そこで国を作って、だんだんでかくなっていきますよね。
そしたらこのバガン王朝が建国して100年そこそこの時には仏教を国の宗教、国教にするくらいに仏教国になるんですよ。
急に出てきたような気がするかもしれないですけど、
国の統治をするのに仏教というツールが非常に都合が良かった。
そういうこと?
そういうことなんです。これね、実は古代の日本でも似たようなことは起こってるんですけど、
使い方もちろん違うんですけどね。
これはね、仏教の考え方の中にダルマっていう考え方が一つあるんですよ。
ダルマって法律の法で法っていう風に訳されることが多いんですけど、
これなかなかわかりにくいというか、特に西洋人の方々には本当にわかんない概念らしいんですけどね。
ダルマっていうのは宇宙の秩序を形成する道理とか道徳みたいな感覚。
宇宙ってこういう風な仕組みで動いてるよね。自然の節理だよねみたいなのがあって、
これを形成してる一定の法則というか力みたいなのが働いてるよねって。
それはこういう理屈だからこういうことが行われるとその理屈に合ってるよねみたいな考え方なんですよ。
これお釈迦様の言葉に置き換えると死生体ってさっき言いました、真理がありますよね。
この真理が宇宙というか世界そのもののことわり、仕組みというかロジックみたいなのが、
いわゆる世のことわり。
世のことわりってやつですね。それにたどり着いたらいいじゃないですか。
無理して逆らって変えていくよりも宇宙の真理に近づいて生きていく方がいいよねっていう考え方なんですよ。
ここにたどり着くための道徳とか考え方みたいのがあって、これをダルマって呼ぶらしいんですね。
それを総合してダルマと呼ぶんだよね。
これをさらに細分化したのが八小道という八つの正しい道って書くんですけど。
八小道って呼んでるってことね。
それはまたちょっと別の話なんですけど似たような概念なのかな。
そっちは下達に至る道筋、具体的な行動をこういうふうにしなさいよっていう決まり事なんですけど。
ダルマはもうちょっと大きい括りであって、ダルマを元に国を統治するとこの王様偉いなってことになりますよね。
国の法律とかも全部このダルマに沿って作ったらみんな従うじゃん。だって全員仏教徒なんだから。
王様である私が言っているのではなく、お釈迦様が提示された宇宙の理に従って国を統治してますよっていうと、乱れることがなく統一できますよね。
その統治方法として非常に都合が良かったっていう部分も、ちょっと汚い言い方ですけどある。
さっきの国教って国の教えの方?
そう、国の教えの方ね。
勢力範囲みたいなイメージ。
国の境目じゃなくて国の教えにするんですよ。
国の教えとして仏教の考え方をベースに作ったみたいな。
国の宗教。
国の宗教。
国家とか国旗ってあるじゃないですか。と同じように国の宗教っていうのがあるんですよ。
そうなんだ。
ローマ帝国がキリスト教を国教にしましたみたいな感じね。
ローマもそうなんだね。
途中からね。
途中からね。
だからローマカトリックって言われるんですけど、ちょっと話してみました。
このビルマパガン王朝も、うちの国は全員仏教、南方定座部です。大事派ですっていうふうに言うんですよ。
すごいね。
これはもちろんどこから影響を受けてるかというと、当然セイロン島から偉いお坊さん呼んできてね。
教えをこうってそういうふうにやっていく。
セイロン島ね。
この国家の統治にも使っていけるし、そもそもいいじゃんみたいな感じなんですね。
その時お坊さんってどういう立ち位置かっていうと、国の統治理念であるダルマを解いていく人じゃないですか。
伝える人。
お坊さんっていうのは修行僧もいますんで、ダルマを勉強して真理にたどり着こうとしてる人たちなんで、
非常に国家統治としてもありがたい存在でもあるんですよね。
しかも僧侶コミュニティみたいな、ネットワークみたいなのもあるんで。
だから統治をするにあたって国家統治理念とお坊さんが突き詰めていこうとしてる真理っていうのはイコールじゃないけど近いものがあるじゃないですか。
これをほぼイコールの状態のものをお坊さんたちが自分たちのネットワークを使って仏教をしたりするわけですよね。
王様から見るとほぼイコール国家統治理念を伝えてくれたと一緒なんですよ。
っていうふうに解釈すると厳密には多分違うと思うんですけど、そういうふうに解釈しておくと楽かなみたいな。
そういうね、なんとなくわかった。
なんとなくわかった。ちなみにね、話またバーンと一気に戻っちゃうんですけど、最初に出てきたマウリア朝のアショウカ王。
マウリア朝のアショウカ王。
インドとかあちこちに仏教を伝えまくった熱心な人ね。
そうね、お寺を作っちゃった人ね。
その人ね、各地に数千塔の仏塔を建ててるんですよ。
数千塔。
すげえ数の。
そんな数なんだね。
でもね、歴史書を見るとね、これ多分持ってるなとか書いてあるんですけど、でもかなりの数がね、
塔が石碑とかあるね、仏塔みたいなのが建てられてるんですって。
そこにはね、やっぱりこのダルマから伐採した言葉とかが書いてある。
リネが書いてある。
そうなんだ。
で、それを各地でそのリネを伝えるみたいなことを仏塔とか石碑によってやるんですって。
うーん。
足岡碑文っていって、石碑の文で足岡碑文って言うんですけど、これと同じような方法をこのパガン王朝でもやっていくみたいな感じですね。
へえ、そうなんだ。
で、これ先に言っちゃうと、実はこの現代のミャンマーですね、ここむちゃくちゃゴモの生産量高いんですよ。
ミャンマーが?
この後、このパガン王朝が頑張ったことによって、今現在ミャンマーはゴモの生産量世界第2位なんですよ。
え、ミャンマーってそんなに生産してるの?
そうなんです。
へえ。
入れ替えはもちろんあるんですけど、常に上位っていう感じなんですけどね。
その元を作ったのが実はこのパガン王朝時代。
一番初期からこの仏教というものを国境化することによってゴマが広がったと。
そうです。だいたい今から1000年くらい前の話ですよね。
このパガン王朝の歴代の王様は常にゴマの栽培を推奨し続けるという政策を取ってるんですよ。
この王朝自体200年以上あるんですけど、その間ずっとゴマ栽培の奨励をやってるんですよね。
そうなんだ。
結果長い長いでっかいエイヤワディ川っていうね、ミャンマーを流れる川があるんですよ、でっかい川が。
その周辺地域っていうのがもうね、すげえ一大ゴマ栽培地になってる。
まあ200年以上やってればそうなるか。
なので今でもその地域がイコールでゴマ栽培地域っていうことになってるんですよね。
まあ日本でお米ずっと残ってますか。
ああそうか。
なのかね。
そんな感じかな。
これちょっとここら辺がポイントなんじゃないかなっていう理由というか背景を軽くさらってみたんですけど、