1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #200(s23-7)仏教と共に歩む..
2023-10-27 38:22

#200(s23-7)仏教と共に歩む【前編】~国策としてのゴマ栽培(インド、スリランカ)~

【キーワード】

原始仏教 / 釈迦 / マウリア朝 / アショーカ王 / 根本分裂 / 部派仏教 / セイロン島(スリランカ) / 南方上座部 / アショーカ王の長男マヒンダ / アヌラーダプラ王国 / 大寺派 / インド 


▼合同オフ会「たべ農ざく」(締切延長11/9)

2023年11月19日(日) 

第0部  ~ 自由参加(国立科学博物館)

第1部  ~ オフ会(品川駅前@WIRED CAFE) 参加費:8000円(食事、ドリンク、プレゼント込)

■ 詳細:https://butubu-now.com/2023/10/03/tabenouzaku/

■ お申し込みフォーム:https://forms.gle/qfQ4YeHwGyDUwb3u9


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サマリー

たべ農作合同オフ会は11月19日に東京で開催されます。仏教の起こりや南伝仏教についての説明があり、ゴマの拡散についても話されます。インドで広まりを見せる仏教の歴史を語ります。マウリア朝の王様は仏教の教えに感銘を受け、国全体で仏教を広めることになりましたが、僧侶の数が増える中で問題も生じました。また、寄付や施設の送付など、熱心な信者たちの活動も行われました。仏教は定座仏系と大衆部に分かれ、その後に部派仏教として解釈がさらに分かれていきました。アショウカ王の長男マヒンダが派遣されてアヌラーダプラ王国にお寺を建立し、大寺派の仏教が発展しました。仏教と共に歩む【前編】~国策としてのゴマ栽培(インド、スリランカ)~では、仏教の三種の定肉について話され、ゴマ栽培の奨励にはビジネスの側面もある可能性があります。

たべ農作合同オフ会の開催
たべ農作事務局からのお知らせです。
2023年11月19日日曜日、
たべものラジオ、農と食のラボラジオ、
生物をざっくり紹介するラジオの3番組合同オフ会、
名付けてたべ農作を開催します。
会場は東京品川駅から徒歩3分の
ワイヤードカフェ・ダイニングラウンジウィング高輪店。
イベント開始は夕方5時。
公開収録やここでしか手に入らない限定グッズもご用意しています。
参加費は8000円となっています。
皆さまどうぞご参加ください。
なお、おまけの第0部では、
東京国立科学博物館で開催される和食店を鑑賞します。
参加ご希望の方は、
11時半にお昼ご飯を済ませてから現地にお集まりください。
たべ農作の詳細情報と参加表明は、
概要欄のGoogleフォームからお願いいたします。
締め切りは10月31日火曜日です。
皆さまのご参加、お待ちしています。
オフ会を開催しますという告知です。
11月19日日曜日、夕方17時から
東京にありますワイヤードカフェウィング高輪店、
場所は品川駅の駅前だったので調べたらね。
こちらの方でオフ会を行います。
今回は合同となっておりまして、
農と食のラボラジオさんと生物をざっくり紹介するラジオの仏作さんの
2番組と共同で開催いたします。
詳細は概要欄に記載しておりますので、
そちらをご覧いただければと思います。
サポーターさんもぜひ来ていただきたいですし、
別にそうでなくても興味のある方、たくさん来ていただけると確かでいますね。
昼間は東京にあります国立科学博物館で開催中の
特別展・和食の展示を
僕らと他2番組の方々と一緒に見に行きますので、
そちらの方は特に回避などありませんので、
来れる方はぜひ一緒に回ってみましょうということで、
またそちらもお知らせしておりますので、そちらもご覧ください。
一緒に行きたい方はぜひ一緒にわちゃわちゃしましょう。
日中からね。
はい。
ということで、本編の前に兄ちゃんから訂正があるということで。
訂正のコーナーですね。
間違っちゃいけないなって、これヤバそうだな、間違えそうだなっていうのがあると、
やってしまうことありません?
まあ今日はね、俺昼間腰痛くてまた痛めたから、
ちょっと横着してね、切り方を変えたんでね。
はいはい。
絶対これ指切るなと思ったら、あの女指切ってね。
気をつけたとこにやっぱり切ったんだよね、痛かった。
結構ざっくりやったからね。
これやっちゃうな、気をつけなきゃな、あーってふと気づくとやってるみたいな。
実はですね、前回配信分の収録した翌日の朝に、ふと気づきまして。
すごいタイミングで気づいてない?
朝かな、その前の晩かな。
ちょっとお酒飲んでて、ふわーっとして翌朝もぼーっとシャワー浴びたらですね、
あれ俺前回何て言ったっけ、
ウパニシャットのことウシャニパッドって言ってないかなってふと思い出したんですよ。
ウシャニパッド。
バラモン教が色々と変遷をしていく中で、
全部お祈りだけで救われるとかそういうんじゃなくて、
自分自身の精神性を高めていくといいよねみたいな、
そういう思想が出てきたよという話をしたと思うんですね。
その時に奥義みたいな感じでウパニシャットってのが出てきて、
それをもとにウパニシャット哲学っていうのが形成されていくと。
そんなような流れなんですけど、このウパニシャットを僕で原稿を書いてる時に、
なんか音的にウシャニパッドなのかウパニシャットなのかわけわかんなくなりそうやなーって思ってたんですよ。
したら間違った方で言ってたんじゃねえかなということを不意に思いついて、
確認したところやっぱり間違ってましたね。
やっちゃいけない方をやるっていうね。
結局どっちが正解なの?
ウパニシャット。これが正しいです。
台本に書き起こすときに間違えたんですもんね。
その時点で手書きで間違ってるんですよ。
全然気づかなかったけどね。
まあね初めて聞くことだからね。
初めて聞く方は間違って覚えちゃうといけないので、正しくはウパニシャットです。
ということで改めて訂正をいたします。
気づいた人の方が少ないと思うけどね。
いやーいるでしょ気づく方。
まあまあそれはねいると思うけど。
すいませんでした。
ということで今シリーズもね長くなりそうなんでどんどん本編に行きたいと思います。
仏教と南伝仏教
はいでは前回からの続きです。で今回は
仏教と共に歩む。
仏教と共に歩む。
前回の最後の方でですね、仏教が広まった地域がなぜかゴマの大生産地になってるよねっていうのがありますよと。
そういう話したと思うんですね。
なのでじゃあそもそもインドで発祥した仏教がどのように広がっていったのかっていうのを少し眺めながら
実際にゴマがどのように拡散していったのかっていうのをね見ていこうと思ったわけですよ。
で当初の予定では今回の収録で一気に中国までたどり着く予定でした。
そんなわけなかった。
シートでいくと3枚に分かれました。
1枚が3枚に分かれたってこと?
そういうことです。
めっちゃ分かれてるやん。
めっちゃ分かれました。
インドで始まったゴーダマシダールタさんのお釈迦様ですよが
インドで仏教っていうのが誕生しますよね。
そっから一気に中国行こうと思ったらいやいや仏教ってそもそも中国とごっちゃにするとダメだよね。
そもそもインドでの拡散の仕方がわかんないんで。
じゃあ分けようと思って2枚に1回分けたんですよ。
そしたら仏教の伝来って南の方に広がるこれ南伝仏教とか言うんですけどね。
あと北伝仏教って北の方に行く中国方面に行くのとこれ2派に分かれるんですよ。
これやっぱり一緒くたに混ぜちゃいけないやつだったので
今日は南伝仏教の方行きます。
南伝仏教。
南の方に伝わっていくやつですね。
海外旅行とか好きな方だとご存知の方多いと思うんですけど
例えばタイとかね。
タイとかインドネシアとかミャンマーとかあっちの方行くと
日本とは全く違うスタイルの仏教があるよって聞いたことあります?
仏教自体が日本以外だとだいぶ違うイメージだけど。
中国とか朝鮮半島とかってわりかし近いんですよ。
思想的にもね。
やっぱり日本は中国から仏教を受け取ってるっていうのもありますしね。
朝鮮からとかね。
あるんでやっぱ近いものがあるんですね。
ところがタイなんかだとジョーザブ仏教って言って
違うなんだ。
宗派というとまた語弊があるんだよな。
違うスタイルの仏教が伝わって広まってるんですよ。
名称でいくと今日本なんかに来てるのとか
中国にある仏教って大乗仏教。
大きい乗り物の大乗って書いて仏教。
大乗仏教っていうスタイルなんですね。
南側の方に伝わってると南アジアによく広がってるのは
ジョーザブ仏教って言われてます。
昔はね本なんかでも古いのを読むと
小乗仏教小さい乗るって書いて
小乗仏教って呼び習わされていた時代があるんですけど
これは大乗仏教の人たちが
下げ住む言い方別称として言ってたので
正しくはジョーザブ仏教なんですよね。
この辺もよくわかんないなっていうこともあると思うので
ざっくりですよ。
ざっくりと簡単に仏教についてお話をしてから
ゴマの話に入っていこうかなと思います。
仏教の起こりとジェータバーナ神
まず一番最初の仏教の起こりですね。
仏教の起こり。
階層というか。
誰か知ってますよね。
階層?空階?
それは日本に密教持ち込んだ人でしょ。
仏教といえば誰?
お釈迦様じゃない?
お釈迦様ですよ。
それ間違っちゃった。
形式名が出てこなくなっちゃった。
いいですよお釈迦様でもいいし
ブッダとか言われますけどね。
ブッダっていうのは正しくは
悟りを開いた人っていう意味なんで
釈迦っていう名前も釈迦族の人って意味なんで
また違うんですけど
名前だと読み方いろいろあるんですけど
ゴーダマシッダルダとかガウダマシッダルダとか
いろいろ表記ありますけどね。
名前はそういう方ですね。
この方が紀元前7世紀頃
620何年生まれなんで
ゴーダマシッダルダさんが
35歳の時に悟りを開かれましたと。
この人ねクシャトリアの出身なんですよ。
前回カースト制度の階級みたいなバラモンがいて
その後に王族であり武士階級であるクシャトリアがいて
その後に庶民がいて奴隷がいてみたいな話したじゃないですか。
この中でいくとクシャトリアから
王族階級の王子様です。
すっごい恵まれてるんだけど
なんか虚しくなってきて
俺出家する?つって出家するんですね。
なんか映画で聞いたことあるような展開だね。
たぶんねゴーダマさんがモデルじゃないかなと思いますけどね。
出家をしていろいろ修行するんですよ。
それもねバラモン教にのっとった
当然バラモン教の世界観ですからもともと。
バラモン教にのっとった修行をします。
でもなんか違うなってずっとこう
悩みを抱えながらというか
わかんねえなわかんねえなって言って
ある時ふと気がついて
これだっていうのを目覚めたのが仏教の起こりですね。
インドの北部の方ですね。
そこで5人の弟子とともに神を作って
そこを拠点に布教活動をしていくんですよ。
インドの北の方なんだね。
ジェータバーナ神というお寺を建ててね。
ジェータバーナ神。
もともとこの地域にお金持ちの長者とか言われるんだよね。
お金持ちの人がいて
その人がお釈迦様のお話を聞いたら
もう感動してしまって
私がお寺建てますと。
寄付ですよ寄付。
ここを拠点にやってくださいって
僕がお寺建てるんでって言って
もうそのまんま仏教徒熱心の仏教徒になっていくんですけど
ちょっと金持ちなんでできるじゃないですか。
そこの用意した土地っていうのが
もともとの持ち主が大大使。
だからそこの地域の王族の王子様が土地持ってたんですよ。
その王子様の名前がジェータさんって言って
その人の土地を買い取って
そこにお寺を建てたんで
ジェータバーナ神っていうらしいですよね。
名前ついたんだね。
このジェータバーナ神
これ日本語で読むと聞いたことあると思うんですけど
分かります?
聞いたことですか?
お釈迦様の一番最初に持ったお寺。
一番最初に持ったお寺?
これがジェータバーナ神なんですけど
マウリア朝の仏教普及
もちろんこれは中国を経由している間に漢字になって
日本語として今伝わってるんですよ。
偽音精舎。
偽音精舎あるね。
聞いたことありますよ。
兵家物語の冒頭ですよね。
偽音精舎の金の声。
乗車必須の理を表す。
あれの偽音精舎です。
あれってお寺の名前なの?
そうですよ。
ちなみに金ないですけどね。
偽音精舎に金はないんですけど。
ないの?
ないです。インドのこの辺りの地域
この時代に金を打ち鳴らすっていう文化ないんで。
中国辺りでできた文化らしいんですけど。
紀元前だしね。
紀元前600年代の話ですね。
そういうのでお釈迦様が
布教活動をされていくんですよ。
亡くなった後にバーッと広がったっていうのはもちろんあるんですけど
ご存知の時代からも
かなりいろんな方に伝わっていって
それが広まっていくっていう感じですね。
この時代は全部句伝。
句伝。
書き残された文字というのがないんですよ。
お経を読むとかってありますよね。
仏典っていう書籍がありますよね。
あれないんですね。
文字、いつから?
文字に書き起こされたのは
お釈迦様が入滅してから
200年くらい後。
そうなんだ。
らしいですよ。
時代はね、いろいろと書籍の中で
100年後とか200年後とか言われてるんですけど
少なくとも1世紀くらいの間は
全部句伝で伝わってる。
これ何でかっていうとね
お釈迦様は
弟子たちに教えを伝えるときに
その人に合わせて
お話をするんですよ。
これ、すげえ雑な例えをするとね
例えば料理人が
親方が調理師に
料理の仕方を教えとするじゃないですか。
この人は剥き物がちょっと苦手だけど
焼き物得意だよとか
煮物上手だけど
焼き物ちょっと下手だよとかなったら
下手なところをカバーしてあげる
ときの言い方
得意なところをより伸ばしてあげる言い方って
人それぞれ変わってくるじゃないですか。
そんな感じで教えっていうのは
人に合わせて変えてたらしいんですね。
これを文字に書き残すと
違う人が読んだときに
誤って伝わることがあるじゃないですか。
真理は真理として持ってるんですけど
伝えるときに
言い方をその人に合わせて
変えていたと
いうことがあるそうなんですね。
ブッダ、お釈迦様が
入末した後になって
弟子たちがいっぱい集まって
お釈迦様から直接教えを
聞くことができないので
私たちが聞いたお話を
みんなで持ち寄りましょう
って集めるんですよ。
そうすると一つの書物ができるじゃないですか。
いろんなバリエーションの
言い方があるんで、それを全部集約すると
こういうことだよね
っていうのを段々とまとめていくと
いう感じで伝わっていく
そうなんですね。
面白いですよね。
割と高等伝承式
らしいですね。
で、この
仏教が
一気にインド世界に広まった
タイミングがあります。
紀元前3世紀
紀元前3世紀
240何年
とか250年頃の話ですね。
なので
お釈迦様がいなくなってから
数百年経ってます。
マウリア朝という王朝が
インドにありました。
マウリア朝。
これね、前回言ったっけ
16大国って話したんでしたっけ
16大国
しましたね。
16大国って
ガンジス川のあたりに
16個のでかい国があって
そこがガチャガチャガチャガチャ戦いあって
そこでクシャトリアが
活躍したんだけど
あんまり認められなくて不満になったよみたいなあの時代ですよ。
っていう
16大国の時代に
出てきた国の一つ
それがマウリア朝なんですよね。
で、このマウリア朝が
なんと、今のインドの
南の端っこの先端部を除いて
全て
プラスアルファ、パキスタンとか
今のアフガニスタンとか
あっちの方まで半島を拡大していくと。
で、この
マウリア朝の3代目の
王様
3代目の王様に
アショウカっていう
王様がいるんですよ。
この人が
仏教の教えに
感銘を受けてですね
めちゃくちゃはまってくるんですよ。
これは
半島を拡大していく間に
いろんな民族と戦ったり
いろんな国と戦ったりしていくわけじゃないですか。
その時に結構ね
たくさんの人が亡くなるわけですよ。
法律15万人
入手するというか
ゲットした時に10万人死んじゃうと
殺しちゃうとか
あとは戦争で何十万人の方が亡くなってしまう。
で、その何十万人で
亡くなった方々の中には
すごく素晴らしい優秀な
バラモンとか聖人みたいな方も
一緒に亡くなってしまう。
これに痛く反省をしてですね
激凹みしたらしいんですよ。
そうなの?
領中梅に行ってるのに? 行ってるのに。
俺これはちょっと人の道としてどうなんだろう
っていうね。
もともとインドなんでバラモン教とか
その考え方自体もありますし
この時代当然
ウッパニシャットみたいな考え方もあるんで
いやちょっとな
俺はな
どうかと思うってふっと気づいて
その時に仏教に出会って
人の正しき道とは
これだ
人に対して優しく
接するべきだよねみたいな感じになって
本当恩情ある
王様に変わっていくんですよ。
この人がむちゃくちゃ
この仏教の教えに共感するので
これは素晴らしい
国の統治の方法は
全部この仏教の考えに沿ったものにしよう
この教えをもっと広めるんだ
って頑張るんですよ。
極端だね。
すごいんですね。
仏教に起営したらすぐ翌年には
聖地と呼ばれてるね
お釈迦様にゆかりのある土地を
自分で巡回をして学んで
僧侶から教えを受けたりして
自分の領土の各地に
仏塔ですね。
仏様の塔をいっぱい建てて
仏教活動するんです。
仏教活動も
自分の国内だけやっときゃいいものを
信者の活動と問題
この人ね
相当熱心なんでしょうね。
いろんな国に
施設を派遣するんです。
そこまでする?
隣の国とか行くんで
パキスタン通り越えて
アフガニスタン通り越えてペルシャ地域とかにも
普通に施設を送るんですよ。
ペルシャの方もね。
これいいっすよっつって。
自分の思いを
組んだお坊さん、僧侶に
施設になってもらって
あっちの方まで
西アジアとかあっちの方まで行ってもらう。
すげーっすよね。
相当金あったね。
まあね、インドは
豊かだったんですよ。
この時代あれですからね
インドって貿易で
めちゃくちゃ潤ってますし
前回お話ありましたけど
農業大国なんで。
それがさらにギリシャ世界とか
ローマとかアフリカとかに
送られていくわけじゃないですか。
どんどん儲かってる状態なんでね。
ああ、そっかそっか。
逆に
金なんかもらってもしょうがねーなぐらい
儲かってましたから。
そういうね。
すごい国だったんですよね。
で、インド全土
この当時で言ったら
マウリア朝の全部に
仏教が隅々まで行き渡るじゃないですか。
すごい人数になりますよね。
そうだね。
いろいろと問題が出てくるんですよ。
問題。
僧侶の数も相当増えてきますので
そうすると
考えの相違みたいなことがどうしても
発生するんですね。
元々この原始仏教
初めの頃の
考え方だと
お坊さんたちの食料というのは
卓発によってのみ得る。
卓発?
たまに見かけません?
道端にお坊さん立っててさ
チリーンチリーンって
鈴鳴らしながら
お経読んだりしてて
鉢持っててそこに寄付ですよね。
もらうような感じ。
お金をもらうんじゃなくて
基本的に食べ物をいただく。
そうなんだ。
そういう活動なんですよ。もともとね。
でも
国が豊かになってきたりとか
信者さんも
別に出家信者だけじゃなくて
普通に家で庶民の生活をしている
在家信者さんとかも出てくるので
熱心な方は
もっと施したい、もっと寄付をしたい
という気持ちになってくるんですよね。
そうすると一部の方が
卓発に行った時に金とか銀をね
そこに入れてくるわけですよ。
金とか銀を入れる。
そう。でも
僧侶の増加と煩悩の問題
仏教のもともとのお釈迦様の時代の
考え方でいくと
八聖堂とかね
いろいろそういう
戒律というか、正しい道はこういうもんだよ
みたいなのがあるんですけど
その中に煩悩はやっぱり
断ち切らなきゃいけないんですよね。
四聖体とかっていうので
法治の時に
一緒に昭和するお経の中にも
四聖体って出てくるんだけどさ。
そうなの?
記憶にないよね。この間あなた一緒に
読んでるんですけど
なんかね、誰との中にちょうど
あった記憶はあるよ。
死体とか四聖体とか
これ四つの基本となる
心理なんですよね。
この世は迷いの原因は全部が
苦しいから始まるよ。
苦しみの原因は基本的には
煩悩とか執着から起こるんだよ
みたいなことが書いてあるんですよ。
この煩悩の象徴みたいなもん
なんじゃないですか。金とか銀とかっていうのは。
だから基本的に
受け取らない方がいいっていうことになってるんですよ。
もともとね。
なんだけど、もう時代がさ
だいぶ違うわけじゃないですか。
お釈迦様の時代から
かれこれ400年とか経ってるわけですよ。
明らか時代
違いますよね。
一部の人たちは、いやいや
そうは言っても、在家信者さんたちの
気持ちじゃない。
だから、いただくものはもらうというよりは
その方々のお気持ちをね
仏教の分裂と派閥
無限にするのはよろしくないよね
っていうので、金銀受け取ったらどうかね
っていう人たちが出てきます。
一方で
お釈迦様の時代から
言われてることをそんなに簡単に曲げちゃダメだ
っていう反対派が出てきますね。
柔軟に
現代に合わせようって言ったのが
割と大多数というか
多数派だったんです。
もっとちゃんと守んなきゃ
ダメだって言ったのは老子とかね。
上の方にいる人たち。
上の方にいる人たちなので
上座部。神座と書いて
上座ですから。
受け取らない方がいいよね
っていう派閥の人たちのことを
上座部と言います。
で、
受け取ってもいいんじゃないの?
現代風に解釈直してもいいんじゃないの?
っていう柔軟で
柔らかい人ってやっぱ若い人が多いので
こっちが大衆部。
大衆と書いて大衆と読みますね。
大衆なんだこれ。
これ大衆部っていうので分かれていきます。
この分かれる事情のことを
歴史の教科書的には根本分裂。
根本的に分裂する。
そう。ここで大きく分裂しますよね。
で、この後ですね。
これまたね、
全部アショーカ王の治世の時代に
全部起こるんですけど、
その後にですね、さらに分裂するんです。
さらに分裂するんだ。
全部で20くらいの派閥みたいなのに
分かれていくんですよね。
だいぶ細かいね。
これ部派仏教って言って
部派ですね。
部派仏教って言うんですけど、
数百年経っているので
解釈がどんどん
分かれていくんですよ。
同じ定座部の中でも、
この解釈はこっちじゃねえな、こっちがいいんじゃねえかとか。
いやいやこの解釈は僕はこのように
見えるんだけどっていうので
論争になったりするわけですよ。
そうすると同じ意見の人たち同士で
固まってグループ作っていく。
当然これは大衆部の中でも
いくつかに分かれたし、定座部の中にも
いくつも分かれて、みんな真面目なんで
一生懸命仏典の研究はしてるんですよね。
解釈が違うから
僕らはこう解釈しますよっていうので
解釈書を作ってくるんですよ。
アショウカ王とアヌラーダプラ王国
これが独自の教義。
この宗派における教義
みたいな感じになっていくと。
おしえなんだ。
おしえを
訳したような。
もともと句伝だし、
しかも人に合わせて
相手に合わせて言い方を変える
みたいになっていたり
例え話が多かったりするんで
それのお釈迦様の本当の意味はこうじゃねえか
みたいな解釈の場から絶対出ますよね。
そうなんだ。
それで論争が出てきて
20近くの、説によって
18だったり20だったりってあるんですけど
分かれていきますと。
これがインドというか
マウリア町の半島全体に
いろいろ散らばっているという状態
になります。
地域差も多少
あるらしいんですけど
南の方は割と
定座仏系の武派仏教が
割と優勢。
南の方は違うのよ。
定座仏系なんだね。
真ん中あたりは半々くらいで
北の方も
割といろいろと混雑しているんですけど
若干定座仏系が強い
みたいな。
そういう勢力関係になってた
そうなんですね。
ここから
マウリア町の外についに
仏教が伝わってくるんですよ。
これは
自然に伝わってた部分もあるんですけど
やっぱり
アショウカ王が派遣した施設によって
そのままスポンって
伝わるやつがあるんですね。
このアショウカ王が
あなたのところも仏教どうですか
いいですよって言って
はいそうですねって受け取った
ところは基本定座仏系になります。
そういうことね。
なんでかっていうと
根本分裂が起きたときね
定座仏と大主仏に
別れたときそのときに
アショウカ王はお前らやめれ
って話をしてます。
諌めてるんですよ。もう別れるとか
そういうこと考えんなと。
ちゃんと今まで通り行こうぜ
って言ってるんですよ。
王様自身は。
大主仏とか
新しいこととかやるんじゃなくて
俺は元々の原始仏教
ですね。お釈迦様の
教えにすごく感銘を受けてるんだから
それ変えるなっていうので
みんな定座仏で行こうぜって話をしてる人なんですよ。
アショウカ王自身が。
そうなんだ。
なのでアショウカ王が派遣した施設が
伝える仏教ってのは基本的に定座仏になります。
でこれに
大寺派の発展
ものすごく強く反応した国があるんですよ。
それが
アヌラーダプラ王国
読みづら。
アヌラーダプラ王国。
これセイロン島。
セイロン島聞いたことあるね。
インドのすぐ右下に大きい島あるじゃないですか。
ちっちゃくないですよね。インドと
比べると小さく見えるんですけどそこそこ大きいんですけどね。
今のスリランカ。
あそこに
当時3つぐらいの国に分かれてるんですけど
その中で全体を統治していた
最有力の国がアヌラーダプラ王国
っていうのがあるんですよ。
でこの王様の
ところに使わされた施設
というのがこれまた大物が
行くんですよ結構。
アショウカ王の
長男。
長男?
長男マヒンダを送り込みます。
王子が行くの?
びっくりしたんだけど
王子様なんだから
別に王族のままでいりゃいいじゃないですか。
この王子様はね
二十歳の時に出家するんですよ。
出家するの?
お坊さんになっちゃう。
それもお釈迦様みたいに
ちげーは俺出家する?
そういう感じじゃないんですよね。
なぜなら
アショウカ王が
お前出家したらどうだって進めてんの。
後継者どうすんだって話だけど。
確かに圧がすごそうだけど。
これで出家をします。
長男もすごく純粋な方なんで
わかりました。
でお師匠さんのとこに
弟子入りするんですよ。
やっぱね王様の子供ですから
王子様ですから
長男の方で
アショウカ王の仏教における
師匠が
長男の師匠になります。
あーそういうことね。
だから俺の師匠さんすごいから
お前も俺の師匠さんの元について
山蔵を学びなさいみたいな。
で出家をするわけですよ。
アショウカ王は出家してないもんね。
うん。起家して学んでる感じ
なんですけどね。
長男マヒンダは完全にお坊さんになりますね。
この人が
アヌラーダプラ王国に
派遣されます。
したらもうね
アヌラーダプラ王国の王様が
感銘を受けちゃうんですよね。
そうなの?
伝説はどっかの山の上で
会合みたいにして
お話を受けたらその場で出家する
っていうか起家するみたいな
ことになってるんですけど
そこでもう完全にはまってしまうので
このアヌラーダプラ王国の王様は
お寺建てるんですよ。
お寺建てるんだ。
でっかい寺を建てる。ここを拠点にして
この仏教を受け入れて
この国でもやっていきましょうみたいな。
はまっていくんですよね。
そうなんだ。
大寺って大きい寺って大寺
って言うんですけど
これなんで大寺って言ってるかっていうと
定座部仏教の中でも大寺派っていうのがあるんですよ。
大寺派?
武派仏教がもう一個できるようなイメージですね。
ここでその大寺派の
定座部仏教っていうのが確立していきます。
今お話ししてる時代からすると
すっごい先の話なんですけど
将来的にインドっていうのは
仏教国ではなくなるわけじゃないですか。
ほとんど現在
貧図教が一番多いような状態になりますよね。
インドの中の
定座部仏教っていうのは
基本的に無産して消えてしまうんですよ。
そうなんだ。
なので最終的に現在残っている
定座部仏教の原点になっているのは
このアヌラーダプラ王国の
時に作られた
大寺における大寺派。
これが現在残っている
定座部仏教の原点になります。
それ以外はみんな消えちゃったんで。
へー。
今残っているのは大寺派しかないですよ
みたいな感じね。
スリランカに行ったらまだある?
あります。あそこも超絶仏教国なんで。
そうなんだ。
ここでですね
正論党っていうのは
元々前回お話しした通りですけど
アフリカ大陸から
直接熱帯型のゴマは
届いていたんですよ。
アフリカ側から届いていた。
これは船で普通に
海を渡ってやってきていたんですね。
特に南側はね。
前回ちょっと
おさらいなんですけど北の方は
ペルシア地方から温帯型が来てます。
南の方は海を経由して
アフリカ東部から
直接熱帯型が入ってます。
どっちが強いかってですね。
どっちが強いか。
寒い地域で
育つゴマか
熱い地域で育つゴマか。
熱帯型が
南の方に入ってきてるんですけど
当然正論党ってのはさらに南ですから
ここにも熱帯型が
元々来てたんですよ。
正論党ってそもそも熱帯性機構なんで
温帯型よりも熱帯型の方が
相性がいいわけですよね。
そうだよね。
ここに元々
あったゴマが
アヌラダプラ王国が
大仏教国になったことで
一気に加速してゴマの生産量が
上がっていくんですよ。
これなんでかって言うと
国策として王様がゴマの栽培を
奨励するんですね。
そうなの?
そうなんですよ。
元々仏教においては
今の日本とはちょっと違くて
そこまで厳しく
肉食を禁止していないんですね。
バラモン教に対する反発から
無駄な摂取をやめましょう
ということになってるんですけど
摂取自体ダメってことになってるんですけど
でも実際は
卓発で回るんで
肉とか入ってきちゃうこともあるんですよ。
それを
食べちゃいけないとは
仏教の三種の定肉
別にお釈迦様方にも言ってないですね。
前回その話
チラッと。
だってしょうがないじゃないですか。
お気持ちなんで。
その代わりこういうパターンは
ダメだよねっていうのがあって
僧侶が食べるために
わざわざ殺している
摂取をしているところを見てないよ
とか
僧侶のためにわざわざ摂取をした
今日あたり
お坊さんが卓発にやってきそうだから
そのために摂取をした
料理を作って
そうですよと言って卓発に渡す。
これもダメです。
この2つが
ダメだからこの2つじゃないよ
ということが間違いないよっていうことが
分かってる。正しいよ。
だから見てないし聞いてないし
その2つのことにしても一切の
疑いがないっていうのを三種の定肉
っていう正常の定肉
って書くんですけど
三種の定肉
正常の定
定家とか
その定ですね。
こういうのは別にいいよだから
自分たちが普段の食事の中で
例えば鶏を潰して
料理にしましたよって余っちゃいました。
たまたま
僧侶が来たんで卓発に
渡します。これはまあいいでしょうと
いうような感じなんでそこまで
肉食をダメだっていうふうには
言ってないです。
むしろお釈迦様は
肉を食べて生草と
言うのならばもっと大事なことがあるから
そっちちゃんと優先しなさいみたいなことを
言ってたそうです。
原始仏教の世界ではね。
なんですけど
言ってもねみなさん新人深いので
そんなにほら
肉を渡すので三種の定肉
がどうかってやるとめんどいじゃないですか。
なんでやめとこって
なりますよね。
そしたら植物性
油脂がすごく重要になってくるので
油を摂取するのに
ゴマがだんだんと重要度を
増していくっていうそういう流れですかね。
ビジネスの側面もあるゴマ栽培の奨励
こっちの場合は
ゴマが神聖なもの
では全くなくて
ただ大体肉として
肉あんまり食べれないから
その代わりに使うみたいな。
それもまあむちゃくちゃ
それを頑張ろうっていう感じではないんですけどね。
まあまあいいよね
ぐらいの感じ。
たまたま国に届いてたから
っていう話か。
あとお寺が
たくさんできていくので
お寺で明かりをつけるときに
ゴマ油がいいよねとか。
ごま栽培自体は簡単だもんね。
っていうような感じでいろいろと
ゴマの活用って幅広いですからね。
これちょっと僕の想像なんですけど
国策としての
ゴマ栽培の奨励ってことは
ビジネスっぽい部分もあるんじゃないかな
っていうふうに思ってます。
ビジネス向け?
っていうのもね
先ほどちょっと申し上げましたけど
インドエリア、インド近辺から
東南アジアってスパイスの貿易
っていうのをすでにやってるんですよ。
紀元前200何年つったら
もうやってるんですね。
その話前回あったね。
このスパイスの
貿易がどんな風な流れか
というのをざっくり言うとですね
インドの西海岸の
港だったりとか
西の方のインダス川の河口とかが
その港になっていて
そこからメソポタミア方面とか
ローマ方面に送られていくんですけど
ここに集める
スパイスっていうのは
その国内のスパイスもそこの港に
集まるんですけど
実はこのセイロン島だったり
後で紹介しますけど
東南アジアの他の国、インドネシアとかね
の方のスパイスも
1回インドに集めて
インドから出荷するみたいな流れなんですよ。
まああの辺の
貿易機構として使われるんですか。
そうですそうです。集約所みたいになっていくんですね。
このセイロン島っていうのは
シナモンの原産地なんですよ。
シナモンって
セイロン島がメイン?
そう、そこが出発点なんですね。
だから割と
今のインドに向けても
わーっと
シナモンを送っていたとか
他だとね、マルク諸島
モロッカ諸島とも言われますけど
そこがクローブとかナツメグの
生産地だったのもあって、それもやっぱり
インドに行ってからヨーロッパ、アフリカに行くみたいな
感じだったので、その前例を
知ってるとゴマいっぱい作って
売っても儲かるじゃないですか。
そういう発想も
ゼロじゃないのかな、みたいな。
確かにそれはあるかも。
そんなイメージがちょっと僕はしてますけどね。
で、このセイロン島が
南方定座部の一大拠点として
どんどんどんどん拡大していく
強行になっていくわけですよね。
長すぎたので
次回です。
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