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計算図句の日々も卒業。松雪単独コーナー。 心のままに自由に飛び出そう。
みなさん、こんにちは、こんばんは。タイパ・コスパ脱出ラジオの松雪です。 今回は、泉市の歴史パート2ということで、前回の続きからお話ししていきたいと思います。
少し時間が空いちゃったんですけれども、歴史を語る上では、色々調べないといけないことがたくさんあるので、適当なことも喋れないという側面から、少しだけお時間をいただいておりました。
前回、総兵の補足会も含めて、泉市というものは弥生時代から脈々と続く歴史を抱えた都市であるということがお伝えできたかなと思います。
かなり伝承チックな話が多いので、今回はもう少しイメージしやすいような歴史について話せればなと思っております。
今日は、平安時代あたりから戦国時代、前回ちょっと最後にお話しさせていただいた織田信長の話なんかもできたらなと思っております。
泉市という名前から、わかりますように、ここは泉の国という国でございまして、まさにこの泉市というのは、泉の国の中心の一つであったんですね。
府中町には国府が行われて、泉の国としての政治が行われていたというような、今でいうと県庁所在地みたいな、もうちょっと権力構造が違うんですが、そういう役割を担った場所になっています。
平安時代に入ると泉市、この辺がちょっと別の似合うようになりまして、皆さん熊野茂出ってご存知ですかね。熊野古道とかで聞いたことあると思うんですけれども、熊野山山というのが和歌山県にございまして、
それぞれ熊野本宮大社、熊野早玉大社、熊野那智大社という3社がございます。熊野本宮が、確か田辺市という和歌山県南部の方で、熊野早玉大社が新宮市、ちょうど三重県との県境あたりに。
那智大社はもう四ネチのごとく、那智勝浦町というところにございます。関西圏の方でもね、あんまりごっちゃなんですけど、積極的に訪れる機会もない方もいらっしゃると思うので、是非またGoogleマップとかで調べていただいて、この辺かというのを知っていただけると幸いです。
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で、ちょっと話を戻って、この熊野詣っていうのが平安時代になると、貴族、朝廷の方と庶民問わず、むちゃくちゃ流行るんですね。で、流行った理由としては、大きくは、そこに行けば、熊野詣すれば、誰でも救われるっていう思想があったからなんですね。
で、この平安時代の終わり頃から、鎌倉、頭にかけて、末法思想っていうのが広がったんですね。我々でいうと、世紀末が来て、この世が終わっちゃうみたいな感じですね。
大分、端緒って話はしてるんですが、そういう状況だったので、誰しも、私も、俺も救われたいっていう思いがありまして、ここにある期限がなかったので、最初は朝廷の天皇、上皇、お月の人たちとか貴族とかが行ってて、花々しくみんな熊野詣をしているのを庶民見てたんですね。
で、熊野っていうエリア自体は、別に身分とか関係なく、来てくれていいよみたいな、開かれた場所だったんで、じゃあ私も行こうかなとか、僕も行こうかなみたいな感じで、庶民も足しげく通ったと。
なかなか、今でこそ道が整備されて、歩きやすかったり、車でも往来しやすいようになってるんですけども、その当時すごい大変な思いをして、登って、やっと辿り着いたそこで身を清めると許されるみたいな思想があったんですね。
あんまりにもみなさんゾロゾロ行くんで、蟻の熊野詣みたいな、そんな単語が生まれるほど、人が街道を埋め尽くしてたと。
その中の参拝堂の一つに、おぐり街道と呼ばれる道がありまして、それが今、泉市の篠田山の方に石碑が建ってたりしますね。
ここが小倉街道の一部だったんだよみたいな、ちょうど泉の国の国府の跡地みたいなところの近所で、こないだお話しした泉上神社もその辺りにあるといった形で、泉の国っていうもののパワースポットが集まってるエリアの一つになってます。
これだけでも交通の要所として機能を果たしてたんですが、こういう参拝とか、いわゆる一般的な農業だけじゃなくて、山から切り出した木材とか、そういうものの集まったり届けたりする交通の要所として、鎌倉時代からも引き続き機能していたということでございます。
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時代はちょっと南北朝の方に移りまして、天皇家が北朝南朝に分かれて争うという時代ですね。ちょうど足利尊氏なんかの時代になります。
その頃になると泉の国でも武士たちがそれぞれ分かれて、各地で戦闘が行われるようになってきます。
この交通の要所である泉の国っていうのは、当然、兵を動かしやすいので重要なエリアになってきて、ここの地域っていうのも争いの場所になってくるという形になってます。
室町時代ぐらいになると、泉の国を治める守護として、守護児童の守護ですね。
細川さんとか畠山さんみたいな、教科書とかで名前出てくるかなっていう方々なんですが、有力な武家の人たちが支配権を争っていきます。
泉市周辺でも、いわゆるお城みたいなものが築かれて、イメージするお城とはちょっと違うんですが、館っぽいんでね。
それぞれ、武士は暴れていたという形になります。
15世紀中頃に畠山さんが幕府の方から、泉の守護をやっといてって言われたんで行ってきたと。
黄泉の乱が起こっている最中あたりに、畠山さんの方でも家族争いなんかがあったりして、この泉の国も戦場になってたと。
その後、細川さんが実権を握って、泉の国も支配下に置いていると。
その後、三吉永吉っていう三吉さんの家が細川さんを倒しちゃって、私が日本の副王であるって名乗り出したわけですね。
というわけで、三吉さんが泉の国を支配を置いていたと。
その後、かの有名な織田信長が足利義明っていう15代将軍を上落させるにあたって、
城内を制圧して、泉の国も織田信長が勢力下に置いたと。そんな流れになってます。
ちなみに、この後話す松尾寺なんですが、松尾寺は確か南北朝の南朝の方についていたというような話もございます。
ちょっと話飛び飛びになっちゃってすいません。
いよいよ、その今話した写真でいただいた松尾寺の話なんですが、
ちょうどね、今は泉市の松尾寺町っていう、そのまんまの地名がございまして、そこに松尾寺がございます。
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今ではね、かなり静かな山寺っていう感じなんですけれども、
戦国時代の松尾寺っていうのは、以前お話しした僧兵のくだり話でもバリバリの一大勢力みたいな感じでしたね。
一番大きい時で300以上のお寺があって、かつその兵力としても数千っていう単位。
確かに国高も7千石ぐらいあったと。
その当時の戦国大名が1万石程度だったのに対して7千石を抱えているお寺っていうので、
普通に考えたら戦うとまあまあしんどい相手なんですね。
そういう一大施設というような形で、でも簡単に手出しできるような存在じゃなかったんですね。
また山もなかなかご立派で、天然の妖怪になってたんですね。
いわく松尾寺城みたいな城扱いされるほどの健康な山城だったみたいですね。
当時の泉の国も松尾寺っていうのが政治とか軍事に関しては結構な影響力を持っていて、
松尾寺っていうのが若干ややこしいなと思ってたのが、後に天下統一の活動を進めてくる小田信高なんですね。
信長が1577年頃に松尾寺に対して、自分の手前儀ね、松尾寺に対して乱暴浪跡しちゃダメだよとか、
放火したらあかんよとか、山林を勝手に伐採しちゃいけないよなんていうおふれ出します。
これ一見すると信長は松尾寺を守ってるというか、栄誉にしているように見えるんですが、
この当時、信長は大阪の石山本願寺、今は大阪城があるエリアですね。
あそこに拠点を構えている一大宗教組織がございました。
こことここと構えてたのと、さらに奇襲の方、和歌山の方に最下宗っていう鉄砲を撃つのめっちゃ上手い集団とも戦ってたんですね。
とにかく敵が多い状態で、しかも自社仏教制御力。
そんな中で松尾寺まで敵に回すと、近畿で三方向から囲まれる危険性があったんですね。
さすがにちょっと信長もあっちこっちから攻められるのはあんま上手くないなっていうところで、
まあまあ味方はとまで言わないけど、そんなに喧嘩せんとこみたいな形で立ち振る舞ってたと。
ただこの石山本願寺をボッコボコにした後、急に態度変わるんですね。
荒谷山の方に軍事進行を計画していた信長なんですが、
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この時に当然奇襲方面に仕掛けるってなると、松尾寺っていうのはそっち側と結びつく可能性が大だったんですね。
自社仏教制御力同士と仲良くしようとか、災禍集、寝殺集とか信長に敵対する勢力と結びつく可能性があったんで、
突然松尾寺を攻撃したと言われてます。
めちゃくちゃ焼かれちゃったみたいで、比叡山の焼き討ちと同じようなことをされたということで、
自社仏教制御力は全部がらんも焼かれて、何もかもなくなっちゃったみたいな形になってます。
文化財とか山ごとなんか焼かれたみたいな話もあったりして、大変だったということになってます。
松尾寺の視点からすると、織田信長っていうのは非常に憎き存在であったというふうに記録が残ってます。
そんな中で本能寺の変もあって、時代は豊臣政権の方に移っていきます。
肺皇秀吉皇が天下統一を成した後に、その息子である豊臣秀織皇によって松尾寺は再建を図れたというふうに残っております。
松尾寺の勤道っていうのが再建されたようですね。
現在私たちが目にしている松尾寺っていうのは、まさにこの再建によって命をつないできた建物となっています。
そんな形で大阪府の泉市も、実は激動の時代を経て今を生きているというところがお伝えできたかなと思っております。
次回は明治大正時代の現代日本、新政府になってからの泉市がどういうふうに変遷していったかっていうのをお伝えできればなと思っております。
それではここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
次回もぜひよろしくお願いします。
お相手は松雪でした。
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