先日授業でScratchは使ってるけど、Scratchはゲームができてしまうから禁止したいっていう話を聞いて、「遊びと学びって不可分なのにな」と思った話をしました。 #ゲーム #プログラミング #ちえラジフリートーク
* “誰が教えるの?”学校で1人1台配られるタブレット端末に課題 “ゲームで使用禁止”にも異論 https://www.msn.com/ja-jp/news/national/“誰が教えるの?”学校で1人1台配られるタブレット端末に課題-“ゲームで使用禁止”にも異論/ar-AA19IjFD
* Scratch - Imagine, Program, Share https://scratch.mit.edu/
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遊びと学びの一体化
チェーラージチャット、木曜日始まりました。
今回はですね、フリートークということで、
遊びと学びは常に一つ、ということでお話をしようと思います。
先日ね、Twitterでスクラッチを学校の授業で使うっていう話を見かけて、
そこの中のコメントで、
スクラッチはゲームができてしまうので利用を停止したいです、
みたいなコメントがチラッと見えたんですよ。
これ、よく見ると結構内容走られてるんじゃないかなっていう気がしなくもないんですけれども、
スクラッチって、何かを作るっていうようなことができる以外に、
コミュニティサイト的な側面も持ってて、
コミュニティサイトでは他の人が作ったアプリとかゲームとかを、
実際に自分が遊ぶことができるっていうような感じになってるんです。
で、そっちを禁止したいっていう話なんじゃないかな。
別に自分がゲームを作るのは問題ないんじゃないかなっていうふうな意味合いのことなんじゃないかなというふうに思ったんですけれども、
ただ、実際それとは別に、
ゲームができちゃうからスクラッチ自体を使わせないっていう事例があったっていう話は聞いたことありますし、
どうして遊びと学びを無理に分断しようと思うのかな、
遊びと学びって常に一緒だよねっていうのを今回聞いてて思ったっていうのをちょっと話そうと思います。
自分はいつも大切なことは全てゲームで学んだっていうふうに言ってますけれども、
遊びだからこそ楽しいって思ってるからこそ、やっぱりそこから何かを得られる可能性って生まれるんじゃないかなっていうふうに思います。
これなんかつまんないな、何のためにこんなことやってんだろうなっていうふうな気持ちでやっても、
せっかくそこでいいものを学べたとしてもすぐ忘れちゃうんじゃないかな、応用効かないんじゃないかなっていうふうに思うからなんですよね。
ゲームと親世代、教師世代
だから遊びと学びって常に一つにした方がいい。
ただ一方ね、本当に今の親世代、教師世代がゲームというものを過剰に憎んでいるケースっていうのはすごく自分も感じています。
実際親世代の人たちと話をしてて、この人ゲーム嫌いなんだなっていうふうに思うことってありますし、
そういう話もちょくちょく聞いたことあるんですよ。
まあね、教師をしてて親をしてて子供にこれやってほしいなって思うことがあったとしても、
ゲームに時間を取られてできなかったよみたいな子供の言い訳を聞くと、
やっぱりそういうのを通すとゲーム嫌いになるよね、憎むよねっていうふうに正直思ったりはします。
正直ね、でもそれはゲームが悪いんじゃなくてスケジューリングとかやり方とかに問題があったんじゃないかなっていうようなところはあると思うし、
上手いゲームとの距離感を考えてほしいなっていうふうに思うんですけれども、
いかんせんね、もう親がゲームダメって言ってるばっかりだから、そういう距離感も保てないんじゃないかな。
もっとね、ゲームやゲーマーとそれをやらない人たち、親世代、教師世代に上手くやる方法ってあったとは思うんです。
あったとは思うんですが、やっぱりそんな取り組みを少なくとも自分たちはしなかった。
自分たちはそういうゲームをやらない人たちと話さなかったっていうような問題があるなと思ってて、
だからこうやって溝が生まれてしまった。
生まれた溝はどっかで塞いでいかなきゃいけないんじゃないかなっていうふうに思うんですけれども、
お互いがね、ほんとちょうどいい落とし所を見つけるための話し合いしていかなきゃいけないんじゃないかな、
というところで今日のお話はおしまい。
明日は金曜日、おやすみ。
えー、ちょっとライブでお話はするかもしれません。
明後日土曜日ということで、集合リテーマ地域についてお話ができればと思います。
ではでは。
03:44
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