1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #234(s25-16) ミルク問題解決..
2024-06-13 1:00:46

#234(s25-16) ミルク問題解決への道 〜子供の安全を守れ!ミルク改革始動〜

1900年代初頭。舞台はアメリカに移り、NZ州の小児科医ヘイリー・コイト氏とNYの実業家ネイサン・シュトラウスが衛生改革運動と低温殺菌の義務化に乗り出す。しかし、牛結核の危険と既得権益の壁に苦戦することになった。


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サマリー

白い毒薬と呼ばれた牛乳問題は本当に解決に至っていません。コンデンスミルクや粉ミルクを使った子どもたちの栄養不足が問題となり、養護施設での入児死亡率が上昇しています。しかし、2人の人物が現れて問題解決に向けた活動を始めています。ヘンリー・コイトさんとネイサン・ストラウスさんが立ち上がって、清潔で安全な牛乳を届けるための衛生改革を推進しています。牛血格の問題も浮き彫りになり、牛乳の汚染率が判明しています。ミルク問題解決のために、牛乳の衛生状態の改善や認証制度の導入などの取り組みが行われています。これにより、低温殺菌法を始めとする新たな技術が牛乳業界に導入され、安全なミルクの普及につながっています。ネイサン・ストローシュさんは、ミルク改革を推進し、低温殺菌法やミルクステーションを通じて安全な牛乳を広める活動を行っています。彼のミルクステーションは、低価格で牛乳を提供し、貧しい人々や労働者にも届けることができました。1907年にニューヨーク市で低温殺菌の牛乳を提案するも反発を受け、しかしシカゴでは条例制定され成功し、その成功を受けてニューヨーク市でも低温殺菌の義務化が決まり、7州全てで低温殺菌が義務化されていき、ミルク改革が全国的に広がっています。

00:07
たべものラジオ
たべものの世界を探求する、たべものラジオの掛茶料理むとう、むとうたくろうです。
むとうたろうです。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、食べ物の知られざる世界を、ちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
はい、ということで、ちょっとお知らせがあります。
お知らせがですね、YouTubeが更新止まって、1ヶ月ぐらい空いてるんですけど、700人を突破しました。
本当ですか。
じわじわと、ありがとうございます。
YouTubeの方ね、ビールあたりでね、1回止まって、その後ぶっ飛んで日本料理の回から更新し始めるっていう傍聴してるので。
だいぶ前の話ですよ。
そうなんだよね。
合間はね、そのうち順番に上げて、全部上げ切るようにはしますが、今ちょっと字幕はね、ちゃんとつけようと思って。
字幕だけはね。
それだけはちょっと頑張ってるので、ちょっとそちら更新遅いかもしれないんですが、よければフォローお願いします。
はい、ということで本編いきます。
はい。
白い毒薬の解決は至らない
はい、では前回からの続きです。で、今回はミルク問題を本格的に解決しよう。
ミルク問題を解決しよう。
はい。
前回までの話で、白い毒薬っていうのが出てきましたね。
出てきたね。
結構皆さん衝撃を受けた内容かと思いますが。
だいぶX上では色んなコメントが飛び交ってたよ。
そうですね。ご飯中に聞くもんじゃないですね、あれはね。
初めてセンシティブ系のチェックを入れたよ。配信する時に。
確かに。
露骨な表現っていうチェックボタンがあって。
今までそこはいいやだったな。
はい。
念のためにハイにしたからね。
まあそうでしょうね。僕も原稿書きながら上ってなってましたから。
だよね。
で、その次の週、次の回でゲイルボーデンとかね、チャールズペイジとかアンリーネスレとか。
はいはい。
いわゆるコンデンスミルクみたいなものが登場したりとか、子供向けの粉ミルクというのが登場し始めたということですね。
はい。
ではこれは解決なのか。
解決なのか。
はい。白い毒薬とまで呼ばれたあの牛乳問題は本当に解決に至ったのかというと、全く解決してないですよね。
最後の最後でね、解決してなかったね。
新しい乳化工品ができただけなんですよ。
はいはい。
これもね、面白い話なんですけど、ここから本格的に解決に行くんですけど、ちょっとすごい人出てくるんですよね。
すごい人。
はい。タクローは、いや皆さんは自分の年収を丸ごとボランティアで寄付できますか。
年収を丸ごと?
はい。なんなら今日ご紹介する方は年収を上回る勢いで寄付してますからね。
まじか。
はい。なんで10年間ぐらい毎年赤字です。
いや、寄付する気持ちがあったとしても、したら自分がやばい。
やばいですよね。この人やっちゃうんですよ。
それをやっても生きていけるだけの資産家ではあるんですけどね。
そうなんだ。
そういう事前事業に全力投球みたいな人が出てきて、やっと少しずつ少しずつ歯車が回り始める。
国がそれに追っかけてついてくる。だからスタートは個人の動きから始まるんですよ。
個人の動き。
子どもたちの栄養不足と入児死亡率の上昇
で、これの一歩手前のところからちょっとお話をしますね。
前回ご紹介をしたゲルボーデンのコンデンスミルクですね。
コンデンスミルク。
ボーデンだけじゃなくていろんな人たちがコンデンスミルクをたくさんいろんなところで作り始めました。
それから粉ミルクというのもいっぱい作られるようになってきました。
ネスレ以外のところでも作られるようになっていくんですね。
ところがこれが社会的な大問題になるんですよ。
社会的な大問題?
そうなんですよ。
このね、コンデンスミルクや乳幼児向けの粉ミルクを使って育児をした子どもたち。
育った子どもたち。
10年ぐらい経ったら決定的に健康に問題があるってことになったんですよ。
問題がある?
はい。
これはね、作った人たちかわいそう。
ここに来て問題出ちゃうの?
そうなんですよ。
栄養不足だったの。
栄養不足。
これはね、ボーデンもネスレもペイジも悪くない。
全然悪くない。
そもそもコンデンスミルクは子育てのために開発されてない。
でもこれを子育てに使っちゃう。
ネスレとかペイジが作ったような粉ミルク、乳幼児向けのいわゆる今でいう粉ミルクですね。
これも使い方間違える。
間違える?
これはかわいそうなんですけど、まずコンデンスミルクも粉ミルクも水で溶くとか牛乳で溶くわけですよね。
そうなんだ。
今でもお湯で溶くわけじゃないですか。
お湯なの?
コンデンスミルク?
コンデンスミルクじゃなくて粉ミルクね。
粉ミルクね。コンデンスミルクって言ってたからずっとあれかと思った。
両方。
両方とも?
コンデンスミルクもお湯で飲ませたりしてるんですよ、この人たち。
この時代のね。
一般庶民の中でも比較的貧困層にあたる人たちですね。
特にね。
というのもこの1800年代後半っていうのはもう経済がむちゃくちゃ不安定なんです、まだ。
不安定なんだ。
だって1861年から65年だったっけ、南北戦争があったのね。
そこから何とか安定してきて、やっとみんなまともに暮らせるようになったよね。
みんなが普通に暮らせるようになったよねっていうアメリカができるのが1890年なんです。
大陸横断鉄道みたいなのができてね。
そこまで行ってやっとなるんですけど、貧富の差が非常に激しいという状態なんですよ。
西の方は荒くれ物いっぱいだしね。
ニューヨークとかああいうところでも工場労働者、
当時の工場労働者って機械を操るって監督するわけじゃないですから、
例えばジャム作り工場があったとするじゃないですか。
みんなでいろんなところで鍋かき混ぜてるんですよ。
手作業で。
手作業で。
何百人いかないかな、何十人とかでやるんですよね。
そういう労働してる人たちってのは比較的貧しいんです。
これは産業革命時のロンドンと同じことがニューヨークでも遅れてやってくると。
こういう状態なのでお金がないんです。
お金がない。
お金がないから少しでも節約したいんです。
大人も食べるの大変だし、貧困だからおっぱい出ないし、みたいな状態じゃないですか。
だから子供のミルクも薄めに作るんだね。
薄めに作る。
引き伸ばして量を稼ごうと。
100cc入れてくださいってところに200cc入れるみたいなことをするわけですよ。
そうするとそのとうざは一旦水いっぱい飲まされるわけですから赤ちゃんも満足しちゃうんですよね。
こうやって育っていくと栄養が足りないと。
まあそうだよね。
いうことになりますね。
それからもう一つ問題はその水自体の問題ですね。
水自体ね。
これはねえぐいですよ。
食べ物ラジオの過去のシリーズでいくと冷やす技術の歴史。
冷蔵庫のシリーズやった時にちょろっと出てきましたね。
病気が蔓延しちゃいました水のせいで氷のせいでみたいなね。
あれは病院から出てきた排水をそのまま氷として使ったら蔓延しちゃったみたいな。
あの水なんですね。
あの水を使うんだ。
ああいうレベルの水が一般で使われている。
じゃあ牛乳ならいいのか。
もっとダメでしょ。
もっとやばいね。
あれがあれですよ。
露骨な表現のやつ。
あれでやるんで結果健康状態に害が出ちゃうんですね。
まあね。
よくなる要素今のところ一個もないからね。
これの一番被害を被ったのが養護施設。
養護施設?
当時子供を預かるお父さんお母さんのいない養護施設っていうのがあちこちにいっぱいできるんです。
それはまだまだ戦争をやってる時代なので。
1880年代とかってね。
南北戦争でお父さん亡くなっちゃったとか移民でやってきたけど働きに行って怪我しちゃったとか。
あとは米国戦争とかね。
メキシコと戦争したりスペインと戦争したりとかそういう時代ですからまだまだ。
で、孤児になるような人たちとか貧困で子育てができない場合に預かってくれる養護施設みたいなのがいっぱいあるんですね。
そこの入児死亡率が異常なの。
異常なんだ。
異常に高いの。
言わないけど。
言わないんだ。
びっくりするから。
それ気になる方は自分で調べてください。
ちょっと露骨な表現になっちゃうのでもうやめるけど。
そうなんだ。
っていうような状況になっちゃいました。
これを横で見ていたっていうかもう肌身で感じている人たちがいるんですね。
問題解決に向けた活動開始
その人たちがこれはまずいだろう。
さすがに何とかしなきゃって言って、正義感に燃えた人たちが出てくるんです。たくさん。
その中で2人。
2人ですね。
特に際立って旗振りを行った方がいますのでその2人を今日はご紹介するという話ですね。
そういうことね。
どちらもアメリカの方です。
アメリカ。
アメリカニュージーランド州の小児科医をしていたヘンリーコイトさん。
ヘンリーコイトさん。
小児科医なんですよ。
お医者さんなんだね。
お医者さんなんですよ。
ちょっとこの人紹介しますね。
この人は小児科医なんですけど開業医なんでそこそこ裕福な家庭ですよね。
中3階級にあたるかちょっと上の方の人で同じエリア内の牧場から新鮮な牛乳を取ってたんです。
エリア内に牧場あったんだ。
あったんですよね。
ちょっと田舎の方だったんで。
ニュージャワ人種かな。
ニュージャワ人種なんでそんなにニューヨークとかと違ってね。
割と近くにあるので新鮮な牛乳を手に入れること自体は可能だったんです。
あんなにひどいことにはなってなかったんですよ。
近場だからね。
いろいろ万全問答もないしね。
これなんで牛乳を配達してもらってたかっていうと5歳かそこらの息子さんがいたんですよ。
息子の健康のために朝絞りたての牛乳を農場から届けてもらうということをやってたらですね。
ある日突然息子さんの体調が悪くなったと。
悪くなった。
本業ですからすぐに診察するわけですよ。
あれ、うちの息子はジフテリアに感染してると。
ジフテリア?
ジフテリアのところ、これも話せなくなるから割愛。そういう病気があるんですね。
感染症が。これは感染症なのでそんなに接点がなければ入ってこないんですよ。
飛沫感染とか蛍光接触とかそういうのだからね。
これは原因がどこだろう。医者ですから。
その辺の感染源の特定もしたいじゃないですか。
したら友達関係でもない。だいたい家族にそういうジフテリアに感染してる人もいない。
っていうのをずっと調べてたらなんとその牛乳を絞っている楽農家さんの農場で働いている従業員の家族がジフテリアだったんですよ。
従業員がではなくて従業員の家族が。めっちゃ遠いね。
それが多分従業員さんの方に潜伏してるのか発病しなかったのかわからないですけど。
そこから牛乳に混入がされていて、それを飲んだ息子さんがジフテリアに感染したと。
ヘンリー・コイトさんとネイサン・ストラウスの立ち上がり
ヘンリー・コイトさんはここで立ち上がるんですけど、実はこれよりももう少し前の時代から牛乳っていうのは病原菌を媒介する悪だみたいな。
こいつのせいで病原菌を移動させるんだみたいなふうにはよく言われてたらしいんです。
これイギリスの方でもそういう報告が上がってます。1850年代とか。
出てはいるのでこれは牛乳だということになって、この清潔な牛乳を届けるための仕組みを作るべきだ。衛生改革じゃ。
ってヘンリー・コイトさんは叫んだかどうか知りませんが立ち上がります。
そこは定かではないがとりあえず立ち上がった。
とりあえず立ち上がりました。
なんかきっかけが割とライトだね。そんなにジェフテリアってすごかったのかね。
結構えぐいらしいです。
そういうことなんだ。
もう今ではほとんど報告されてないですね。日本では。
最後の報告が上がってからこれ数十年経ってますんで。
そういうことね。とりあえず感染力だけはすごい強いものだから良くないよねっていうので改善をしようとしたって感じ。
そうですね。当時はまだまだそういう感染症っていうのが多かった時代です。
世界中の衛生基準がまだまだ低いんですよ。
1800年代の後半80年代90年代1900年代にかけてこれはヨーロッパもアメリカも日本も衛生基準っていうのがだんだんと定められていくそういう過渡期なんですね。
まだまだ病原菌が蔓延する時代です。この方がお一人。
もう一人がネイサン・ストラウス。
清潔で安全な牛乳の提供を目指す
ネイサン・シュトラウス。
シュトラウスもしくはストラウスどっちの発音でもいいと思います。
シュトラウスね。
この人ねビジネス誌とか詳しい人だったらあのネイサン・シュトラウスかっていうような人なんですって。
ああそうなの。
ニューヨークの実業家です。
元々ねドイツ系移民でお父さんの代でまだこのネイサン・シュトラウスのお父さんはストラウスさんがネイサンが子供の時にアメリカにやってきますと。
そしたらドンピシャ南北戦争ね。
南北戦争。
シビルウォー。
シビルウォー?
あの世界史的にはアメリカではシビルウォーって言われてます。市民戦争ね。
ああ南北戦争のことね。
シビルウォー。南北戦争っていう呼び名をしてるのはサウスノースウォーじゃないんだよね。
ああ違うの。
南北戦争っていう呼び名を使ってるのは日本だけですから。基本的にはシビルウォーね。市民戦争。内戦ですね。
市民戦争。
北側の13州と下のほうとね。どれ使ってる州と使ってない州と。
ああそういうわけだ。
保護貿易やりたい人と自由貿易やりたい人たちと。そこで戦争が起こると。
ああ。
そこにねストラウス家はバッティングしちゃうんですよ。
バッティングする?
はい。でちょうど戦火に巻き込まれて無一物になっちゃう。でなんとかせにゃかんつってお父さんがニューヨークにやってきて
なんか貫物業か何かの小売を始めるんですね。でお父さんのことをずっと手伝ってる家族がいると。
でその息子の一人がこの姉さん。姉さんストラウスっていう人なんですね。
ああそうなんだ。
でお父さんの台の時はそこそこ手堅くやってて中堅どころの商店みたいな感じなんだけど
この姉さんストラウスほんとお兄さんと一緒に事業やるんですけどね。
この二人で頑張った時になんとメイシーズを買収するっていうね。
メイシーズ。
メイシーズってわかんないかな。アメリカ東海岸の日本で言ったら丸井とかね
松岸とか三越とかああいう老舗の百貨店があるんですよ。
あれなんか聞いたことあるな。
あのどでかいデパートですよ。
よくねニューヨークを舞台にした映画とかで出てくる高級百貨店。
はいはいはい。
言ったらもう大体メイシーズ。
ああそうなんだ。
ちょっと定かじゃないですけどそうあるんですよでっかいところが。
そこを買収してもともとそこに下ろしてたんですよ商品を。なんだけど気がついたらそこのオーナーになるっていうね。
いや資産どうしたらそうなるんだろうね。
ねえすごいですよね。
すごいね。
どんどんどんどんこうMBAとかかけながらでかくなっていってお金持ちになっていくんですよ。
どうでもいいですけどちなみにこのネイサン・ストラウスの兄弟はタイタニックに乗ってますね。
めっちゃ金持ちじゃん。
タイタニックに乗って奥さんと一緒にタイタニックと共に沈んじゃった方の兄弟です。
ああそうなんだ。
めっちゃ金持ちになったんですよ。
そういうことだね。
一代二代でね。でこの方が本当1880年代くらいから90年代にかけて急激にですね事前事業に全力投資するんですよ。
急にどうしたの。
ニューヨークっていうのは本当さっきも言いましたけど貧困層がたくさんいてニューヨークに大きい公園があるじゃないですか。
っていうところなんかでも労働者階級とか貧困層とかがタムロしてるだったりとかねありますしそれこそ1893年だったかな世界恐慌が起きるので。
世界恐慌。
一回目の世界恐慌が来るんですね。1893年だったと思うんですが失業率がとんでもないことになって。
でその公園の衛生委員会みたいなのの初代の公園員みたいなのをやっててそれでその公園の中にいる貧困層の家族や男性も女性も大人ですよ。
もいるし子供たちもちょっとだんだん痩せ細って大変なことになっているのを目の当たりにしちゃうんですね。
これはいかんと。安全な牛乳が必要だということになっていくんですね。
そうなんだ。
これなんでその安全な牛乳って話になるかというと少し前の段階から牛乳は子供の成長にすごくいいよということが言われ始めていた。
で新しい栄養学っていうのが出てきていてで例えばイギリスの公衆衛生当局なんかだと牛乳は最も安価で安くて必要な栄養を手に入れることができる。
子供の成長に最も適した食品であると。大人の健康増進にも大いに貢献するんだっていうのを政府として発表してですね。
政府がね。
絶対いいじゃない。
じゃあ貧困層にはまず一番栄養豊富なミルクをあげれば絶対いいわけですよ。
ただし清潔で安全なものならね。
注釈としてね。
っていうことになるじゃないですか。じゃあ安全なミルク作ればいいじゃない。
っていうことでこのネイサンシュトラウスは何で有名になったかというと低温殺菌牛乳を義務化することを推進したんですね。
低温殺菌は前あったもんねちょっとね。
牛乳は全て低温殺菌すべきだ。だからこれは州法で義務化するべきだ。やろうって言って立ち上がる。
ああそうなんだ。
すごいパワーでね。
でこの2人の面白いところはヘンリーコイトさんは清潔な牛乳なんですよ。
でネイサンシュトラウスが言ってるのは安全な牛乳なんですよ。
微妙な違いでヘンリーコイトが言ってる方は生産環境ね農場もきれいで輸送の間も完全に余分なことしない。
ゴミが入らない。不潔なものが入らない状態にして消費者の元まできちんと届けましょう。
でそれに関しては全部認証マークつけましょう。
牛が病気にかかってませんよとか。
従業員もちゃんと健康ですよとか。
全部のチェックをきちんとして今でもあるのかなそういうのね。
僕ら飲食店でいうと食品衛生みたいなもんで環境ちゃんとしてますよみたいな話ね。
ISO認定とかね。
そうそうですね。
一方でネイサンシュトラウスがやってるのはそれももちろん大事なんだけどとにかく菌がいるんだったら殺菌しよう。
全部殺菌しようっていう話ね。
ジャム的な感想あるよね。
これがなんと並行して動きます。
並行なんや。
面白いのが一緒にやりゃいいのに全然バラバラに並行して動くんだよね。
っていう話なんですよ。
よくタイミングよくそれぞれそこに思い立ったよね。
そういう時代なんでしょうね。
これはねちょっと脱線するんですけど1880年代90年代から1910年代ぐらいまでから
第一次大戦前とかあと第一次大戦が終わった後の戦艦期とかこの辺ってむちゃくちゃ食品産業がアメリカのあちこちで没工する時代なんですよ。
ああそうなんだ。
トマトケチャップの変異物とかねケロックとかポストとかってこれサトウのCGで出てきましたよね。
ああいう企業がボコボコ出てくる時代。
今で言うなら大胆力とかさああいうブームというか地球環境の流れみたいな。ああいう感じなのかね。
どっちかというとまあそういう面もあるのかもしれないけど
どっちかというとその都市生活みたいなのが当たり前になってくるのでこれロンドンのところと一緒ですけど
食料の生産地がうんと遠くなっちゃったじゃないですか。
遠くなった。
だからその遠くからでもちゃんとパッケージングして届けられる環境を作れば超儲かるわけですよ。
ニューヨークの人たちは食料をゲットするのに農場ではなくてスーパー行って買うしかないわけですから。
ここにいいものを届けさえすればミラクルヒットで儲かるわけですよ。
だからケロックの弟の方はビジネスにドカーンって突っ込んでたわけですね。
そういう感じでいろんなビジネスが出てくると。この波に牛乳も乗っかってくる感じね。
そうなんだね。
牛血格による汚染率の判明
じゃあちょっとヘンリー・コイトさんのやつ行きましょうか。
清潔な牛乳を作りましょう、届けましょうです。
おっかない話で、この頃の結構血格が流行してたんですよね。
急にすごい名前出てきたね、血格ね。
血格はね、それこそあちこちでありますし、今でも完全に撲滅されてませんからね。
そうかそうか、確かにね。
ありますから、当時もっと多かったんですよ。
そうなんだ。
血格患者さんが例えば100人いたとしたら、そのうちの5%から7%は牛乳由来だってことが調査でわかったんですよね。
牛乳でもかかるの?
牛自体が牛血格にかかってたんですよ。
牛血格ってものがあったんだ。
あったみたいですね。牛さんが血格にかかってて、その血格にかかった牛さんのミルクは当然ダメじゃないですか。
これがね、どうやら流通しちゃってるらしいと。
州政府が頑張って調べたところによると、全米で流通している牛乳のうちおよそ8.3%が牛血格に汚染されていることが判明しました。
結構あるね。
結構ある。だから普通に牛の調子悪いけどまぁいいだろうって出荷してたんだねきっとね。
えー10本買ったら1本血格なの?
うん。
嫌だね。
それ飲んだらロシアンルーレットだよね。
いやロシアンルーレットだけどさ回数重ねてくからさ10本中の1本ってかなり高確率だよ。
だから10日に1回ね。
やばいでしょ。
ヤバイよねマジで。
非常に危険な罰ゲームだよ。
なんでこれをちゃんとチェックしましょうっていうことでルール化したんですよ。
はい。
でツベルクリンねあるじゃないですか。
あーツベルクリン。
ツベルクリン検査をやると分かるんですって。
へー。
で分かったらもう即時速やかにその牛は隔離とかいうのを義務化しました。
あーそうなんだ。
義務化しろーってヘンリー・コイトさんたちが仲間集めてオラーって暴れてはないけど訴えたんで
衛生状態の改善と認証制度の導入
州政府もそれはさすがにまずいよねってことになって動いたということでそれは義務化されて義務化までいかないかなでもやろうっていうポスターが出るぐらいではなった。
じゃあやっぱり衛生環境も良くないよね。ちゃんとしないといけないよねっていうことで
これあのゲイル・ボーデンが自分のコンデンスミルク作る時に楽の岡さんたちに義務化したように環境ちゃんとしよ洗おうって洗おうねとかさ
オケ洗おうねとか貯蔵方法もゴミが入らんようにちゃんとしようねっていうチェックをしましょうと。
あーチェックをね。
これを州政府が管理をして抜き打ちで行ってチェック表つけてピッピピッピッとチェックしていうことをやりましょうと。
あー今の食品衛生ってそのままだね。
これのね要項もヘンリー・コイトさん自身が書いて仲間たちとみんなで書き上げてそれを提出していわゆる政策提言だよね。
そういうようなことをやって動きました。でその政策提言の中ですごく面白いなと思ったのが製品の品質検査の項目があるんですね。
品質検査。
牛乳の品質をチェックしましょう。科学的に。
あー科学的にね。
細菌がいっぱい入ってるとダメじゃないですか。
だから1ミリリットルあたりの細菌数を1万個未満に限定しましょう。これを超えたやつは認証マークつけさせませんよみたいな。
あーそうなんだ。
1万個ですよ1ミリリットルあたりに。
1ミリリットルに1万個。
多くね。
今の基準で言えばだいぶ多い。
ただこれは善玉菌も含めてです。
あーそういうことね。
そこまでの検査ができないわけじゃないんだけど、全力でそれやっちゃうとコストが半端ないので、一応簡易検査でできるのはここまでみたいなね。
ほうほう。
ということだそうです。で、あとはね、ガラス瓶。
ガラス瓶。
そう。密封されたガラスを使いましょうと。
密封されたガラス。
はい。これね、ハウェディ・サッチャーという人が牛乳専用のガラス瓶っていうのを発明して販売するんですけど、
これはね、落納場で牛乳を瓶詰めします。で、完全に封します。
封をする。
で、はじめのうちはね、なんか木の蓋かなんか使ってたんだけど、きちっと閉まるやつをね。それが革命的だったらしいんだけど、
さらにワイヤーで固定して、簡単に開かない、衝撃とかで開かないようにすると。
おー。まあ瓶だからね。
瓶だから。
そこって抜けちゃうと。
で、ロゴマークが入って、ちゃんと牛さんのマークが入ってるね。これは牛乳だぞみたいな瓶を作って。
で、それで生産者が封をしたら開けるのは消費者っていう流通経路を確立させようっていう運動ね。
ここにハウェディ・サッチャーさんもやろうって言って、言い出したところにちょうどヘンリー・コイトさんが見つけてタッグを組んで、
一緒にやろうぜって言って、この牛乳瓶の流通をさせるっていう感じなんですね。
これが1880年代?
80年代。
すごいね。瓶とかすごい大変だと思うけど。
明治何年とかだよね。1868年が明治元年なので、明治十何年くらいだね日本だと。20年くらい。
明治入ってるのかでも。
明治入ってますよもう。そのくらいの時代感です。だからね、ここのタイミングでやっとミルクがまともに流通し始めるんですよ。
明治に流通始めるって考えると、もうちょっと早くてもよかったのかなと思ったりはするよね。
そうなんですよ。だから日本は牛乳文化が入ってきて日本に定着するのってずっと遅いじゃないですか。
だからヨーロッパのこれまでにずっと喋ってきたミルク文化から考えると相当遅いですよね。数千年。
だけど生のミルクっていうことに関しては大差ない。だってこっからだもん。
そっか。ヨイドンがこっからなんだね。
これの前はあれだから。
今回これとかあれとか多いな。
ちょっと言えない露骨のやつね。毒薬のやつね。
はいはい。
なんで大体このぐらいのタイミングで、ちょうどね細かく言うと全部大変なんでざっと言うと削入器みたいなのも出てくるのがこの時代。
機械ガチャンってつけてね。
削入器ね。
初めの頃の削入器面白いよ。ストローみたいなチューブをね、乳首に突っ込むとかね。
突っ込むの?
もう今だったら絶対動物愛護保管なんかで怒られるやつやんで。
ああそうだね。
痛いじゃん。
まあ痛いだろうね。
でなんか乳腺壊れちゃって、チューブ抜いた後もずっとダラダラモーレ続けるみたいな。
まあそれだけならマジな方だよね。
それで怪我しちゃってそれがミルクに混入して帰って悪化したみたいな。
ああまあ炎症とかもね問題ありそうだよね。
まあそういうのがあったんだけどちょっとずつ改善してくる。
最終的にはカップ型になってね、真空ポンプ使ってね。
初めの頃この足踏みポンプとかで一生懸命頑張ってんのよ。
足踏みポンプ?
うん真空にするために。
ああはいはい。
だけどさ1880年から1890年でしょ?
もうとっくに蒸気機関出てんだから蒸気機関のエンジン使えよとか言うんだけどね。
ああエンジンもあるもんね。
あるんだよ。
これが1900年代くらいかな?
初頭ぐらいにそういうのが出てきて。
で一気になんともぐるぐる回しながら牛のメリーゴーランドみたいなやつ作ってね。
メリーゴーランド?
あの円盤型のでっかい円盤型のやつ作って。
SLとか蒸気機関車が方向転換するときにぐるぐるぐるってこう回るじゃん。
ああ回転台ね。
機関車トーマスとかですね。
あるね。
あの回転台みたいなの作ってそこに牛さんに並んでもらって。
でぐるぐるぐるぐる回って。
牛が回るんだ。
そう牛が回って機械つけて一周回って一周10分くらいで回ってガチャンって外すっていうのをブースいっぱい作ればさ。
もう本当に流れ作業で削入できるじゃん。
ああ確かにね。
そういうのがパリ万博で出たりとかね。
ああそうなんだ。万博に出てる。
万博に出てるらしい。
へえ。
そういうのがだんだんこういくと。
こういうのを機械化とあと人力で頑張るチェックしっかりしようっていう方向でヘンリー・コイトさんが旗頭になっていろんな団体巻き込んで運動するんだよ。
そしたらこの認証運動っていうのが全米に拡大してさ。
1906年の段階ではもうアメリカ全体でみんなで認証牛乳流通させるぞって頑張るわけよ。
へえそこまでいくんだね。
すげえ頑張った結果全米に普及しました。
ただ全流通量、牛乳の全流通量のうち認証ラベルが張られていたのは0.5%から1%でした。
普及はしたんだ。広がったは広がったんだ。
広がったは広がった。ただそれを実行する楽能家さんとかミルク業者さんがほとんどいなかった。
1%かマックスで。
これはさっき言った1mlあたり細菌数1万個未満っていうのをチェックしなきゃいけないじゃん。
確かに。
この検査代がコストがかかるんだって。
そうなんだ。
他のことに比べれば一番確実で一番安いチェック方法なんだけど、それでもやっぱり高いので、
実際売られてる牛乳は他の牛乳に向かうと2倍から4倍の値段がついちゃう。
2倍から4倍か。4倍は痛いね。
しかも今までそのコストはなかったものだからね。作っていた人からすると。
そうなんですよ。だから4倍だよ。今いくらくらい?250円とか300円くらい?
まあ高くてもね。
高い牛乳とか300円くらいだとする。仮に300円とするじゃないですか。4倍ですよ。
1本1000円超えたな。
それは売れないよね。
それはね、ちょっと売れないね。
これだと意味ないよねっていうことでちょっと緩和策も取るんですよ。
緩和策。
1mlあたりの細菌数を5万から10万の範囲に入ってればいいよと。
ほう。
簡易チェックだとそのぐらいの精度ができるらしいんですよ。
ああチェックのやつの種類を変えると。
安いやつに変えればそのぐらいの精度ができますので、じゃあこれでいいよと。
その代わり牛が血格じゃないことだけはちゃんと保証してね。
まあそれはしっかりしてほしいよね。
そうね、これは危ないから。
細菌がいっぱい入っててね、ちょっとお腹壊すとかならまだ重度化したらちょっとあれだけど、血格に比べれば随分マシだからね。
そうね。とりあえず血格なしだけは保証しますということで、認証牛乳に対して保証牛乳っていうのを作ってね。
ほう。
で、流通させると。
保証牛乳。
これに対してはヘンリー・コイットさんたちは、いやいやちょっと待て待て待て、ちょっといいですか、根本的なんか違いませんかって話をするんだけど、でももう政府としてはしょうがないじゃん。
普及しなかった意味ないよね。
まあね4倍はちょっときついからね。
少しでも安全なものを作ってみんなの負担を減らしてバランス取りましょうみたいなことでこういう精度がだんだんと確立していったんですよ。
何事にもステップは必要だね。
低温殺菌法の導入
で、これに対していやいやもっといい方あるんだからそっち使おうよって言ったのがさっき紹介した大富豪のネイサン・ストラウス。
ネイサン・ストラウス。
これはね、ルイ・パスチュールとクロード・ベルナールが作った低温殺菌法ってあるじゃないですか。
ああ、パスチュール。
出てきましたねパスチュール。
出てきたね。
フランスの偉人。
ちゃんと俺聞いてないけどね。
詳しく知りたい方はいずれやるかな、やるかな、どうだろう、わかんないけど。
この間もただいま発行中でやっぱり名前は出てきてた。
パスチュールはもう食品産業の世界では避けて通れない人物なので。
興味がある方は調べてみてください。いずれやるかもしれません。
はい。
この方が低温殺菌法を確立させたのが1866年ですね。
1800年代。
もうフランスでやってたんですよね。
ああ、はいはい。
アメリカはこの時南北戦争が終わったかどうかなみたいな感じ。
で、もともと低温殺菌法よりも前の段階で、普通の殺菌法は確立してるんですよ。
要は煮沸ね。
ああ煮沸。
100度までいっちゃうやつ。
はいはい。
やれば菌がいなくなるよねってことはわかってたんですね。
ああそうなんだ。
ワインでも牛乳でもみんなそうだよねってことになってるんだけど、
さすがにワイン沸騰させたらワインじゃなくなっちゃうでしょ。
まあアルコールがなくなりますし、いろいろなものが失われるよね。
そうなんですよ。だからワイン業者の方がパスチュールに言って、
なんとかなりませんかねパスチュールさんって言って出てきたのが、
もともとワインを流通させるための一つの技として低温殺菌法みたいなのが出てくるんですよ。
ああそうなんだね。ワインなんだね。
もともとワインなんです。
へえ。
で、これを他のものに転用したらいいんじゃねっていうのを一応みんな思ってたんだけど、どうしていいかわかんなかった。
はい。
フランツフォンソックスレイの提案
けどそれを確立させてこれやろうぜ。低温殺菌で牛乳をなんとかいいものにしようぜって言ったのが、
あの有名なフランツフォンソックスレイですよ。
フランツフォンソックスレイ。
ソックスレイ抽出器って知らない?
ソックスレイ抽出器。
何かの溶媒みたいなやつ、科学的な液体ね。飲んだら毒なんだけどそれ大体はね。
そいつに必要なもの、例えばゴマ油を絞りますと。でゴマをすりつぶしてその溶剤のところに溶かし込んで、
で油を混ぜ込んで、あとあとその揮発性の高い薬剤を飛ばしてあげれば分離してあげれば簡単に油が取れるじゃないですか。
ただそれをやると、揮発性の高い危険な溶媒を大量に使うことになる。何百キロもゴマ油取ろうと思ったらね。
だからそのソックスレイ抽出器っていうのを使うと、わずかな量を循環させることで余すことなくゴマ油を抽出することができる。
っていう特殊な抽出器を作ったことで、ご存知有名のあのソックスレイさんね。
すごい人なんだね。
すごい人ですよ。科学に強い人だったらああっていう感じだと思いますが。
どっかかすったのかな。
このソックスレイさんが、この人いろいろと分離して研究してたので、乳タンパクとか乳糖とかがどういうものなのか。
例えばカゼインがあるよねとかホウェイタンパクがあるよねっていうのをきちんと分離して説明したのこの人なんですね。
ああそうなの。
あと乳糖ですねラクトースを説明したのもこの人なんですよ。
ああそうなんだ。
もともと牛乳の研究なんかもしてたので、パストゥールのやってた低温殺菌法を牛乳に転用したら応用したらいいよねこれやりましょうよって言って自分もやるからさって言ってやり始めたんですね。
でみんながそれに合わせて動き出すと。で63度で30分加熱をし続ける。
63度で30分。
まさに低温殺菌法ですよね。
低温殺菌だね。
これでやるといいよねってことになったんだけどここからがね何年も何年もかかるんですよ。
えっここからかかるの。
これはね産業家といわゆる実用家と実験でできるのとやっぱ話が違うんですね。
ああそうなんだ。
例えばビーカーとか試験カーの中で20ccやりますとか。でこれで63度で30分安定させて加熱してその後給冷かけるわけですね。
20ccだったら63度30分キープできそうじゃないですか。
できるね。
これ200キロでやってくださいって言ったらどうですか。
200はちょっときついな。
中心温度と外側温度どうするのって問題出ますよね。
めっちゃムラできるからね。
30分間その温度キープしなきゃいけないんですよ。
それはきついね。
だからね産業家には結構ハードルがあったんですよね。
確かに今の今もさ低温調理するけど肉の塊するけどやっぱ1センチの厚さ違うと時間すんごい変わるもんね。
そうですよね。こういうのをねこれはソックスレイさんが頑張ったのではないんですけど
いろんなミルクを加工する業者さんたちが工夫に工夫を重ねていくんですよ。
いろんな人がやる。でみんなでシェアしていくんでしょうね。
あいつがやったから真似してやろうなのかこれいいぞなのかわかんないですけど。
やってったらこのね高温短時間殺菌法っていうのが1890年頃に出てくるんですね。
高温短時間殺菌法。
これはややこしいんですけど低温殺菌法の中の高温短時間殺菌法ですからね。
ややこしいな。
低温殺菌法っていうのは大体60何度とかじゃないですか。
そうだね。
で高温って言われると100度超えるのかなーみたいな思っちゃいますよね。
違います。100度未満であることは変わらないです。
あそこは変わらない。
もうざっくり100度未満の中で低温殺菌法よりは高いよって感じね。
基準が低温殺菌法の温度ね。
そう。63度よりは高いよってことで72度から75度で15秒やる。
めっちゃ短くなった。
短くなった。
温度ちょっとしか上がってないのに。
うん。それでこれならいけるねってことになったんですよ。
へー。
ただやっぱり大量にやる問題が出るじゃないですか。
この時代ねちょうどいろんな機械技術とか鉄とかああいう加工技術が上がってくるんですね。
ほうほう。
ステンレスで細い溝を作ったんですよ。
めっちゃすごくない?ステンレスだよね。
うん。
もうこの頃にはできるんだ。
できるようになってるんですね。
へー。
この細い溝のところをピシューっと牛乳を通して。
うん。
その流れてる時間がちょうど15秒になるように設定をして、そこはちゃんと72度から75度に瞬間的に上がると。
はー。微妙にアナログ入ってんだ。なんかね。
これ基本的な構造今でもあんま変わってないですよ。
あ、そうなんだ。
ステンレスとかチューブだったりとかね。
あーでもお茶ミスのほうが一緒か。ベルトコンビネーターでね。
スチームの中バーって通すけどあれが何秒って決まってるもんね。
そうですね。あれを細い管の中でやればすぐに温まるしすぐに冷めることができるじゃないですか。
はいはい。
流し一般にしとけば連続処理ができますよね。
そうだね。
産業的に効率が良くなるのでこれでいいねっていうことで。
へー。
でこれがガンガンガンガン動き出すと。
はい。
でここにさっき言った真空ポンプの話とかいろいろ出てくるんですよ。機械化っていうのがね。
機械化。
これを見ていた、これ知っていたのがネイサンストラウスなんですよ。
ネイサンストラウスは知っていた。
これならば、もちろんね、ゴミが入ってたりとか欠格になってたらダメなんだけど、
殺菌できるんだからこれ全部やろうぜと。
そしたら認証牛乳も保証牛乳も全部殺菌すりゃいいじゃん。
まあ確かに検査いらなくなるよね。
そしたらコスト下げられるでしょ。コストが下げられれば子供たちに行き渡るじゃん。
ああ確かに。
この人の観点はそこなんですよ。金持ってる人だけがきれいな安全な牛乳を飲めるんじゃダメなんだと。
貧しい人たちみんなに行き届かないと社会は良くならないんだ。こういう信念の人なんですね。
ああそれでね事前事業やってる人だしね。そういう流れになっていくんだ。
そうなんですよ。でとうとうですね1892年、ネイサンストラウス低温殺菌牛乳研究所を設立します。
低温殺菌法とミルクステーションの開設
研究所作るの?
はい。全部ポケットマネーです。
研究所ってポケットマネーできるんだね。
できるんですよ。
まあネイサンストラウスだからかな。
まあねあの大手百貨店のメイシーズのオーナーですからね。
ああオーナーね。
うんお金持ちなのでそういうことができるんでしょう。
はあ。
元々ねそのメイシーズで働いている従業員に対しても世界恐慌が来たときにね、
福利厚生で牛乳を配ったりとかランチを安く食べられるようにするとか、
そういうね世界でも最初の時期の社内福利みたいなのを頑張った人でもあるんですね。
社内福利。社員が安く食べられたり。
そう社員食堂の走りですよ。
ああ福利厚生の一環でね。
でそれはこれ明治時代とかロンドンとかも全部そうなんですけど、
結構労働者って虐げられてて、じゃがいもかじりつくしかないみたいな。
やばいね。
ようなことが結構多かったんですけど、この人はそれじゃいけないと。
うちの社員たちは我が子も同然なので、低価格でちゃんとランチを提供すべきだって言って社員食堂を整備したりとかね。
へえ。
そういう感じなんですよ。
なるほどね。
その勢いで低温殺菌牛乳研究所みたいなのを設立したりとか、その翌年にはこれすごいですよ、ミルクステーションを開設する。
ミルクステーション。
そう、このミルクステーションが何がすごいって、ここ牛乳を販売する場所なんですよ。
これニューヨーク市内にポンって作るんですね。
はい。
むちゃくちゃの低価格で売られてる牛乳はすべて低温殺菌牛乳なんです。
ああすごいね。
ミルク改革の効果
市場価格の10分の1とかで平気で売ってるんですよ。
安いんだ。
それは初め公園とかでステーション作って、貧しい人たち、労働者とか、あと親が貧しくて子供にミルクとかご飯を与えられないようなお母さんたちに低価格で売る、もしくはお金払えない人たちには無料であげちゃう。
あげる。すごいな。
で、ある人はそこでズルしないでちゃんと払うから。そのぐらいの安さなんで。無い人にはあげるよ、どうぞって。
へえ。
で、翌94年ですね。追加でミルクステーションをさらに3カ所開設します。
ここがちょうど歴史だなと思うのが、まさに世界恐慌のドンピシャのタイミングなんですね。
ドンピシャのタイミング。
1893年アメリカは金融恐慌に襲われる。失業率は35%。
35%?
35%。倒産した企業数1万5千。
1万5千。
ニューヨークの話ですよ。
ニューヨークだけで。
だけで。
35%。やばいね。
社員食堂とかも無料で開放したりしますし、ミルクステーションもバンバン作って最終的には全部で12カ所ぐらいまで増やしたらしいですよ。
これ記録で読んだんですけど、1916年までの間に、これ一時大戦中だね、このくらいまでの間に延べ4300万本の牛乳をこのミルクステーションを使って届けたと。
4300万本?
はい。
20年足らずで。
だから250円とか300円で買ってきた牛乳を10円とか20円とかで売るわけですよ。
うん。
バカみたいに安いでしょ。
安い。
だから赤字の状態でこれを10何年?もう20年近くやってるよね。
10年ぐらいやってるね。
やり続けるんですよ。
いやー。
年間出費額10万ドル。
10万ドル。
当時の価格でね。
当時か。
当時の価値で10万ドル。
ほうほうほう。
ちょっと面白いサイトがあったので、当時1916年代の10万ドルは2020年代だったらいくらですかって計算をするやつがあって、そういうサイト見つけたんですよ。やってみたの。
さすがにね、最近のハイパーインフルエンスまでは考慮されてないんだけど、弾き出された金額が370万ドルに当たるんだって。
370万ドル?370万ドル。
5億円ぐらい?毎年?
毎年か。
毎年ポケットマネーで5億円ぐらいをバーってひたすら垂れ流し続ける。
5億円か。
ミルクステーションだけでね。
だけでか。
うん。これ以外に低温殺菌牛乳研究所とかもあるからね。
へえ。
その他もろもろまちづくりのために頑張ってる活動費とかはもう全部ポケットマネーだからこの人。
うんうんうん。
だからこれね年間10万ドルってメイシーズの株主として得られる配当金軽く上回ってるらしいんだよ。
まあそうだろうね。
もちろん他に事業やってるんでしょうけどね。そんな感じでゴリゴリやっていくと。
へえ。
で頑張ってこの運動し続けて、いろいろね市とか州に掛け合うんですよ。条例作れと。
とにかく条例作ってこれとにかく義務化しろと。ほら有効なの分かったろ。
俺がやってるミルクステーションのミルクを飲んで育った子供たちの乳児死亡率むちゃくちゃ下がったろって。
あんだけあった乳児死亡率がここまで下がったんだから絶対効果あるからやれよって言うんですね。
ニューヨーク市での反発とシカゴでの成功
1907年にニューヨーク市に一回提案するんだけど、まあこれがね反発合うんですよ。
反発に合う。
そう。これはね、19世紀、20世紀初頭のヨーロッパ、アメリカってそうなんですけど、
利権がね。
利権か。
今でもあるんですけど、世界中で。特にこれ佐藤のシリーズでも出てきましたけど、
産業資本家みたいな人と銀行資本家みたいな人たちが政府の中にすげえパイプ持ってるんですよ。
ああ、あったね。
なんなら産業資本家のグループの中から政治家が出てたりしますから。
ああ、あったねその話。
この時代は産業資本家と銀行資本家がくっついて金融資本家みたいな人たちが出てくる時代だけどね。
その人たちがめっちゃ反発するんです。なぜか。楽能家にとってはこの低温殺菌のシステムを導入するのが負担だから。
まあ負担だね。
嫌だから反発されてニューヨーク市に提案したところこれがポシャっちゃうんですよ。
はあ。
なんだけどネサンシュラスが提案していないところで、これは絶対いい。うちは条例にするって言って、
とっとと条例制定しちゃったところがあるんですよ。
ああそうなんだ。
シカゴ。
シカゴ。
すぐ近くですね。
うんうん。
シカゴがこれ絶対やった方がいいじゃん。絶対やろうよ。やるべきだよ。
パーンって通っちゃって、シカゴではアメリカで一番最初に低音殺菌を義務化したんですよ。
ああニューヨーク抜いてシカゴが先に行っちゃうんだ。
世の中の変化とミルクの普及
先に行ったんですよ。でこの実例を持って、またこのシュラスさんと取り巻きって言った言葉があるんですけど、応援する仲間がいるじゃん。
はいはい。
絶対やった方がいい。子供たちのためにもうやるべきだみたいな人たちが運動して、それが動いていった結果、
4年後、1912年ニューヨークでこの市ですね、ニューヨーク市で義務化がついに決められると。
5年越しにね。
うん。
はいはい。
でこれで一気に世の中変わるんですね。
っていうのもこのシカゴとニューヨーク、特にニューヨークシティっていうのは当時のアメリカの最大の街ですからね。
おう。
今でも最大の街なんですけど。
そうだね。
ニューヨークで年間200万リットルが消費されていたんですよ。
200万リットル。
まあ他の地域と比べて桁が2つぐらいでかいと思ってください。
ああはいはい。
もう人口めっちゃ集約してるんでこの時代。
うんうん。
で、このニューヨークに牛乳を届けているのは楽野岡さんが4400件。
ああ4400件。
全部ニューヨーク市の外側から運び込まれてくる。
ほうほう。
7州からニューヨークに牛乳が運び込まれてくるんですね、同時。
でニューヨーク市が低温殺菌牛乳を義務化しちゃったから、この7州4400件全員従わないといけないじゃないですか。
はい。
だから周りの7州もどさくさ紛れに低温殺菌義務化したような状態になっちゃうんですね。
まあそうか周りがね。
はい。
ミルク改革の広がり
そうか全部の州でなっていくからしょうがないよね。
でバタバタバタバタってドミノ倒しのようにオセロパラパラって変わるじゃないですか。
変わるね。
これで7州いきましたよね。
そしたらその7州の中で低温殺菌やってない牛乳売れるか。
売れないね。
売れなくなるじゃない。
うん。
それじゃまたみんなオセロのようにパラパラパラって変わりますよね。
うん。
で隣の州にも出荷するじゃないですか。
するね。
そしたら低温殺菌牛乳の方が売れるじゃないですか。
それはそうだね。
どんどんどんどん押せるように パタパタパタパタ変わってって
1940年代だからこれは第二次大戦直前 ぐらいかなぐらいになる頃には
ほぼ全ての州まああれですよアメリカ 大陸北米のねあの中は全部低温
殺菌が義務化されちゃいました そうだよねなんか今で言う
ちょっと農薬がとか認可された 農薬が使ってる使ってないとか
そういう時限の話じゃないもん ねめっちゃやばいかあのちゃん
と殺菌してあるかの違いでしょ それ殺菌してある方取るでしょ
そうなんだよ 値段も安いし
2倍とか4倍じゃないんだから 行けるぜやろうぜって言ってる
だけだから 誰も病気にはなりたくない
からね うんこれでドワーッと広がって
いくっていうねでこれ余談だけど この人ねこういう動きをしてる
裏で子供のための結核予防センター みたいなまだねそういう予防センター
作っちゃうんだよねまたポケット 前で
結核予防センターも作った そう1909年
1909年 ニューヨーク市にこう提案
するじゃない弾かれるじゃん俺 じゃあ病気減らねえよって乳児
死亡率減らねえよざけんなよって 言って死が動かねえんだったら
俺がやるって言ってニューヨーク 市内に子供のための結核予防センター
作ってそこで乳児死亡率をどう やったら下げられるかっていう
研究に没頭するもちろん自分自身 じゃないよセンター作って研究者
を集めてさ研究すると そうなんだニューヨークめっちゃ
変えたねこの人ね 相当変えたですよこれの少し
前っていうのはスーパーマーケット みたいのもないし横断鉄道ができる
ちょっと前だからね冷蔵庫もまだ まだ普及してないしいう状態だから
表面がちょっと緑色になった肉 を露天でドンドンってハンマー
みたいな斧みたいな包丁で切って 緑色の肉渡されて食えるかボケ
みたいな そんな状態の時代なんですよ1860年代
とか70年代とかって 1860年そんな昔の感じじゃない
けどね だって明治直前KOとかですよ
日本の年号って言ったら 68年が明治元年ですからそんな感じ
へえで全ての州で普及した のが1940年頃めっちゃ最近よね
そうなんですよこれがね だからちょうど前回とか前々回
の話にも出てきましたけど食品衛生 とかそもそも公衆衛生ですね公衆衛生
というのが近代化するのはこの タイミング世界一斉なんですねほとんど
一斉 そうなんだ
ヨーロッパもアメリカも 日本もほぼほぼ同時期でやってる
って感じですね そうかだからお父さんとか
あまり牛乳まだ慣れてないんだ ねその当時生まれた時って日本
だってお父さん生まれたの1949年 だからまだまだその辺は牛乳とか
あまり出てきてないっていう話 だったからなかったっていう話
はチラッと聞いたぞ まあそれは日本の牛乳史の中で
やりましょうか今ちょうど調べ てるとこなんで今すっごい痛く
なっちゃったけど ちょっとねその辺もあるので今回
この1880年代前後のことをいろいろ とこまごまと話をしてるんですよ
これが頭に入っておくとじゃあ 同じ時代の日本どうだったのって
なった時にあーはいはいってなる からまだ調べ途中だから全部なる
かどうかわかんないけどでも今ん とこ僕が勉強してる感じでははい
はいはいはいって感じしてるだから 日本はミルクを使った料理より
も牛乳を飲むほうが多いんだね っていうのが横から
あそうなのその辺がはっきり するんだね
そうですねだからこれ ちょうどねこのシリーズのこの
時代感っていうのはいろいろと 食品産業が大革命が起きる時代
なのでもうちょっと詳しく知り たいよとかなんだっけなと思った
人は冷蔵庫の歴史とか砂糖の歴史 とかその辺をちょっと聞き返して
もらうとはーなるほどねってなる と思いますよ
まあまあそうね確かにね そうなんです
いや俺もちょっと冷蔵庫 あたり記憶がちょっと曖昧だから
もう1回聞いて冷やすシリーズね でこれで一通りできた
じゃないですかただここからどのように 一般に普及していくのかなんですね
一般に普及していく
というのでちょっと次回の予告
をしておくとアメリカは急ピッチ で頑張ったじゃないですかこの
ネイサンシュトラさんのおかげで ですよ言ってみたらきっと誰かが
これやらなきゃダメなんですよ 実験して実証してほらできたでしょ
やろうぜってやんないと多分国 って動かないんですよ
安全な牛乳ができるということ ね
はいねこれはどんなことでも
そうですよ我が国日本はどうなんだ って話なんですけど誰かがこれを
やらなきゃいけないんだなって ことがよくわかったと思うんです
これはアメリカに出てきたんです この人は
アメリカだね
二人ともロンドンにいないん だねこういう人がね
確かにロンドンの問題依然 として解決しないね
そうなんですで州法とか になってある程度アメリカでこの
低温殺菌が確立していくじゃない ですかその時点で全く1ミリも
のがロンドンなんですどうした イギリスの方々どうしました元
植民地のアメリカもうやってます よみたいな感じ
追い越されたね
スパンと抜かれるんですよ
抜かれたね何やったんだろう ねこの頃ね
断然抜かれてるのにでも イギリスの公衆衛生当局は牛乳
は子どもの成長に最高だこれは 崩さないんですね
産業家たちいわゆる産業資本家 と呼ばれる人たち牛乳をもっと
売ろうとは動くんですよ売ろう 栄養いいぞ行こうってなってる
けどこの清潔と安全置いてけぼり なんですねやばないそれ
やばいね
っていうところで慌てて 追っかけていくのが次回からの話
次回なんだねだから解決ではなくて 解決への道なんだねまだね
それで今回ね
ごめんをつけたのがアメリカ でしたという話ですね
そういうことね
今回と次回でワールドワイド なミルクの流れは一旦終了かな
そこからジャパン我が国日本に行こう かなと
今回はやっと日本に行けそうだ ね
行く頑張るもうねちょっと 職場気味ではあるけど行くちゃんと
行く佐藤の時のようにごめんは もう二度とやってはいけない気が
するのでちゃんとやりますよ
そうねあといろいろ後々ね 皆さんに聞かれるんでね日本は
あと突っ込まれるので今回はしっかり 最後までやりきっていただいて
ちょっと長くなりますがもう少し
お付き合いください
はいということで今回はこの 辺で終わりたいと思いますありがとうございました
ありがとうございました
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えっ
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ちょっと
えっ
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