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はい、水曜日始まりました。今回はねフリートークというところで、批判する時にもリスペクトを持ってという話をしようと思います。
最近ツイッターとかフェイスブックとか、あとはこのスタンドFMとかその辺とかいろんなところの話を聞いてると、なんか自分に合わないものを批判する時、否定する時っていうようなことって結構あると思うんですが、
そういう時って結構個性が出てくるなーっていうのを最近感じています。
例えばね、よくあるのが、「〇〇これはダメだ!」とか、「これはゴミだ!ゴミくずだ!」とかそういう風に強く言ってくる人って結構いると思うんですけれども、
一方、そういうのをただ否定するだけじゃなくて、まあこれはこういうところはいいんだけど、自分はちょっとこれこれこういうところが良くなかった。
ただ、これは見方を変えればいいかもしれないねとか、そういう風に直接ただ否定するだけじゃなくて、ちゃんと利点を上げたりとか、考え方を変えればいいところもあるとか、そういうような話、建設的な話をする、一緒にそうやって言うっていうような人もいるなと思ってて、
個人的にはね、その話を2つ聞いていて、なお校舎の批判の仕方ってすごくエレガントだな、綺麗だなっていう風に思うんですね。
まあ物事をやっぱり批判するっていうのは、やっぱり何かしらそれに興味を持って触ったっていうことがあるわけですから、やっぱりそこにリスペクトを持つっていうのはすごく大事なんじゃないのかなっていうふうに思うんです。
やっぱりどうしてそういうものができたのか、どうして自分は違和感を感じたのかとか、そういうところまで深掘りをして言語化する。
まあそういうふうにすると、やっぱりいいところにはちゃんと着目しつつ、でもここは良くないかもなぁと、好きじゃないかなぁとか、そういうふうに言うっていうのはすごく大事なのかな。
やっぱりね、世に出てくるには、やっぱりなんだかの作者さんなり周りの人にこれがいいよっていうふうに思った何かっていうのはあると思うんですよ。
やっぱね、たまに妥協の産物みたいなのもあったりすると思うんですけども。
いわゆるね、海外だとノットフォーミー、自分のためのもんじゃないなというふうに言葉もあるって話聞きますけれども、
やっぱり合わないと思ったらただ指定するっていうだけじゃなくて、合わないと思った理由とかそういうところまで深掘りできるといいなっていうふうに思います。
やっぱね、たぶんその方が素直に作り手に届くよね。
作った本人も何このひどいこと言いよってとかいうふうな喧嘩越しにならないで済むからちゃんと声が届くし、
やっぱり聞いてる人もあの人に批判されたら怖いなっていうふうにならなくなると思うんですよ。
だからその分、この人だったら安心して成果物見せられるな、あの人に批判されたらちゃんと飲み込めるなっていうのを安心感が伝わるっていうのにもなると思うんです。
心理的安全性とでも言いますかね。
そういうような雰囲気を伝えるって結果的に自分のためにもいいんじゃないのかなっていうふうに思いますっていうことを最近思いましたっていうところですがね。
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はい、今回のお話はこれで終わりにしたいと思います。
明日木曜日なのでスタンドFMの配信としてはお休みです。
あさって金曜日はいつもの通り今週一週間のオンラインイベント予定についてのお話をしたいと思います。
ではでは。