1. 耳で旅する週末-ミミタビ-
  2. #43 大人になっても旅(笑)を続..
2025-06-13 49:36

#43 大人になっても旅(笑)を続けるモチベーション ゲスト:松崎さん、長谷部くん④

友人の松崎さんと長谷部君のゲスト回、最後は雑談回です。

有給消化中に読む『明暗』/格好つけなくなる30代/ルーティン化と負のモチベーション/子育てと旅の傷/過去や憧れをなぞること/サラリーマンの旅(笑)/意外と難しい旅行の話


✈︎カバーアート
夏目漱石『明暗』


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耳で旅する週末-ミミタビ-
旅と旅行が好きなサラリーマン、Ryotaが、働くあなたの週末に、耳で楽しむ非日常のひとときをお届けします。毎週金曜日の18時更新、飲んだ帰りの電車の中で、ちょっとゆっくり過ごしたい土曜日の朝に、忙しい日常の合間に、耳から始まる物語を。

サマリー

このエピソードでは、長谷部さんと松崎さんが旅行へのモチベーションについて話し、特に青春18キップを使った青森旅行の経験を振り返っています。また、年齢とともに変わるモチベーションや移動の楽しさについても深掘りしています。さらに、松崎さんと長谷部さんは大人になっても旅を続けるモチベーションを語り、日常生活における健康管理や運動の必要性、子育てにおける子どもとの関わりについても考察しています。最終的には、旅を通じて成長する重要性が強調されています。ポッドキャストの中では、過去の経験が現在の旅行に与える影響や、旅行の意味が年齢とともに変わることが強調されています。また、旅を通じて得られる経験や思い出の重要性、モチベーションを高めるために旅の話を共有する価値についても語られています。

旅行の楽しみ方
耳で旅する週末-ミミタビ-のお時間です。この番組は、旅と旅行が好きなサラリーマン、Ryotaが、働くあなたの週末に耳で楽しむ非日常のひとときをお届けします。
音で、声で、耳で、次の休みに行きたくなる、そんなエピソードをお届けします。
Ryotaです。今日は、長谷部くんと松崎さんとの雑談会、第4回目。
はい、ということで、引き続き、長谷部くんと松崎さんと喋っていきます。よろしくお願いします。
長谷部です。よろしくお願いします。
松崎です。よろしくお願いいたします。
はい、ということで、前回は長谷部くんの去年の青森旅行ですね。
音を聞かせていただきまして、青森のひとり旅を振り返りました。
なんか、いいよね、音でさ、動画聞くとさ、動画を撮った瞬間があるわけじゃん、わざわざ。
そこをかぼっていくと、なんかこう、旅行の全体像が見えるというか、
なんか、こういう感じなんだな、こういう理由で旅行してるんだな、みたいな。
そこに行ったんだな、みたいなのが見えてきて、結構面白かったなって。
意識に撮ってるっちゃ撮ってるから、改めて撮った理由を考えるとちょっと面白いね、確かに。
僕結構感心したというか、素直にすごいなって思ったのが、
まあ単純かもしれないんですけど、室畑志向のところに行きたいっていうことで、
実際に青森まで行ってそれ見てくるっていう、この感じって、
僕だんだんできなくなってくるっていうか、できなくなってるかもしれないなって自分で思っていて、
しかもそのための手段が青春18キップ。
これはね、何て言うんだろうな、どんどんハードル積み上げた旅行だとちょっと思うんですよね。
で、青森のところまで行くっていうことで、なかなかの距離移動して、
合計3泊4日とか。
2泊3日かな。
2泊3日でっていうことで、わりと弾丸っちゃ弾丸な感じの旅行員もなってるわけで、行きも帰りも青春18。
帰りは新幹線。
帰りは新幹線ですよね、さすがにね。
いやでも、これをなんかやるのって、やっぱり僕自分自身を振り返ってみても、
もちろん行きたいところはあるし、見たいなって思うものはあるんですけど、
じゃあそのために移動1日かけてとか、ずっと電車乗り継いでとかっていうことに、
たぶん今の自分はなかなか気が向かないっていうのもあって、
そのあたりで、あ、長谷弁さんちゃんと行きたいところに行けてるってすごいなって思いましたね。
年齢とモチベーション
あれ、しかも中田志子は記念館で閉館したんだよね。
閉館した。
閉館前に行ったってことでしょ。
そうそう。
ま、寝るので、あ、これはっていうそういうのがあったよね。
30半ばになってくるとさ、やっぱモチベーション大変じゃない?維持するの、何をするにも。
なーって僕はそういう年齢に入ってきてるなと思ってて、で、ちょっとね、うちの奥さんが仕事を辞めたのね、最近。
で、仕事を辞めて有給消化してるときに、本を読んでて、何の本読んでるのかなってちらっと見たら、
夏目漱石の名案を読んでいて、
まあ夏目漱石最後の小説で未完の大作になってる500ページぐらいの小説なんだけど、
心とかぼっちゃんとかと比べるとそんな読みやすい小説ではないの。
え、今名案読めんの?みたいな。
あの、もちろん彼女も同じ年代なんだけど、
え、名案読めんの?みたいな感じになって、
俺読めないなと思って。
それ多分2ページぐらいしか読めないのって感じだよね。
でも今思うとさ、昔ってさ、何かやってるのがかっこいいと思って練習してるとか読むとか聞くとかあると思うのね。
例えばドストエフスキーとかもさ、ドストエフスキーを読んでる自分がちょっとかっこいいみたいなさ、
物があったら読めるなって、その20代のうちとかさ、あるし、
なんかギターとかもさ、ちょっとやっぱ単純にその楽器への興味よりもさ、
その楽器をやってる自分がかっこいいなとかさ、好きだなみたいな。
やっぱり大事だと思うのね。
なんかそういうのなくなってくるじゃん。
なくなってくるとさ、なんかかっこつけなくてもいいかなみたいな感じになっちゃうとさ、
だからどういうところでモチベーションを持っていくかなみたいなね。
でも今の話ってやっぱりその何かをすることによって新しい何者かになりたいみたいな、
ある種の成長願望だったり変身願望みたいな部分の話なのかなって思ったんですけど、
でも確かに今の自分がそういう願望持ってるかって言われたらいや特に持ってないなみたいなのは確かにあって、
モチベーションが何に対するモチベーションなのかなと今聞いてて思ったんだけど、
かといって仕事とかにすごいモチベーション持ってるかっていうとまたちょっとニュアンスが違うのかもしれないし、
なんていうのかな。
でもこれからね、人生まだ続いていく中で確かに何て言うかな、
何を目標にっていうかモチベーションにしてやっていくのかっていうのは急に分かんなくなってきたみたいなところはあるかもしれない。
なんかさっきのさ、はそび君の青春18期ってのさ、
20歳ぐらいだったらさ、ちょっとそういう旅行してる自分もいいなみたいなもんじゃん。
モチベーションあったなって思うんだけど、
例えばさ、深夜の高速バス乗ってる自分もさ、なんかまだ受け入れられるっていうかさ、
それもそれで楽しいなみたいな時代ってあると思う。
でもなんかさ、もう純粋に乗ってんじゃん、在来線の18キップさ、
十何時間かけて青森でさ、
移動手段として。
移動手段としてさ、なんかもっと家庭をちゃんと普通に楽しんでるんだろうなって。
どうなんだろう、現実的に安いとか、そういうところもあるよね。
まあ、初めてだったし、そういうあれがね。
あ、そうなんだ。
そうそう、18キップ初めて。
どうなんだろう。
どうなんだろうね。
分かんない、分かんない。それか、いまだにそれが僕あるか。
いや、まあ、でも俺もあるんだけど、もちろん。
もちろん俺もあるんだけど。
でもなんかその、今の話って、こう、もうちょっと年齢がね、若かった時って、
それこそやっぱ、ある意味自由なんだけど制限もされていたっていうか、
まあ特に所得とかね、お金のことで言うと、
まあそんなにお金とかも持ってないわけだから、
じゃあ移動手段もこれでとかってこうね、決めていくしかないっていうか、
行きたいところはあったとしても毎回新幹線で行ったわけにはいかないわけで、
まあそうなってくると制限されてるからこそ、
まあ逆にその制限されてる部分で楽しめるっていうか、
そういうのはこう逆に手段が増えることによってなくなってきたのかもしれない。
でもそう思ったさ、やっぱ制限されてるほうが楽しくなっちゃうよね。
楽しいってことの。
ちょっとやっぱ制限あるほうが自由で。
反発しみたいな、なんかそういうのってでも言うよね。
制限があるからこそその人の独創性がみたいな、
ちょっと違う話になっちゃうかもしれないけど。
でもそれがこうモチベーションになってくっていうのも、
まあでもあり得るのかな、やっぱり。
まあ同じモチベーションってほど交渉では全くないんですけど、
僕たまに月に1回くらいちょっと実家に帰って、
移動の意義
自分の自室で過ごして、
まあ実家のことをやったりとかするんですけど、
やっぱり結構楽しみなところがあって、
まあ単純に普段生活してて、
まあ普通に暮らして生きてるのであれなんですけど、
やっぱあの、いかに家族とはいえ家族から離れたいっていうのもすごい、
やっぱだんだんね、出てきたりするので、
そういう時に一人で実家に戻って自分の部屋とかにいると非常に落ち着くし、
なんかちょっとリフレッシュするっていうところもあって、
まあそれがなんていうんだろうな、自分の息抜きみたいなところにもなっているから、
まあモチベーションってほどのあれではないんですけど、
ただなんかそういうのなくなったらちょっと困るなっていうのもありますね。
そうなんだよね、なんかある意味その移動も息抜きじゃん。
うんうん、移動も息抜き。
うん、なんかあえてめんどくさい移動をするってのもさ、
ああ、まあ確かにそれをちょっと。
息抜きになってきてるなっていう気がしててさ。
うん、今までは手段でしかなかったものにちょっと意味が、意味を。
なんかさ、だってさ、昔は実家に自分の部屋にいるってさ、まあ落ち着くけどさ、
なんつーの、そこしか居場所がないから居るわけじゃん。
そうね、たぶんね。
でもあえてそこに行ってさ、まあ何するわけでもないわけじゃない、実家の自分の部屋でさ、
あとなんか電車とかもさ、在来線とかだとさ、やること限られるじゃん。
その場でやれること、俺結構移動好きだよね。
高速バスで東京行くとかさ、
新幹線でサクッと行くよりさ、なんか高速バスで移動してる時の時間ってさ、
やれることが限られるじゃない。
まあ寝るかもしれないし、なんか音楽聴くとかさ、イヤホンでね、
あとなんか本読むとかさ、あと漫画読むとかさ、
その時間って結構好きなんだよね。
逆にそういう時間、たとえば通勤で電車、今は。
今は車になっちゃうけど。
そう、ないけど、その必要がある時は、その時間が本読む時間になってたとか、
その時間あったからこそできてたことってあるんだよな、やっぱ。
あと俺最近思うのが、会社まで20分ぐらいなんだけど、車でね、
20分ぐらいなんだけど、英語の勉強してんのね。
音源流して、瞬間移作文でリピートとかするっていう。
普段、家だとめっちゃモチベーション上がんないよね。
わかる。
英語の勉強とかって結構ハードル高いのよ。
ふと英語の勉強するみたいになって。
でも車移動してる間の10何分って、なんか音聞きながらだけど、
まあなんかやりやすいんだよね。
そういう意味だと、なんか流れがモチベーション上がりやすいかもしんない。
ちょっとモチベーションの話に戻るんだけど、そうそう。
モチベーションなんていうものは、もはや僕らなくて、
やらざるを得ない。
そうそうそうそう。
僕しかないという。
なんか僕も今、はせべさんと同じことを思って、
もう自発的モチベーションって多分存在しなくて、
もうあとはモチベーションというよりは、
ある物事をやりたいとなった時に、
その環境をいかに作れるかっていうことなんだでしょうね。
ルーティン化すると仕組み化したり、
やらなきゃいけないことを。
でもそれを、なんていうんだろうな、
仕事のレベルだと、まあそれは別に業務っていうことだけど、
自分のプライベートでじゃあ、何したいかっていうかね、
例えば英語の勉強をするっていうのも、
なんかそれ自体が目的にはならないじゃないですか。
だから、なんで英語の勉強をするの?みたいなところもあるかもしれない。
なんでこの本を読むの?みたいなところで、
なんかどうなんでしょうね。
目的自体は純粋にこれやりたいみたいな、
そういう感じなんですか、皆さん。
でもやっぱね、もう一応僕観光業で生きてるけど、
やっぱ10年後、多分英語喋れてないと、
多分日本の観光業も厳しいなって。
去年表参道の鬼使大会行ったら、
表参道の鬼使大会行ったら、
もうみんな英語ベラベラなの。
日本のスタッフとかだし、
あと星野リゾートのご旦那のホテル泊まっても、
みんなスタッフも英語ベラベラで、
東京で多分観光とかにやってる人っても、
英語が喋れてないと、多分取得が変わってくるの。
お客さんが変わっちゃうからさ。
あれ見てると、いずれ福島もこうなるなみたいな、
危機感もあるので、
最低限ある程度できる状態にしておかないと、
っていう危機感もあるし、
もちろんまだ憧れもあるよ。
喋れるっていう憧れもあるし、みたいなのもあるし。
ただやっぱね、日々のモチベーションって結構きつくて。
かといって家でご飯食った後に、
おもろに英語の勉強開始できるかって言ったらさ、
厳しいよ。
やっぱそこに、出勤途中っていうルーティンにはめ込むしかないっていう。
なんかさ、ここまでの話だとさ、
若いうちってさ、憧れとかさ、
みたいな気持ちのモチベーションで、
何かをやるってことができるけど、
年取ってくるとルーティン化してはめ込んでいかないと。
そうですね。
気持ちはもう当てにならない。
わかりました。
そのことはわかった。
気持ちだけじゃ動けない。
なんかね、やっぱ強制、
モチベーションの維持
自分に強制性をみたいなのを持つ。
そうですよね。
残念だけど。
でも僕、なんかちょっと話あるかもしれないんですけど、
ランニングをね、定期的にやってて、
それ今1年半くらいやってるんですけど、
最初はね、もう純粋にね、お正月太りだったんですよ。
お正月太りをして、
あ、やばい、痩せなきゃって思って、
で、とりあえずランニングやるかみたいな感じでやったんですけど、
やっぱ最初ってほんと5キロくらい走るのもしんどいっていう感じで、
しかもなんか走ってるとだんだん腰痛くなってくるしみたいな感じでもらって、
でもなんかよくわかんないけど続けてたんですけど、
そしたら今は結構12キロくらいは走れるっていうか、
毎回走ってる感じになってて、
週2回くらいなんですけど、
でもこれも、これなんだろうな、自分ですごいモチベーション、
なんか今、何かやりたいみたいなモチベーションはそこまでないかもしんないんですけど、
こうはなりたくないみたいなモチベーションはちょっとあって、
あんまり太るのっていうのもあるし、健康的なものも含めて、
だから続けられてるっていうのもあるし、
あと走ってる間ひたすら動画見てるとかっていうのもあって、
動画を見てる?
走ってるっていうのも屋外じゃなくて、
ランニングマシーンで走ってるんですよ。
ランニングマシーンのところにタブレット置いて動画ずっと見ながら走ってるみたいな感じで、
でも結構これだと続けられるっていうか、
なってはいるんですよね。
自宅でってこと?
それは三島町で暮らしてて、
霧野里クラブっていうお風呂あるんですけど、
そこに町民が無料で使えるトレーニングルームみたいなのがあって、
そこにランニングマシーン何台か置いてあるんですけど、
一応外に行って走ってんの?
家の外に行って。
家の外に行って、その施設の屋内のところのランニングマシーン使って、
終わったら温泉入って帰るっていう。
最高。温泉入るとかさ、ちょっとモチベーションになるよね。
そうそう、そうかもしれない。
終わった後のご褒美じゃないけど、動機づけはあると思う。
それはあるな。
っていうのもあるな。
松崎さん、ちょっとシュッとしたよね。
そうですか?
って思ったんです。
やっぱりそういうことだった。
でもなんか、これはやってますね。
確かに最近会社の40代、40半ばぐらいの人見てると、
運動してる人は若いのね。
でもやっぱり40半ばだと、人によっては60歳ぐらいに見えちゃう人も出てくる。
そんなにも?
やっぱり30代ぐらいまでだったら、そこまで極端に若い吹き込むって差は出ないなと思うけど、
40代の人見てると、10歳以上のパッと見の体幹の年齢差が出てくるなと思ってて、
別に吹き込むのが悪いとかじゃないんだけど、
運動してるかしてないかってのは、
健康的な生活をしてるかしてないか、
やっぱり体には出てくるんだなって感じる。
なんかだんだん、同じようなことなのかもしれないんですけど、
なりたい自分よりもなりたくない自分のほうが、
逆にリアルなわけですよ、我々からすると。
もう、そっちのほうが近いわけで。
モチベーションが、そうだね。
そうなんですよ。
なりたい自分を追っかけてくんじゃなくて、
なりたくない自分から逃げていくっていう、この感じだと思う。
苦悩。
子育てと傷つく経験
苦悩、苦悩。
だから、プラスのモチベーションあんまり持ってない。
いいかもね。
ルーティン化するっていうのと、
なりたくない自分にならないように、
モチベーションにする。
いいかもね、確かに。あるな。
でもやっぱり、環境に規定されてるっていうのはすごくあると思うんですよね。
多分、今の生活のあり方って、
やっぱちょっとその、例えば仕事を退職したらとか、
そういうのになったら多分また変わってくだろうなっていうのもあるし、
こう、自分の望むところになるような環境に、
やっぱりどうやって見おけるかっていうところだったりするのかもしれないですね。
分かってくるよね。自分はこういう時は、
なんか、いけるなみたいな。
どれが気が出るか、どれが気が出るかみたいな。
これが結局、自分向いてないっていうか、続かないなとかっていうのはなんとなくこう。
なんかその、やりたいことってやっぱちょっと漠然としてる感じにどんどんなってるんですけど、
あんま思いつかないみたいな。やりたくないことはいくつも思いつくみたいな。
やりたくないことを、やりたくない自分。
そうそう、やりたく。
とにかくそういうのに注目。
やりたくないことをやらないようにするためにはどうすればいいかっていうことなんですかね。
完全に負のモチベーションになってますね。
ちょっとなんか話題変わるんですけど、松崎さんに子育ての話ちょっと聞きたいなと思ってて。
僕、お一個とか見てて思うんですけど、今お一個4、5歳ぐらいで、
すごい可愛がられてるですね。
やっぱ孫も少ないし、おじいちゃんおばあちゃんの世代でも。
周りのお子さんいる家庭見ててもすごい可愛がってるじゃん。
基本的に子供って傷つけちゃダメなものみたいになってて、
それが悪いとはもちろん思わないんだけど、
一人の接し方として、人への接し方としてそういうもんだよなと思う反面、
あまりにも可愛がられすぎて大人になっていくと、
どういうふうに社会で傷つくタイミングが迎えるのかなみたいな。
どっかで傷つくわけじゃん、いずれは。
それが訪れたときに傷つくタイミングで家庭の外で、
どういうふうに社会を受け入れていくのかなみたいに感じるときもある。
可愛い子には旅をさせろみたいなことわざじゃないけどあるじゃない、昔から。
あれってもしかしたらそういうことなのかなと思ってて、
可愛い子って可愛いって言われるからあまり傷つくタイミングがないじゃん。
困るタイミングもない、困る機会もないから旅をすることで困ったり傷つく場面に遭遇することで、
大人になるというか社会の中で何かを経験していくということわざなのかなと
ちょっとふと思ったりもしたのに。
松崎さんとかお子さんまだちっちゃいけどさ、どういうふうに感じるのかなって。
旅の意味と成長
どうなんでしょうね。でも、傷つくことって、
たぶんやっぱり本人の経験として、たぶん人と接することでしかなかなか傷つかないところもありますよね。
で、その人と接するっていうのがやっぱり親だけではないっていうか、
親だけだと帰って難しいのかもしれないんですけど、ある意味近すぎるところもありますし。
でもたぶん誰しもやっぱりある種の同級生とか学校生活とかを送る中で、
なかなかうまくいかないこととかもあったり、人間関係で悩んだりもして、
そういうことでうまく、致命的じゃない範囲で傷つくことを覚えるっていうのはやっぱり大事なことなんだろうなとは思いますけどね。
あとは、僕が結構悩ましいなと思っているのは、善悪の判断というか、善悪を教えることですかね。
つまりまだ何が良くて何が悪いかっていうものの経験則がないわけですから、
これからその経験として、これをしたら悪いことだとか、これは良いことだっていうことを繰り返し教えるというか、
親の反応でしているわけなんですけど。
それって具体的な行動として、例えば友達にひどいこと言うのは悪であるとか、
なんかちょっと手を出すのは悪であるっていう具体的な行動への善悪ってことですよね。
行為のやっぱり善悪とか良し悪しって、でもこれもやっぱりその時と場合とか相手によるみたいなものがあって、
例えば子供が親にじゃれつく感じでちょっと強めにギュってしてきたりとかするっていうのは、
親からしたら別に教養範囲ないんですけど、でもこれ同じことを同級生にやってもらったら困るわけですよ。
同級生とかそれより小さい子たちにね、下手すと首閉まっちゃうような感じになっちゃうんで。
だからそうなると、行為としては親にはやっていいかもしれないけど、他の子にはやっちゃいけないよとかって、
なかなか段階を踏むようになってくるっていうか、全部ダメっていうわけでもないじゃないですか。
他といって全部いいわけでもないし。
そのあたりの分別を一つ一つ教え込む作業っていうことをしない限り多分わかんないじゃないですか。
こういうのってやっぱりなかなか難しいなぁとも思いますし。
ただ、もちろん前提として親は子供のことを大体の場合において可愛がるっていう、
もちろんそれは絶対ではなくて、いろんな状況があって精神的にそういう愛情を持てないっていうこともあり得るので、
ちょっと難しいところではあるんですけど、
でも普段子供と接してて、たぶん可愛い4割くらい、むかつく6割くらいですかね。
むかつくいいですね。
大変だよね、きっとね。
うん、みたいなね。しかもやっぱりだんだん年齢も上がってくると、
もうあれですよ、悪いことしてこう、これダメなんだよって怒るじゃないですか。
絶対謝らないしみたいなことがなってくるし、なんならもう無視して別の遊び始めるしみたいなこととかもあって、
でもそれは悪いことなんだよってやっぱりやんなきゃいけないから、こっちは怒ったりもするわけでっていうね。
たぶんまあそういう感じのことをやっていくしかないところがありますよね。
なんかさ、まだ俺らがちっちゃいぐらいの時ってさ、叱ってくる知らない人ってまだギリギリいたりもすんじゃん。
親の友達とかもさ、なんかこう急に普通にどなって叱られるみたいなさ、
怒られる。
少なからざんじゃん。まあだいぶ減った時代だとは思うけど、見かけないじゃん今。
まあそういう人がいたら、ああああって思うだろうなと思うわ、僕が見たら。
なんかちょっとやばい人みたいな。
なんかちょっとね、そんな感じがあるね。
ただね、やっぱりそれこそ関係性って、なんか親が言っても響かないことってたくさんあるんで、
まあでもそれをね、学校の先生とかだったら言うこと聞いたりとかもあり得るかもしれないし、
なんかまあ難しいですけど、たぶんこれって今に始まった話じゃないって言えばいいんですかね。
子供育てる上でたぶんある程度どの時代でも同じようなものってあったわけで、
まあそれどう考えるのかっていうのもあれだし、
でもたぶん今ほど子供にたぶん親かまかけてない気がする。前の時ってもっと。
時間もかけてないってことですかね。
だし相手にしないっていうか。
だと思う。やっぱりでも今はだんだん少子化にもなってきて、
まあ子供をね、ある程度面倒見るっていう感じも強くなってるからなんともっていうのもあるんですけど、
なんかでも僕の同級生の友達なんかは、
すごいやっぱりアフリカ行ったりとかインド行ったりとかで旅行好きな人だったんですけど、
なかなか結婚して子供二人育ててるところではちょっとできないんだけど、
でもなんかやっぱ子供がもっと大人になって成長したら、
じゃあ一緒に旅行行けるかなとか、そういうのをモチベーションにしてるっていう感じの人もいますよ。
なんか前松崎さんと喋ってる時に、
ポッドキャストでこの番組で、旅と旅行の違いみたいなテーマで、
松崎さんが旅は疲れに行くもんだみたいな、旅行はリフレッシュに行くみたいな、
まあ結構いい定義だなと思ったの。
それだとさ、やっぱ旅ってどっか傷つきに行くとかさ、疲れるとかさ、なんかあるなと思ってて、
あるしそれを求めに行ってるみたいなさ。
なんかあの五木博之だったっけ?
青年は荒野を目指すっていう、
まあなんだ、ロシア経由でヨーロッパにことのジャズをする青年が旅する話なんですけど、
やっぱ旅は荒野を目指すっていうかね、
やっぱちょっとある種の不毛、てか厳しいところを目指すみたいなのがあると思いますね。
大人になるとさっきの息抜きみたいな話じゃないけど、
なんか普段の疲れを取りにバケーションでどこか行くっていう感じだけど、
やっぱりね、片谷長さんみたいに青森にね、青春18キップで明らかにこう疲れるので、
最後の村形高記念館が閉鎖する前にそこに行くっていうこの、これが旅ですよ。
乗り換えミスったらたどり着かないかもしれない。
危険がある。
でもやっぱなんか松崎さんが一人で小学校5年生で沖縄行くとかさ、
旅行の重要性
そういう企画なんだろうね、子供にそういうのさせるって。分かんないけど。
俺も昔確かに東京住んでた時、小学校の時東京住んでて、
やっぱ自分小学校5年生くらいの時福島の実家におじいちゃんのところに、
もうお兄ちゃんとだけど年後だったから、一回会ったりするけどさ、
やっぱそういうの大事だよね、実家に行かせるみたいな。
大事だよ、絶対それは。
でもなんだかんだこう子供の時に旅行をした記憶みたいなものってありますよね。
確かに。ちゃんと覚えてるもんな。
もちろんね、全部員の人が旅行好きとかではないと思うんですけど、
でもある程度今旅行とか旅とかもやってる人っていうのは、
子供の時の経験みたいなものちょっとあるんじゃないかなって気はしますけどね。
あれだってさ、親からしても一緒に行ったほうが楽なわけじゃん。
ね。心配する。
子供だけ行かせて変に心配したりさ、何かあったらどうしようっていう時間とかを考えたら、
たぶん一緒に行ったほうが楽ぐらいのイベントなわけだと思うんだよね、今思えば。
初めてのお使いみたいなもんですね。
そう、初めてのお使いみたいな。
でもまだスマホもないわけだからさ、当時は家庭を把握できないわけじゃん、途中を。
そういうイベントなんだろうな。
お二人はでもあれですか、本当に今のこの年齢でどこか旅に行きたいっていうのはありますか?
いや僕はもうずっと旅を続けてはいるんですけど、
なんかね、やっぱ何かをなぞってると思うのね、旅って。
自分のオリジナルからゼロから走ってるわけじゃなくて、自分がこれまで影響を受けたものの何かをなぞってるなと思ってて、
僕はやっぱ一番大きな深夜特急がすごい影響を受けてて、だから結構ユーラシアに行きたいな。
ちょっとずつ西に行っていくみたいなところがあるんだけど、
で、最近沢木孝太郎のエッセイを読んでて、沢木孝太郎が指摘されたことなんだけど、
なんか沢木孝太郎はその深夜特急の旅行、旅邸自体が転生献佑少年子説団をなぞってるっていう指摘を読みされたみたいで、
そこには確かに納得感があるみたいな。
転生献佑少年子説団って戦国時代にさ、ヨーロッパに行くんだよね。
なんかマンションみたいな。
あれって香港行ってマカオ行って、インドの南を通ってアフリカぐるっと回っていくんだけど、
深夜特急もある意味そこをバスで、飛行機とバスでなぞるんだよね。
香港行ってマカオとかシンガポールまで行って、今度インドのゴアとか行って、スペインとかを目指すっていうところで、
それは沢木孝太郎版の転生献佑少年子説団だみたいなところで、
よくよく振り返るとそういう研究をしてた教授からの学生時代に影響を受けてたみたいなのが、
無意識に働いてた可能性があるみたいなことを一切の中で喋ってるんだけど、
なんか自分も何かを、そういうのをなぞってるなっていう部分があるし、
ある程度年とってきて何かを続けるって、
消化できなかった憧れを消化する旅でもあるなとは思いながら旅をしてるなと思う。
過去の影響
もちろん今までの生活を一旦中断して、1年2年旅をしようとは全然思ってないけど、
自分の時間の中で仕事しながらというふうには最近思ったりはしてるんだよね。
だから別に、例えばこの先人生で5年10年旅をしない時期も出てくると思うんだけど、
それはそれでいいかなと思ってて、
またいずれどっかで再会すればいいかなぐらいの気持ちで。
西に向けて。
西に向けて、西まで1回終わったらまた考えようかなって。
アメリカの方行くかアフリカの方行くかは。
でも話聞いてて、確かに今の自分がやりたいことって、
今ちょっとなかなか思いつかないっていうか難しくなるんですけど、
過去の自分がやりたかったことっていうのは結構覚えてるなっていうのがあって、
それを確かに一つ一つやっていくとまた違う感じになるのかなって思いましたね。
確かに無意識ってわけではないのかもしれないですけど、
過去自分がこういうことをやりたかったみたいなこととか、
そういうのって結構やってるなって気はしましたね。
なんかすごい非禁な例ですけど、
例えば部屋にいい感じのスピーカーを置いてとか、
なんかね、気に入ってるパソコン置いてとか、
そういうのやってみたいな感じで。
ただやっぱりだんだん物質的なものを求めるっていうか、
物質的なものだけで終わってしまってるっていうところもあるんですけど、
でも過去に行きたかったところとか、やってたかったことみたいなものっていうのは、
今でもちょっと気になるは気になるところありますからね。
そういうのやってみることっていうか、それをやるっていうのも、
なんか一つのモチベーションの持ち方っていうか、
でもちょいちょいなんかそういうのあるんじゃないのかな。
結構なんか昔ハマってたおもちゃもう一回集めるとか。
20歳ぐらいの時ってさ、興味を広げに行くわけじゃん。
20代の時ってさ、知らないところに広げていくわけだけどさ、
そこがある程度固まってくるとさ、
新しいところに行くというかさ、
ここでまとまってきたところを深掘っていくみたいなさ、段階に入るわけじゃん。
でも俺はなんかこの深掘るのも今はすごく楽しいしいいなと思うんだけど、
人との交流
かといって全然興味関心のなかったところに行くっていう経験はもうだいぶ少なくなっちゃうなみたいな。
まあでもなんだろうな。
年齢の変化によって出てくるのって、
やっぱ過去の自分の、なんていうのかな、
そうっていうか、過去の自分の時間がどんどん長くなってくるわけだから、
まあ今だと36年分の自分がいるみたいな感じになってくるわけで、
今だけじゃないですね。やっぱり今の自分っていうだけで考えるんじゃなくて、
過去からの自分の流れの中でそのモチベーションとかも含めて考えられるようになっているのかもしれなくて、
逆に言うと今の自分っていうのが非常に弱いっていうかね、
今この時を全身全霊でやっていくぜみたいな、
まあだから、そこのあたりと折り合いをつけながら、
まあでも、なんか過去の自分も納得できるような形でなんかやれるといいのかなと思いますね。
なんかね、やっぱ年取っても旅をする理由みたいなのもあるんですけど、
やっぱり前回松崎さん喋ってた時にちょっと印象に残ったのが、
このだんだん旅をすると旅かっこ笑いみたいになるじゃないですかみたいな、
と話をしてて、やっぱ俺もその時代、なんかそういう気持ちってあったのね。
なんかさ、旅って若い頃にするもので、
どっかでさ、旅をするっていうか、
旅をするっていうか、
20歳後な時はさ、ロマンとかさ、旅をしてる自分に酔いし入れるみたいなものがなくなってきてさ、
20歳の時にさ、
20歳の時にさ、
20歳の時にさ、
20歳の時にさ、
20歳の時にさ、
20歳の時にさ、
20歳の時にさ、
旅をする自分に酔いし入れるみたいなものがなくなってきてさ、
それでも旅行とか旅とかをしていくモチベーションみたいなのが、
なんか結構その、僕はサラリーマンの旅だなと思ったんだけど。
でもそうかもしんないですね。
なんかやっぱでも、過去の自分の発見っていうか再会みたいなものって決して悪いことじゃないと思うんですよね。
やっぱその、ある種純粋にモチベーションって何か目標を持ってた時の自分って、やっぱ普段は思い出しもしないし、
ね、普段は毎日のことで暴殺されてってなるんですけど、
でも例えば旅で同じところへ行くことだって別に言い訳で、
いやそうなんだよね。
で、あの時と同じところに行って、ああ、あの時あんなこと考えてたなとか、
僕は今日はあれですよ、その昔の動画をちょっとやって、
ああ、この時本当になんかすごい、なんか世の中のこと知りたくてフィリピンに行ってたなみたいな、
っていうのをなんかちょっと思い出しましたよ。
昔行った場所に行きたくなる瞬間あるんだよね、もう一回。
まあなかなか行けないんだけど、でもそれはすごい思う。
なんか多分そうするともう一回風景の見え方変わってくるみたいなこともありえますよね。
そうなんだね。
どうですか、はじめくんは最近、なんか次どっか…
旅行のあれで言うと、それこそ奈良に。
ああ、そうなんだ。
来月か。
へえ。
でも奈良にお住まいだったことがありましたよね。
そうそう、それこそ昔行ったところに行きたいみたいな、そういうのもある。
人に会うのが目的なのか。
それもあるけど、でも奈良の場合は僕はなんかやっぱり、
なんかそこにいたいみたいな。
ああ、そうなんだ、どの辺に泊まるの?
えっと、それこそ奈良、なんだろう、奈良公園の近く。
あ、近鉄奈良辺り。
うん、のは最寄りの場所です。
ああ、そうなんだ。
どこ行こうと思ってんの?
まあ絶対したいこととしては、朝の奈良公園を散歩するっていうのは、
あと、展示がすごい面白いというか、国宝展。
ああ、そうなの?どこで行ってるんですか?
奈良の国立博物館ですか?
ああ、そうそうそうそう。
へえ。
やってるので、一応はそれが。
万博は行かないの?
万博は、あの、今回はいかないけど、行きます。
ああ、そうなんだ。
そうそうそう。
ならね。
うん。
でもいいよね、昔住んでた場所行くみたいな。
ねえ、それはいいよね、やっぱり。
なんかでも、こう今話してて、僕旅に行くんだったら絶対一人だなって思いました。
へえ。
やっぱこの、旅と旅行違うなって思ったときに、旅行はまあ家族でいいんですけど、
旅に誰かと一緒に行きたいとは思わないっていうか、やっぱ一人でなんかこう、ある意味自分に浸るために行きたいというか。
うん。
なんかやっぱいろんな、その場で起きたことの責任が自分にあるみたいな状況のほうが。
諦めを衰弾。
うん、そうそう。あとなんか、旅の醍醐味だなって思うんだよ。
うーん。でも結構大学生ぐらいのときからなんか、基本的に、まあ誰かと旅行ってそこまで好きじゃないっていうか、その、好きじゃないっていうか、その誰かと旅行行くときはもう目的が変わるっていう感じで。
ああ。
うん。なんかやっぱりその、旅で得るものって、なんか誰かといると分散されちゃう感じがするっていうか、
なんかその、全部一人で受け止めたいみたいなことを思ってた感じでしたね。
なんかそういう意味だと、さっきの橋引く直森の動画の孤独感、旅の醍醐味感あるよね。
うん、旅だよなあ。
孤独感。
あれほど旅ですよね。
いや、あの、今回これ、ポッドキャストでこの話してるわけじゃないですか。
で、たなべさんも沢木孝太郎とかの例を出しながら、あれが一つのそのなぞるモデルとなってっていうことは、
つまり他の人から聞いた旅の話を踏まえた上で、たぶん自分も旅をしてると思うんですよね。
だから、その旅の話、他の人の旅の話を聞くこと自体が、
自分の旅へのモチベーションみたいになることってあるのかなと思ったんですけど。
あるよね。
いや、俺はすごい好き、人の話聞くのも。
その中でやっぱり、今日も話しててね、旅の在り方みたいなものも結構違うっていうのもありますし、
なんかでも、他の人の話聞いて、やっぱり旅に行きたいっていうのは、
なんか、旅が持ってる魅力とか、旅の話をすること自体の楽しさみたいなものが、
きっとどっかで結構共通する部分として持ってるっていうことなんでしょうけどね。
なんかさ、結構旅の話って難しいと俺は思ってんのね。
うん。
旅行の話とか旅の話を人にするって結構俺難しいと思ってて、
人にするほうがね、聞くほうじゃなくてね。
何でかっていうと、ちょっと自慢っぽくなっちゃったりさ、
なんかちょっとマウントかけてる風にニュアンスになっちゃったり。
それは。
あとあまりにも、なんていうの、ガイドブック的だったらさ、話聞いてたら面白くないみたいにもなっちゃうし、
意外と結構難しいと思う。旅行や旅の思い出をするって。
そうかも。
うん。
で、どういうふうにしたら楽しく交流できるのかなみたいなところの一つが僕は音なの。
うんうんうん。
なんか意外とその音を聞いて深掘っていくとさ、
なんかその人のどういう旅行だったのかみたいな個別性みたいなのも見えてくるなと思うし、
旅の話の価値
なんかそんな嫌な感じないと思う。
うん。
なんかそこでさ、なんかマウントかけるような音とかって出しづらいんだよね、きっと。
ふふふ。
何なのね、また。これはって思うような音。
結構ね、これいいのかなって僕は思ってた、この喋り方ね、このエピソードの話し方みたいな。
うん。
だからね、結構そうだね、僕そのモチベーションの話で言うとさ、
まあ、ポッドキャスト最近始めてさ、まあモチベーション高いよね、わざわざさ。
高いよ。
ポッドキャスト始めるって。
でもなんかそこは、そうね、やっぱ旅の話とか、
なんかやっぱさ、さっき甲太郎がさ、小説に残すとかさ、旅行記みたいなさ、
まああるわけじゃん、その名作になっている旅行記みたいなのって。
でも現代はもう生まれないと思ってて、旅行記って、火星とか月にでも行かない限り。
もうこのSNS時代にさ、ヨロマール旅の旅行記みたいなのってなかなか生まれないなと思ってて、
でもそういうものをさ、なんか残していくっていうことの一つの語り口が、
どういうのがあるかなと思った時に、その音と一緒にエピソードを語るっていうのもいいなって。
まあ結構ね、そういうのがモチベーションになってるし、まあいろんな人の話を僕は聞きたいなって思ってるんだよね。
でもこう、旅の話ってしづらいっていうか、まあ旅の話をうまくするのって難しいんですけど、
ただ旅の話題を共有すること自体ってすごく手軽なコミュニケーションの手段っていうか、
僕結構父親と話をする時に旅行の話したりするんですよね。
で、父親が昔行ったことの話とか、で、それを自分も同じ場所に行ってたりしたら、
ああ、そこかみたいな話とかにもなったりして、なんかなんだかんだこうある程度、
まあそれこそね、歴史的にも旅をしてきた民族でもあるわけですから、
なんかこの旅をすること自体、で、その旅の話をすることっていうのは、
割とこう、歴史的にも現代的にもやってることの一つっていう非常に人間らしいっていうかね、
伊勢参りとかそういうのも含めてやってたわけですから、
だから、なんか旅のきっかけになりやすさっていうのはすごくあるんじゃないかなって思いますけどね。
耳旅の紹介
最近、星野リゾートの新しいホテルブランドがルーシーって言って、
イザベラバードがミドルネームルーシーなのかな?イザベラルーシーバードだったのかな?
イザベラバードはね、明治初期の冒険家っていうか、日本の、日本を口聞こうとかの作家だけど、
結構またイザベラバードがすごい取り上げられてるなって、
旅を通すことで見えるものみたいなのがあるのかな?みたいなコンセプトとしてね、取り上げられてたり。
ということで、また旅の音を、背景とかエピソードが見えてくるものがあれば、
ちょっとまたお話を聞かせて欲しいなと思うので、引き続きよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで、今日はこんな感じで、前4回かな、
あせびくんと松崎さんとの雑談会でした。
ありがとうございました。
ありがとうございます。ではまた、引き続き、また、なんだ、やりましょう。
はい、よろしくお願いします。では今日こんな感じです。
はい、お疲れ様です。
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