1. 耳で旅する週末-ミミタビ-
  2. #52 耳で旅する仏教(鳥追観音..
2025-08-15 36:53

#52 耳で旅する仏教(鳥追観音・三十三観音応現身像編) ゲスト:三留さん

ほとがくの三留さんに「三十三観音応現身像」の仏像調査について伺いました。33体で1セットの仏像とは?やがて話は観音信仰へと広がります。

会津と仏教/応現身像とは?/色々ある観音菩薩/早稲田で見つかった6体/始まる仏像調査/廃仏毀釈で流出した仏像/ボトムアップ型の観音信仰/仏像調査のカタルシス/推しの応現身像


🎧️カバーアート

毘沙門天身像(三十三観音応現身像の一像)


✈︎ほとがく Xアカウント

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✈︎鳥追観音・如法寺 Xアカウント

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✈︎半蔵門ミュージアム

8月30日まで6つの応現身像が展示されています


📩番組へのメッセージ

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耳で旅する週末-ミミタビ-

働くあなたの週末に、耳で楽しむ非日常のひとときをお届けします。毎週金曜日の18時更新、飲んだ帰りの電車の中で、ちょっとゆっくり過ごしたい土曜日の朝に、忙しい日常の合間に、耳から始まる物語を。

サマリー

このエピソードでは、ミトメさんが仏教の重要なテーマである観音菩薩とその象徴である三十三観音応現身像について詳しく語っています。特に福島県の会津地域の仏教文化や、トリオ館の貴重な仏像群の調査についても触れられています。鳥追観音と三十三観音応現身像を中心に、仏像の調査やその意義について述べられています。また、南北朝時代の仏像に関する興味深い情報や、貴重な作例についての考察が行われています。観音信仰の歴史やさまざまな観音像についても言及されています。特に鳥追観音や会津の三十三観音巡りに焦点を当て、地域の信仰の背景や仏像調査の面白さが掘り下げられています。今回のエピソードでは鳥追観音と三十三観音応現身像について解説し、信仰の変遷や見どころのある仏像が紹介されています。

仏教と会津の関係
耳で旅する週末-ミミタビ-のお時間です。この番組は、旅と旅行が好きなサラリーマン、Ryotaが、働くあなたの週末に、耳で楽しむ非日常のひと時をお届けします。
音で、声で、耳で、次の休みに行きたくなる、そんなエピソードをお楽しみください。
はい、Ryotaです。今回は、ゲスト回-ホトガクの発起人ミトメさんと仏教の話をしていきます。
はい、ミトメさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。ミトメ・マキコと申します。
よろしくお願いします。今日は、耳で旅する仏教と題して、ミトメさんと仏教とか仏像のこととか、おしゃべっていきたいなって思っています。
まず簡単に、ミトメさんとは誰ぞやとか、仏教とは何ぞやみたいなのを、僕から簡単にご紹介しますね。
まず、ホトガクというのは、正式名称が徳一仏教の学校といって、仏教をテーマに学びの場を会津から発信している団体っていうのかな、コミュニティというか、そういった活動をミトメさんが発起人として行っています。
これ、いろいろ説明が必要だと思うんですけど、福島県の会津地域って、仏教が結構盛んだった土地ということで、仏都と呼ばれていて、日本の五大仏都にも数えられているところです。
五大仏都っていうのは、京都、奈良、鎌倉、平泉、会津っていった形で、歴史的に仏教が盛んだった土地になります。
その仏と会津の礎を築いた方が、平安時代初期に活躍した徳一菩薩という僧の方で、道徳の徳に漢数字の一と書いている徳一という方がいました。
ミトメさんのご実家がお寺の方なんですよね。西会津町にある鳥追観音の如法寺というところで、この如法寺の僧権にも徳一菩薩が関わっているということで、
そうしたご縁でミトメさんの仏教をベースに学びの場を立ち上げるということで、仏教を10年前ぐらいになるんですか?
そうだね。8年ぐらい前になるね。早いね。
そんな形で、都道を続けて、僕も一応ほとがくの一員で。
重要メンバーですよ。
ずっとやらせてもらっているんで。
そんな感じで、今日は改めてミトメさんが来てもらって、仏教のこととか、徳一のこととか、サビも含めていろいろ喋っていきたいと思うので、
今日はどうぞよろしくお願いします。
三十三観音応現身像の探究
よろしくお願いします。
今日はゆう子ちゃんもいるので、一緒に3人で話していきます。ゆう子ちゃんもよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日は1本目のテーマなんですけど、仏像の話をします。
ミトメさんの先ほど紹介したご実家の鳥追観音で、昨年ですかね、仏像の調査をされていたんですよね。
その鳥追観音の所蔵のものも含めた仏像の調査をされていて、
その調査をしている時に、ミトメさんが結構長い旅をしているような感覚があったというような話をしていて、
それが結構面白いなと思って、仏像調査を通してミトメさんが感じたことをテーマに話していきたいなと思います。
ちょっとまだ僕の話が続いちゃうんですけど、
簡単に今回取り上げる仏像についてしゃべっていくと、鳥追観音に三十三応現身像。
そうですね。正式には三十三観音応現身像という、三十三体1セットの仏像群ですね。
三十三観音応現身像。
長いんで、三十三応現身像で途中から応現身像にしましょうか。
そうですね。正式名称が三十三観音応現身像で、これからちょっと応現身像という形で、
一応三十三体の仏像群、1セットの仏像群みたいな形で聞いてもらえればなと思います。
この三十三応現身像について語る前に、
これ、聞いてくれてる方が、ちょっと何なのって。
本当そうですよね。
そもそも何?みたいな。
三十三観音応現身像ってワードを初めて聞いた方がほとんどだと思うんですから。
説明しないとね。
一応旅番組なんで、大前提を僕から簡単に説明させてもらうと、
一般的に仏像って大きく分けると4つの種類に分けられるって言われていて、
一つが如来、そして菩薩、明王、天武ですね。
ざっくり言うとそうです。
如来ってのがいわゆる仏様ですね。釈迦如来とか薬師如来、阿弥陀如来、東大寺はビルシャナ仏、大日如来とかと呼ばれてる仏のもので、
一般的に仏像ってイメージする一番最初に出てくるものかなと思うんですけど、これが如来で、その次が菩薩。
この菩薩っていうのは仏になる前の段階、悟りの途中にある存在ですよね。
明王菩薩明王天武ってある中で、今回は明王天武関わってこないので省いちゃうんですけど、
今回この三十三応現身像ってのはこの菩薩に属する?
そうなんです。三十三観音応現身像っていう観音が入ってきましたけど、
観音菩薩っていうのは存在があって、三十三体の仏像群っていうのが存在するんで、
まずは観音菩薩から注目してもらってと、この三十三応現身像はわかりやすくなると思います。
例えばその菩薩にもいろいろあるんですよね、種類が。観音菩薩、門珠菩薩、地蔵菩薩とかね、
不言菩薩とか。
そうですね、不言菩薩ですね。
たくさんあるんですよね、聞いたことないものも含めて。
いっぱいいらっしゃいますね。
で、その中の観音菩薩ってことなんですね。
そうですそうです。
で、今回この観音菩薩とはなんぞやみたいなのがまず次に出てきて。
そうですよね。そこわかんないとね。
難しいね、やっぱ仏像の難しさが。じゃあ次は観音菩薩ってなんやねんみたいな。
一つ一つね。
話になってきて、やっぱ有名なのって閃珠観音。
変化観音って言われてね、観音菩薩の中でもいろんなね、観音菩薩がありますね。
いっぱいいるんだよね、十一面観音とか、閃珠観音、ぬいりん観音とか。
で、結構たくさんあって、そういうのを変化する観音ってことで、
変化観音って呼ぶと。
で、ここからがね、ちょっとさらにややこしくなってくるんですけど。
その観音ってのは、たくさん種類があって、変化すると。
で、その基本形みたいに言われてるのが、聖観禅菩薩。
そうです。うちの鳥よい観音も、ご本像は聖観禅菩薩。
観音菩薩のもともと基本的な仏様ですね。
で、じゃあ次にようやく、三十三観音、応現身像とは何かということなんだけど。
三十三って、結構仏教だと聞く言葉、数字なんですよね。
会津三十三観音とかね、最極三十三観音とかもあるんですけど。
で、この変化観音の一群の、いろんな姿に変化する観音様を形にしたのが、観音応現身像ではないんですかね。
観音菩薩って、結構ね、今おっしゃったように三十三観音巡りとかでね、
皆さん親しみがある仏様の観音菩薩って一つだと思うんですけども、
観音菩薩っていう存在は、この世の中にいる一切衆生、
それこそさっきね、天とか妙王とか神様も含めて、あらゆる存在を衆生を救うんだっていう仏様なんですね。
あらゆる存在って誰なの?みたいなのを、三十三の姿に置き換えて掘ったのが、この三十三観音応現身像なんです。
だからどんなのいる?って言ったら、お坊さんもいるし、アシュラ像って有名だよね。
神様もいるし、子供もいるし、一般人の商人の、徳の堅い商人の方もいるしね。
うちらもその三十三応現身像の中に入っているわけですよ。
そういうことになってくるんだ。
観音菩薩自体が、信仰する人というか救いを求める人の形に合わせて、姿形を変えるって言われてるってことですよね。
だから、いろんな形に変化した。アシュラって言うと基本的には天部の、インド由来の天部の神様なんだけど、
それも一形態、観音様の一形態で、一形態じゃないか。
やっぱりあらゆる存在を救うのが観音菩薩で、
例えばその存在を、とある存在を救うって言ったときに、
その救う際にその人に合った姿形でね、作っていくっていうのが一番効率がいいっていうね。
なんで、人間になるときには、お坊さんを救うんだってなったら、お坊さんの形になってた方がいいし、
それぞれ救う対象に合った形になってね、お救いした方がいいと。
じゃあ、どういう存在を救うのか。仏様じゃないんだよね。
結局救う対象っていうのは、菩薩とかはもう一歩で悟れるし、如来はもう悟っちゃってる人だし、
これから救うぞっていうその存在各々に姿を変える。救われる存在自体を三十三の姿に彫ったのが、この三十三観音菩薩。
鳥追観音の貴重な仏像
ちょっとね、ややこしいんだけどね。
観音信仰ってのがすげー奥深いなって。
観音から入るとね、観音もいっぱいいるじゃんみたいな。
今回ね、ちょっと調べてて、観音信仰全然わかったなかったなって思って。
私もよ。観音ってふけーなーみたいな。
ふけーなーって思ったよ、今回。
ほんとそうそう。
そんな感じで、みとめさんのご実家の日本寺には日本で一番古いかもしれない。
そうなんです。
日本で一番古いかもしれない三十三観の応現身像がある。
そうですね。じゃあここから応現身像にしていきましょうか。
応現身像があると。はい。
そうなんです。まず三十三応現身像って、全国でもすごく作例が少ない貴重な仏像群なんですね。
その中でも、制作年代が入っているものっていうのは少なくて。
うちのお寺で調べた自分ちの仏像には、たまたま年号が至徳元年っていう南北朝の後期なんだけど、年号が入っていて、
それがね、今のところ現存して調査がわかってるものとしては一番古い。
なるほど。わかってる範囲では。
わかってる範囲では一番古いって言われてるものだね。
で、あれなんですよね。鳥上観音にはもともと、あれ何体あったんでしたっけ。
そう、三十三人セットって言ったんですけど、ちっちゃいうちに三十三ない。
三十三ない。
で、今うちにあるのは21体。
あ、21体か。そっかそっか。
で、21体あって、で、実はこれから渡辺さんとかも話を振ってくれると思うんだけども、
あの、亡くなっちゃってる12体、どこぞやって話になって、
SNSがきっかけで、不明の12体のうちの6体が、
早稲田大学の会津八一記念博物館にあるっていうことがわかったんですよ。
で、それがわかったのがきっかけで、じゃあ早稲田のも調査しよう。
で、うちの21体も調査しようっていう流れになったんですよね。調査の経緯としてはね。
それ早稲田で保管されてるのが、
日本字のものと同じセットのものだってわかったのがいつ頃なんですか?
それは今回の調査で、早稲田の調査が、
えっとこれ、昨年の4月になるかな。
あの、もともとそのSNSで、早稲田のその仏像が、
日本字の仏像と同じ一部のものじゃないかって言われて、指摘した先生がいて、
早稲田の像で論文を書いてた先生だった。
仏像の調査と発見
で、それをうちにある応現身像の調査をした先生が、たまたまうちの仏像の写真をあげてて、
で、それをたまたま早稲田の先生が見て、
で、作風も素人が見ても同じなんだよね。
これは同じだと。
ってなったのがきっかけで、連絡が来て、
で、まあ見た目だけでもおそらくそうだろうと。
ただね、写真だけで確定はできないから、
じゃあ調査しましょうって話になって、
まず早稲田の6体を打ち出し切って、調査をして、
で、そしたら早稲田にも、うちの仏像と同じ至徳元年の年号があったわけ。
そうなんだ。
で、年号と一緒に、これもすごいんだけど、
ヤマト長春って、ヤマトってあの大きい輪ね、に長春は長い春なんだけど、
その仏像、仏師名も入ってたから、
まあそれがね、最終的な決め手となって、
三十三観音とその特徴
あの同じ仏像群だろうということがわかったんだよね。
あ、仏師名入ってるんだ。
仏師名入ってる。
え、そのヤマト長春って方については何かわかってる?
それがね、先生たちに聞いたら、他でヤマト長春はまだ見たことがない。
あ、そうなんだ。
ただこれね、うちの応現身像の作例に似た仏像がちょっとあるなっていうので、連絡をくださった先生がいて、
もしかすると、その仏師名は書かれてなくても、作例の特徴、似せるっていう部分で、どういう仏像、
あの、まあ仏子ってほらチームだったりするじゃん。
系統の仏子が掘ったのかっていうのは、これから解明されていく可能性はある。
なるほど。
これちょっとあの、もうちょっと遡って聞くと、
もちろん、みとみさん自身は、ご実家にそういう仏像があることは、もちろん子供の頃から。
それがさあ、そうでもないのよ。
あ、そうでもないの。
なんか、私も含めて住職もね、私の父も弟の副住職も、なんかちっちゃい仏像いっぱいあるよね、みたいな。
具体の認識しかなくて、それが三十三大芸神像だっていう認識がなかったの。
あ、そうなんだ。
そう、なんかちっちゃいのいっぱいある、みたいな。
本土には、もちろん。
そうそう、観音宮も、21体もあるからさ。
あるっていうのは、もちろんわかってんだけど、これが何なのかってことは、実はつい近年までわかってなくて、
で、他の仏像をちょっと調査しましょうっていうときに、
あ、じゃあ、つい近年、なんかこのちっちゃいのも聞いてみっぺ、みたいになったときに、
あ、これは三十三観音宮神像ですよ、じゃないかっていうのがわかって、
で、まあその何やら調査の上数の写真を、仏像の修復師の松岡誠一先生って、いろんな滝にわたる活動されてる方がいらっしゃるんですけど、
その方がSNSに上げてくださったのを、
早稲田の先生が、岡代先生っていう、今仏像の調査を盛にされてて、私と同じ年くらいかな。
その先生がきっかけで連絡くれて、じゃあ調査しましょうよ。
あ、じゃあ最初は、
うん、何だかよくわかってない。
あのちょっと、なんかあるからついでに、
うん、見てもらおうかって言った。
そしたら、三十三観音宮神像じゃないかってなって、
応現身像だぞってなって、
で、それって全国でも珍しいよって。
で、その時にね、年号がね、あれだなって、面がね、こうかこうか割れてた。
うん。
仏像があって、とれてきてた。
で、そっからね、年号見えますよって話になって、
まあそれ貴重なことだから。
うん。
うーん、そうそうそうそう。
最初はそう。
それが、至徳元年。
至徳元年。
で、西暦で言うと。
えっとね、西暦で言うと1384年。
1384年。
今からだと、2025年だから640時点まで。
南北朝時代。
南北朝時代の後期だね。
後期。
うーん。
ほられたであろう。
うんうん。
まあその年号書かれて、年号見るとね。
うーん。
で、そっからじゃあ、あの早稲田のものと合わせた時の調査が本格的な調査の時に。
うん、そうだね。
早稲田の調査が本格的調査の、まあ一番のスタートですね。
で、早稲田の調査を終えて、で、あ、一昨年なのか。
うち2回調査したの。
21回あるからさ。
ああ、そっかそっか。
そうそう、すげえ時間かかんの。
1回、2回回数分けて調査して、その回数もさ、1回目が先生たち、先生全部で4人ぐらいで、
早稲田の大学院生の方が4人、4、5人来て、そのぐらいのチーム人数でも、3日か4日かけてんだよ。
それをもう1回やったの。
うーん。
そうそうそうそう。
それで、それがまあ、えっと去年の夏。で、ようやく早稲田の6体。
うーん。
まあそれ1回で終えたんだけど、で、うちの21体、2回の大規模調査で全部終えて、
で、今はもう調査自体は全部終わったので、報告書の作成。
あ、そうなんだ。
に取り組む、先生方のお願いして取り組んでるところですね。
なるほど。
じゃあ、もともはどれがビシャモンだとか、対尺点だとかっていうのは。
大きいとこ聞いてくれたね。
まだわかってない状態ですよね、だって調査前が。
ぶぶー。
これが、またうちの仏像のいいところの1つで、台座のね、仏像の下に台座がついてるんだけど、
台座の裏にね、あのね、道中心とかね、書いてあったの。
この仏像は何とかだって、足裏とかさ。
それ、後世誰かが書いたってこと?
それはね、ちょっとわからない。
たぶんでも、制作したときに書いてると思う。
あ、そうなんだ。
うんうん。書いてくれてるから、あのー、よそだと、その応現身像だと思われる仏像でも、書いてないのとかだとね、
ちょっとね、判断に迷う仏像だと思う。
あ、そうですよね。
あの、明らかに足裏とかさ、見た目がさ、はっきりしてるからさ、
あ、これ足裏だって断定できるんだけど、
その、一般ピーポーのさ、いろんなさ、教養神とかさ、あの長者とかさ、
そういうのってちょっと判別つかなかったりするときあるから、
うちの全部書いてあるから、
これはもう、何とかって特定ができる。
それも貴重な点の1つなんだよね。
うんうん。
これ、三十三体あって、どうしてそれが合わせたのに6体あるかではわかってる?
うん、それは、あ、わかってます。
あ、わかってるんだ。
あの、早稲田の卒業生の方が、
えー、もともと会津、おじいさまの、過去の先祖が会津のご出身で、
どうやらその、ご先祖さまに、うちの6体が流れていって、
あ、その事情が。
で、早稲田の卒業生の方が、それを持ってらっしゃって、
で、それを、あの、早稲田の、
早稲田地記念博物館に寄贈された、
あ、そうなんだ。
っていうのが、早稲田にあった経緯なんだよ。
あ、なるほど。
うん。
あ、じゃあ、もう6体も、
そうなんだ。
そういう経路をたどっている。
あの、なんか、たぶん、あの、廃仏毀釈ってね、明治、ありましたよね。
で、そのときに、お寺の経営がね、おそらくすごく苦しくなって、
流出したんじゃないかと思う。
あー、なるほどね。
で、ちょうどね、12体なくて、早稲田に6体でしょ。
で、残りが6体でしょ。
SNSでの発見と今後の展望
うん。
だから、6体、6体、三十三の仏像具の中でも、いいやつをピックアップして、
早稲田のすごく、6体、いい仏像なのよ。
あ、そうなの、状態があるってこと。
流出しちゃったやつがね。
いや、そうそう。
だから、それでね、あの、まあ、今、その、残りの6体っていうの見つかってないわけなんだけれども、
まあ、おそらく6体セットで流出したんじゃないかな、とは思いますね。
明治維新の婦の遺産ね。
いや、マジ、そうだと思う。
うん。
だから、早稲田で見つかったの、奇跡だよね。
まあ、そうだよね。
だから、その、残りの6体も、どっかの蔵に、まだ、
いや、あり、ありえるよね。
ありえるよね。
なんか、それ、一番ありそうですね。
そう、それをね、願ってんの。
うん。
どっかの蔵でも、忘れられて。
そうそうそうそう。
うん。
まあ、大きくないですよね。
30センチちょっとかな。
ああ、なるほど。
うん。
そうね、40センチか、そんなもんですかね。
やっぱ、これね、三十三体揃うと。
いやあ。
うん。
揃ってほしいね。
揃ってほしいね。
来てほしいね。
ちょっと、忘れたのうちに、とかって。
あ、これ、ちょっと、おふれこする。
来ないかな。
来るといいな、みたいな。
揃うとね。
いいかな、みたいなね。
そうなんだよ。
まあ、SNSでね、それがわかったっていうのは、なんかほんとに、今時だなと、思うね。
うん。
だから、なんか、けっこう、観音信仰。
うんうんうん。
まあ、その、少なくとも、南北朝時代。
うんうん、そうですね。
あの、その、三十三観音応現身像、応現身像が作られた。
まあ、他のものを見ても、やっぱり、あの、南北朝、室町時代に作例があって。
まあ、それ以外にも、あの、後輩仏で、後輩仏って、あの、仏様の後ろに板くっついたりするじゃん。
はいはい。
うん、うん。
それの周りにね、三十三応現身像がね、作られてるっていうのがあるんだけども、
その独立した一つの仏像として、応現身像が作られてるっていうのは、やっぱり室町とか。
えー、あ、そうなんだ。
その辺なんで、まあ、その時に、あの、まあ、応現身像を短大で剃って、作っていこうっていう流れがあったんだろうね。
っていうことは、まあ、想像できるよね。
うん。
やっぱ、戦乱の世の中だからとかなのかな。
そうだよね。
うん、なんだろうね。
このね、応現身像のもとたとると観音菩薩じゃない。
うん。
観音信仰の歴史
そうすると、あの、渡辺さんが言うように、観音信仰とは何ぞやってなってるからね。
うんうんうん。
そこのと、あの、その時代の歴史性っていうのは、やっぱり考えると面白そうだね。
うん。
だって、鳥追観音の御本尊も聖観禅菩薩。
そうだね、聖観音様だね。
うん。
まあ、一応だって、さらにもとたとると平安初期になって。
うん、うちはその、さっき渡辺さんが言ってくれたように、都からね、会津っていう、あの、東北の地に来た徳一菩薩って人が戒山、戒僧だって言われてるんだけども、
それがまあ、あの、807年、大同2年、平安の初期。
で、鳥追観音菩薩を御本尊としてるから、
まあ、観音信仰って、じゃあ平安からあったの?どうなの?
ああ、その当時からも。
うん。話にもなるしね。
うん。
一応その御本尊秘仏なんだけども、それが平安仏だって言われてるから、
そしたらね、じゃあまあ、観音菩薩と平安を御本尊として持ってるんだったら、観音信仰もあったでしょ?
ただその、ほらさ、さっき三十三観音の話、三十三観音巡りとか信仰の話出たけどさ、
その、三十三っていう数字を持って、その観音巡礼とかね、盛んに行われたのが、いつかっていうのは、
まあ、よくわかってないっていうのが結論だってね、言ってたね、歴史学者の先生とかもね。
なんとなくの僕の印象なんですけど、やっぱけっこう民間信仰に近いのかなって思って、観音信仰。
そうだね。
うんうん。農閑期にね、三十三観音巡礼とかも、農家の方が農間機にね、娯楽のひとつとしてね、三十三観音巡りしたっていうのも会津でもあるしね。
なんか、ボトムアップ式の宗教というか、信仰。
その、ビルシャナブツ、東大寺とかってけっこうトップダウン的なイメージはあるじゃない。
うんうん。
でもやっぱ観音信仰とかってボトムアップというか、民衆からね。
そうだね。
だからまあ、変化するんだろうし、みたいな。
うんうん、そういうところはあると思います。
だからね、これまでちょっと観音菩薩ってよくわかってなかったのね、俺今回これ調べるまで。
いや、わかんない。私もわかってない。
なんかいろいろあるけど、いろんなところでいろんな観音様見るけど、なんかスーッと、ただいるなぐらいにしか見てなかったんだけど、
いや、今回ね、観音信仰は面白いなと思って。
面白いよね、掘り下げていくとね。
その会津はね、三十三観音巡りとかもあるから、三十三個少なくともね、観音菩薩があるし、
如法寺とかね、結構その、また別なんだよね、三十三観音とは。
そうだね、会津の三十三観音の中で、第1札書とかあるけど、うちは一応ね、別格番外って言われてる。
番外、三十三観音の番外、札書の番外だっていう位置づけだね、会津の三十三観音に。
あれ、コロリ三観音?
コロリ三観音っていうのは、また三十三観音とは別で。
別なんだ。
3観音って言われる、うち如法寺の鳥よい観音。
あと、たちき観音様、中田観音様って、この3つの観音様を巡礼すると、苦しまずに、コロリと極楽応助できるっていう、また別の巡礼だね。
そうだよね、たちき観音とかもすごいからね。
でかいよね、たちきさんはね。
そうそう、本当に、ぶっとう会津、面白いよね。
確かに、やっぱ観音信仰っていうところから見ると、さらに会津の仏教、面白いなっていうふうには。
日本遺産にもなってるしね、会津の三十三観音巡礼っていうのはね。
会津の三十三観音巡り
日本遺産って、もっと知られてほしいですね。
ありがとうございます。
で、今回ね、またちょっと調査の話に戻すと、やっぱね、どっかでカタルシス感じたと思うのね。
いやー、やっぱね、年号出たときだよね。
ちょっと面が、至徳元年ってもう見えてるよ、松田もあったけど、三十三、まあ、じゃなくて、何体か仏像がね、あって、仏像群がある中で、一つしか至徳元年書いてないっていうことと、
他の仏像にも同じ至徳元年が書かれてるっていうことは、またその、清作年代の裏付けが強くなるっていうことで、
やっぱ興奮したのは、うちで調査してるときに外れそうな面がちょっと、修復の関係までちょっとね、取ってみようかってなったときに、
至徳元年っていうね、大和長春っていうのが、やっぱり同じように出てきたときは、ザワザワみたいなね、ザワザワみたいな。
年の間から出てきたっていう、すごいドラマチックですよね。
そうそう、あの調査のね、そうそうそうそう、そうなのよ、あ、ごめんね、橋本さんね。
あ、いいんですね。
そうそう、あれはなんか調査、リアルタイムで調査してる醍醐味だよね、その場にいてね。
なんか歴史的なさ、え、だってまあ、おそらく作ったときにさ、書いたとすればさ、641年前に書いたやつがさ、目の前に現れるっていうさ。
確かにな。
うん、やっぱその、まあ今回旅っていうのはあれでね、ちょっとあんまりそこで言ってなかったけど、
やっぱ仏像調査ってその何百年前のものを退治して、で今リアルタイムで生きているその著名な先生方と、
あの本当に今勉強してる学者のたまごの学生と、まあ私たちお寺の者が一つの場所に帰して、何百年前の歴史的なものに退治して、それを調査して、
それを今じゃあ、あの現在の研究結果としてフィードバックしていくっていう、そういう時と場所と年代、いろんなものを越えてあの経験できるっていうのは、
まあある種旅、自分とは普段合わないものに出会っていくっていう旅っぽいなっていうのはすごく感じたね。
仏像調査の醍醐味
あとなんか仏像って結構タイムカプセルっぽいなって。
お、どういうことか知りたいな。
なんかこの過去の人が作るわけじゃないですか、掘っていって、それ大事にされていくとまあ未来に届くわけじゃないですか。
そうだね。
で、なんかまあ忘れ去られたりとか、だってあれでしょ、興福寺、奈良の興福寺の阿修羅像とかだって一時期は忘れられてる。
あの廃仏毀釈になってね。
そうだね廃仏毀釈ね。
うん、あのすごくやっぱり興福寺の力があったお寺なので激しかったんですよね。
あの仏像もすごいね燃やされちゃったりしたものもあるし、本当にもう没落、まあこういったんですけど没落してる時期があって、
で、まあ今いらっしゃるね、関西の方とか、あの地無露院の方とかがまあ復興してきて、今現在のね、仏像あれだけの国宝とか仏像分がある。
昔はやっぱりね、あのゴミだと思って、もう滝代わりに、仏像、貴重な仏像を滝川に燃やそうかみたいなね、風な扱いにもなっちゃってた、廃仏毀釈の時に。
やっぱそれがこうやってさ、現代まで届くと、でこうやってさ、なんか逆に過去のことがわかるというかね、なんかこうタイムカプセルみたいに。
うんうん、それいい表現だね、タイムカプセルはいいね。
そうだね、そういうところはあるね。
やっぱいいよね、実家にさ、こういう歴史があってさ、そういう瞬間に立ち会えるって、やっぱなかなか一般家庭じゃないからさ。
そう、お寺嫌なんだけど。
まあね、いいこと悪いこといろいろあるんだろうけど。
お寺の娘は嫌だった、嫌だし嫌なんだってところもあるけど、でもやっぱり渡辺くん言うように、そういうね、何百年前の仏像があって、それを調査するっていうのはやっぱりお寺のね、人間じゃないと、そういうことをやれるわけじゃないし。
でもね、やっぱすごいよね、その西会津町って、まあ行ってみればさ、会津でも外れのほうじゃん、まあ言い方次第だけど。
そうなのよ、新潟の県境でね、やっぱ市内から見ると立ち会われるよね、今の状況で見るとね。
そういう場所にあっても平安時代から、ずっとその熱い信仰が続いてるっていうのは、やっぱ、なんなら宿場とか。
そういうこと。
市ごとの境で、今は若松を中心にしてみる、今の視点で言うとね、中心にしてみるから、西会津外れてるなってなるんだけど。
会津若松史観で言うとね。
そうそうそう、で言うとそうなるんだけども、でもあの新潟との県境って宿場外だったの、野沢宿、あの宿ね。
なのでその人とものの往来がやっぱり盛んで、そうなったときにやっぱり宗教って、お寺ってすごくね、政治的にも経済的にも重要な役割があるから、
そうすると一つの関所というか、重要な場所として、あの新潟寺、西会津っていう場所にね、新潟寺がやっぱりできてきたんだろうなと思いますね。
近くにあの大山積神社とかね。
あるしね。
あそこもやっぱり信仰が厚い土地だしね。
そうだね、昔神仏習合だしね。
やっぱり大山積神社と豊岡のっていうのは、明らかに関係性を保って作られてると思うし。
なるほどなるほど、ありがとうございます。
ちなみに、推しの応現身像っているんですか?
推しはですね、います。
いる?やっぱそうなんだ。
いっぱいいるからね、やっぱ推しは。
ついつい心惹かれる。
ビシャモンテンですね。
ビシャモンテン、宝刀っていう、小っちゃな刀を掲げてるんですけど、なかなか宝刀を両手で掲げているビシャモンテンの姿って少ないらしくて。
それが先生から言わせると、中国の仏像にあるらしいんだよね。
そば屋のおかもちみたいな感じで参考。
かわいいんですよ。
そうですね、それが私の一推しですね。
ただ、それは残念ながらうちにはない。
あ、そうなんだ。
早稲田大学の。
あ、じゃあ子供の頃から見たやつじゃない?
やつじゃない。早稲田で調査で初めて見て、あ、かわいい、みたいな。
それがみとめさんの観音菩薩の形なのかもしれない。
一つのね、かわいいな、みたいな。
あ、私、じゃあビシャモンテンとして救われようとしてる。
救われようとしてるのかもしれない。
ちなみにね、早稲田のものなんだけど、
今、東京の半蔵門ミュージアムっていうところで展覧会をやってまして、
もともとうちにあった早稲田の像が展覧会に出品されてるので、
確か私の推しのビシャモンテンそば屋のおかもし屋像が。
会いに行けるんだ。
会いに行けますので。
ぜひ、入場無料なので。
そうなんだ。
駅から、半蔵門駅からね、もうすぐだから、直結してるから場所便利だし。
じゃあぜひ、概要欄に詳細貼っとくんで。
ぜひね、興味ある人は見てほしいですね。
なかなか早稲田で初動してるんで、
見れることって、結局点数が、初動点数が多いから見れないんだよね。
うちだといつでも観音堂内に祭ってあるから、うちのはいつでも見れるんだけど、
早稲田のやつって早々配管できるものじゃないから、
来月で終わっちゃうんで。
来月までか。8月中までね。
早めに機会のある方はぜひ行っていただきたいですね。
分かりました。ありがとうございます。
観音信仰と仏像の紹介
ということで、今日は三十三応現身像と観音信仰について、ありがとうございます。
鳥追観音、如法寺にはね、他にも、さっきの三十三応現身像、昇観前音菩薩、
他にね、不動明王立像、武者門店とか、金剛力士像とか、めちゃめちゃ見どころのある仏像がたくさん。
そうですね。いろんな時代にまたがって仏像群があるっていうのが、うちの特徴の一つですね。
だから信仰の変遷が仏像で体験できるっていうかね。
ぜひね、会津新潟館の県境あたりなんですけど、
ぜひドライブついでね。
西会津町お願いします。
味噌ラーメンもおいしいです。
意外と味噌ラーメン。
会津では珍しい味噌ラーメン。
西会津で味噌ラーメン、ぜひ食べていただきたいです。
ぜひぜひ、これ聞いてくれてる方、会津来たときは鳥追観音まで足を伸ばしてくれたらなと思います。
いらしてください。
ということで、今日はこんな感じです。どうもありがとうございます。
ありがとうございました。
また来週お願いします。
リスナーとの交流
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