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ノオト・ブク子
今回は、山口情報芸術センターYCAMの山岡大地さんと大場美葵さんのお話を手がかりに、メディアテクノロジーと人間らしさについて、ちょっと深く考えてみたいと思います。
YCAMの活動とか、彼らが配信しているグルグルラジオの裏側にある考え方なんかを一緒に紐解いていきましょう。
ノオト・ブク太郎
よろしくお願いします。紐をむると、山岡さんはYCAMで教育普及担当、もう12年になるんですね。大場さんも同じく教育普及で3年目と、鑑賞者と作品、それからテクノロジーをつなぐ役割なんですね。
ノオト・ブク子
そういうことですね。YCAMって2003年設立のアートセンターですけど、山岡さんがおっしゃるには、単に作品を展示するだけじゃなくて、メディアテクノロジーを使った新しい表現の制作、ここが活動の中心にあると。
ノオト・ブク太郎
コンピューターとか映像とか、ネットワーク技術とか。
ノオト・ブク子
そうそう、そういうのを使って表現の可能性自体を広げようとしてるんですね。
ノオト・ブク太郎
で、興味深いのが活動の変遷ですよね。山岡さんによると、設立した当初、2003年頃っていうのは、新しい技術を紹介するっていう側面が強かった。
ノオト・ブク子
なるほど。当時はそれが新しかった。
ノオト・ブク太郎
それが技術が普通になった、今、2025年、現在ですけど、むしろ当たり前になったテクノロジーを改めて見つめ直すっていう、そういう段階に入ってるんじゃないかと。
ノオト・ブク子
言葉も、太古からすればニューメディアテクノロジーだった。
これなんかハッとさせられますね。
ノオト・ブク太郎
そうですね。
ノオト・ブク子
普段当たり前に使ってるものも、最初は革新的だったって考えると、今のテクノロジーへの見方もちょっと変わるかもしれないですね。
ノオト・ブク太郎
まさに。あまりに身近になりすぎると、それが一体何なのか、どう付き合うべきか意識しなくなっちゃいますからね。
だから一度立ち止まって考える場が必要だっていうのは、すごく現代的な問いかけだと思います。
大葉さんも、ITとかICTとか、メディアテクノロジーって言葉の定義、そういうことに関心があるみたいで。
ノオト・ブク子
ああ、なるほど。
ノオト・ブク太郎
この見つめ直しにつながる部分がありそうです。
ノオト・ブク子
なるほど。テクノロジーを見つめ直す、そういう視点ですね。
そういうYKMの探求のプロセスというか、その一端が覗けるのがグルグルラジオっていうことなんですかね。
ノオト・ブク太郎
その通りだと思います。
山岡さんは、このラジオを作品制作の裏側にある熱量とか、アーティストの素顔、普段考えていることとか。
ノオト・ブク子
ああ、なるほど。
ノオト・ブク太郎
なぜアーティストになったのかとか、普通のトークイベントじゃなかなかそこまで聞けない部分を発信したいと。
ノオト・ブク子
肩の荷を下ろして話せるサードプレイスにしたいともおっしゃってましたね。
ノオト・ブク太郎
そうなんです。喫煙所での雑談みたいなリラックスした雰囲気で、相手の意外ない面を知るみたいな。
へー。
で、そのサードプレイス的な場作りが番組の後半の構成にもつながっているみたいで。
と言いますと?
ゲストが自分のお悩みを話して、前のゲストからの問いに答えるという。
ノオト・ブク子
ああ、面白いですね、それ。
ノオト・ブク太郎
山岡さんが指摘するように、これがなんか面白い科学反応を生むらしいんですよ。大学教授とか、近所の人、アーティスト、エンジニア。
ノオト・ブク子
普段は交わらなそうな人たちが。
ノオト・ブク太郎
そうなんです。そういう多様な人々が、問いを返してつながっていくと。
ノオト・ブク子
なるほど。
ノオト・ブク太郎
例えば、専門性がないことにひけ目を感じるっていう悩みが出たときに、別のゲストも、あの全く同じコンプレックスを待っていたことが分かったっていうエピソードがあって。
ノオト・ブク子
へー、それは興味深い。
ノオト・ブク太郎
だから山岡さんが目指す、こういうサードプレイス的な場が、普段は言いにくい本音を引き出して、共感を生む土壌になってるのかなと。