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ちえラジチャット、木曜日始まりました。今回はですね、フリートークということで、子どもは大人の縮小版ではないというけれど、という話をしようと思います。
これは以前、なんか自動心理学のバカなんかで聞いた言葉なのかな? 以前ね、放送大学が地上波でもやってた頃に、ちらっとなんか見えてたことがあったんですよ。
自動心理学に関する番組が。なんでそこで聞いたんだったかな?と思うんですけども。 まあ、子どもは大人の縮小版ではないって、そういうふうな言葉を聞いたことがあります。
というか、まああるみたいです。そういうことはね。 実際に、やっぱり大人がされて嬉しいことが子どもにとって嬉しいかっていうと、そうではないとかいうのもあると思いますし、
やっぱり考え方も全て、やっぱり子どもと大人ってそれなりに違ってくるわけじゃないですか。 だから、大人の道理ってのは子どもに通用しないよ、みたいな、そんな文脈で言われてきた言葉なんじゃないかなって思います。
まあ確かにね、子ども、ここで言うのであれば小学生ぐらいなのかな? まあ、大人と全く違う考え方で動くし、そこは縮小版だと思って当たっちゃいけないぞっていう意味合いのことだと思うし、
それはその通りだと思います。 ただ一方なんていうかね、まあ大人は子どもの拡大版だぞっていうのは、ある種その通りなんじゃないかなっていうふうに思って、
まあこの言葉はね、自分が言ったことなんですけども、子どもがされて嬉しいことってまあまあの割合で大人がされても嬉しいんじゃないかなって思うんですよ。
もちろん不必要に下に見られるとか、そういうふうに子ども扱いされると嫌う、腹立つっていうのはあると思うんですけども、
ただそれは子ども相手だってそうですよね。目線を合わせてくれない? なんか下に見られてるっていうとなんか気に入らないとは思うと思うんですよ。
目線を合わせて適切に話してくれるとか評価してくれるとか関わってくれるとか、そうされると嬉しいっていうのは子どもも大人も同じなんじゃないかな。
そう考えるとなんていうか、やっぱり大人は子どもの拡大版だぞって言ってもいいんじゃないかななんて思ったりします。
もちろん全面的に全てにおいてそうだとは言えないけれども、という感じですかね。
大人だからこんなもんじゃ喜ばないでしょうとか、大人だからこれはしなくてもいいよねとか、そういうもんじゃなくて、
もちろん人によるとは思うんですけれども、子どもと同じように関わったり評価されたり話してくれたりすると嬉しいよっていう事例ってまあまああるんじゃないかななんて思ったりします。
なんかね、ここ最近子どもとも大人とも関わる機会が増えてきて、その辺を分け立てて考える必要はあんまりないんじゃないかなという風にね、いろんな人と話をして思ったので、ちょっとこんな話をここで取り上げてみました。
というところで、今日の話はこれぐらいで終わりにしていきたいと思います。
明日は金曜日、週刈りテーマアニメについての話ですね。できればと思います。
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ではでは。