ここ最近よく聞く「ジブンゴト」という言葉について話しました。 #声日記 #ちえラジフリートーク
サマリー
今回のエピソードでは、「ジブンゴト」という言葉について、他人の出来事を想像することや自分の限界について考察しています。
ジブンゴトの考察
ちえラジChat、木曜日始まりました。今回はですね、フリートークということで、ジブンゴトという言葉についてのお話ししようと思います。
以前もどこかでその話したような気はするんですが、この言葉、自分はあんまり好きではないんですよね。
というのも、やっぱり他人の出来事を自分のことのように考えるっていうのは無理があると思うんですよ。
もちろんね、人のことを想像する、配慮するっていうのはすごく大事なことだと思います。
ただそれは限界があって、やっぱり人とは他人にはなれないんで、だから他人のことはやっぱり他人のこと、想像するしかないっていうふうに思うんですよ。
で、想像することは大事だけどそれはジブンゴトではないよね。自分のことではないもんねっていうふうに思うんです。
だからちょっとジブンゴトという言葉は使わないんじゃないかなっていうふうに自分は思うんですよ。
それに他人のことのはずなので、自分のことのように考えるっていうのはやっぱりいつかそれを忘れてしまうという時が来ると思うんです。
だから忘れてしまった時にふとそのことを忘れて目の前の人が悲しむようなことをおっしゃったりしたり、
あとは自分の想像できる範囲外のところ、自分はある程度その言葉について、その分野についてわかるよ、想像できるよっていうふうに思っておいて、
かつその外側にいる人のお話を聞いたりしたり、その人が出てきたりしたら、やっぱり想定外の話をしちゃうと思うんですよね。
だからそんな時にやっぱりふと相手に良くないこと、相手にためになってないようなことを言ってしまうってことはあると思う。
人は全ての物事に配慮してジブンゴトとして考えて常に適切に行動するってまあそれは無理だと思うんですよね。
だからこそ自分はジブンゴトになるっていうかジブンゴトとして考えることが基本できないよねっていうふうに思った方がむしろいいんじゃないのかなっていうふうに自分は思うんですよ。
それよりも自分の知らないことは常に存在するっていうふうに思うこと、常にその知らないことに気を払うことっていうのが大事なのかなっていうふうに思っています。
まあ何ていうのか、昔の言葉っていうのであれば無知の知とでも言うんでしょうか。知らないことを知っているっていうね。
やっぱりねでもそのも当たり前だろうと思いきや意外と知らない人もいるのかなっていうふうに思ってて、
それにやっぱりこれってすごく大事なことだと思うんですよ。
自分の知らない領域の物事が常にあるんだよっていうふうに配慮する。
そして自分の知らない分野のことが出てきた時に常にそれに構えられるように一歩引いて考えるみたいな。
常にそうしておいた方がまあなんか一歩後ろを歩けるような気がしますし、
なんかそういう時に突発的に何かがあったとしてもやっぱり配慮しやすくなるんじゃないのかなっていうふうに自分は思うので、
だからこそやっぱりまずは自分ごとに思うよりやっぱり知らないことに常に配慮するっていうことの方が大事なことなんじゃないのかなっていうふうに自分は思うんです。
次回のテーマ
はいというところで今日の話これぐらいで終わりにしていきたいと思います。
明日は金曜日。
週替わりテーマ地域について。
そして地域ポッドキャストの日の配信回でございますね。
話をしていきたいと思います。
ではでは。
03:43
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