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たべものの世界を探求する、たべものラジオ
たべものの世界を探求する、たべものラジオの掛茶料理むとう、むとうたくろうと、そして
むとうたろうです。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、食べ物の知られざる世界を、ちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
ということで、今回は
フグです。
フグですか。
はい、フグ行きます。
やっと来ました。
やっと来ましたね。これは、うちのお店のお客様からもご要望がありまして、
リスナーの方々にちゃんと紹介をしてないんで、申し訳ないんですけど、
もともと、掛茶料理むとうという店は、フグを専門に販売をしていた時期がありまして、うちの看板メニューの一つですよね。
で、このラジオをやっているのに、なぜフグをやらんのかと。
まあ、そう言われてもしょうがないね。
そうね。何やったっけ?味噌汁と胡椒とお茶?米。
米。全然関係ないからね。
かすりもしてないね。
ギリギリお茶がくらいかな。
そうですね。なんでいい加減にフグをやろうかなと。
ということで、あんまりこう歴史的に面白いところってのは、そうたくさんはないんですけど、
これ文化としてね、フグをこんなに長く食べ続けてる民族もそうたくさんはないかな。
そうなんだ。
はい。というのも、毒のある魚ですからね。
普通に考えたらあれですよ。明らかにこのキノコは毒を持っています。
食べますか?
食べない。
ですよね。で、現代は解明されてるからいいですけど、解明される前どうします?
解明される前は食べないんじゃない?
あなただったらどうしますか?怖いですよね。
普通に考えれば怖いよね。
でもみんな食べてきてるんですよ。ずーっと。
すごいね。
なんなんこの命がけ。
そこまでして食べたかったのかね。
改めて考えると意味わからんと思いましてね。
我々日本人はいつからフグを食べているのかと。
いつから?そこから行きますか?
行きますよ。
これで今までのシリーズの中で一番古くまで遡った回になるかもしれない。
一瞬ですよ。一瞬。
一瞬。
過去回も結構戻ってるやつはあったよ。
変なとこ行きましたからね。
じゃあ本編行きましょうか。
命がけ魅惑の食べ物フグ
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命がけ魅惑の食べ物フグということでもうタイトルが命がけ入ってますけど。
もうねフグの話をするにあたって本当は料理屋ですのでおいしいよこんな食べ方あるよという話を中心にしたいわけですが
どうしても毒というキーワードが前に出てきてしまうわけですよ。
毒はみんな気になるところだからね。
血脂量1ミリグラムですからね。
少ないよね。かなり。
生産過利の850倍の強さを持ってますので。
だいぶ危険です。
だいぶ危険です。
このフグを日本人はいつから食べているか。
いつから。
はい。いつだと思いますか。
いつから。もうだって冒頭で過去一古いって言っちゃってるからね。
そうですね。
紀元前くらい。
紀元前くらいざっくり来たね。
紀元前千年くらい。
紀元前千年つまり今から3000年くらい前と。
惜しい。
惜しいんだ。
6000年前です。
倍プッシュ。
倍いった。
縄文時代です。
縄文時代。
縄文時代の遺跡千葉県の遺跡かな。
うば貝山貝塚というところがあるんですって。
ここからフグの子骨。子骨っていうのは歯の骨ですね。
歯の骨が出てきていると。
貝塚っていうのは生活から出たゴミを捨てる場所ですからね。
貝だったりとか魚の骨なんかがあってそこからフグの子骨がたくさん発見されているそうです。
たくさん。
しかも今うば貝山貝塚の話しましたけどここ以外の遺跡からも出てるので。
そこだけじゃないんだ。
みたいですよ。
縄文時代はいろんなところで普通に食べられていたらしいと。
ちなみにこのうば貝山貝塚がちょっと有名になったのが
なんと家族全員フグ中毒死をした事故現場。
すごいニュースになりそうなタイトルだけど。
そうですね。成人男女各2名と子供1名の骨が住居跡から発掘されていると。
ここに一緒にフグの骨が出てきていてどうやら彼らはフグを食していたとの疑いがかかっていると。
だいぶ危険な話だね。
食中毒事件の保存現場ですよ。
まさか遺跡にもなったんだね。
なっちゃってる。
最近の話らしいんだけど、別の違う時代の遺跡からもフグが発見されていて。
ここから発見されたフグが今のフグと同じ種類なのか。
フグ家なのかフグ族なのかっていうのが微妙で認定はされてないんだけど。
この遺跡というのが旧石器時代の遺跡なんです。
旧石器時代。
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毛皮着て石の音でガチャガチャやってる時代ですよ。
そんな時から?
およそ2万年前です。
もう3000年霞むわ。
ここなんかやってるとずいぶんダラダラしちゃうんでちょっと行きますね。
もしかしたらなんですけどここ10年くらいでフグ毒が随分と解明されてきていて。
そのメカニズムを考慮に入れるともしかしたらこの時代のフグは毒性が弱かったかもしくは無毒だった可能性もなくはないよねっていう話も出てるそうですね。
その頃は違う可能性があるんだ。
可能性があるという話です。
この理論がどういうことかっていうのはまた後ほどお話をします。
食べ方はもうわかんないです普通に。
縄文時代なんで煮るとか茹でるとかいうくらいなもんでしょう。
焼くっていう技術はもうちょっと後の話みたいで。
当然味付けもしてないし。
単純に美味しく食べてたんでしょうね。
次にフグが登場するのは随分と時代が飛びます。
平安時代です。
だいぶ近くなった。
というのも平安時代くらいまでいかないと文字がない。
文献が残っていない。
遺跡の次は文字しかないんで。
文字でフグが紹介されたのが平安時代のちょっと前くらいかな奈良時代正確には。
本草和名とかいう本があるんですね。
これは草木の名前の和名を並べた辞典みたいなやつですね。
あと和名類上書っていうこれも辞書ですよ和語の辞書。
これが918年と930年に出版されている書籍なんですけど
ここにフクという文字がもう出てますね。
フクないしはフクベと表記されてる。
漢字が全然違うんですよ。
川豚じゃないんですね。
当然ひらがなはないんでひらがなでもないんですけど
布日差しでフク。
布日差し。
フクベの方は布日差し閉じる。
ドアを閉じるのを閉じるですね。
これでフクベと記されていた。
多分これ文字当て字だと思いますよ。
元々日本語古い時代の大和言葉は文字がないけど音だけあったんですよ。
フクっていう言葉自体もおそらく
付き合い長いですから縄文時代からあるんで
フクって呼んでたんだと思われます。
これを文字に起こす時に中国から輸入した漢字を当てたら
当て字で書くしかないということだったようです。
フクの呼び名の語源に関しては
いくつか由来の説があるんですけど
山田言葉では膨らむものとか膨らんだ状態っていうのを表す言葉で
フクっていうのが使われてたらしいんですよ。
他にもフクが付く言葉だと
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フクロ、フクラハギ、フクヨカ、フクレル
っていうのと同じルーツとして
フクという言葉が使われていたんじゃないか。
なんかしっくりくるよね。
なんとなくね、なるほどねって納得感がありますね。
なんかフクちょっと膨らんでくるもんね。
膨らんでくるっていうかお腹ブヨブヨしてるしね。
英科いったら基本的に膨らんだ英科きますからね普通は。
もう一つの説が吹き出すとかいう意味のフクね。
息を吹くとかが語源じゃねえかっていう説もあって
餌を取る時に海底の砂に水をプーって吹きかけて
舞い上がらせるっていうような習性があるからだって。
そんなことするんだ。
うん、らしいよ。
俺も生きてるとかあんま見たことないからさ知らないんだけど。
ただこれ平安時代とかそれ以前の話だからね。
そんな生態を見て名前つけるかね。
まあ確かにね。
まあ普通に考えると膨らむから来たんじゃねえかなっていう。
なんかそっちのほうがしっくりするけどね。
個人的にはそっちが有力かな。納得できるかなと思います。
はい。
ちなみに現代ではフグといえば漢字どう書けますか?
川に豚。
そう。山水の川に豚ですよね。
これどういう意味かわかります?川ですよ。海じゃないんだって。
確かにね。そう言われてみると川には住んでないじゃんね。
豚はわかるね。丸いから。
なるほどね。
なるほどなんか形を言ってんのかなと思うんだけど。
これね、実は川にいるんですよ。
いるの?
いるんです。
フグの種類って結構たくさんいるので、地域、日本以外の地域も含めれば
普通に淡水のフグとか、あと気水域に多くいるんで。
気水域ならまだわかるかも。
そういう意味で川が使われてたんですけど、
当然ながらこの川豚っていうのは中国の言葉なんですね。単語自体が。
あ、そうなんだ。
当然中国にもフグがいたということになるんですけど、
いた場所というのが黄河とか羊すこうとか。
川か。
日本の川よりもはるかにでかいですけど、
ああいう川にフグがいたらしいんです。
今でもわかってるのが真フグの種類で目フグっていうのがいるんですけど、
これじゃないかなと。これ淡水系のフグなんですよ。
淡水系のフグなんだ。
だから川という字が使われてる。
両方大丈夫みたいですけどね。海の方でも生きていけるようなタイプのフグらしいんですけど。
ああ、そうなんだね。
で、豚。これで、今アタカが言ってくれたように
豚のように膨らんでいるからっていう説ももちろんあります。
あと鳴き声が豚っぽい。
ああ、鳴き声ね。
でも陸上に出したときの声しか知らないけど。
ああ、あれです。
ああ、やっぱそれなんだ。
それを聞いてピーピーピーって鳴くじゃないですか。
そう、鳴く。
あれが豚っぽい。ピーピーって。
豚っぽいからだっていうのがもう一つの説で、
あとおいしいからっていうのも豚の字が当てられてる理由ですって。
ああ、そういう理由。
古代の中国では豚っていうのは上等なもの、
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おいしいものっていう認識がすごく強くて。
陸上の豚に負けないぐらい川に生きているものということで
川豚っていうのも説としてある。
ああ、そういうね。
まあそれもそれでありだよね。
どれも納得感はどれをとってもはいそうですねって言いたくなるかもしれないですね。
で、この川豚を日本語でフグと呼んでるのは普通考えたらおかしいですよこれ。
まあ、フグどっから来た?
どっから来たみたいになるじゃないですか。
これね、英語に置き換えて現代の韓国で考えるとわかるんですけど
例えば本のこと英語でなんて言います?
ブック。
ブックですよね。
アルファベットで書いて読み方、本って書いてるようなものなんですよ。
無理矢理だね。
かなり無理矢理ですね。
なので日本語で表記されてるのはこれ江戸時代によく使われてた漢字なんですけど
魚へんにね腹の右側のやつ、腹という感じの右側のもの
というのを書いてフグと。
まあこれはもう見たままですね。
魚とお腹のつくりがつけられてるんだよな。
お腹が膨らんでるのかなみたいなイメージなんですけど
微妙にややこしいのがこの漢字ってフグだけじゃなくて
あわびを意味することもあるんですよ。
あわび?
はい。
あわびの字なんだ。
現代人は使わないですよ。
あわびって言ったら魚へんに包むですので使わないですけど
当時は魚へんに腹と書いてあわびを意味してたらしいんです。
割と一般的に使われてたみたいな。
ああそうなんだ。
これねどこまで本当か知らないけど
面白いエピソードが出てきて
江戸時代のお医者さんがある男の人に
病の療養のために食事制限をせよと。
そしたら先生、俺額がないんで食べれるもののリストくださいよって
うんわかった書いてやるって言って
書いたものの中にこの魚へんに腹という字が書いてあったんですよ。
先生はこれあわびのつもりで書いたんですよね。
そしたらこの男の人は
これ食っていいんだやったーっつって
フグ食べたら中毒で死んじゃったっていう。
洒落になんないけどね。
洒落になんないですけどね。
これどこまで本当か知らないけど。
全然わかんないです。漢字に関してはこんな感じですね。
これいろいろ調べてもね
フグに関しての文献は平安時代あたりはもうこれで終わり。
終わりなんだ。
次出てくるのは戦国時代。
だいぶ後だね。
ないんですよ文献が。
困る。今回マジ困ったから。
フグね。他のことで調べても何にも出てこないよね。
フグという項目だけでまとめられた書籍っていうのはほとんどなくてですね。
逆にフグ読とかね。そういう学術書はあるんですよ。
フグの食文化についてまとめられた本っていうのは結構少ない。
やっとあったと思ったら昭和以降のね。現代のものだったりするので
あっちこっち探る羽目になりました。
だいぶ苦労してたもんね。
ストーリー短い割にはだいぶ苦労しました。
ちょっと有名な話で戦国時代の話ですね。
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文禄の駅って言ってもわかんないか。朝鮮出兵キーワード覚えてますか。
お味噌汁の回で出てきましたね。
出てきた。
豊臣秀吉が日本軍総出で朝鮮に向かって攻めていくと。
九州に行ったやつだね。
戦国91年8月佐賀県唐津市に集結するというところですね。
ここでまたフグの話が出てくるんですけど。
先に結論言っちゃうとここで起こった事故をきっかけに豊臣秀吉が
腹食禁止令を出すんですよ。
お前らフグ食うんじゃねえと。
何かっていうとちょっと時代背景からいきますね。
豊臣秀吉が日本全国を統一した後ですね。朝鮮に向かって出兵をします。
この時佐賀県唐津市という何にもない野っ腹にどのぐらいの人数が集まったか。
遭遇20万から30万。
かなり多いね。
かなり大きいですね。
これが全国各地の大名が呼び集められるんですよ。
有名どころでいくと徳川家康、前田利家、植杉陰勝、毛利てるもと、伊達正宗。
ほらミソの時に出てきた人たちですね。
あと浮北秀家、小西幸永とか石田三成はもちろんいますしね。
黒田長政、黒田寛兵衛の息子ですよ。
記憶にありますか?
しょうがないですね。
加藤清政、鍋島直重とか。
数え上げるとキリがない。
日本中のトップクラスの代名たちが大集結をしています。
この人たちが全員海渡るわけじゃないんですね。
ちょっと諸説があって20万から30万という幅があるんですけど、
仮に少ない方の20万だとして、海渡るのは10万から15万程度。
残りの5万人は残るんですよ。
前線基地としてね。
ここにね、唐津のところに名古屋城という城を築城するんです。
唐津に名古屋城?
名古屋城。字が違うんですけどね。
名前の名に守るで屋根の屋。古いじゃなくて。
字が違うんですけどここに名古屋城を築いて、そこに駐屯兵として駐在する。
家康なんかもここに駐屯する組にいますね。
ここ、今でこそ町ですけど、何もないんです。
何もない?
何もないんです。
男ばっかりうわーっているんですよ。
どうする?
どうする?
まず集合後って言われてから、第一陣出兵するまで約1ヶ月ありますから。
一番最初に着いた人たち、どうします?1ヶ月か。
何もすることないね。
何もすることないでしょ。
暇だね。
第一陣が行った後も駐屯兵たち、5万から10万人いますよ。
どうします?半年間。
半年か。
パーっとしてるしかないじゃないですか。
楽しみないんですよ。
色々仕事はあるんでしょうけど、唯一の楽しみが食べるしかないんですね。
なんかよくある話だね。食しか楽しみがないって。
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よくありますよね。
その辺の地物を食べるんですけど、町遠いんですねこの頃。
まともな町じゃないんでここは。
すると地元の人たち、一応水戸として雇った地元の人とか農民とかがいますんで、
その人たちから食を教わって食べたりとか、持ってきた味噌で料理をして食べるわけですよ。
その持ってきた味噌で調理をした魚の中にフグがいたんですよ。
いたんだ。
うまってなって。当たらなかったでしょうね初めの頃は。
これが噂が広まって、一気に5万人くらいの人たちがフグ食べるんですね。
広がったね。
しかもフグの調理技術のない時代に。
肝なんかめちゃくちゃうまかったらしくて。
バンバン食うんですよ。どうなるか。
もう船乗る前に死ぬんです。
すごい想像した未来だね。
やばいですよね。
秀吉総軍司令としては、お前ら攻めに行って戦って死ぬならまだしも。
もう船乗る前に死ぬんじゃねえよと。
びっくりだよね大将も。
びっくりですよ。
ふざけるなっていうことでフグが禁止になります。
まあ当たり前だよね。
当たり前のことなんですけど、こういう理由でフグ食が禁止になるんですよね。
これが実は豊臣家が倒れて徳川家の時代、つまり江戸時代ですね。
江戸幕府の時代になってもこの禁止令は残るんですよ。
そうなんだ。
理由は一緒です。
武士っていうのはお殿様に命を預けるというか尽くすことを本文としているので、
そういう理由じゃないところで勝手にうまいからっていう理由でフグを食べて、
娯楽のために死ぬのはけしからんというそういう論法ですね。
娯楽だよね食で。
別にフグ食べなくても人間生きていけますから。
楽しみのために死ぬのはけしからんということで、
祝に捧げるべき武士の命を過論じた罪というのが確定されて、
幕府から各藩に取締りをせよという命令が出ます。
特に厳しかったのが長州藩。
山口県ですよ。
相当人死んだんでしょうね。
ここ相当厳しくって、誰か一人がフグ毒中毒で死んだ場合、
本人は死んじゃってるんで罰しようがないんですけど、
その家族労働が全員お家断絶。
断絶されるの?
断絶。そして軽く没収。
息子とかが行ったとしてももうその時点で武士の身分剥奪みたいな。
相当重い罪だね。
だいぶ厳しいですね。
それから終わり犯。
今の愛知県の名古屋城近辺ですね。
ここにはちゃんと明文化した法律が定められてましたね。
盗賊のほか押し置きを定め。
盗賊を捕まえたらこういう押し置きをするよっていう定めがあって、
盗賊以外の奴はこういう押し置きをするよっていう刑罰法が書いてあるんですよ。
21:01
フグの売り買いを行ったら処罰する。
漁師が取って売ったり、それを購入して販売したり、
購入したものは押し込め5日。
押し込めっていうのはもう自宅遊兵ですね。
一切外界とのやりとりも断絶の状態で5日間。
もし買ったとかじゃなくてもらっちゃった人、これ3日間。
だから武士だけじゃなくて一般庶民も終わり犯では禁止されてました。
ちゃんとしてたんだね、そこは。
これは文で残ってるのが終わり犯ぐらいしか今残ってないよっていうだけのことで、
全国的にこういう傾向であったみたいな。
まあ一応危険な食べ物として認知されてたんだね。
そうですね、死んでますからたくさん。
まあこの時代だったら日常茶飯に死んでるんだろうね。
だと思いますよ。
ちなみに一応補足で言っとくと江戸時代、爆犯体制って言いますけど、
感覚としては現場の法律を司っているのは藩の側なんですね。
藩の側?
そう、今日本だと日本政府が法律決めて全国統一で取り締まりをするじゃないですか。
はいはい。
この単位が藩だってことなんですよ。
ああいわゆる今の県条例ぐらいの。
県条例、感覚に近いのはアメリカ合衆国に近いですね。
週ごとに法律違うじゃないですか。あんな感じです。
ああそういうことなんだ。
で大方針は大元ワシントンDCにあたる江戸幕府がこうしなさいよっていうのを出す。
もちろん直接出す憲法に準ずるような法律もあるんですけど、
そういうスタイルなんで各藩ごとに取り締まりのスタイルが若干違うということですね。
この刑法がずっと続いて幕末までずっと残るんですよ。
へえ。
でやっと日本人が人目をはばからずにフグを食べられるようになったのは1888年。
明治21年です。
ああ明治入ってから。
だから1500年代後半から1800年代後半なので約300年間法律で禁止です。
へえそんなに間が空いたんだね。
だいぶそうなんですよ。
でこれを食べたらダメだぞって言われてるのに日本人はずっとしっかりとフグ食べてる。
言うこと聞きゃしない。
まあでもおいしいものは背に腹はかえられるんじゃないけど、
命に変えても食べたいものって過去はあったよね。
ありましたね。ありましたね。
これ今回さもう汚毒ですからね。
そうなんだよね。
目の前で友達とか死んでってるわけですから。
すげえな。
でも人体実験じゃないけど多分言い伝えでずっとここは大丈夫みたいな話もきっとあったんだと思うけどね。
もしかしたらあったかもしれない。
江戸時代後期にはフグの研究をまとめた本みたいなのが出版されたりはしてますね。
ただ現代の科学からすると全然違うこと書いたりはもちろんしちゃうんですけど。
だいぶ危なかった。
結構危ないですね。
24:01
江戸時代禁止されてるにもかかわらずどうやって食べてたのかっていうのがあんまり細かいところ残ってますけど断片的にあったので集めました。
まず禁止されてるから表だってフグ食うぞ。よし今日フグ食いに行こうぜ言えないわけですよ。
それはまあ難しいね。
やばいですよね。なのでインゴが生まれます。
インゴね。
でたでたインゴ。
好きだね。
これ有名なやつですね鉄砲。
鉄砲ね。
鉄砲のチリ鍋でてっちり。
じゃあなぜ鉄砲と呼ばれるようになったかこれ知ってますか。
撃たれたら死ぬ。
撃たれたらフグは撃ちはしませんけど弾に当たると死ぬ。
弾に当たると死ぬね。
弾にという稀にという意味の弾に毒に当たると死んでしまうという意味から。
だじゃれじゃん。
そうなんですよだからあれですよ鉄砲と掛けましてフグと溶きますその心は弾に当たると死にます。
ここのドドイツの目をね。
全然笑えないけどね。
ちょっと洒落がきてるね。
これ意外にもいろんな呼び名があって長崎県の島原地方がんばと呼んだらしいです。
がんば?がんば?
意味わかんないですよね。僕も全然わからなかったですけどこの地域では漢方家のことをがんばこって言ってたらしいですね。
これががんばこを用意してでも食べたい。
そっちね。入る可能性じゃなくて用意してでも食べると。
命がけでも食べたいって言っちゃってる。これ縮めてがんば。
また誰か洒落た人が言ったんだろうね。
あと瀬戸内海地方は名古屋フグ。
瀬戸内海で名古屋フグ。
今でも方言で言われてるんですけどなしフグとかひがんフグのことを指して名古屋フグって地方名が残ってるんですよ。
この名古屋の語源がちょっと面白くて毒にあたれば身の終わり。
身の終わりですよ。
身の。
身の終わり。
終わり。
終わりといえば?
名古屋?
はい。だから名古屋フグっていう。
だいぶひねったね。
ちょっと言葉遊びとしては面白いですね。
あとあなたがいた高知県北枕。
北枕。
もう完全に詩を連想しますよね。
ちなみに北枕というフグいますけどね。
そうだっけこれ。
手元の講習テキスト見ていただくと北枕って確か出てきたと思いますよ。
はい毒フグに北枕というフグいますね。
あーいたいたいた。
リスナーの方全然わかんないと思いますけど今写真見てます。
そうそうそう。
以下に僕らのフグの免許持ってるとはいえ
毒フグを生でお目にかかる機会はほぼないので。
それどこで上がるやつだっけ。
これどこでしょうね。
書いてない?
本州中部以南の太平洋。
おー。露骨に毒フグの顔してるけどね。
間違いないですよね。
27:00
高知県沖で普通に撮れるんでしょうね。
皮剥ぎみたいな形してます。
北枕。どれ撮ってもだいたいね、
毒というか詩を連想する言葉ばっかりなんですよ。
何にもあれだね。なんかおいしそうな名前はなかったね。
ないですね。
ただね、僕はこれを読んでいて調べていて面白いなと思ったのが、
毒とか詩を遊びとして捉えてるんですよ。
なんだろう、滑稽話とか落語のようなね。
滑稽話でこんな毒のあるもの食べちゃって俺たちへへへみたいな。
なんかそういうね、面白さを少しニュアンスとして含めてるあたりが
江戸の庶民の明るさを感じられて面白いなと思いましたね。
ちなみにちょっとポジティブ系の因語が一個だけあってですね。
これ千葉県長志地方。長志って醤油とかで有名なあそこですね。
ここは富。
富って富の方?
そう、富を築くとかね。豊かになる方ですね。
これは昔宝くじのことを富くじって言ってたんですよ。
聞いたことないですか?
聞いたことないですか?
なんとなく聞いたことは今言われてみれば。
富くじのように稀にしか当たらない。
そっちね。
結局当たるんですけど、当たったら死ぬようじゃなくて、
たまにしか当たんないから大丈夫じゃねっていう。
宝くじって早々当たんないからね。
そういうことですね。
こういうちょっとだけポジティブ系で言ってる人も地域もありましたね。
ポジティブってポジション意見。ダメっちゃダメだよ結局ね。
そうですね。名前ついででフグの部位にも言葉遊び隠れてますよね。
もう我々二人では当たり前になってますけど、トウトウミという部位がありますね。
ある。
これ正式名称トウトウミですから。
これフグって皮が3枚に分かれるんですね。
一番外側がてっぴ。一番身のとこにくっついてるのが身にくっついてる皮っていう意味でミカワ。
で、ミカワの隣がトウトウミなんですよ。
感じで書くと身の皮って書くんですけど音がミカワじゃないですか。
出た出た言葉遊び。
ミカワの国の隣の国はトウトウミの国ですから。
そんな理由。
ここ僕らがいる静岡県かけがわ市浜松市とかねトウトウミの国ですよね。
そんな理由です。
それでここの名前ついちゃったんだ。
これ正式名称です。アホやねほんと。
言われてみれば覚えやすいけど意味わかんないからね。
意味わかんないですね。多分知らない人はなんでトウトウミかなと思いながら見てるでしょうね。
だと思うよ。
さて江戸時代にフグに関する俳句や戦流がたくさん残ってます。
有名なところちょこちょこっと言っておきますね。
松尾芭蕉1644年から94年なんで割と初期の頃ですね。
元禄時代に生きた人。松尾芭蕉知ってますよね。俳句を作った人ですね。
あらなんともなきや昨日は過ぎて福戸汁。
うん?どういう意味?
これね福戸汁っていうのはフグ汁のこと言ってるんですね。
30:01
であらなんともなくてよかったな。昨日フグ汁を食べてビクビクしていたけど過ぎてよかったっていう。
安心の句だ。
安心の句。この人ねフグのこと否定的でビビってるんですよ。
だからもう一つフグに関して違う句を読んでいて。
フグ汁やタイもあるのに無分別。
タイという美味しい魚があるのにわざわざフグ汁なんか食べてアホやないかと。
相当危険視してるよね。
そうですね。この方は結構真面目な方なので。
まあでも世間一般からしたらそれが当たり前の反応な気もするけどね。
常識人はそうなりますよね。
これ一方で同じ俳句で有名な小林一佐。100年ぐらい後ですけどこの人真逆のこと言います。
この小林一佐は50歳になって初めてフグの味知るんですね。
50にてフグの味を知るよかな。
自分でもう言ってることが50でフグデビューだぜって言ってるんですよ。
もうそのまんまドストレート。
あとねフグ食わぬ奴には見せな富士の山。
フグを食べる勇気もない奴は富士山は見る資格もないと。
日本一うまい魚を食う勇気もない奴が日本一の富士山を語るなと。
ずいぶん大きく出たね。
相当ねフグ好きだったらしい。
はまったね。
この方49歳で初婚。もともとは山奥の出の人なんですけどずっと江戸で暮らしていましたね。
馬匠はどっちかというと伊賀の農民出身なんだけど刀持ってもいいって言われてったような力のある農家の人なんですね。
その後に侍大将に仕えてとかって武士に仕えて立診していく感じなので割と真面目な武人に近いような感覚を持ったのが松尾馬匠ですね。
江戸文化として玄禄文化ってなりますね。
この時代っていうのは庶民のことを描いた物語とかがすごく多いんですけどどちらかというと武士側の人たちが庶民を見て描いてる。
城塗りだとかね俳句だとかそういう感性を持ってる人なんですけど小林一佐の時代になるとこれ家政文化という時代になってガチの庶民文化なんですよ。
庶民が庶民による庶民のための芸能を楽しむというちょっと脅落的なわーっていう感じの時代感なんですね。
小林一佐は実家長野県の柏原ってところで生まれるんですけどもう15歳くらいで江戸に出ちゃうんです。
江戸に出て日当ロードとかやりながら俳句をどんどん作って俺は後々俳句で生きていくんだ俳句のプロになるんだみたいなチャレンジ精神でねやっていくんですよ。
武人で真面目な場所とチャレンジ精神旺盛で今で言うベンチャーですよね。
そういう感じで生きている一佐の違いね。
もう俳句に対する見方が全然違うみたいな。
33:01
まあそうだけど一佐49で初婚?
はい。
50で食ったんだよね俳句。
やばい奴だって結婚してから死にそうなものを食べてんだよ。
そうですね。
奥さん溜まったもんじゃないぞ。
はい。
そのタイミングで。
これ多分周りの人たち食べてた時代なんじゃないかな。
もう庶民が食文化が花開いちゃっていて、
もう寿司が誕生してから100年近く経ってる頃なんでね。
だから江戸の人たちはいろんなものを食べるようになってたと思うんですよ。
場所の時代とは違うんですよね。
するとその遊びとかノリの世界で一佐はフグを食べる。
ちょっとチャレンジしても人最近死んでないしいいかなっていう時代なのかもね。
そうですね。
時代背景的には世の中を舎に構えてみるみたいなのが流行ってる時代なんですね。
ちょっと周りを小馬鹿にしながら楽しむみたいな。
この時代に出てきた芸能で有名なのが実験者一句の東海道中ひざくり芸。
この頃なんだ。
そう。八重山北さんとかね。
千流っていうもの自体もこの時に生まれてますね。
基本皮肉ですから千流って。
あ、そうなんだ。
あとは浮世絵。浮世絵なんかも読んで字のごとくですよ。
世の中の風情を描いた絵ですから。
同時に春画、ポルノですね。
ああいうのも流行ってくるのがこの時代。
ずいぶん変わった時代なんだね。
そうなんですね。
元禄の頃とはだいぶ違ってきた時代感もあって
食文化に対する意識も少しずつ変わってきた頃かなという風な推察が成り立ちますかね。
ここでめちゃくちゃみんなフグ食べるんですよ。
結局そういう時代で協楽的ってのは明日のことを知らないで
今日楽しけばいいよみたいな生き方をしています。
酔い越しの手には持たねえっていう江戸っ子気質の時代ですよね。
バンバンフグ食べるんで当然バンバン人多くなってくるんですね。
これを見たお医者さんたちは焦るんですよ。
お医者さんってのは武士とか僧侶みたいなそういう感覚の方々なんで
けしからんとなって
かやえんたんというお医者さんが出てくるんですけど
この方が日本最古のフグ話というフグの専門書を書くんです。
これやべえぞと。
フグ話現代語訳なかったんで冒頭20ページぐらいしか読めなかったんですけど
読んだみたいな。 読んだ読んだ。
漢文にレテンつけてみましたよ。
懐かしい。 やばいやつでしたね。
これ冒頭から基本的にはもうフグなんか食うなっていう論調ですね。
お医者さんなんで。
飲食を貪るのは色欲に溺れるがごとしと。
フグは毒魚なり。食類にあらず。
断言しちゃってるね。 断言しちゃってる。もう食っちゃダメって。
ただ裏で人気な料理っていうのもちゃんと別の本に記載がされていて
フクトジルもしくはフクトウジル。
フグの名前が確立してない時代なんで
36:02
フクベとかフクトウとか言ったんですね。
今ではフクジルですよ。
調理方法もはっきりしてて
フグの実と茄子とニンニクを入れた汁物で
味噌と醤油で味付けしたもの。
これは絶品だった。
今度やってみようかねこれね。
まあ美味しそうだけどね。
これ醤油の代わりに赤味噌入れても美味しそうね。
そうだね。
どうもこの茄子には解毒作用があると信じられてたらしくて。
全然そんなことないけどね。
うせーやんっていう話ですね。
これね面白かったのがね
これは江戸時代通してずっと食べられたらしいんですけど
1636年だから和尚の時代の頃に書かれた
日本最古の料理本があるんですね。
これ料理物語っていう書籍なんですけど
これはフグだけに限らず
いろんな食材とかいろんなレシピが書いてある
いわゆる料理本。
この中の1ページにフグ料理ちゃんと載ってます。
へえ。
大丈夫なのかな?禁止性なのにこんなの本に書いちゃって。
ねえバレたらヤバいよね。
普通に出版されてましたからね。
ただ誰が書いたかがわからないようにはなってました。
ああそうなんだ。
あえてなのかたまたまわかんなかったのかわかりませんね。
まああえてなんじゃないかな。
書いてなかったけど多分もう刺身食べてると思うんですよ。
もう江戸時代になってくると
濃い口醤油も生まれてくるし
何なら薄口醤油は戦国の終わり頃には出てきてますからね。
で、元禄文化あたりで寿司とか刺身とかが登場してくるので
まあもうこのあたりからフグ刺身も食べてたんじゃないかな。
ポン酢使ってたかどうかまでは想像できないですけど
ポン酢自体もポルトガル戦が入ってきた頃から日本に入ってきてるんで
ある程度は広がってたとすると
もしかしたら今のテッサフグ刺身みたいな形になってたかもしれないよね。
薄引きは無理だろうけどね。
そこまで行くにはもうちょっと
ポン酢 時が経つかもしれないですね。
まあ詳細がない分わかんないけどね。
ポン酢 まあ想像ですよ。
もしかしたらこんだけ食いしん坊な日本人やってるかもしれないですよ。
可能性はあるね。
ポン酢 もうマジ命がけの時代が300年間続いていきます。
はい。
ポン酢 江戸時代はこんなところで。
ここから次回になりますかね。
江戸時代が終わった後に現代につながるフグ食解禁の歴史が待ってますね。
フグ食解禁ね。
ポン酢 これがなかったら我々は今でもフグ食べられずだったかもしれないですからね。
そうだね。どんな人がいた。
どんな人。人が出てくるのかな。
ポン酢 人が出てきます。
じゃあ次回を楽しみにしたいと思います。ありがとうございました。
ポン酢 ありがとうございました。