そうなんだ。
その辺僕直接見たことないんで分かんないんですけどね。
はい。
由来はイギリスの国内、イングランドの国内でクエーカー教の有力な人が裁判官との対話の中であんまりにもクエーカー教徒のことを迫害してくるんですよ。
で、その裁判官もすごい詰めてくるんですね。
うん。
詰められてるクエーカー教の創始者の人が、神の言葉に震えよって言い返すんですよ。恐れおののけみたいな意味でね。
真実の言葉に震えよって言ったら裁判官が、じゃあお前は震える者かって言ってあざけを洗うっていうエピソードがあるんですよ。
その震える者っていうのがクエーカーっていう英単語なのでクエーカー教と通称言われてます。
本人たちはクエーカー教と呼ばれることはあまり好んでないらしくてですね。
フレンズ会とかいうふうに呼ばれていますね。自分たちはね。
フレンズ会?
はい。その聖教徒の中のピューリタンの中のフレンズ会っていう感じですかね。
友達の集まり、友愛会みたいなそんな感じ。
元々その聖教徒革命っていうピューリタン革命の流れから登場してきてやっぱり前々回かなその前くらいに登場したピルグリムファザーズと同じで
制度化儀式化した教会に対する反発なんですよ。
なんでそんなによくわかんない形式ばっかり重視しててやらなきゃいけないの?
その儀式を正しくこなすことで自分の宗教的ランクが上がってくっておかしくない?っていう発想なんですよね。
気持ちわかりますよね。神の信仰、神に対する信仰、霊的体験こそが全てだ。
信仰心こそが全てだっていうことを創始者のジョージ・フォックスという人が言い始めます。
信仰の上に救われたという感じていることを信じていることがとにかく大事。
魂そのものが戒心しない限りは儀式しても意味がないよ。
聖職者、偉い人になるための資質は別に教会の研究とかそういうことではない。
誰でも聖職者になれるんだと。とにかく心からキリストもしくは神を信じなさいっていうことを言い始めます。
この人こんなこと言ってるからめちゃくちゃ迫害されるんですよ。いろんなところからね。
布教活動をしてもあちこちで妨害を受けたりとか殴られたりとかするんだけど、
でも創始者のジョージ・フォックスっていう人はひたすら非暴力を徹底する。
牢屋にいられてもずっと非暴力みたいな感じなんですよね。
この態度は意外とイギリスの政治家のオリバー・クロムウェルって
良い面も悪い面もいろんな評判のある権力者の方に響いてですね、意外と認められてる。
案外お前すげえなって一目を呼ばれてて。
クロムウェルも聖教徒の人ではあるんでね、プロテスタントなので。
宗教談義をして、まあまあ意見は違うけれどお互いに認め合うみたいなところまではいくんですよね。
そんなこんなで、ジョージ・フォックスの側近でもなんでもないんですけど、
このジョージ・フォックスのクウェイカー教の考え方に感銘を受けて、
イギリス国教会から宗教を変えちゃう人がいるんですよ。
クウェイカー教徒になる人が出てくるんですね。
その人の名前をウィリアム・ペンと言います。
ウィリアム・ペン。
ウィリアム・ペン。苗字がペンですね。
ウィリアム・ペン子。
これややこしいことにお父さんもウィリアム・ペンなんだけどね。
今回の主人公は息子ね。
お父さんのウィリアム・ペンっていうのは、もともと海軍の軍人で偉い人だったのね。
イギリス・オランダ戦争で将校として戦ってるイギリス人でね。
西インド諸島の方にも開拓に行ったりとか、
王様のチャールズ2世と繋がりがあったりとかする軍人さん。
チャールズ2世と仲がいい、忠誠を誓ってる軍人さんなので、
当然お父さんはイギリス国教会の信者なんですね。
息子の方は大学に行ってクエーカー教徒にハマって、
礼拝欠席して大学処分になるとか、いろんなこと言ってるんですよ。
大学処分になっちゃったから諸国漫遊して帰ってきて、また法律学び直してとか。
いろいろすったもんだするタイプなんですね。
すったもんだしてる間に、なぜか後に国王になるヨーク皇ジェームスと仲良くなっちゃうんだよね。
息子もね、お父さんの下で軍人になるんですね。海軍の軍人になる。
ヨーク皇ジェームスも海軍を率いる将校をやってたんですよ。
お兄ちゃんが王様で、弟のジェームスが海軍の軍人やってるんですよ。
同じ軍人同士の仲間でいるから、同じ釜の飯を食った仲間で仲がいいんですよね。
っていう感じにとりあえずなっていきます。
で、23歳の時になってね、なんか目覚めちゃって。
目覚めた? ウィリアムがね。
ついに本格的にクエーカー教に改修しちゃうんだよね。
お父さんから絶好されちゃう。
お父さんだってイギリス国教会だからさ。
ふざけんなってなって追い出されるんだけど、
そっからもう改修しちゃって、一気に振り切っちゃうから、ウィリアム典は。
不協活動もするし、信仰の自由のために、
俺たちの信仰も認めてくれよっていうので政治活動したりするのね。
軍の中でも有力者の家系だからそういうことができちゃうんだよね。
でも有力者がそういう活動したら当然迫害に合うよね。
で、牢屋に入れられる。これ3回くらい繰り返すんだけど。
そのたんびになんかね、裏の方でよくこうジェームスがテーマして、
まあまあまあとか言って釈放されたりしてる。
倉庫をしてる時に29歳である人に出会います。
クエーカー教創始者のジョージ・フォックスがたまたまアメリカに行ってたんだけど、
アメリカからイギリスに帰ってくるんですよ。
帰ってきた時に、もうその時点で宗教的な活動を本格化させていたウィリアム・ペンが
お帰りなさいって言って出迎えるの。
そしたらフォックスさん、アメリカどんなんでした?って言ったら
こここんな感じでねって、新天地があってみんな夢を持って自分たちの地域を作って
自分たちの思想で固まってたりするんだよっていうのを聞くんですよ。
ウィリアム・ペンは。それだ。それ。ってはって思っちゃうんですよね。
俺たちも行こうって急にここで思いつきます。
そういう感じなの。
で、それを思い立ってフォックスとともにオランダとかドイツとかあっちの方を周遊します。
旅に出るわけですよ。旅に出てあちこちで説教したり教会に行ったりとか
同じクエーカー教を信じてる仲間のところに行ったりとか
王室の王女様みたいな人に会って面談してみたいとかいろんなことするわけですね。
この中の1グループがめちゃくちゃ感銘を受けて
ドイツの中なんですけど、その方の中の13人がうっかり
ドイツを出てアメリカに渡っていくんですよ。
これがドイツ人初めてのアメリカ投稿なんですけどね。
ドイツから行くアメリカへ向かっていく人たちの初期集団はクエーカー教だったっていう風に言われてます。
いろんな人たちがそういう風にしてちょっとずつちょっとずつアメリカに行こうという動きをし始めるんですね。
言い出しっぺはジョージ・フォックスであり、そのお膳立てをしたのがウィリアム・ペンなんですけど
行くとニュージャージー州の西側の土地、この辺いいねってことになるんですよ。
この辺の土地に何とか土地があったらいいねみたいなそこに何らか人が住み始めちゃうんですね。
クエーカー教徒の中でも有力者の集団が固まって、そこに土地を作ったら我々の国ができるじゃん。植民地だから建設できるじゃん。
そこには自由憲章みたいな憲法の草案みたいなのを作ってね。
俺たちの国を作るんだみたいなことを考え始めるんですよ。
その準備をしてる時のウィリアム・ペン、その年33歳。
33歳。
まだ海軍軍人やってます。チャールズ2世に手紙を書きます。
チャールズ2世というのはヨーク王ジェームスのお兄さんで国王でございますよ。
国王ね。
国王陛下に向かって手紙を書くんです。1回の軍人がですよ。
ニュージャージー州の西側の辺り、だだっぴろいと何もないですよね。ただの森ですよね。もらっていいですか。
おお。
そんなわけでくれるわけないじゃん普通に。
そうだね。
くれたの、でも。
くれたの。
何でかっていうとね、ウィリアム・ペンのお父さんのウィリアム・ペン。有力軍人でお金持ってたんですよ、そこそこ。
スコットランドとかマイランドの方にも土地持ってたりしててね。漁師やっててるから。
それにお金があったんです。で、農業産出とか羊毛とかでも儲けてたんですってある程度。
その資金を持って、で、チャールズ2世に対してお金貸してたんだよ。
ああ、そうなの。
昔の戦争っていうのは国民戦争じゃないから、国民国家じゃないから王様同士の戦争だから、戦争の戦費っていうのは王室負担なのね。
王室が負担して傭兵を雇って戦うっていう戦争なの。
だからイギリスがどっかと戦争する、イングランドがどっかと戦争するって言ったらイングランド王室が全額負担しなきゃいけないじゃん。
領主関係ないんですよ。
ああ、そうなんだ。
実費負担することはもちろんあるよ。自分が出兵するときは実費でいくんだけど、基本的なベースとなる戦費は王室負担だからお金が足りないんで、そこにいろんな人からお金を借りなきゃいけない。
だから自分の配下にいる領主からお金を借りたり、商人からお金を借りたり、また銀行家、ユダヤ系とかいろんなドイツ系とかオランダ系の銀行家からお金を借りたりとかして、で、その戦費を賄ってやるってことをやったんですよ。
その中の一人にウィリアム・ペイのお父さんがいたのね。
ああ、そうなんだ。
あの、お父様どうでしょう。借金なかったことにするんで、代わりにあの森もらっていいっすか?
笑
したらチャールズ2世は、うん、いいよ。いいよ。だってあそこ何もないし、もともとよく考えてみなよ。
イギリス国土じゃないんだよ。
はい。
土地でもないんだよ。誰の土地かって強いて言うならば、千住インディアの土地なんだよ。
うん。
他人の土地をあげることで俺の借金ゼロになるんでしょ?
うん。
タクの借金をゼロにするのに、俺の所有物あげるだけでチャラにしてくれるんだよ。
笑
そりゃするでしょ。ということで、なんと2900万エーカーの土地を手に入れます。
広。
めちゃくちゃ広いでしょ。
2900万エーカーは広いね。
とてつもない広い土地を手に入れて、これを植民地として建設していくんですよ。
へえ。
これ、名前がつきます。シルバニア。
シルバニアファミリー。
そう。シルバニアファミリーのシルバニアですよ。
ラテン語で森の国という意味です。
ああそうなんだ。
森だらけだったんで。
森の国。あ、シルバニアファミリーって本当に森の国なんだあれ。
森の国の家族って意味ですよあれ。
そうなんだ。
シルバニアって森の国ってつけたんですよ。
はい。
そしたらチャールズ2世が、シルバニアじゃちょっといかんせんあれだろう。
で、お前の土地っていうのは、お前のお父さんであるウィリアム・ペンのお金を貸してくれたことによって発生した植民地だから、ペン産のシルバニアということでどうだろう。
おお。
ということでペン・シルバニア。
そうなんだ。
はい。なのでペン・シルバニア州はペン産の森って意味です。
へえ、ドストレート。
ドストレートですね。
へえ。
はい。で、ウィリアム・ペンはもともとクエーカー教徒の自由な信仰ができる場所を作りたかったわけじゃないですか。
はい。
そこにクエーカー教徒がぶわーっと集まりますよね。
うん。
で、この人もともとその自由憲章の草案を作ってる段階で、ほら自分が裁判受けて迫害あったりしてたじゃない。
はい。
だからちゃんと平等にしなきゃダメ。その宗教的なとか権力がとか権威がとかそういうの持ち込んじゃダメだ。
売信制度みたいにしてフラッとしなきゃいけないみたいなことをやるわけですよ。
うんうん。
で、宗教的なやつも宗派が違うからって言って、それのロジックを裁判とか法律に持ち込むなと。
うん。
まあある意味政権分立的なことを言い始めて書いてたんですね。
うん。
だから他の宗教の人たちもそこに行けば天国が待っているみたいな感じになるわけですね。
うんうん。
で、その思想っていうのはニューヨークとかペンシルバニアあたり一体の思想体系になっていくわけですよ。
うんうん。
だからニューヨーク含む中部植民地っていうのは宗教的に弾圧された人たちが集まりやすい環境ができていくんですね。
うん。
というわけでね、ペンシルバニア州の州都であるフィラデルフィア、この名前はね、2つの古代ギリシア語をくっつけて作られてます。
ほう。
一つはフィロス。
フィロス。
フィロス、アルディオス、くっつけてフィラデルフィアになってますね。
へえ。
はい。フィロスっていうのは古代ギリシア語で愛という意味です。
はい。
アルディオスっていうのは兄弟という意味です。
ほう。
だから兄弟愛っていう意味の街の名前 フィラデルフィア
ああそうなんだ ここがねその中心地になってくるんですよね
はい ほら前回の冒頭でタイトル言いましたね
自由と愛の街それがフィラデルフィアなんですよ
そしてこのフィラデルフィアっていうのは後の話ですよ
1700年代に入ってからですが1776年だったかな
アメリカ独立宣言行われるのは
ここフィラデルフィア へえ
アメリカ合衆国っていうのはもともとスタート時点でニューヨークを首都として
フィラデルフィアに移ってフィラデルフィアが10年間ぐらい首都だったかな確か
でそこから今のワシントンに移ってくるんですけど
だからコトみたいな感じですよ コト
日本で言ったら東京が首都だけど京都みたいなね
京都は今でも首都なんだけど一応厳密に言うと
フィラデルフィアみたいなイメージでフィラデルフィアって存在感を持ってます今でも
だから建国100周年とか150周年のイベントがあると
絶対フィラデルフィアなんですよ ああそうなんだ
そんな感じですね だから1876年フィラデルフィア
万博っていうのは建国100周年記念の万博なんで ああそういうことね
そういう感じですね ということでこれがペンシルバニアの
成り立ちです ここで押さえておきたいのは
ドイツ系の人たちとイギリス系の人たちがフィラデルフィアを中心とした
あの辺り一帯に集まってますよってことね
ニューヨークもそうですけどこれ前回の話で出てきた旧意味の段階で
中部ヨーロッパの農民たちがわーっと集まってきましたよって話しましたよね
この人たちが目指したのはニューヨークとフィラデルフィアなんです
だからネイサンストラウスのお父さんのラザラスストラウス
ミルクのシリーズに出てきた人ね あの家族は一回
ニューヨークに港に入るんですけど ニューヨークから一回フィラデルフィアに行くんですよ
フィラデルフィアで身を立てようとするんだけど
どうやったらいいかっていうのを仲間に相談したところ
あっちの方に行ったら農地があるからそこで農家やったらいいよって言って
ジョージア州の方に移っていく で南北戦争を経て
もう一回ニューヨークに戻ってくるって感じなんですね
それはホームタウンがそこになるからなんです
僕ら日本人はリトルトーキョーがあるとか
あとチャイナタウンがあるって世界中にありますよね そんな感じの位置づけが
ドイツの人たちから見たらフィラデルフィアやニューヨークっていう感じ
そんな感じになってきますね あともう一つ
ちょっとだけニューヨークの話しましょうか ニューヨークはオランダ東インド会社が
マンハン担当に作ったニューアムセルダムという
植民地ですね
ハドソン川ってあるじゃないですか ハドソン川
あれヘンリーハドソンさんっていう人探検家が見つけたからハドソン川っていうんですけどね
そうなんだ イギリス人なんですよ 謎に
謎に オランダ東インド会社で
働いているイギリス人のヘンリーハドソンさんという探検家が
なぜか探検に行ってカナダのあたりにたどり着くはずが
ハドソン川にたどり着いちゃったみたいな インド目指したらハドソン川にたどり着いちゃったみたいな
でマンハッタン見つけてそこで建国するじゃないですか
この時の
マンハッタンのあたりの建設だったりとか
あと探検家のお金ね これねオランダ系の
ユダヤ人コミュニティにお金出してるんだよね初めから セファルディムが
お金出してるんだよね なんでかっていうと当時からすでに
このセファルディムと呼ばれてるオランダ系ユダヤ人ですね
いつ何時自分たちが迫害に遭うか分からないっていう危機感を
常に持ってるじゃないですか 新天地に移れるんだったら行きたい
行きたいから見つかったら言って俺金出してやるから
っていう感じでお金出したりしますね
でまぁ何だっけビー玉と土地交換したとかっていろんな偽伝ありますね
ビー玉 知らないニューアムステルラム作る時にさ
オランダ人が言ってこのキラキラしたものあげるからこの土地ちょうだいって言ったらさ
先住インディアの人たちその土地を所有する概念がないから
この紙に名前書いたらキラキラした宝石みたいな安っぽいけど
なんかくれたわーいって書きゃくれるんだって言ったら土地取られたっていうね
そしたら揉めるじゃないですか
でオランダも行ったり来たりするからさ人を連れてきたり建国物資作ったりするじゃん
だから攻められると困るから壁作るんだよ壁を
島が縦長にあったら南側に植民地作って
北側から先住民が攻めてくるから間にでっかい壁作るわけ
ちっちゃいバリの長所作るわけ
でそこに壁ができるじゃんで最終的にオランダ側が力をつけて
マンハッタ島を征服するじゃん先住民を追い出すじゃん壁いらなくなるよね
この壁を取ったところがウォールストリートになってるよね今
ウォール街ってそういうことだよ本当に壁があったから
そういうこと でそこが証券取引所になっていく
なぜかそこにちょうどセファルディムが入ってきていて
もともとオランダのアムステルダムで金融証券取引所を
作ってたから1500年代にすでに
1500年代にあったの そうあったんですよ第1号がアムステルダムで
第2号がハンブルクなのよアムステルダムが
没落した時についでにここのグループがニューヨークに
移ってウォール街でウォールがなくなったところに移住してそこで
金融街作るのよインボロンでもなんでもなくてたまたま
歴史の感じであっちが潰れたからお引越ししてただけなの
シンプルにそんな感じでニューヨークが没興してくるって話ね
そうなんだ ちょっと面白いよね歴史のパズルみたいなね
パズルだねタイミングよね ここに新人種のアメリカ人っていうのが
だんだん出てくるわけね独立することによって初めて
アメリカ人というものができるわけじゃん都市生活民みたいなのが
ドイツ人コミュニティその中にユダヤ人コミュニティのドイツ人コミュニティがわーっと出てきます
っていうのはさっき話した通りこのドイツ系
移民の方たちは本当の意味でなんだろうな
アメリカの元作ったなーって感じなんですよ確かに
あのねドイツ人が
アメリカに持ち込んだ文化でというか物だねアイテムで有名なのは
ホロバシャ ホロバシャ 西部開拓史の
映画見るとさホロバシャ見るでしょホロが付いた馬車 見るね
あれですよあれドイツ語で
ワーゲンって言うんだよね ワーゲンって言うの フォルクスワーゲンのワーゲンだよ
あれホロバシャって意味ね あそうなんだ
正確にはプランワーゲンって言うのかな馬車のことがワーゲンだから
これが英語化するとワゴンに変わるんだけど
キッチンワゴンとかって言うじゃん あれのベースは
この人たちですよドイツ系の人たちが持ち込んだものですよ
あとはもうこれは食文化には忘れちゃいけないのが
デリカテッセン デリカテッセン なんて言うんだろうな
今で言うとお惣菜屋さんだ日本で言ったら これもともと
ドイツの地方都市特に北部の方とかだと
デリカテッセンっていう生鮮食品を売ってる店があったんだよね
八百屋さんスーパーで日本でもそうだけど八百屋さんとかって
お惣菜作り始めるじゃんお肉屋さんとかもそれがデリカテッセンなの
他の地域ってなくてフランスとかスペインとかそういうのなくて
ドイツもその辺りに発展してたんだけどこのドイツの人たちが
アメリカに移った時にデリカテッセンっていう仕組みを持ち込んで
商売を始める特にフィラデルフィアとかニューヨークで始めるんだよね
なぜそれが流行るかというと特にニューヨークは
工業都市だから工場労働者が多いでしょ
自宅と職場が離れるんだよ
農民っていうのは自宅と職場が近いからお昼ご飯は自宅に帰って食べる
当たり前じゃん今でもそうじゃない工場労働者とか
今サラリーマンみんなそうだけど自宅に帰れない
だから職場の近くでご飯を食べるそうするとデリカテッセンが流行る
そのうちにデリカテッセンとバーゲンがくっつくと
キッチンワゴンになってくる そんな感じね
そこの中で流行ってくるのがフリカデレって呼ばれたものね
サンドウィッチとかが流行ってくるザワークラストが
それに添えとしてついてくるみたいな感じですよ
サンドウィッチはイギリス系だけどこういう背景の中から
ハンブルク風ステーキっていうのが出てくる
現地ではフリカデレって呼ばれてますねハンブルクでは
ハンブルクだけではないんだけど北欧から東ヨーロッパあたりでは
フリカデレと呼ばれているハンバーグの原型なるものがあるんですね
それがアメリカに渡ってくる郷土料理として
前々回ぐらいでお話しした
いろんな食文化が混ざっていくようの一個のパーツとしてフリカデレが
ニューヨークにやってくるわけですよ
フリカデレって言ってもドイツ人コミュニティの
人たちはわかりますけどそうじゃない人たちからすると
なんだこれってことになるじゃないもっとわかりやすい名称の方が流行るよね
そこで付けられた名前がハンブルク風ステーキ
これが後に生まれて
ハンバーグステーキになっていくわけですね
これが元の漢字ですよ
じゃあちょっとだけこの食文化を支えた
新人種アメリカ人のエスニックフードとしてのハンバーグの
形成した元になるところね大量移民の話ちょっとだけしますね
実はハンブルクアメリカ有線会社という会社が
できたんですよ ハンブルクアメリカ有線会社
ちょっとすでにお話ししましたけど前回のところで
旧移民の時に中央ヨーロッパの農民たちが
大量にアメリカに渡りましたよっていう話しましたよね
その時の出口となる港がハンブルクでしたということになって
行き道は移民を連れて行って帰りに
貨物を持って帰ってくるっていうビジネスをやる会社が出てくるんですよ
それがハンブルクアメリカ有線会社といってね有線というのは郵便の有に
筆って書いて有線ねそういう運送会社が出てきて
超大量の移民を押し込みます
ナポレオン遠征があってもうなんかぐっちぐっちになって
大変なことになるのこのあたりもオーランドとかドイツのあたりも
ぐっちゃぐちゃになるわけぐっちゃぐちゃになって荒れるから
出てくるみたいな感じなんですよね
団結する時って割と民族で固まるんだけど僕らもそうじゃん
世界中に行って例えば日本人一人で
一人旅しましたと一人旅行ってなんとなく仲良くなるのは
現地の人も多いけどやっぱりなんだかんだと日本人同士で
固まることあるでしょ まあまああるね あるよね
国籍が日本人かどうかってあんまり確認してないことない
どっちかっていうと言葉が通じるで固まらない
だから民族のアイデンティティってね実は
出身地とかの厳密性よりも言葉とか宗教とか
文化の方で固まることが多くて
ナポレオン遠征みたいなのだったりとかフランス2月革命から
ドイツの3月革命この間お話しした通りだけどああいう騒乱が
起きた時ってディアスポラ的に散り散りになってくんだよね
でその行き先がたまたま何にもない白紙だった
アメリカだったっていうだけでじゃあその行った先でどう固まりますかっていうと
ドイツ語っぽい言葉を喋ってる人たちで集まっちゃうんだよね
だからドイツ系移民ってさっきからずっとKを付けてるのは
ドイツ人なんじゃなくてドイツ語っぽい言葉喋ってる
人たちグループになるんでポーランド人とかオーストラリア人とか
オーストラリア人とかも混ざってくそこにで当然
あちこちに散らばったユダヤ系の人たちも集まってくるみたいな感じ
でここに一つの塊ができてその中の
中心的なエスニックフードの一つとして
それが全てじゃなくてそのいくつかの中の一つとしてハンブルクス
ステーキっていうのが地元に根付いていく感じなんですよ