1. 耳で旅する週末-ミミタビ-
  2. #53 徳一菩薩からはじまる仏教..
2025-08-22 41:12

#53 徳一菩薩からはじまる仏教の旅 ゲスト:三留さん

ほとがくの三留さんと、平安時代初期に仏都会津の礎を築いた「徳一菩薩」について話しました。「徳一ほとけの学校」という「ほとがく」の名前の由来ともなった徳一について、気ままに語りました。

論争で教科書にのった徳一/悟れない人もいる/徳一から気がつく多様な仏教の可能性/2500年間続く変化/師先生からのDM/『最澄と徳一』/一周まわって最澄/『阿・吽』の徳一/徳一を辿るおすすめ会津観光


✈︎AI音声解説

「誰もが仏になれるのか?」を巡る三一権実諍論

※三乗と一乗についてはWikipediaをソースにしたNotebookLMで補足とします。


🎧️カバーアート

復元された慧日寺金堂の薬師如来坐像


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最澄と徳一 仏教史上最大の対決 (岩波新書 新赤版 1899)

阿・吽(1) (ビッグコミックススペシャル)


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📩番組へのメッセージ

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耳で旅する週末-ミミタビ-

働くあなたの週末に、耳で楽しむ非日常のひとときをお届けします。毎週金曜日の18時更新、飲んだ帰りの電車の中で、ちょっとゆっくり過ごしたい土曜日の朝に、忙しい日常の合間に、耳から始まる物語を。

サマリー

徳一菩薩は奈良時代から平安時代にかけて活躍し、会津に仏教の基礎を築いた重要な僧侶です。彼は最澄との論争を展開し、その影響は現在にまで及んでいます。また、徳一の思想は仏教界の分岐点となり、多様な視点からの学びを提供しています。このエピソードでは、徳一菩薩を通じて仏教の多様性や変遷について論じられ、特に最澄以降の仏教の影響と現代における仏教の捉え方の変容に焦点が当てられています。さらに、徳一菩薩と最澄との仏教史上の対決についての話があり、もろしげき先生の著作から得られる洞察が紹介されます。徳一菩薩の人物像や彼が仏教に与えた影響も強調されます。また、徳一の発祥地であるNHJの重要性や仏教の旅についても語られ、将聖寺や縁蔵寺といった仏教寺院が紹介され、旅と仏教の関連性が探求されています。

徳一菩薩の生涯
耳で旅する週末-ミミタビ-のお時間です。この番組は、旅と旅行が好きなサラリーマンRyotaが、働くあなたの週末に耳で楽しむ日日常のひと時をお届けします。
音で、声で、耳で、次の休みに行きたくなる、そんなエピソードをお楽しみください。
Ryotaです。今日は先週に引き続いて、ほとがくのみとめさんとゆう子ちゃんと喋っていきます。
みとめさん、よろしくお願いします。
はい、みとめです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ということで、今週2本目なんですけど、
今日はね、徳一について、しゃべりたいなと思ってて。
徳一菩薩ね。広くて深い海がね、仏教のね。
で、まあね、1本目でも紹介はしたんですけど、
徳一っていう仏教のお坊さんっていうのがいて、
簡単にね、紹介すると、奈良時代から平安時代の前期にかけて活躍したね、
法相宗の僧の方って言われてますと、
で、もとはね、奈良にいたって言われてるんですけど、
平安時代初期に会津に来て、
仏と会津の礎を築いた方、
で、みとめさんのご実家の日本寺もそうだし、
えにち寺ね。
えにち寺、しょうじょう寺。
しょうじょう寺もそうですね。
えんぞう寺とかね、結構会津の並たるお寺の僧権の。
そうですね、改建された方ですね。
論争の歴史
そんなね、その徳一菩薩っていう方についてしゃべりたくて、
あとね、仏学が、徳一仏の学校って言って、
そうですね、名前を掲げてますからね、徳一はね。
一番徳一についてはね、しゃべらないと。
しゃべらずにはね、避けて通れない。
そうですね。
しゃべらずにはいられない方っていうことで、
ただこれ、ちょっと大前提として、
ちょっと今聞いてる方にお伝えしたいのが、
難しいんですよ、徳一について語ると。
いろんな面でね、語れるしね、
一つのね、徳一があったね、功績、学僧としての徳一っていうのがあるから、
それを語り始めるとね。
ちょっとね、その素人には手に負えない雰囲気にもなってくるんで、
ちょっとそういう前提で、ちょっと僕らの知識の怪しいところもあるんですけど、
その上で聞いてくれるといいなっていう感じです。
で、どうして徳一が歴史に名前が残ってるかっていうと、
2つあるんですよね、3つかな、3つあって、
1つがさっき言ったように仏と愛像を築いた方。
そうですね。
で、もう1つ特に一番有名なのが、
最澄と論争をしたんですよね。
そうですね、天大中最澄ととんでもない激しい論争を。
その論争っていうのが教科書に載るレベルですか?
教科書載ってる?
そうなんですよ。今の山川の高校生がリアルタイムで使ってる教科書に、
最澄のページに徳一の名前、仏僧集の徳一と激しい論争をしたというのは。
論争で教科書に載ってる人とかいるのかな?
いや、いないと思う。
いないよね。おそらくいないんじゃない?
論争をしたっていうことで、
教科書に載ってる人って歴史上いるのかな?日本で。
いや、それがさ、この前ね、もう1つ愛像やっぱり徳一ってことで、
もうね、何年もおじいちゃんおばあちゃんたちがですね、
徳一菩薩に学ぶ会というのをちょっとやってらっしゃって、
その学習会あったんだけど、教科書持ってたわけですよ。
でね、「徳一出てます!」って言ったら、
うわー!
めっちゃ羨ましかった。
おじいちゃんたちが。
大興奮ね。
写真撮っていい?写真撮っていい?
撮ると教科書にまで。
俺たちの夢が叶った!
おじいちゃん死んじゃうんじゃないかな?
ちょっと落ち着いてください。
そうそう、本当愛像にはね、徳一愛にあふれた方が多いからね。
いらっしゃいますからね。
そのね、論争っていうのは、本当に最澄の寿命を縮めたって言われてるんですよね。
そのぐらいまでも激しいね。
実際に会って論争したわけじゃなくて、
往復の書館でね、論争してるんですけど、
何年かって、途中で最澄死んじゃうんで、論争の途中で。
短い間にもう膨大なるものを書館でやり取りをしたっていうね、
どんだけ粘着質なんだって。
そうなんだよね、その、
まあ最澄はね、
比叡山ね、京都にいて、
そこでね、書館で論争をしたっていうことで。
そうね、奈良から会津に来て、すごいよね。
中央のさ、超さ、進行のさ、エリートのさ、最澄とさ、
まあ、徳一がなぜ会津に来たのかって、
まあおそらくね、中央から派遣された官僧として来てるっていうところはあるけど、
その中央とさ、当時東北のさ、会津の人間がさ、
バリバリさ、やり合っちゃうっていう、
そうそう。
仏教思想の多様性
フロマンあるよね。
で、なんだったらね、当時空海ともね、
真言宗決文っていうので。
はい、書館のやり取りで、
まあ空海が中国から持ち込んだ密教に対して、
あの、徳一がね、質問を投げかけたっていうのが真言宗決文っていうのは、
まあ唯一ね、徳一のその直接書いた書館の形として残ってるのが、
真言宗決文なんだよね。
最澄とのあれはね、実は徳一が書いたものっていうのは、
実際には残ってなくて、
最澄の書いた書館の中の引用として、
徳一の言葉が出てくるんで、
あの、最澄すごい神経質なやつ。
あの、めちゃくちゃ引用してるから、
それでようやく徳一の書いた内容がわかるっていう。
ありがとう、最澄さん。
ね、まあ今、この歴史から振り返ると、
振り返ると、最澄空海っていう、
まあ日本の仏教界の二大スターになるわけじゃない。
と、会津にながらね、論争を行ったっていうことで、
まあそれがやっぱり歴史に残る、
徳一を語る上で、
3つあるとしたら、
仏と会津、最澄と空海っていうね、
3つの要素の、うちの2つはその論争。
そうだね、その3つがキーワードですね。
で、こっから徳一をどう見るかみたいなのが、
結構あるのね。
会津の中でも徳一好きな方とかでも、
いろんな視点があって、
歴史上の人物として、
どういった方だったのか、
出自がどこでとか、
どういった理由で会津に来たのかとか、
どういう経路をたどってきたのかとか、
当時の出自っていうかね、
人物像から考える方もいれば、
なんていうか、元思想面というかね。
そうだね、学想としての徳一っていうところでね。
当時の仏教会全体の中で、
徳一がどういった思想を持って活動していたのか、
っていうような位置づけで見る方とかもいて、
ここが結構ね、やっぱ、
徳一を語る上で面白いし、
そうなんですよ、面白さなんですよね。
私、僕は、
仏学がね、徳一菩薩がはらむ多様性から、
仏教の新しい学びを開くみたいなことを語ってて、
やっぱね、僕、徳一を知っていくと、
結構ね、いろんな可能性というか、
多様性とかに気づくなって思う。
そうですね。
ということで、そんなね、
徳一について、今日はしゃべっていきたいんですけど、
どっからね、しゃべろうかなっていう感じなんだけど。
そうね、はらむ多様性ですからね。
これ一つ、ちょっとね、やっぱ、
避けて通れないのが、
一乗か三乗かっていう。
これね。
これね。
今、聞いてる人は、一乗、三乗ってなんだよって話だよ。
ただ、これちょっとね、最初にちょっとしゃべっておきたいの。
最澄、
徳一のことを語るときに、3つのワードがあって、
その中でも、一番は、最澄と激しい仏教論争をしたっていうことなんだけど、
そのことを聞くと、やっぱり、
じゃあ、どういう論争をしたんですかっていうところは、
聞いてる人もね、気になると思うんで、
一番大事な肝を、これから和田くんのほうにしゃべってもらって。
で、一乗と三乗っていう言葉があって、
関西人の一に乗り物の乗るで、
一乗、三乗。
で、徳一と最澄は、最澄が一乗の思想を持っていて、
一つの乗り物にみんな乗ってんだよってね。
徳一は三乗の思想の方で、
その一乗と三乗、どちらが真実で、
どちらが方便かっていうことを論争をしていたと。
この一乗と三乗とは何なのかっていうことを、
ちょっと僕の理解でね、ざっくりと最初にお話するんですけど、
それ話さないとわかんないよね。
まず、一乗っていうのは、乗り物が一つ。
これは、生きとし生けるものはみんな仏になれる、
そういう仏性があるって言うんですね。
仏になれる仏性がある。
一切至上至下仏性ということもあって、
私もみとみさんも、生きとし生けるものは仏になれる、
そういう仏性を持っているっていう思想。
これが一乗。
最澄ですね。
これが最澄。
で、三乗っていうのが、決して全員が仏になれるわけではないっていう。
そう、なれない人もいいんだよーって。
聞いてる人は何だかわからない。
これね、何なのかっていうことなんだけど、
三乗っていうのは、乗り物が三つっていう、複数あるっていう。
っていうことなんだけど、
全員が救われるんじゃなくて、
三乗思想の場合は、みんなが自分の素質にあった、
悟りへの苦しみから救われるっていう方法を取って、
それで頑張ってこうよっていうのが三乗だった。
だから、みんなが仏に、一つの乗り物にみんなが乗ってて、
みんな仏になれるんだよって言ってるのが一乗、最澄の見解だよ。
仏になれると。
で、三乗は対して、
みんなそれぞれね、同じ船に乗ってるっていうよりも、
みんながみんな違うんだから。
みんな違ってみんないいのワード出てくるけど、
こいつ言うときに。
だから、それぞれの素質にあった道で、
精進していきましょうよっていう。
で、中には救われないやつもいるけどねって言ってて、
でも、思想とかあれは、救われないやつもほっとくんじゃなくて、
それはそれぞれの、ここから突っ込むとあれですけど、
思想の考え方で救おうとしますから。
ざっくり言うと、みんながみんな素質違う人間だし、
違う素質があるんだから、
それぞれにあったやり方っていうのをちゃんと、
その人の人間性とかを見極めて、
闇雲に全員誘われるからわーって、救われるからわーじゃなくて、
ちゃんと努力していきましょうぜっていう考え方じゃないかなって、
私はざっくり思ってるんだけど、
どう?渡辺くん的にはどんなふうに捉えてる?
これ、やっぱ大事なのって、
当時愛入れなかったってことだと思うのね。
その考え、2つの考え方が。
今、僕らがさ、
最初聞いたときってさ、
なんでそこが絶対に寿命が縮まるほどね、
最澄の寿命が縮まったって言われるほど、
絶対に譲れないものなのかって、
最初、しっくりこないじゃん。
そうだね、あんまりそのなんていうか、
そこまで激しくね、考えないしね。
やっぱね、これっていうのは、
やっぱ全く違うんだろうなっていう。
当時の感覚からすればね、ましてやね、
マッタダカニャンにいる僧侶としてね、
自分の信仰するものっていうのは、
かっこたるものを持ってるわけだから。
やっぱね、ここが日本の仏教の分岐点では、
僕はあると思っていて、
っていうのも、ここからね、
また特別な話に戻していくんですけど、
やっぱ日本の歴史上、平安時代の仏教界の2大スターっていうのは、
空海と最澄だけですね。
今でも漫画にもなってるし、
そんなに仏教を興味ない人だって、
さすがに名前は聞いたことあるっていうぐらいの大スターじゃないですか。
これを、徳一をその第三極というか、
第三のスターみたいに。
したいね。
こうやって捉えると、実はね、
仏教の歴史と思想
もう一つ別の仏教の可能性が、
広がってくるなって、見えてくるなって、
僕は徳一を知れるようになって思ったんですけど、
今の日本の僕らが考える仏教っていうのは、
最澄以降の仏教。
最澄空海以降のね。
特に天台宗の最澄というのも、
鎌倉仏教っていうのは、最澄の比叡山出身の方が、
いわゆるね、奉念とかね、診断とかね、
ここここ出てきて、
いわゆる祖師仏教って言われるようなね、
人たちがね、比叡山から出てきてますからね。
それがその最澄の位置上の思想がベースになっていて、
それが日本全国、鎌倉時代以降、
今最も影響力を持ってると思うんですけど、
要するにその最澄以降の価値観で、
位置上大乗仏教ね。
位置上大乗仏教が広がっていたと。
でも元は平安時代初期までっていうのは、
実はその徳一が所属していた法相宗の方が、
学問仏教だよね。
大御所だったんですね。大御所というか、
日本の中心にあったね。
なんと六宗って言われるね、
法相宗含めた六宗があって、
学問仏教ですけど、
それがメジャーで、
最澄と徳一がね、
徳一じゃない、空間が入ってきてね、
新しい流れが出てきてっていう、
廃れちゃうわけなんだよね。
結局ね、民衆の救いをどうするかっていう話になると、
やっぱり学問的な仏教って、
どうしても時代の中で、
廃れていくものではあったんだけど、
まだ本当に徳一の法相宗、
なんと六宗がバリバリもう、
メジャーなときだから、
最澄とかね、空間とか、新山も出て、
当時はね、信仰勢力だったわけですよね。
そういうことだよね。
ここで構造変化が起こるわけじゃない、
日本の仏教の最澄以降で。
僕らはその、もともとその最澄以降の価値観で、
生活してるから、
僕らが思う日本の仏教っていうのには、
すごく最澄、あるいは空間が作り上げたものの、
影響っていうのが多大にあると。
徳一菩薩の意義
でもよくよく考えると、
仏教ってのは2500年前に、
インド北部で誕生して、
そこから色々と変遷してるわけじゃないですか。
そうだね。
いわゆる初期仏教って言われるものから、
部派仏教っていうものに分裂したりとか、
大乗仏教、乗座部仏教とか、
その大乗仏教の中でも、
一乗三乗だとかって分かれていたり、
今だってさ、
タイとか行けばさ、
全然違う仏教が、
日本の仏教とは違うさ。
そうだね、今日はね、
違う仏教の形があるよね。
仏教が宗教として、
信仰として、
今も続いているとしたら、
この変化って、まだ終わってないはずない?
なるほど。
仏教も変化し続けてるだろうと、いまだに。
だから、今は最澄以降の、
最澄史観というか、
最澄的なものが、
この日本では、
体制を占めてるというか、
すごく大きいんだけど、
でも、実は仏教ってのはすごく多様で、
いろんな仏教の可能性が、
実はあるんだと。
で、ここで、
その徳一っていうのを、
一つの曲としておくと、
気づきになる、
きっかけになる一人ってのが、
徳一だと。
いいね、その流れね。
いや、まさしくそうで、
ことがくでね、
徳一がはらむ多様性っていうのを、
会津から発信したいと。
現代の仏教と信仰の変化
これ、Xとかの、
そこにも書いてあるんですけど、
今言ってくれたように、
徳一がはらむ多様性って言ったけど、
私の中で、
徳一イコール仏教。
あと、寺の娘で生まれたんだけど、
仏教とか、
学ぼうっていう意識が全然なくて、
で、ちょっと実家手伝う、
お寺を手伝うってなったときに、
そういえばうち、
徳一菩薩って人が、
開催したお寺だから、
徳一ってなんだろうなと思って、
調べていったら、
あれ、なんかすげえ人じゃん。
で、仏教ってすげえなって、
徳一から入って、
仏教って、
あれ、面白いぞってなってるから、
徳一がはらむ多様性っていうよりはね、
仏教がはらむ多様性でね、
だから、あれなんじゃないかな、
渡辺くんも、
徳一から仏教があって、
そうすると、仏教の持ってる、
今、現代も通じる、
多様性っていうのは、
徳一がきっかけになってるっていうね、
そういう意味で言ってくれたのかなって、
今、話を聞いてて思ったんだけどね。
うん、まあ、そうね。
なんか、そうそう、
仏教って、
いろんな、実は仏教がある。
あるよね、いろんな形があるよね。
で、ただやっぱこうしてきてると、
基本先入観とかで生きてるわけじゃないですか、
僕らってのは。
そうだね。
そうすると、最澄空海が作った、
そこで分岐した、
仏教の影響家の中で、
大人になってるから、
そういう先入観があるんだけど、
徳一を知ることで、
実は違う形の仏教っていうのも、
あるんだっていう、
ことに気がつく。
そうなんだよね。
生活の中に、
仏教って、もう無意識感にさ、
仏教的な思想とかさ、
入り込んでるわけじゃない?
日本人なんかさ。
だけどその、いやいやっていう、
その無意識感に入り込んでるものを、
意識化して仏教って考えたときに、
まさしく、
徳一と最澄の論争を調べるのも、
具体的に新たな視点で、
さらに仏教を捉えるってことになるしね。
なんかそれがやっぱ、
会津からっていうのが結構。
そう、そこなのよ。
今はね、まだ中央が東京だから、
会津近くなってたけど、
当時なんて当然、長いことね。
都ってのは京都なら京都にあったわけで、
会津なんてハズレもハズレで。
ハズレですよね。
やっぱそっから、そういうあり意味。
実際は当時は徳一の方が先なんだけど、
仏教宗参上の方がね。
そういう意味でね。
仏教宗の、日本仏教宗の話ね。
でも今から振り返ると、
この会津っていうところから、
そういう別の価値観が、
発信されていたっていうところが。
そうね。
価値観が発信されてたっていうのに、
もうちょっと付け足すと、
当時徳一のやってる優意識とかね、
仏教宗優意識の思想っていうのは、
日本のメジャーだったわけですよね。
けど、今はそれが去れてしまってるのは、
この現代で。
いや、でも当時のメジャーだった優意識とか、
そういう論争を、
新しく見直せる、
今が、実は、
今が新しい仏教、
徳一って過去のもう1200年も前の人だけど、
それを今会津で考えて、
捉え直して出すっていうのが、
新しい仏教発信なんじゃないかなっていうね。
本当にその通りだなって思ってて、
ていうのもさ、
大乗仏教ってその一乗三乗の考え方とは別にさ、
大きく優意識か空間みたいな、
優意識得意のね。
来ましたね。
またそのどつぼにはまるような。
これまたまた別回でやったほうがいいんじゃないかぐらいの。
で、その発想宗の原理というかさ、
その徳一のルーツをたどっていくとさ、
玄奘三蔵に出てくるわけじゃない。
最悠奇。
皆さんおなじみの三蔵法師です。
三蔵法師っていうのが。
玄奘さん。
だってさ、みんな知ってんじゃん。
三蔵法師は。
そうなんだよね。
でも三蔵法師って何やった人?みたいな。
お経を持ってきた人ってあんま正しいんだけど。
その一乗か三乗かっていう対立があったとして、
でもそのルーツをたどっていくと、
三蔵法師っていうのもその三乗のほうにね。
いるわけですよね。
玄奘三蔵も三乗のほうに位置してるわけだから。
そうね。
これ実はさっき天台宗以降の最澄的な価値観だって言ったけど、
その徳一側で見たら、誰もが知ってるイメージ。
三蔵法師も実はいるんだっていう。
そうね。
そういうとこあるよね。
で、結構やっぱ古典ラジオとかでもね、
玄奘っての取り上げられてもいたし、
結構今の時代、面白いなって感じる人もいると思う。
そう思う。
すごい古くからのことなんだけど、
やっぱり今改めてそういうことを学ぶと、すごく新鮮だよね。
だし、今もね、仏教とか信仰が生きているんであれば、
100年後どうなってるかわかんないんだよね。
100年後どういう信仰とか、考え方ってのが中心になっているかわからないし、
それが仏教の面白さだなって。
そうだね。体図アップデートされていくよね。
で、2500年間いろんな形でさ、いろんな土地の形でさ、姿形変えてて、
今さっきとつながったんだけど、
お、よし、きたぞ。
観音信仰もそういうことやな。
お、きた。
みなさんこれ、第2回目前回からつながってるんですから、聞いてください。
仏教とかも土地の形とかさ、人の形によってさ、形を変えていくわけじゃない。
で、そこには方便という言葉とかもあったりしてさ、
その土地によってさ、信仰の形とかが変わってるんだけど、
1つ仏教っていう大きな柱があってて、
で、その姿形変えるものって、観音信仰もやっぱり仏教的な、
もしかしたら観音信仰がね、すごく仏教的なものであるってのは、
ちゃんとその人とかさ、土地とかに合わせてさ、
ちゃんとその姿形を変えて現れてくるっていうところがあったりするから、
だからね、こういうふうにちょっと仏教が、
見えてくるというか、受け入れられてくると、
けっこう僕の中の仏教への見方というかね、
けっこう変わったんだよね。
渡辺くんが今しゃべってることって、
その三条一条につながるなぁって思って、
その土地のやっぱり歴史文化だったりとか、
その土地に住んでる人もいろんな人もいるよね。
で、その人に合わせて、やっぱり形を変えてね、
やっぱり仏教っていうのが発展してきて、成熟してきて、
っていうところがあるし、
さっきのほらさ、第1回目でしゃべったんですけども、
うちで調査した観音菩薩が中心にあっている
三十三観音大元神像っていうのは、
観音様が仏の教えを各々、
いろんな神様だったり人間だったりの、
衆生の姿にその人が一番ぴったりと救われる形に、
自分の姿を変えて彫られた仏像。
立場だったり、その人の状況だったり、
歴史文化だったり合わせて、
仏教が多様化しているこの柔軟性っていうのは、
その一条シンプルだけどね。
さっき話してた一つの乗り物乗ってるから、
みんな救われるんだよって、まあわかりやすい。
でも三条は三条で、すごく現実的っていうかさ、
実際にその人に合わせて救う道を探す時に、
その人に合った道なんだろうっていう風に、
やっぱり努力して考え続けてる。
具体性がある気がするんだよね。
なんかさ、一条って戦乱の時代の宗教でもあるかなって。
まあ、民ちゃんに受け入れやすいよね。
受け入れられやすいよね。
やっぱり苦しい生活を送っててさ、
みんなが救われたわけでさ、
そこでね、やっぱり、いやいや、
お前に合わせた道をもっと修行しなさいって。
お前ちょっと救われねえんだよなって。
え、俺ちょっとこんな毎日気が状態で、
徳一菩薩と最澄の対決
お前が救われねえのかみたいな。
本当に救いがないみたいな。
これちょっとね、僕らいろいろ散々話して、
後で紹介してからの紹介になっちゃうんだけど、
僕らのね、こういういろいろ喋ってるけど、
そもそもこの考え方の影響っていうのがね、
もろしげきさんのね、先生の、
最澄と徳一、仏教史上最大の対決っていう、
いわなみ新章がね、ありまして。
名章ですよね。
名章、2019年ぐらいかな。
そうですね、もうね、年中経ってますけど。
いや、これね、ちょっと触れていい?
本当に。
いや、実はその、もろしげき先生って、
今年から早稲田の教授になられたんだけども、
仏学のね、立ち上げきっかけの、
本当にもう偉大な功労者で、
自分がその、家手伝うって、
自分の寺、徳一改ざんだ。
で、私にできること何かなーって言って、
ああ、じゃあSNS立ち上げようって言って、
ツイッターアカウント初めて立ち上げたんですよ。
そしてまあ、そこのプロフォームのところに、
まあ、徳一菩薩改ざん1200年、
鳥岡の如法寺。
で、まあ書いて、つらつらとまあ、
こっちはツイートしてたら、
もろ先生からいきなり長文の、
長文のDMが、
来まして、
で、まあちょうど、
7、8年、まあ8年ぐらい前になるかな。
そう、審査員のね、やっぱり、
ことが生々しく、まだリアルタイムで残ってるっていう。
で、もろ先生が本当に、
徳一菩薩って書いてあるだけのアカウントを、
見つけてくれて、
丁寧なDMくださって、
で、僕にできることがあれば、
手弁当で、会津で、
講座するような何かしたいっていう。
で、私存じ上げなかったんだけど、
そこでもろ先生の存在初めて知って、
まあいろいろ調べて、
やばい、この人、今の徳一語るときに、
超最前線でリアル、
もう生きてる人物の中で一番重要じゃん、みたいな。
で、それでもろ先生に講座をやってもらうっていうのが、
音楽のやっぱり立ち上げの理由だったし、
そのもろ先生がやっぱり火つけてくれたっていうのが、
やっぱりそれこそ、もろ先生って、
まあもちろん有識のご研究されてるんだけども、
もう学際的なご研究っていうか、
現代思想のこと書かれてたり、
漫画のこと書かれてたりとか、
あとAI、今だと、
AIのこと書かれることも多いんだけど、
まさしくその、もろ先生、徳一研究。
で、徳一をやってくと、
もろ先生のご活動っていうのが、
いわゆる徳一が払う可能性、多様性。
仏教が現代において払う可能性っていうのを、
多様性であり可能性であるっていうのを秘めてるなっていう。
で、そのもろ先生が書かれたね、
さっき言った岩波新書の、
最澄と徳一なんですけど、
まあこれ、ちょっとね、
たかしともや先生が、
徳一最澄っていう本を書かれてるのもあったり、
まあ他にもあると思うんですけど理由は、
仏教指導最大の対決って、
すごくないかっていうね。
これ本当に読んでいただきたいですね。
何年も前ですけども、いまだに色あせないし、
徳一に興味を持ってくださった方がいたら、
もうまさしくこの、
もうまずはこの最澄と徳一を、
もろしげき先生の影響
もろしんげき先生の本を進めますね。
これね、やっぱ2019年かな。
うんうんうん。
確か。
2021年。
あ、2021年か。
あとがきが書いてあるな。
ねえ、2021年の本だからもう4年ぐらいか。
そうだね、早いね。
2020年代最良の読書の。
いや、まじで。
なんかね、さっき言ったようにさ、
最澄士官がひっくり返るっていう徳一で、
まあ僕はこの本の影響なのね。
ほぼほぼ。
ていうかこの本の素晴らしいのが、
今徳一の話題になった時に、
どんな人なんですか、一番の功績は最澄と激しい論争をしました。
ということで端的には語りがちなんだけど、
説明しやすいからね。
そうそう、そこだけ点で取り出して語りがちなんだけど、
諸先生のこの本のすごいのやっぱりその、
その論争が行われてる時代背景、
日本仏教史のどういう流れにあるのかとか、
ちゃんと他の宗派の話とかね、人間関係の話も書いた上で、
その群像劇の中に最澄と徳一の激しい論争が行われてるんだっていう、
ちゃんと経緯をね、書いてくださってるから、
ちょっと難しいんだけど、わかりやすいし、
実は点じゃなくて、その東アジアとかっていうその面でもあるし、
そこもこともね、東アジア仏教のことも書いてくれてるしね、
仏教史の中でどういう位置づけの中で、
全体の中でね、
全体像が描かれるから、
本の説明の中に、
仏教主要の新たな見取り図だっていうふうに書いてあるんだけど、
正しくその最澄と徳一、徳一に興味を持った方だけでなくて、
日本仏教、仏教に興味を持ってる方であれば、
ぜひこの本は読んでほしい本だよね。
結構もう、仏教がある意味、平面というか、
世界地図がさ、地図としてのピラッとしたものだと思ったものが、
実は球体だったみたいな、
でもあるし、
っていうぐらいの結構、
渡辺くんが言ったみたいにさ、今うちらが持ってる仏教ってさ、
鎌倉仏教以降が仏教だって言いがちなんだけど、
もちろんその前のさ、
アスカなら平安っていうさ、
変遷をたどって、
鎌倉仏教に至ってるわけで、
やっぱりその、鎌倉仏教に至る以前の仏教って、
うちらなじみがないんじゃない?
それをちゃんと丁寧に書いてくれてるから、
そこのところもね、論争徳一と最澄の話だけじゃなくて、
そういう意味でも、この本はすごく素晴らしいなって思いますね。
さっき言ったように、
徳一を知ることで他のものが、
他の仏教の形ってのも知るし、
逆に一周して戻ってくると、
やっぱ最澄も面白いなってなってくるし、
最澄はね、
人としても気になりますよね。
もう一周してくると、やっぱほうねんすげえなって、
鎌倉仏教すげえなって、
ほうねんの話もね、
そうですね、いいね。
もろ先生にちょっとほうねんやってほしい。
そうそう、これ、最初読むと、
徳一起点でいろんな仏教、
それがまた、2周3周していくうちに、
やっぱ最澄も面白いなって、
鎌倉仏教すげえなってなってくるし、
最澄の、
徳一のそしり方?
そのいなか者が、みたいな、
いや、実際に手紙に出てきますから。
やっぱ人格者っぽいじゃん、最澄ってイメージとして。
だけどね、
汚い言葉でディスりまくってるっていう。
それがおもしろいですよね。
人間くさいよね。
政治家がXでそんなこと言ったら、
もう人に飲み込まれるぐらいのことは普通に言ってるから。
なんかすごい、難しい論争してるんですよって言うけど、
やっぱね、手紙具体的に読んでいくとね、
このいなか者が、みたいな。
結構感情もあれですよね。
ほんとにね、
生々しい訓練が。
という感じでね、
徳一ね、実はおもしろいんですよって話を、
今日したかったんですよね。
徳一、
いや、もちろん私ね、
優識とか、それこそ仏教論理学で陰名って、
先生がね、ご研究されてることとかって、
勉強してもすればするほどわからないって感じなんだけど、
やっぱ徳一っていう人に惹かれるって言うと、
人間徳一の熱さ。
最澄とね、そういう激しい論争。
途中で投げてもいいわけじゃん。
けど、やっぱり誠実にやってたっていうところでも、
まあ最澄とはないんだけど、
空海に送った神言集未結文の中に、
地獄に陥るようなことになっても、
密教の新しくね、空海を持ち込んだ密教のことっていうのを知りたいので、
ぜひぜひお願いしますっていう、
地獄に陥る覚悟でも新しいものを知って、
ちゃんと相手を理解してやっていこうっていう、
その誠実さっていうかね、
真摯な態度っていうのがやっぱり、
人として見習いたいなっていうか、
っていうところは、
徳一、人間的な魅力あるよね。
ということでね、
これね、たぶん聞いてくれてる人、
徳一って初めて聞く人の方が多いと思うんですけど、
この徳一菩薩って呼ばれた、
一人の僧がいたっていうことと、
あとね、最澄と徳一、
室茂先生の最澄と徳一も、
あとさ、これ紹介していい?
アウンっていう岡崎真理さんが、
主人公は最澄と空海なんだけど、
完結してます。読みやすいです。
アウンっていう漫画があって、
そこにですね、徳一菩薩がね、
これ初めてだね。
バリバリ重要人物で登場する漫画があるんで、
いきなり最澄と徳一読むと、
誰かのハードルがあれだと思うけど、
漫画だとね、こういう人間像でね、
あまくまでも創作物なんで、
徳一の特仮としては、
岡崎真理さんのアウンっていう漫画、
これもおすすめしたいですね。
そうなんだよね。これやっぱり、
最澄と徳一、難しいんだけど、
何で難しいかって言ったら、
そもそもの理解する素養がない状態。
素養がなくても仏教って親しめるようになってるわけよ。
それって素晴らしいんだよね。
すごくこれ素晴らしいことで、
全然仏教の基礎的な教養がなくても、
仏教に親しめるようになってる。
やっぱこれってすごいことだと思うんだけど、
でもそれがさ、やっぱ徳一を理解するためには、
ある程度ね、その三条と一条とか、
四季とは何かとかね、
五相格別説とか、いろんなその仏教的な、
事前にね、ちょっとお勉強することがね、いいからね。
そこで結構みんなめんくらっちゃうと思うんだけど、
自分が知ってる仏教とは違う仏教が出てきたから、
何かしらそこを乗り越えていくと、
すごく新しい世界が広がるなと思うし、
鎌倉仏教に対しての理解も全然変わってくるしね。
僕らもこの本出てようやく何かちょっと喋れるようになるので、
5年かかってるからね。
いやいやいや、まだまだもう読み返せば読み返すほど。
でも皆さんあれです。
もちろん一回で理解できるわけではないし、
通読するだけでも、
結構新しい、こう開眼する部分が多いから、
試しに手に取ってみてください。
新書なんで買いやすい値段だし。
あとAmazonオーディブルにもあるから。
そうそう、オーディブルにも、もちろんKindleにもありますし、
オーディブルにもなってるしね。
僕やったのは音を聞きながら文字を読むっていう、
ちょっとやっぱね、漢字とかもいろいろ難しいから。
そうなんだよ、仏教用語とかね、
人の名前とかなかなか読めなかったりするんだよね。
という形でね、ぜひ気になった方も読んでほしいなと。
ぜひ読んでほしいですね。
徳一菩薩の人物像
あと、なんか徳一が気になった方が、
会津で旅行しようかなと思ったら、
まずやっぱりNHJ?
NHJ、国史籍になってるNHJだとですね、
近藤が復元された後、
薬師如来が東京芸術大学の大学院の研究室で復元されてるし、
あれがね、矢渕聡先生って、
奈良の瀬戸くんとかで知ってる人いるかなと思うんですけど、
あの方が中心になってやったのも、
先生曰く復元物としては日本でも最も大きいぐらいだなって言ってますね。
まずはNHJ。
そうだね、万代町っていう。
そう、万代さんのね、徳一が。
万代さんの元、稲橋の方から比較的近いところに。
そうそう、根本道場として、
やっぱり会津で徳一、仏教って言ったらNHJは欠かせないところですね。
あそこでね、資料館もあって、
あそこ行くと、
仏と会津がどれだけの規模が誇っていたのかっていうことが、
まずはわかるかなと思うので。
じゃあそのNHJから行ったら、
次はやっぱり鳥代観音とかね。
いやいやいや、お揃い。
勝常寺ですね。
勝常寺。
湯河村の勝常寺。
かつ爪の寺。
勝常寺は、国宝の薬師如来が有名で、
それ以外も多数の国の住民とかの人物ともあるんですけども、
やっぱり勝常寺。
で、あとはあれですね、
柳津町っていうところに、
会津国道様、縁蔵寺っていうところ。
ここは、建物が競り出してて川に。
すごく眺めがいいところで、
ここも特異使いさんの場所だね。
で、最後にうち。
その後ぐらいに、4番目ぐらいに。
鳥代観音如宝寺。
4番目ぐらいに。
ぜひね、
境内散策できるようなところもありますし、
ちょっと彫刻でね、隠れて掘ってあるお猿さん探したりとか、
あとは仏像群。
一本目で紹介した大原神像も。
大原神像も見れますし。
ぜひぜひ。
ありがとうございます。
ということで、
今日はね、特異使いだったんだけど、
なかなかとっちらかった。
なかなかとっちらかった。
仏教の旅と寺院
やっぱり難しいのよ。
難しい。
たくさん話してたんだよね。
どういうふうな話題でいくとかね。
でも、それがいいよね。
そうそう。
またね、特異使いで語れるしね。
まあね、またちょっとね、
特異使いもいずれまたやりたいし。
そうだね、やりたいね。
まさしく旅じゃない?
旅を旅。
だってさ、1200年前の論争をさ、
今もって生きててさ、
これ時空を越える旅ってさ、
違う場所に行くことはもちろん旅なんだけど、
同じ場所にいたとしても本との出会いとか、
思想との出会いとか、
それは昔のものだっても、
今、現代の自分と出会うことで、
新しい科学感度が生まれるっていうのも、
それも旅だと思うし、
なので、お忙しくて、
実際旅に出かけられない方も、
うちで本位した新しいものを手に取れば、
それは一つの旅だと思うので。
知り尽くすことがないからね。
うん、本当にね、
常に仏教との出会いも旅とも言えるしね、
仏教以外のこともね、
新しい何か誰かと喋ったり、
それも旅だしね、
何か違うものと出会うってことがね、
旅だとすればね。
本当、会津、
郷土詩家というかね、地元で、
特筆研究されてる方もたくさんいるし、
あとやっぱり今の発想集って、
どんな感じなのかなとか、
そんな話もね、
一つの思想の旅としてね、
いろいろね、やっぱね、
話すげえ広がるけど、
知りたいことたくさんあるからね、
また特筆会やれたらなと思ってるので、
いいですね。
ということで、じゃあ今日はこんな感じです。
どうもありがとうございました。
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それでは耳たびで良い旅を。
41:12

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