなんとかなるけど事故死に注意。
中盤は終盤に向けた準備をしっかりして、途中あたりからは真剣勝負。場合によってはね、即次の階に進むみたいな、そういう全てを捨てて走るみたいな判断も必要になる場合がある。そういういろんな面。そこらへんのフォーマットは変わらないねっていうふうにすごく思います。
そしてあとはほぼほぼ打開が不可能な理不尽に遭遇することがあるっていうのも不思議のダンジョンと現実で共通するところかもしれません。例えばここ最近の不思議のダンジョンはね、クリア後のダンジョンなんかだと結構こういうのがあったりするんですが、通常の冒険ではその時点では出会いっこない超強力なモンスターが集まっている特殊モンスターハウスっていうのがあります。
爆発や炎を吐いてくる敵ばっかりが集まっているモンスターハウスとか、アイテムを盗んだり壊したり何らかのトラブルを仕掛けてくる敵しかいないモンスターハウスだったり、とにかく攻撃力が高い敵ばっかりが集まっているモンスターハウスだったり、そういういわゆる本当に特殊モンスターハウス、なんとかハウスだっていうふうに言われたりするんですけども、やっぱりそういう特定の能力に偏ったモンスターばっかりが出てくるっていうモンスターハウスも割と出てきます。
で、油断すると一発でやられますし、油断しなくても普通にやられることだったりします。そして、やられなくても耐えても大量に失って、冒険の継続が不可能になってきたり困難になってきたりとかいうこともありますし、大損害を受けてしまうってこともある。
今まで順風満帆に進んでいたのに、その回になって特殊モンスターハウスが出会ったとともに一発でおしまいなんていう、そういう理不尽の極みみたいなことだって普通にあり得ます。それってまさに人生で出くわす理不尽そのものなんですよね。っていうふうにすごく思うんですよ。
そしてもう一つ、そこで活路を見出せる可能性がないこともないってのもやっぱり人生だなぁというふうに思います。実際ね、自分もこの間のプレイでそういう特殊モンスターハウスに出会って、あ、これはダメかもっていうふうに思ったときも、うまく起点を聞かせてなんとかなったっていうシーンがね、時々ありました。
やっぱこういうような状況をうまく出せると、やっぱりこの不思議のダンジョンの面白さをすごく実感できるなぁって感じるところではありますね。そこらへんを考えて、じゃあ自分はどうするかっていうふうに考えられるのも、やっぱり不思議のダンジョンと人生で共通するところなんじゃないかなっていうふうに思うんですよ。
だから本当にね、こういう面も含めて、全ての面も含めて、やっぱり不思議のダンジョンって人生であるっていうふうに自分は思ってるんですよ。あとはそうですね、以前のブログ記事でも書いてた内容、先輩の助言って答えにはならないよっていうところも人生だよねっていうふうに思うんです。
不思議のダンジョンと人生の関わり
ゲームにおいて先輩の助言っていうと、やっぱりウェブサイトとかSNSとかで書かれている、こうするといいよみたいなコメントとかもありますし、やっぱり攻略サイトなんかもあると思います。でもこれらも答えにはならないんですよねっていうところは、やっぱりそこはすごく人生的だなっていうふうに思うところでもあります。
不思議のダンジョンって入るたびに形がまるっと変わります。似た地形とか同じパターンがあることは当然ありますし、何度も冒険していれば何となくここ知ってるなっていうところが結構あったりするんです。でもその時その時で出会える敵やアイテム、あとは仲間の存在って当然違ってくるわけで、
それを含めるとやっぱりリプレイとか風来救助みたいなそういう特殊な状況を除いて結局一つとして同じ冒険ってないよねっていうふうに思うんです。だからこそ他の人の助言はあくまで助言でしかないっていうところなんですよね。答えになることは絶対ない。
だから他人がこうするといいよって言ってきたとしてもそれはあくまで参考程度、最終的には自分で考えなきゃいけないよっていうことが人生も不思議のダンジョンも一緒だよねって思うところだったりします。
とにかくね、こんな感じで本当に不思議のダンジョンと人生って近いところが多いんじゃないかなっていうふうにすごく思っているので、それだからこそ人生は不思議のダンジョンであるっていうような言葉を自分は結構大切にしています。
やっぱり不思議のダンジョンをやっていて、自分こういうふうにすればいいんだなっていうふうに思ったことって結構人生にも応用が効くっていうところはありますし、自分も実生活を歩んでて起こったトラブルに対しての対処とかも、不思議のダンジョンをやってたからこれができたんだなっていうふうに思うところも結構あったりしますので、
やっぱりそういうところも含めて、不思議のダンジョンをやっておくってすごく人生の歩き方に良い影響を与えたなっていうふうに思うんですよ。
だから生活が難しいなとか、生きるのが大変だなとか、なんかトラブルに巻き込まれてるなっていうふうに感じるのであれば、そういう状況の、まっただ中にいる状況だとさすがにゲームやってる時間ないかもしれないですけども、そういうようなことをなんとなく感じるときに、まだそういうゲームで遊べる時間があるうちに不思議のダンジョンをやってみるっていうのもいいんじゃないのかなっていうふうに自分は思ったりするんですよね。
それがなんだかのヒントになるのかなっていうふうに思うので。
もちろんね、漫然とクリアすることだけ考えてたらちょっとダメなのかもしれません。
目の前のトラブルだけに向き合っていればダメなのかもしれません。
楽しみながらでも全然いいのでっていうか、むしろ楽しまなきゃいけないと思うんですが、楽しみながら、あれこれって現実だとどうなんだろうとか、現実にこれって活かせないかなとか、そういうことを考えておくことっていうのはひとしたら必要なのかもしれませんね。
あるいはそれが全然思いつかないっていうんだったら、誰かと一緒に話しながら、これってそういうことなんだっていうのを見つけていくっていうのもひとつ手なのかもしれません。
今だったらオンラインのコミュニティそういうところもあるでしょうし作れそうですしね。
もしなかったら自分をお付き合いしますし。
そういうような繋がりを見つけてでも、そういうような環境を考えてでも、そういうことを考えながらゲームをやってみるって、ひとしたらひとつありなんじゃないかな、意外とみんなやれてないんじゃないかなって思うところもあったりします。
だからやっぱりそういうことを考えながら、不思議のダンジョンシリーズに限った話じゃないかもしれませんが、やっぱりこういうようなものを、いろんなものを現実に活かせる可能性って考えていってもいいのかなーなんていうふうに思います。
そんなところでお話終わりにしていこうと思います。
この高見知英のゲームへの話しかしないポッドキャストでは、毎週土曜日ですね、こんな話で、ゲームの話を中心にいろんな内容を配信していこうと思っています。
またその他、毎日更新のちえラジChatや毎月2回更新のSBCast.などNPOでの配信も行っております。
こちら、自分のLISTENのユーザーページから、そちらの活動の方を見ていただければ、そして気になった番組等があればフォローしていただければいいなというふうに思います。
というところで、今日のゲームの話しかしないポッドキャストはおしまい。また来週もいろんなお話ができればなというふうに思っています。ではでは。
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