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はい、土曜日始まりました。本日はですね、週刊アリテーマゲームについてということで、ボードゲームが人間性を育てる理由ということについて話をしようと思います。
先月ね、SBCオープンマイクで格闘ゲー社さんを呼んでお話をしましたが、その時にね、ちょっとボードゲームについてとかいろいろ話をしたので、その話をしようと思います。
ボードゲーム、自分も最近図書館総合展周りのイベントとか、あとはボードゲームアリーナとかで時々ボードゲームを遊ぶことはあります。
実際の宅を囲んでボードゲームとかやったことはあんまりないんですけどね。
でも、やっぱりああいうようなところで実際に遊んでて、それなりにいわゆるスイッチとかのデジタルゲームとは全然違う楽しみ方ってあるなっていうのをすごく感じています。
で、デジタルゲームとの違いというところですね。
やっぱりボードゲームって結構人間性を育てることになるんですよねみたいな話をちょこちょこ聞いてたんですけれども、
なんでか、なんでそういうふうに言われるのかなっていうふうに思うと、基本的にゲームって何にしても必ず何かを育てる可能性ってあるとは思うんです。
ただ、デジタルゲームがそう言われにくいのはなぜかっていうと第三者がいないからなのかなっていうようなことを最近思っています。
例えばね、ボードゲームの場合って人と必ず人を囲んで話をしてゲームを進めるので、何か良くないプレイをしたら必ず文句がつくんですよね、その人からリアルにっていうコメントがもらえるわけです。
でもデジタルゲームってコンピューターが相手だったり、ネットの向こう側の人が相手だったりするので、相手は何も言ってこないんですよね、悪いプレイとかしてても。
で、ネット越しの人だったら何も文句言わずに立ち去っちゃうっていうことだってありえるし、
あとは関係性がそんなにできてないので、いきなりこんなゲーム遊んでられるかって言って立ち去っちゃうとかいうようなことだってありえる。
だから良いフィードバックをもらえる可能性が非常に少ないっていうのがあるのかなっていう気はします。
でも自分としてはデジタルゲーム、スイッチとかファミコン、スーパーファミコンとかそういうようなゲームで色んなところで学んできたなっていう感覚が正直あるので、
じゃあなんでそれでデジタルゲームってそう言われないんだろうなっていうふうに思うと、やっぱり本当に第三者の存在その通りがいないからなんですよね。
じゃあその代わりになる人がいればいいんじゃないのっていうふうに思うんです。
例えばその存在が自分の場合母だったわけなんですけども、母みたいに近い存在の人が例えばゲームプレイについてちょこっとなんか振り返るための何かをフィードバックできると、
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多分デジタルゲームを人間性を育てる何かになっていく可能性って生まれていくんじゃないかなっていうふうにちょっと思ったりもします。
というところで今日のお話だいたいこれぐらいにして終わりにしたいと思います。
明日は日曜日のためお休み。
あさって月曜日ですね。
今週1週間の予定ということでお話をしていこうと思います。
ではでは。