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  2. #13 旅の後の日常/ゲスト:松..
2024-11-15 46:21

#13 旅の後の日常/ゲスト:松崎さん第1回

第1回目の松崎さんとのトーク内容概要

イギリスでのワーホリ/イギリスから福島へ/学芸員の仕事/大英博物館/小松理虔さんの影響/イギリスのやせ我慢/無数の小文字の歴史/飛躍するようでしていない「震災後の福島」/旅の終わりの言語化/自分の意欲の向き先が明確にわかった瞬間/旅の後に生活の足場を築くこと/旅の後の旅

カバーアート:大英博物館(写真提供:松崎さん)

サラリーマンの旅と旅行

旅と旅行が好きな会社員が、ときに一人で、ときに友人と様々な角度から旅と旅行について喋ってます。 毎週金曜日18時更新

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ポッドキャストサラリーマンの旅と旅行。この番組は、旅を愛し旅行が好きなサラリーマンが働きながら、いかに旅と旅行を楽しむかを語る番組です。
働くあなたの次の旅や旅行に参考になると幸いです。
こんにちは、ryotaです。
今日のテーマは、旅の後の日常。
ということで、今日はゲストとして友人の松崎さんに来てもらっています。
僕らの関係性を先に喋っておくと、8年くらい前かな?
友達というか、知り合いまして、そこから一緒に旅に関するエッセイとか、一緒に文章にする機会とかもありまして、今までもいろいろ交流がありました。
ということで、今回改めて松崎さんと旅とか旅行をテーマにして喋りたいなと思って、
今日来た方に来てもらって、酒屋3軒回って、ビール飲みながらなんで、ちょっと酔っぱれながらなんですけど、
松崎さんと旅とか旅行について喋っていきたいなと思って、今日来てもらいました、松崎さん。
どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
ということで、今日の松崎さんとまず何喋りたいかなと思った時に、いろいろ考えたんですけど、
旅の後の日常とかっていうのをテーマに喋りたいなと思っていて、
これまで何度かこのポッドキャストで旅っていうのをテーマにして喋ってきたんですけど、
旅っていうのは基本的にいつか終わるもの。
続いていても基本的には途切れる時もあるかなと思っていて、
今回松崎さんと喋りたいなと思ってたのは、
松崎さん今合図で暮らしているんですけど、
7,8年前に出会った時にね、
多分イギリスで生活されていて、半年くらいなのかな、よくわかんないけど、
海外とかでも生活されていて、
福島県に戻ってきて、
改めて生活をされるっていう、始めるっていうタイミングで出会って、
いろいろ交流が始まったんですけど、
その時に結構、旅を一回区切るというか、終わるみたいなフィンキューをね、
結構松崎さんから感じたんで、
そういう時の心境というかね、生活の変化というか、
っていうのを改めて聞いていきたいなと思って、よろしくお願いします。
はい。
旅の後の日常ということで、
お話をさせていただきますと、
まず旅っていうものを、
なんていうんだろう、絶対的に旅の後のものとして捉えるか、
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それとも旅っていうものを純粋なものとして、
その後のことなんて関係ないやみたいな、
出たら出っ放しだぜみたいなことで捉えるかっていうので、
ちょっと違いがあると思うんですけど、
でも大抵の人っていうのはやっぱり旅の後というか、
例えばですよ、外国に行くとして、
往復チケットじゃなくてね、
往路だけ、帰りのことなんて全く考えないみたいなことで、
旅をされる方っていうのも、
なんかちょっと珍しいんじゃないかなって思うんですね。
確かに。
そう考えると、旅がすごく大事なことであったとしても、
その後のことを全く考えずに旅に出る人ってどれくらいいるのかなっていうのが思うんです。
で、こんな話をしつつ、
僕はイギリスに行った時に、確かに旅の後のことも考えてましたが、
変な話、旅に行って、
いやなんかそこで何かあったらもうそのまま順次でやろうみたいな気持ちもあったんですね。
だから旅の後を考えつつ、旅で何かがあったらそれに何かをしようと。
もしかしたらそのまま帰ってこれないかもしれないけれども、
なんかそれはそれでいいんじゃないかなっていうのもあったんです。
でも結果的に僕は帰ってきて、
で、旅の後の日常を過ごしたことになるわけなんですけど、
この意味合いっていうのはなかなか言語化するのが難しいですよね。
まず松崎さんが旅に出て、
終わりっていうところから始まってるんで、
ちょっとタイミングがつかみづらいんですけど、
大学に上京して、大学を卒業されて、その後一旦就職して、
その後の延長で一旦ワーキングホリデーでイギリスに行ってみたいなところの旅っていうところを
僕が今話の始めとして話題に出したんですけど、
そこから福島に戻ってくるっていうタイミングがあって、
ちょっとそこをね、僕が今旅の一旦の終わりみたいなところで話題に出させてもらったんですけど、
なるほど。そうですね。
なんというか、僕は自分の人生経験として、
外国にある程度の時間を費やして、
自分が海外に出た時にどういう心境を抱くのかなっていうのはやっぱり、
ある種人生の目標じゃないですけど、
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必ずやらなくてはいけないことの一つみたいな感覚であったんです。
で、僕残念ながらそこまで語学ができなかったので、
大学学部生の時にTOEICを受けて、
ある点数を満たせば交換留学でいけるっていうことを結構頑張ってたんですけど、
ちょっとうまくいかなくて、大学院に進学した過程があるんですね。
でもそうは言っても、なんせ僕学部が国際共生社会課程というね、
国際共生社会課程ですよ。
共生って強い?
違う違う。
ともに生きるです。
あ、ともに生きるんです。
これはね、外国に行かなきゃいけないでしょみたいなところがちょっとあったんですけど、
でも、なんでそれに興味を持ったかっていうとちょっと難しいですよね。
僕は渡辺さんと同じく福島県で育って、
大学に進学するにあたって、実は本命ではなかったんですけど、
どこか心惹かれるところとして、
なんか国際共生ってとてもいいなって勝手に思ってたんです。
その理由がちょっと言語化しづらいんですけど、
でも結果的にはそうやって、
海外に行く経験がいくつかあって、
ワーキングホリデーの制度を使ってイギリスに行くことになったんですが、
それで行ってみて思った時に、
自分でも大変不思議だったんですけど、
イギリスで借りたフラットというか、
他の方と一緒にハウスシェアみたいなことをして、
自分の部屋で思った時に、
同じハウスメイトに日本人の方もいらっしゃったんですね。
その方がイギリスの大学で教えていられて、
そういう道もあるんだとか話をしてて思いましたし、
他の例えばロシアとかイタリアとかから来たハウスメイトの方と、
イギリスで生活をしていて、
そこまで頻繁に話す機会があったわけではないんですけど、
でも話をしていて思ったのが、
僕、イギリス社会に何かしたいんだろうかみたいな。
もともとワーキングホリデーでイギリスを選んでいて何だったんですか?
僕、もともと学芸員の仕事をしていたっていうのがあって、
やっぱり博物館関係って、
日本からすると、これは偏見も込みで言うんですけど、
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アメリカだとか欧米っていうのの博物館とか美術館っていうのは大変、
一度見とく価値があったなっていう感覚があったんですね。
僕、ちょうど学芸員の仕事で一区切りがついたタイミングで、
たまたまイギリスのワーキングホリデーのビザ、ユースモビリティスキームが受かったので、
行ってみたっていうところなんですが、
でもそれはやっぱりとても素晴らしい経験でしたね。
僕らが出会ったタイミングって、2017、2018年くらいかなの時で、
多分松崎さんがイギリスのワーホリから戻ってきて、
福島県というか藍津地方で働き始めたタイミングで出会ってたと思うんですけど、
その時出会った時に、僕の印象としてはこれまでの動くような生き方、
旅みたいな生き方から福島に関わっていって生きていこうみたいな印象を結構受けたんですね。
それって結構僕の中では松崎さんがイギリスとかで生活されてて、
何か旅みたいな生き方をやめて地元の福島県に対して向けようみたいなタイミングなのかなみたいな結構印象があって、
だから今回は旅の終わりみたいなテーマで最初のテーマを選ばせてもらったんですけど、
その辺でいうとその時のことってどうですか?
今渡辺さんにご説明していただいた通りのところっていうのはかなりありまして、
つまりイギリスにいた時に他の方の生活の仕方を見て、
例えば大学院に進学するとか、あるいはそうではなくてどうしてもフルタイムで働いて、
イギリスでの生活を満喫するみたいなことを思った時に、
なんかちょっとさっきの繰り返しになっちゃうんですけど、
僕イギリス社会に対してやりたいことってそんなにないなって思ったんですね。
イギリスから学ぶことはたくさんあるんです。英語も含めて。
でも自分の活動を経てイギリス社会に何かをもたらすっていうイメージは全然できなかったんですよ。
それとは対照的になんですけど、なぜかイギリスにいるのに福島のことってすごい気になったんです。
それは自分でもちょっと驚くところで、
僕は高校を卒業した後で福島というものを離れることになったんですけど、
震災を経ていろいろな感情があって、その上でイギリスに行ったわけなんですが、
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自分の能力を使う対象って一体何なんだろうって思った時に、
漠然と少なくともイギリスではないなと。さらに言うと日本でもないなと。
なった時に福島かなーっていうのがあったんですね。
これは田辺さんとも一緒に臨毒した小松利賢さんの影響も結構あって、
僕イギリスに行った時に小松利賢さんのブログとか、
なんか出してる発信してるホームページの情報とかちょっと読んでいて、
こういう狩り方ってあるんだなーっていう風に思ったんですよ。
自分が自分の人生を費やして何かをするっていう時に、
その対象っていうのは結構明確に福島だっていうのが、
イギリスにいてこそ思ったっていうところがあるんですよね。
なんかワーキングホリデービザで言えば別にオーストラリアとかもあるだろうし、
カナダとかもあるんだろうなと思うんですけど、
それをイギリスに選んでその後の福島に帰ってくるっていうようなことの
判断の理由とかにもつながる部分ってイギリスってなんかあるんですか?
そうですね。イギリスで過ごしてもいいって思ったのが、
ミュージアム文化が圧倒的だなっていうのがあったんです。
僕ちょっと現職は違うんですけど、最初に就職したのがやっぱり学芸員職で、
僕学芸員ってとてもいい職業だと思ってるんですね。
学芸員というものをもっと深めたいとか、
あるいは学芸員というものをちょっと国際的に学びたいっていうのもあって、
どっかの博物館でボランティアとかしたわけではないんですけど、
イギリスのミュージアムって原則無料なんですよ。
これは結構不思議というか驚くべきことで、でもやっぱり理由もあって、
少なくともイギリスのナショナルミュージアムって呼ばれるところは、
大英博物館も含めて基本無料なんですね。
その代わり、ある程度お金がある方はドネーション。
外国人も無料?
外国人も無料なんですよ。
だから僕これとても学芸員の根本としてとても正しいことであるように思えて、
僕イギリスに滞在してる間にスペインとイタリアとフランスに行ったんですよ。
もちろんそのミュージアムの入場料が無料っていうところはイギリスだけでした。
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そうなんだ。
例えばフランスで言うと色々美術館がありますよね。
そのところに入ってくるとまあまあのお金ってするんですよ。
多分日本円で言うと2000円から3000円くらいのイメージを持っていただくといいと思うんですけど、
それに対してイギリスっていうのは基本無料だと。
そうなんだ。
これはやっぱりアメリカとかと比較してもまず得意なことで言ってよくて、
イギリスっていうのがロンドンのいわゆる中心地、セントラル1とかセントラル2のところに
本当にナショナルミュージアムっていうか国立の美術館博物館があるわけなんですよ。
大学博物館も含めて。
で、これってちょっとガイドブック読んだだけなんですけど、
もともとやっぱりああいうのって貴族が作った建物とか、
政府的に国家的に作られたものではあったとしても、
その目的っていうのが庶民のために作られたっていうのがあるんですね。
もともと知識もないし、芸術に興味もないような人たちに、
でもそれをロンドンの中心街で設立して入場料無料でやることによって、
それこそが庶民のためになるっていうこの発想ですよね。
僕これは言ってしまうとイギリスの文化財自体がすごい国際関係の中にあって、
それは大学博物館の中にエジプトのスペインクスがありますとかね、
そういうのね、もちろん批判の対象にはなりますよ。
それはわかるんです。
それはわかるんですけど、
でもそうは言っても、
それに対してイギリスに来てみろっていうのもあれなのかもしれないですけど、
でもそういうことを担保してるっていうのは、
イギリスの痩せ我慢でもあり、
税金のものすごいおびたらしい母乳ではあるんですけど、
それが国家のプライドだっていうかね。
そういうところでイギリス社会のある種の痩せ我慢っていうのはすごく尊敬してるんです。
そういった時間をワーキングホリデーションイギリスで、ロンドンで過ごした。
その後、地元の福島に気になるというか、戻ろうというか、
福島にどういう人がいるんだろうみたいなところに、
どういうふうにつながっていく感覚なんでしょうか。
直接的には結びつかないかもしれないんですけれども、
逆に言うと、自分が専門性を磨いた中で、
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それに見合うものがもし用意されなかったとしても、
でも何かできることってあるんじゃないかなとは思いました。
それは小松利健さんの例になるんですけど、
彼は上海に行って、そこでメディア文化とかを学ばれて、
でも地元に戻ったらかまぼこメーカーで働かれてみたいなっていうところがあって、
福島県のいわき市で働かれるわけなんですけども、
自分が学んできたこととそれと職業とか、
あるいはそこで何ができるかっていうのは、
必ずしも直接結びつかなくてもいいんじゃないかなっていうのもあって、
直接結びつかなくてもできることってあるよねっていうね。
そういう部分っていうので、すごく僕は小松利健さんを参考にさせていただいたんですね。
それでイギリスの博物館とかで、大英国博物館というんですかね、
世界史のど真ん中のものが展示されているのかなってイメージするんですけど、
そこから小松利健さんとかにつながるかまぼこメーカーとか、
福島のいわきのめっちゃローカルな企業なわけじゃないですか、産業とかの、
ここに大文字の歴史みたいな大英国博物館のところから
つながっていくイメージってどんな感じなんですか?
そうですね。大英博物館の歴史って言ったら、それそのもので見たら、
確かにイギリスの大持ちの歴史っていうのがあって、
18世紀、19世紀とかに大変博物館文化が流生したっていうのがあるのかもしれないんですけれども、
イギリスの大英博物館が集めたそれぞれの資料っていうのは小文字の歴史ですよね。
つまり、大英博物館が成り立っているっていうのは、
無数の小文字の歴史を集めたことによって成り立っているわけですよね。
だってそうじゃないと大英博物館のイギリスど真ん中の歴史ってないわけですから。
だからそう考えてみると、大英博物館を大英博物館たらしめてるっていうのは、ある種緻密な作業なんですよ。
急にあのコレクションが集まっただけでは全くないんです。
それぞれの時代において、外務省の役人とかがある国に赴いて、
その文化の価値に築いて、それを収集したと。
これ若干略奪みたいなものと紙一重なところがあるんで、
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なかなかその性否を判断しづらいところもあるんですけど、
でもその時々にその価値に築いた人が、
努力の結果としてあれがあるっていうふうに認識した方が僕はいいと思いますね。
そっからその小松力園さんの震災以降の福島県のところと、
松崎さんの中で繋がるところがあったのかなと思うんですけど、
そこのなんか飛躍してないようで飛躍してるような気もしていて、
僕は福島で育ってるから飛躍してないのはなんとなく感覚的にはわかるんですけど、
もしかするとそうじゃないところで育ってる人からすると、
大国博物館、イギリスの博物館から福島のローカルで活躍してた小松力園さんという方のところに
繋がるってちょっと飛躍的にも感じるかなと思ってて、
ある意味外国に行って自分のローカルのところに築くっていうこともあるし、
感覚的にはわかるようなところもあるんですけど、
もうちょっとそこの繋がりというか、
松崎さんがイギリスにいたからこそ小松力園さんの活動とかに
より親民に感じるというか、
自分ごとに感じるみたいなところがあったのかなと思うんですけど、
もうちょっと感覚的なところとかあれば。
そうですね。
まずイギリスっていうのはちょっと身近に感じたことの一つの理由として、
僕は郡山市出身なんですけれども、
郡山市立美術館がもともとイギリス美術を収集している美術館なんですよ。
結構イギリスの有名な画家の作品があって、
僕、学芸員になろうと志したきっかけの一つとして、
郡山市立美術館での学芸員としての研修というか、
大学院の時の職場体験みたいなのがあって、
ここで学芸員資格を得るために必ず行かなくてはいかないんですね。
どこかの美術館とか博物館に実習に行くっていうことで。
地元っていうこともあったので、郡山市立美術館に通った時に、
イギリス美術を収蔵したと。
やっぱりこれちょっと珍しいんですよ。
国内の美術館で、
日本っていうのは歴史的に見てフランス美術を基本的に輸入する国家なんです。
でもその中で郡山市立美術館というのはイギリスを選んだっていうね。
これは金銭的な理由とかもいろいろあるとは思うんですけど、
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確かにイギリス美術っていうのはある意味で目を見張るところがあって、
フランス美術をちょっと先導するようなところとかもあったりするわけなんです。
そういったものでイギリスに関してちょっと親しみがあったっていうのも一つありますし、
あとそのイギリスの中にいて福島のお祭り県さんとかを考えるっていうのは、
確かにこれはちょっと飛躍っちゃ飛躍なんです。
でも、すごいベタなのかもしれないんですけど、
やっぱりイギリス社会に対して何ができるかって思ったときに、
僕はあんまりできることってないのかもしれないなって思ったんです。
いや、できることはあると思うんです。
でも僕がそれを知りたいかというかやりたいかっていうとそうじゃないなっていうところがあって、
その時にやっぱり福島っていうのを思い浮かべていったっていうのもあります。
それは震災の結果っていうのもありますし、
いずれ自分がもしかすると福島に対して戻るべき何かがあるかもしれないと思ってたのかもしれないですけど、
これは直接の何かがあったっていうことではないんですが、
やはり外国にいたときに実家のこととか、
故郷のことをなぜか思い浮かべることが多かったっていうのもありますね。
結構出会ったときに、8年前くらいだからまだお互いギリギリ20代くらいのときに出会ってて、
お互い合図に、松崎さんは地元ではないけど、
多くの来た方が地元で、合図で知り合ったときに、
結構感じたのが、それまでの自分自身の松崎さんの生活というか、
というところからは一線を引いて福島に来たような印象があったのよ。
松崎さんに対して結構印象があって、
それまでイギリスに暮らしてたっていうのもあるし、
それ以前にもいろんな土地を回ったりしながら旅をしてたりっていう経験があった中で、
結構明確な目的とかを持って福島で暮らそうって決めてたような印象があって、
それで結構旅の終わりを感じたのよ。
旅ってさ、1回1回の飛行機乗って帰ってくるだけの旅じゃなくて、
人生っていうものも含めて、人生の一部としての旅というか、
みたいなところもあるなと思ってて、
そこの一小切りみたいなのをつけているような印象があったのよ。
そこに旅に対して一小切りをつけて福島で生活をするんだみたいな、
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結構そういう決意みたいなのが持ってきてるんだなみたいな印象があって、
今回旅の終わりっていうテーマで松崎さんと喋り始めたんだけど、
今回旅の終わりっていうのを選んだのはそういう決意を感じたからなのよ。
それって実は僕持ったことないの。
旅に終わりをつけるというか、区切りをつけるみたいな感覚って実は僕持ったことなくて、
そういう時の心境というか、気持ちってどんな感じなのかなみたいな。
そうですね。今渡辺さんにお話しいただいた通り、
でも僕さっきまで言っていたことっていうのは確かに旅の終わりの時点で、
自分が考えたことに対して実行に移したっていうところで、
旅の前、つまりイギリスに行くぞって思った時には、
イギリスね、もし例えばパートナーとかを見つけたりして、
あるいは何かの転機があって、
なんかそのままイギリスではなくても、
日本以外の場所で生活しても全然いいと思ってたんですよ。
そうなんだ。
で、なんていうか、それはそれで自分の人生だなっていうのもありましたし、
年齢的なこともあって、
僕もちょっと旅ってすごくその時純粋に捉えていたというか、
やっぱり旅ってこう、今までの人生とは違うところに行きたいみたいな感覚って
強くあったんですよ。
で、そういうもので、その流れに沿ってそういう人生があるなら全然それはされていいなって思っていて、
でも、実際に生活していて、
なんかこう、福島のことがちらつくみたいなことが、自分でも意外なんですよ。
そう思ってたわけではないんですけど、
何かしらの天気が、
僕自身もね、あまりイギリスにいてすごく積極的に活動していたっていうわけではなくて、
語学学校とかに行きながら、
博物館とか美術館とか見て回って、
なんかすげえ出会いとかに敏感にしてたわけでもないし、
そもそもちょっと嫌っていうほどね、苦い経験として、
うわ、典型的な日本人だなって思うことすごくたくさんあって、
僕、スペインの方とか、イタリアの方とか、イギリスの方とかと、
ちょっとお話しする機会とかもあったんですけど、
なんていうんだろう、こう自分からやっぱりなかなか積極的にできないと。
言葉の壁もあってね。英語も下手くそですし。
そのあたりで、だからダメっていうことではなかったんですけど、
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もしかしたらそういうチャンスを自分で掴む意欲はあんまりなかったのかもしれないっていうのもあって。
典型的な日本人だなって感じる瞬間ってのは、積極性で踏み切れない。
そうですね。
みたいなのを感じる。
下手くそでもいいじゃないですか、別に。
言語ね。
でもそこから終わって相手に踏み出せるみたいなことの意欲にはすごく欠けてたんですよね。
なんかすごく格好悪いとか恥ずかしい思いしたくないっていうのもありましたし、
なんか語学学校に通っても通う前と通う後で全然結果変わらんみたいな。
そうなんだ。
そういう部分もあったりして、
なんか俺全然英語に向いてないなみたいなのもあって、
なんていうんだろうな。
だからダメっていうことではなかったんですけど、
そういう能力的なものは差し引いたとしても、
能力を差し置いて自分が何かしたいっていうことにはやっぱり欠けてたんですよね。
だからってわけではないんです。
でもそれはそれとして一つの経験としてはあって。
それは自分の今までの社会経験とか培ってきたスキルを持って
イギリスで何かしたいみたいなことに欠けてたっていうこと?
能力は磨けばなんとかなると思うんですよ。
つまり能力が足りてないっていうのはある種の過程の状態ですから、
そこに意欲があれば能力を満たすような努力もできると。
問題は意欲ですよね。
意欲っていうのはつまりその場で何かしたいとか、
何かするために向上したいっていうものをどこまで持てるかっていうことだと思うんですけど、
僕イギリスっていうか国際社会に対して、
そういった意味での意欲っていうのはそこまでわからなかったんです。
それは現地に住んでみての意欲っていう意味ですね。
それがさっきの小松理恵さんのところとつながってくるのかわかんないけど、
それが福島に向いてるんじゃないかみたいな。
そういうことですね。
なるほど。
だから気持ちの向き先ですよね。
なるほど。
だから努力はもちろんどんな社会においてもしなきゃいけないところってあると思うんです。
でも努力をしたいと思える意欲ってどこに向かうんだろうっていうところで、
もちろん僕の経験からすると別にそれはイギリス社会に向いたとしてもいいし、
あるいは旅先に行ったスペインであろうとフランスであろうとイタリアであろうと
そっちに向かってもいいんですけど、
何か福島だったんです。
それだけ土地の縛りが強かったのか、
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自分の人生経験として幼少期のゴリアムでの生活が大きかったのかっていうのはあるかもしれないんですけど、
だからその意味で旅の終わりっていうのはつまりそうですね。
ある種の自分の意欲の向き先が明確にわかった瞬間ですね。
いや今めっちゃすごくいいなって言ったらちょっと軽い話になっちゃうんですけど、
その旅の終わりが自分の意欲とかエネルギーとかが向かう先がしっくり来る
みたいなところが見つかるっていうのが旅の終わりって
なんかめっちゃしっくり来るなって思って
すごい腑に落ちました。
ちょっとね僕の話をさせてもらうと、
僕ってそういう感覚実は持ってないの。
旅が終わるみたいな、
なんか一つ区切れがついたみたいな感覚って持ってなくて、
20歳の時にバックパッカーで東南アジアを何ヶ月か旅したことがあるんだけど、
俺当時ね、2010年前後ぐらいの時の東南アジア、
特にバンコクとかってカオサンロードに沈没しているような旅人がすごく多くて、
それ外こもりっていう言葉で呼ばれてたのにもして、
引きこもりの逆みたいな感じで、
引きこもりが家にこもるとしたら、
海外のすごくぶっかめやすいところで、
何をするでもなくこもる人たちのことを外こもりって呼ばれてた時代があって、
そこでね、そういう人たちと出会ったり、
バックパッカーの旅人で5年10年日本に帰ってませんみたいな人と出会ったのに当時。
その時に俺すごい怖くなったの。
もしかしたら自分このまま行くとこうなるんじゃないかみたいな。
外こもりとか5年10年旅してるとかっていう人を別に否定したいっていうわけじゃないんだけど、
自分がじゃあそういう風に生きれるかって自分自身に問いかけた時に、
いや俺はもう無理だなと思って。
でももしかするとこのまま日本に学歴もない、職力もないみたいな状態でいると、
俺もいずれこうなるかもしれないなみたいな恐怖心を感じて、
そこで一旦旅やめようみたいなところで20歳の時かなって思ったの。
で結構そこからもうしばらく旅してないの。
8年9年くらい旅してないんだけど、
っていうところが結構僕のね現体験としてあって、
だからね結構経験としては逆なの。
エピソード的には逆だなと思って、
今の松崎さんの話聞いてすごい腑に落ちる部分があったっていう部分と、
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自分がね今も旅を続けてるっていう気分。
僕は外に向かって旅をしてるっていう気分があるんだけど、
っていうのは一旦自分の足場みたいなところも出会い方の違いがあるのかなって思ったりもしつつ。
そうですね、なんか実際にそうなってくると、
どこに自分の生活基盤と言っていただくかわからないんですけど、
お向きを置くかっていうところで変わってくるところもあると思うんですけど、
でも僕は僕でその後も、
じゃあ例えば福島っていうものに基盤を置くとして、
じゃあ福島の何をしたら福島のためになるのかっていうところの問いも今でも抱えてますし、
福島っていうものがね、一つ震災をきっかけに、
とても大きなある種物語になってしまったところもあって、
弱者救済じゃないですけど、
なんかそれによってしまうようなことになるのも危険だなっていうのも自分で思ってるんですね。
そうなってくると、福島を例えば足掛かりにしたとしても、
そこで何をすることになるのか、いいのかっていうのは自分に返ってくる問いだと思うんです。
で、その中で福島のためっていうことだと、非常にある意味言葉が軽くなってしまうところもありますよね。
例えば震災以降に福島で起きたいろんなイベントとか活動とか、
もちろん僕はそのすべてを知ってるわけではないので、一概に評価することはできないんですけど、
でもやっぱりそれはイベント倒れで終わってしまったこともたくさんあるっていうふうに聞いてます。
だからそういった意味で、そこで終わりではないのかなっていうのはすごくありますね。
旅っていうところっていうと、結局日本で足場を持たないわけじゃない?生活の足場を持たない。
仕事とか学業とかの一旦距離を取るものが僕、旅に出るっていうことかなと思ってて、日常から完全に離れちゃうっていうところからまた日本に戻ってくるわけじゃん。
そこの日本でまた足場を築くっていうのが旅の終わりみたいなイメージなの。
松崎さんがまた福島で生活の足場を築こうって言ったときに、それはもうここから離れて福島で生活してないわけじゃない。
かつイギリスとか他の国とかもいろいろ挟んで旅して、また東京に戻ろうじゃなくて福島に帰ろうみたいな。
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なるまではまだ分かるの?実際にそこで足場を築くって結構大変だなと思ってて、
実際に福島で仕事を得るとかもそうだし、車をどうするとか、現実的な問題があるじゃん。
そこで苦労した面もあるだろうし、実際に考えた部分とかどうなのかなって。
福島に限らずどんな場所に行っても足場を築こうとすると、
単純にそこで生活するっていうことだとまた別かもしれないですけど、
そこで住んで生きていこうっていうことになると、いろんな大変さが出るっていうふうに思うんですね。
僕はイギリスに行った時にそういう大変さをしてる人を見てるんですよ。
例えばスペインから来た人がレストランとかでワルバイトをしながら、
ファームとかでも働いて、一応そこで暮らしてるとか、
あるいは日本の方でもワーキングビザ、ホリデーじゃなくてワーキングの方のビザを取るってのはなかなか大変で、
そこで足場を築こうってすることとかがあって、
でも、明るく言えるんですけど、多分どんな社会においても足場を築くっていうのは、
外国であればなおさらってところはあるかもしれないですけど、
例えば日本国内においても知らないところで、
自分のなんとなく文化が違うところで足場を築こうってなったら多分相当大変なんですよ。
で、その中で言えば、僕は福島っていうのは故郷の方の場所なので、
まあかといってなぜか実家のある郡山じゃなくて三島町で過ごしてるんで、
なんかちょっと力がないっていうか…
近いようで遠いからね。
なんかちょっと前提が違うところもあるんですけど、
まあでも、そういう努力とか大変でしてもいいのかなっていうのも逆にありますし、
なんていうんだろう…渡辺さんもそう思うんだって、
今日ね、渡辺さんといろんな場所で北方のところでお酒を飲んでつくづく思ったんですけど、
なかなかやっぱりいろいろ言語化しづらい地域性ってめちゃめちゃあるなっていうことがすごくお話していて思って、
まあ僕もね、どこまで例えば郡山のことについて語れるかとか、
そうなったら微妙なところあるんですけど、やっぱその微妙さっていうのが大事で、
微妙なところで受け入れられる、あるいは受け入れられないっていうのが絶対的にあると思うんですよ。
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で、僕はそれが今自分自身がそれにおいてどういうふうになってるかっていうのはなかなか自分では言えないんですけど、
でも人間ってそういう努力してもいいんじゃないかなっていうのは思いますね。
なるほど。旅は終わってないっすね。
そうなんですよ。今渡辺さん少し先ほど東南アジアの方で外籠りみたいなお話をされていて、
沢木幸太郎の深夜特記がありますよね。ある種の旅のバイブル本かもしれないですけど、
始まりがインドのところのバックパッカーが集うところで、ほとんどお金かからなくて済むんで、
みんな泣いてベッドに横になって無気力で横たわってるみたいなところから実は描写が始まるんですよ。
そういうところで、いくらでも無気力になれると。
でも沢木幸太郎は少なくとも自分の中ではシルクロードを渡ってイギリスに向かうっていう目標があって、
もうちょっと外籠り状態から抜け出して、やがてはトルコを目指し、あるいはイギリスを目指しっていう風になっていくわけなんですよね。
だからそのあたりでどうこうするかっていうのは、ある種の意欲っていうのもありますし、
なんかきっかけみたいなものはそんなに大げさじゃなくていいと思うんですけど、
でも、だってもともと外に向かいたいから旅に出るわけじゃないですか。
で、その旅って外に向かうっていうのは、どんなところにも外があるっていうのは、
たぶん僕渡辺さんも了承していただけると思うんですけど、
北方にも外があるし、あいつにも外があるし、たぶんコーリアムにも外がありますよね。
外に向かっていくっていう、すみません、ちょっと学術的っていうかあれなんですけど、
存在するって英語でExistenceって言うんですけど、Exitっていうのはつまり外にって意味なんですよ。
人間ってつまり生まれたときは母の体内で、
その体内から外に抜け出す、外に飛び出すっていうのが存在っていう意味でのExistenceなんですね。
だからどんな場所にいたとしても、たぶん外にっていう感覚ってどっかであると思うんです。
もしかしたらそれはずっと故郷にいて、そこで生活してるな人でも、どっか外にっていう意味があるのかもしれないですし、
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その外に行くっていうのはつまり物理的じゃなくても、精神的にも、あるいは表現的にも、
そこで外にっていう感覚でその人の存在っていうか、そういうものがわかるんじゃないかなっていうのも思いますね。
旅が終わって、旅って実際具体的に身体的に外に出るっていうものもあるけど、
旅に出ることが終わるってある意味、今この場所から見ても外に繋がっているみたいな、
感覚に接続できるというか繋がっていけるみたいなところが、すごい前向けな旅の終わり方なのかなってちょっと話を聞いてて思いました。
今ね、さっき沢木幸太郎の深夜特急とかっていう話も言ったんですけど、
2本目の次の次回のテーマとして、旅と読書っていう話でまたお話しできればいいなと思うので、
一旦ね、1本目はここで終わりたいなと思います。どうもありがとうございます。
ありがとうございました。
46:21

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