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2026-10-03 11:42

#81 - 教育のためのゲームはアリなのか

第81回は、最近気になる話題が出てきたので、この話。 #ゲーム #声日記 #学び

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サマリー

教育のためのゲームは、学びや交流を直接の目的にするのではなく、まず遊びとして成立することが重要だと語る。『天穂のサクナヒメ』や『不思議のダンジョン』、『Grounded』を例に、ゲームは知識だけでなく姿勢や考え方を身につけるきっかけになると説明する。ボードゲームや協力型デジタルゲームにも交流の側面はあるが、交流や学びを先に掲げると参加しづらくなる場合があると語る。ゲーミフィケーションはゲームそのものとは異なり、遊びの楽しさを前面に出すことで、後から現実への関心や発見につながる可能性があるとまとめる。『デイヴ・ザ・ダイバー』を通じて魚やその他の食材に興味を持った体験も紹介する。

ゲームから学べる姿勢と考え方
高見知英のゲームの話しかしないポッドキャスト第81回になりました。
今回は教育のためのゲームというのはありなのかという話をちょっとしようかなというふうに思います。
まあここ最近ゲームの話題がずっと出たので少しなんかちょっと真面目な考えるお話っていう感じでやっていこうと思います。
最近といってもねまあまあ昔の話なので参照元のURLとか正直忘れちゃったんですけれども
学びにつながるボードゲームのクラウドファンディングをやりますっていうことをやってるのを見かけたんですよ。
自分の知り合いもそういうことをやってて。
でやっぱりそういうのものって時々見かけるんですよね。
なんかの学びにつながるボードゲームカードゲームとかあとは交流につながるとかね交流を全面に押し出して交流をすることが売りですみたいなね。
そういうのはボードゲームとかカードゲームとかそういうものをなんかこういうので出してみました参考出展してますとかそういうの話っていうのはねやっぱり学校教育の場とかそういうところまで行くと結構見かけたりするんですよね。
例えば前行った教育総合展 EDIXなんかでも確か以前ねそういうのを紹介してたなんていうのはあったような気がします。
まあいわゆるゲーミフィケーションっていうやつですかね。最近あんまり名前は聞かないなぁという気がしますけど。
本当にねこういうような話って本当にあちこちあって、実際ね自分自身ね本当にゲームから学んできたことが多いっていうふうに何度も言っているわけですから
やっぱりゲームって結構学ぶためにはちょうどいいきっかけになりやすいなっていうふうに思うんですよね。
ゲームすること自体が生き方を学ぶとか、例えばデジタルゲームだと例えば天穂のサクナヒメで米作りの大まかな行程を知ることができるとか、
あとは不思議のダンジョンなんかだとやっぱりトラブルが起こった時にどういうふうに自分は動けばいいのかとか、そう姿勢の問題がやっぱり身につくよなっていうふうに思います。
やっぱりそういうふうなところも含めてゲームが実生活に役立つシーンってすごく多いんじゃないかなっていうふうに自分は思います。
まあね他にもね例えばGroundedとかで虫と戦うっていうのことを当たり前にいつもやってたからこそ、
やっぱり例えば普代村で虫を見かけた時、まあ実際だとカメムシなんですけどね、カメムシを屋内で見かけた時に騒ぐことなく冷静に対処することができたっていうのは、
まああれはやっぱりGroundedでやってたからなんじゃないかなっていう気もするんですよね。
そういうような虫を落ち着いてみるっていうのとこの姿勢にも役に立ったのかな。
まあどちらかというとね知識そのものっていうよりやっぱり姿勢作りとか考え方とかそういうところに結びつくところも多いのかなというふうに思ったりしますけれども、
まあなんというかね歴史のゲームとかだったらともかくね、歴史的事象を学ぶとか地名を学ぶとかそういうのじゃなくて、
ああこういうことがあり得るんだなとか、ああこういうふうに考える人っているんだなとか、そういう概念的なもの。
非言語的なスキルが身につくのがゲームかなというふうに思ったりはしています。
遊びを先に置くゲームと交流
ただそうは言ってもなんか学びが先に立っちゃいけないのがゲームなんじゃないかなっていうふうに自分は思ってたりしています。
やっぱりゲームって最終的には遊ぶものなんですよね。だから遊びが最前線に立ってないといけないのかな。
まあ学びにつながる側面もあるんだけれどもそれはあくまでそういう側面があるよってだけで、
まあその中で可能性を探求するとかこういうのはあってもいいのかなっていうふうに思うんですけれども、
ただゲーム自体はいつまでも遊びが最前線、主目的でなければいけないのかなっていうふうに自分は思っています。
その他にもね、ほんとにカードゲーム、ボードゲームとかにね、やっぱり交流っていう側面をすごい強く推してるっていう話は聞きます。
やっぱり実際自分もボードゲームとかやってみて、なるほど確かに交流につながるなっていうようなことを感じることはすごくありますね。
Switchとかのデジタルゲームと違って交流がやっぱり必須に近い存在なので、
まあ最近ではね、ゲーム機のゲームでも交流が必須なゲームってすごく増えてきました。
最近でもね、YouTubeでたまに見かけるのが、やっぱり違う冬のぼくら、違う星のぼくらとかみたいな協力ゲームもあるし、
あとは大人数でワイワイ遊ぶようなタイプだと、Big WalkとかR.E.P.Oとか、あとはPeakとか、そういうようなゲームもね、最近あるみたいですね。
本当に自分も、自分一人で遊ぶことってできないので、YouTubeで見て、なるほどな、こういう楽しみ方あるんだなっていうふうに見るのはすごい興味深く見てたりしてるんですけども、
やっぱりああいうゲームも交流の要素としてすごく強くなっているゲームってのは増えてはいます。
でもやっぱりなんだかんだ言って、ゲームってすごくたくさんあるので、デジタルゲームはすごくたくさんあるので、それを避けることができますよね。
でも、アナログゲーム、ボードゲーム、大半がそういう交流をしなければいけないゲーム、なんていう感じなのかなっていうふうに思ってます。
もちろんね、それでもしなくていいゲームっていうか、一人でできるゲームっていうのもあったりするんですけどね。
ただ、そういう交流っていう要素が全面に出てきやすいのがボードゲームの特徴だなっていうふうに思っています。
ただ、それでも交流をするためにボードゲームをやる、交流するためにあるボードゲームっていうのは、それはそれで違うのかなっていうふうに思ってて、
ボードゲームがある、楽しい、そして交流が生まれるっていうね、やっぱり楽しいが先にあるのがゲームだよね。
それはデジタルもアナログも関係ないよねっていうふうに思っています。
まあ、それって当たり前じゃん、同じじゃんって言われれば、まあ、外から見たら同じなのかもしれないですよね。
ただ、やっぱり遊ぶ側からすると割と明確に違うのかなっていうふうに思っていて。
やっぱり遊びたいから遊ぶ。で、触れてみて、それが偶然学びとか交流に繋がるっていう。
そういうのだったらいいんだけど、逆だとやっぱり交流しながら来てるわけじゃないんだよっていうときに輪に入りづらい。
学ぶに繋がるゲームなんかも同じです。
やっぱり学びたいから来てるわけじゃないんだよねっていうときに、そのゲームに食いつかないというか、食いつきづらいんですよね。
ゲームとゲーミフィケーションの違い
そういう分野には自分勉強したくないんだけどなーっていうときにそこの輪に入れない。
でも実際入ってみると面白いかもしれない。
そういうような偶然を生み出すのがやっぱりゲームの力なのかなっていうふうに思っているので、
やっぱりそういう時には、やっぱり遊びが大事。前提、前面に立ってないといけないのかなというふうに思ってたりはしています。
だから、例えば冒頭に言ったゲームフィケーションっていう言葉もありますよね。
ゲーム的な要素を学びとか、いろんなアクションに取り入れていくっていう試み。
でもね、それはゲームフィケーションっていうものであって、ゲームフィケーションはゲームではないんですよね。
だからそこは明確に区別したほうがいいのかなっていうふうに自分は思っています。
だからやっぱり遊びが前面に出なくなったら、それはもうすでにゲームフィケーションであって、ゲームではなくなっているんだよねっていうふうにも思ったりしますよね。
でね、そんな話をAIでまとめてたら面白い文章が出てきたんで、これもちょっと話をしたいかなというふうに思います。
子どもに栄養があるから食べなさいとピーマンを丸ごと出しても食べないじゃないですかっていうね。
でもハンバーグにこっそりみじん切りにして混ぜたらおいしいおいしいって言って食べる。
それと同じなのかなという話。
最初から大人の都合でこれが教育ですよ学びですよっていうラベルを貼ってしまうとやっぱりゲーム本来の楽しさっていうね一番重要なスパイス、ハンバーグの肉汁みたいなものが出なくなっちゃうんじゃないのって、消えさってしまうんじゃないのっていうような話を出すとそういうふうにまとめられました。
なんかねそういう言葉、本当に今のAIこういう言葉を紡ぎ出せるんだなっていうふうに思うこともあって、
自分もねピーマンの話なんか全然言ったこともないのにねこういう話が出てきていい例えじゃんとか思ってました。
やっぱりね自分はやっぱりそういうふうに遊びが前面になっているのがゲームなんじゃないのっていうふうに思ってしまいます。
まあ自分がね本当にゲーム好きだからここまでどっぷりやってるからっていうところもあるんだろうなというふうに思いますけど。
デイヴ・ザ・ダイバーから広がる関心
ゲームがハンバーグに隠された野菜ではなくてハンバーグを食べるという体験そのものが結果的に世界を広げるんだと、そういうふうに主張してるんじゃないのっていうふうにAIがまとめててね本当にこういうところなんじゃないのかなっていうふうに自分は思っています。
まあ本当にこの通りゲームって楽しいが最優先だよね。
その後にあそういえばあれってこういうことだったんだとかあこれって現実にもこういう近いことあるんだとかね。
そういうところにつながっていく。
まあいわゆる記号接地していく。
それを狙える可能性があるっていうのゲームなのかなっていうふうに思います。
例えば魚の名前を覚えたり学んだりするために多分デイヴ・ザ・ダイバーをやるって人はいないと思うんですよ。
いないけれどもなんかいろんな魚を捕まえてあるいは寿司とか焼き魚にして食べてるっていうのを見てその後あこの魚って実在したんだってね。
なんか魚の図鑑とか生息管とかを見て気づくとかいうのもあるし、
あとはダウンロードコンテンツだとね結構野菜とか食材も出てきますけどもそういうのは食材とかを見てあこれって実物これだったんだっていうふうに思うとかね。
まさにね自分もねここ最近ベトナムフェスタっていうイベントが近くで開催されててね。
デイヴ・ザ・ダイバーのダウンロードコンテンツに出てくるタマリンドっていう食材。
まあ木の実ですかね。枝豆みたいな形してたような気がしますけど。
そんな形のものをタマリンドジュースって言ってねベトナム料理だと結構作るらしいんですよね。
だからそれもこれが実物のタマリンドかっていうふうに思っててね。
それだけで興味が湧いて飲んでみたんですけども結構美味しかったなって思うんですよ。
やっぱりそういうようなものに記号接地していく力があるっていうのがやっぱりゲームなのかなっていう。
それは多分逆の存在だったらゲーミフィケーションだったら起こりなかったんじゃないかなっていうふうに思ったりしています。
あくまでそれは学ぶためにやってるものだったりしますからね。
ゲームに期待する学びと交流
まあゲームっていうものを普段しない人たちからするとやっぱり結局遊ぶことっていうふうには見えなかったり。
学ぶこととか交流することとかそっちの方の側面が先に出てくるっていうのはあるんだろうなっていうふうに思いますけどね。
なんかそういうの表に出さずでもなんか他とは違う学びにつながるよとか他とは違う交流につながるよとか
そういうものがやっぱりゲームとして出てくることを自分は望みたいなあっていうふうに思います。
というところで今回の話はこれくらいで終わりにしていきたいと思います。
この高見知英のゲームの話しかしないポッドキャスト、こんな感じで隔週の土曜日にこんな感じの配信を行っております。
その他、平日毎日配信のちえラジChatや、あとは毎月第1金曜日、第3金曜日、第5金曜日に配信をしている地域活動、コミュニティ活動を紹介するポッドキャスト番組、
まちのえんがわキャストなど様々なポッドキャスト番組を私は配信しております。
LISTENの自分のユーザーページなどからたどっていただければいいかなというふうに思います。
その他コメントなどもお待ちしておりますのでぜひね連絡いただければ幸いでございます。
というところで今日のお話はおしまい。ではでは。
11:42

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