フロマンあるよね。
で、なんだったらね、当時空海ともね、
真言宗決文っていうので。
はい、書館のやり取りで、
まあ空海が中国から持ち込んだ密教に対して、
あの、徳一がね、質問を投げかけたっていうのが真言宗決文っていうのは、
まあ唯一ね、徳一のその直接書いた書館の形として残ってるのが、
真言宗決文なんだよね。
最澄とのあれはね、実は徳一が書いたものっていうのは、
実際には残ってなくて、
最澄の書いた書館の中の引用として、
徳一の言葉が出てくるんで、
あの、最澄すごい神経質なやつ。
あの、めちゃくちゃ引用してるから、
それでようやく徳一の書いた内容がわかるっていう。
ありがとう、最澄さん。
ね、まあ今、この歴史から振り返ると、
振り返ると、最澄空海っていう、
まあ日本の仏教界の二大スターになるわけじゃない。
と、会津にながらね、論争を行ったっていうことで、
まあそれがやっぱり歴史に残る、
徳一を語る上で、
3つあるとしたら、
仏と会津、最澄と空海っていうね、
3つの要素の、うちの2つはその論争。
そうだね、その3つがキーワードですね。
で、こっから徳一をどう見るかみたいなのが、
結構あるのね。
会津の中でも徳一好きな方とかでも、
いろんな視点があって、
歴史上の人物として、
どういった方だったのか、
出自がどこでとか、
どういった理由で会津に来たのかとか、
どういう経路をたどってきたのかとか、
当時の出自っていうかね、
人物像から考える方もいれば、
なんていうか、元思想面というかね。
そうだね、学想としての徳一っていうところでね。
当時の仏教会全体の中で、
徳一がどういった思想を持って活動していたのか、
っていうような位置づけで見る方とかもいて、
ここが結構ね、やっぱ、
徳一を語る上で面白いし、
そうなんですよ、面白さなんですよね。
私、僕は、
仏学がね、徳一菩薩がはらむ多様性から、
仏教の新しい学びを開くみたいなことを語ってて、
やっぱね、僕、徳一を知っていくと、
結構ね、いろんな可能性というか、
多様性とかに気づくなって思う。
そうですね。
ということで、そんなね、
徳一について、今日はしゃべっていきたいんですけど、
どっからね、しゃべろうかなっていう感じなんだけど。
そうね、はらむ多様性ですからね。
これ一つ、ちょっとね、やっぱ、
避けて通れないのが、
一乗か三乗かっていう。
これね。
これね。
今、聞いてる人は、一乗、三乗ってなんだよって話だよ。
ただ、これちょっとね、最初にちょっとしゃべっておきたいの。
最澄、
徳一のことを語るときに、3つのワードがあって、
その中でも、一番は、最澄と激しい仏教論争をしたっていうことなんだけど、
そのことを聞くと、やっぱり、
じゃあ、どういう論争をしたんですかっていうところは、
聞いてる人もね、気になると思うんで、
一番大事な肝を、これから和田くんのほうにしゃべってもらって。
で、一乗と三乗っていう言葉があって、
関西人の一に乗り物の乗るで、
一乗、三乗。
で、徳一と最澄は、最澄が一乗の思想を持っていて、
一つの乗り物にみんな乗ってんだよってね。
徳一は三乗の思想の方で、
その一乗と三乗、どちらが真実で、
どちらが方便かっていうことを論争をしていたと。
この一乗と三乗とは何なのかっていうことを、
ちょっと僕の理解でね、ざっくりと最初にお話するんですけど、
それ話さないとわかんないよね。
まず、一乗っていうのは、乗り物が一つ。
これは、生きとし生けるものはみんな仏になれる、
そういう仏性があるって言うんですね。
仏になれる仏性がある。
一切至上至下仏性ということもあって、
私もみとみさんも、生きとし生けるものは仏になれる、
そういう仏性を持っているっていう思想。
これが一乗。
最澄ですね。
これが最澄。
で、三乗っていうのが、決して全員が仏になれるわけではないっていう。
そう、なれない人もいいんだよーって。
聞いてる人は何だかわからない。
これね、何なのかっていうことなんだけど、
三乗っていうのは、乗り物が三つっていう、複数あるっていう。
っていうことなんだけど、
全員が救われるんじゃなくて、
三乗思想の場合は、みんなが自分の素質にあった、
悟りへの苦しみから救われるっていう方法を取って、
それで頑張ってこうよっていうのが三乗だった。
だから、みんなが仏に、一つの乗り物にみんなが乗ってて、
みんな仏になれるんだよって言ってるのが一乗、最澄の見解だよ。
仏になれると。
で、三乗は対して、
みんなそれぞれね、同じ船に乗ってるっていうよりも、
みんながみんな違うんだから。
みんな違ってみんないいのワード出てくるけど、
こいつ言うときに。
だから、それぞれの素質にあった道で、
精進していきましょうよっていう。
で、中には救われないやつもいるけどねって言ってて、
でも、思想とかあれは、救われないやつもほっとくんじゃなくて、
それはそれぞれの、ここから突っ込むとあれですけど、
思想の考え方で救おうとしますから。
ざっくり言うと、みんながみんな素質違う人間だし、
違う素質があるんだから、
それぞれにあったやり方っていうのをちゃんと、
その人の人間性とかを見極めて、
闇雲に全員誘われるからわーって、救われるからわーじゃなくて、
ちゃんと努力していきましょうぜっていう考え方じゃないかなって、
私はざっくり思ってるんだけど、
どう?渡辺くん的にはどんなふうに捉えてる?
これ、やっぱ大事なのって、
当時愛入れなかったってことだと思うのね。
その考え、2つの考え方が。
今、僕らがさ、
最初聞いたときってさ、
なんでそこが絶対に寿命が縮まるほどね、
最澄の寿命が縮まったって言われるほど、
絶対に譲れないものなのかって、
最初、しっくりこないじゃん。
そうだね、あんまりそのなんていうか、
そこまで激しくね、考えないしね。
やっぱね、これっていうのは、
やっぱ全く違うんだろうなっていう。
当時の感覚からすればね、ましてやね、
マッタダカニャンにいる僧侶としてね、
自分の信仰するものっていうのは、
かっこたるものを持ってるわけだから。
やっぱね、ここが日本の仏教の分岐点では、
僕はあると思っていて、
っていうのも、ここからね、
また特別な話に戻していくんですけど、
やっぱ日本の歴史上、平安時代の仏教界の2大スターっていうのは、
空海と最澄だけですね。
今でも漫画にもなってるし、
そんなに仏教を興味ない人だって、
さすがに名前は聞いたことあるっていうぐらいの大スターじゃないですか。
これを、徳一をその第三極というか、
第三のスターみたいに。
したいね。
こうやって捉えると、実はね、
もろしんげき先生の本を進めますね。
これね、やっぱ2019年かな。
うんうんうん。
確か。
2021年。
あ、2021年か。
あとがきが書いてあるな。
ねえ、2021年の本だからもう4年ぐらいか。
そうだね、早いね。
2020年代最良の読書の。
いや、まじで。
なんかね、さっき言ったようにさ、
最澄士官がひっくり返るっていう徳一で、
まあ僕はこの本の影響なのね。
ほぼほぼ。
ていうかこの本の素晴らしいのが、
今徳一の話題になった時に、
どんな人なんですか、一番の功績は最澄と激しい論争をしました。
ということで端的には語りがちなんだけど、
説明しやすいからね。
そうそう、そこだけ点で取り出して語りがちなんだけど、
諸先生のこの本のすごいのやっぱりその、
その論争が行われてる時代背景、
日本仏教史のどういう流れにあるのかとか、
ちゃんと他の宗派の話とかね、人間関係の話も書いた上で、
その群像劇の中に最澄と徳一の激しい論争が行われてるんだっていう、
ちゃんと経緯をね、書いてくださってるから、
ちょっと難しいんだけど、わかりやすいし、
実は点じゃなくて、その東アジアとかっていうその面でもあるし、
そこもこともね、東アジア仏教のことも書いてくれてるしね、
仏教史の中でどういう位置づけの中で、
全体の中でね、
全体像が描かれるから、
本の説明の中に、
仏教主要の新たな見取り図だっていうふうに書いてあるんだけど、
正しくその最澄と徳一、徳一に興味を持った方だけでなくて、
日本仏教、仏教に興味を持ってる方であれば、
ぜひこの本は読んでほしい本だよね。
結構もう、仏教がある意味、平面というか、
世界地図がさ、地図としてのピラッとしたものだと思ったものが、
実は球体だったみたいな、
でもあるし、
っていうぐらいの結構、
渡辺くんが言ったみたいにさ、今うちらが持ってる仏教ってさ、
鎌倉仏教以降が仏教だって言いがちなんだけど、
もちろんその前のさ、
アスカなら平安っていうさ、
変遷をたどって、
鎌倉仏教に至ってるわけで、
やっぱりその、鎌倉仏教に至る以前の仏教って、
うちらなじみがないんじゃない?
それをちゃんと丁寧に書いてくれてるから、
そこのところもね、論争徳一と最澄の話だけじゃなくて、
そういう意味でも、この本はすごく素晴らしいなって思いますね。
さっき言ったように、
徳一を知ることで他のものが、
他の仏教の形ってのも知るし、
逆に一周して戻ってくると、
やっぱ最澄も面白いなってなってくるし、
最澄はね、
人としても気になりますよね。
もう一周してくると、やっぱほうねんすげえなって、
鎌倉仏教すげえなって、
ほうねんの話もね、
そうですね、いいね。
もろ先生にちょっとほうねんやってほしい。
そうそう、これ、最初読むと、
徳一起点でいろんな仏教、
それがまた、2周3周していくうちに、
やっぱ最澄も面白いなって、
鎌倉仏教すげえなってなってくるし、
最澄の、
徳一のそしり方?
そのいなか者が、みたいな、
いや、実際に手紙に出てきますから。
やっぱ人格者っぽいじゃん、最澄ってイメージとして。
だけどね、
汚い言葉でディスりまくってるっていう。
それがおもしろいですよね。
人間くさいよね。
政治家がXでそんなこと言ったら、
もう人に飲み込まれるぐらいのことは普通に言ってるから。
なんかすごい、難しい論争してるんですよって言うけど、
やっぱね、手紙具体的に読んでいくとね、
このいなか者が、みたいな。
結構感情もあれですよね。
ほんとにね、
生々しい訓練が。
という感じでね、
徳一ね、実はおもしろいんですよって話を、
今日したかったんですよね。
徳一、
いや、もちろん私ね、
優識とか、それこそ仏教論理学で陰名って、
先生がね、ご研究されてることとかって、
勉強してもすればするほどわからないって感じなんだけど、
やっぱ徳一っていう人に惹かれるって言うと、
人間徳一の熱さ。
最澄とね、そういう激しい論争。
途中で投げてもいいわけじゃん。
けど、やっぱり誠実にやってたっていうところでも、
まあ最澄とはないんだけど、
空海に送った神言集未結文の中に、
地獄に陥るようなことになっても、
密教の新しくね、空海を持ち込んだ密教のことっていうのを知りたいので、
ぜひぜひお願いしますっていう、
地獄に陥る覚悟でも新しいものを知って、
ちゃんと相手を理解してやっていこうっていう、
その誠実さっていうかね、
真摯な態度っていうのがやっぱり、
人として見習いたいなっていうか、
っていうところは、
徳一、人間的な魅力あるよね。
ということでね、
これね、たぶん聞いてくれてる人、
徳一って初めて聞く人の方が多いと思うんですけど、
この徳一菩薩って呼ばれた、
一人の僧がいたっていうことと、
あとね、最澄と徳一、
室茂先生の最澄と徳一も、
あとさ、これ紹介していい?
アウンっていう岡崎真理さんが、
主人公は最澄と空海なんだけど、
完結してます。読みやすいです。
アウンっていう漫画があって、
そこにですね、徳一菩薩がね、
これ初めてだね。
バリバリ重要人物で登場する漫画があるんで、
いきなり最澄と徳一読むと、
誰かのハードルがあれだと思うけど、
漫画だとね、こういう人間像でね、
あまくまでも創作物なんで、
徳一の特仮としては、
岡崎真理さんのアウンっていう漫画、
これもおすすめしたいですね。
そうなんだよね。これやっぱり、
最澄と徳一、難しいんだけど、
何で難しいかって言ったら、
そもそもの理解する素養がない状態。
素養がなくても仏教って親しめるようになってるわけよ。
それって素晴らしいんだよね。
すごくこれ素晴らしいことで、
全然仏教の基礎的な教養がなくても、
仏教に親しめるようになってる。
やっぱこれってすごいことだと思うんだけど、
でもそれがさ、やっぱ徳一を理解するためには、
ある程度ね、その三条と一条とか、
四季とは何かとかね、
五相格別説とか、いろんなその仏教的な、
事前にね、ちょっとお勉強することがね、いいからね。
そこで結構みんなめんくらっちゃうと思うんだけど、
自分が知ってる仏教とは違う仏教が出てきたから、
何かしらそこを乗り越えていくと、
すごく新しい世界が広がるなと思うし、
鎌倉仏教に対しての理解も全然変わってくるしね。
僕らもこの本出てようやく何かちょっと喋れるようになるので、
5年かかってるからね。
いやいやいや、まだまだもう読み返せば読み返すほど。
でも皆さんあれです。
もちろん一回で理解できるわけではないし、
通読するだけでも、
結構新しい、こう開眼する部分が多いから、
試しに手に取ってみてください。
新書なんで買いやすい値段だし。
あとAmazonオーディブルにもあるから。
そうそう、オーディブルにも、もちろんKindleにもありますし、
オーディブルにもなってるしね。
僕やったのは音を聞きながら文字を読むっていう、
ちょっとやっぱね、漢字とかもいろいろ難しいから。
そうなんだよ、仏教用語とかね、
人の名前とかなかなか読めなかったりするんだよね。
という形でね、ぜひ気になった方も読んでほしいなと。
ぜひ読んでほしいですね。