知らないけどね。
俺たちが何をこれ答えられる話なんやけど。
でも、自分たちがまず
どうやってこの世界に入ったかっていうのを
ちょっと話してもおもろいんかなみたいな。
いろいろ多分みんな違うやん。
アプローチの仕方が。
そうですね。
それをちょっと軽く
軽くというか
またこれを小分けにしようけど大事。
それは大事だ。
そんなに聞きたくもないし。
だからちょっとポンポンポンと。
ジャンケンしようよ。
ジャンケン。
誰から行くかみたいな。
誰から行く?
またこれ古い順に行くとさ。
でも時代によってまたそのアプローチも違うかも。
新しい順にします。
いいよいいよ。
あんまでもいいやない。
じゃあ翔太。
なんでうちに来ることになったかというと。
まずはですね。
僕もともとものづくりが好きで。
おるよね。
ありきたりですか。
いいと思うよ。
最初は地図に残る仕事がしたいっていうので。
全輪のあれやねえと。
全輪?
CMなかったですか?
僕の方が多分考えたんですよ。
地図に残る仕事ってCMであるよね。
ありましたありました。
実際それで建築の方に進んで大学に入り建築を学んでいくうちに。
実際作ってもらうなんだろうな。
地図に残る仕事でものづくりをするって言っても。
実際建築で多分僕が携わる場所では僕自身は作らないだろうなっていう結果に至ったんですよ。
作ってもらうっていうよりも作る側をしたいっていうので考えになりまして。
監督業的な。
そうですね。
現場の。
現場の監督さんとなるとやっぱり作る側ではないなと思ったので。
ないと言ったらちょっとあれですけど。
そういった時にやっぱ建築の方で家具も学びまして。
そこでちょっと家具に興味が湧いて。
その当時の教授ですね。
の方に実際その家具の工房どこかご存知ですかっていうので紹介してもらったのがこの今の新区で。
実際にアポ取ってインターンをお願いしまして。
インターン。
インターン職業体験をね。
何年生の時?
あれは2年生。
3年生。
3年生の最初の頃だったかな。
3年生だった気がするよね。
だいたいそもそもインターンってさ。
何なんじゃないけどインターンは3年生でやるものな。
いやでも2年生から。
いつやってもいいんだ。
インターンとかでやるのは3年生から。
僕のとこもありましたね。
なるほどね。
早い人はもう2年生とかこの頃から全然万々いたりしてる人もいましたね。
それでインターンでこちらになりまして。
1週間ぐらいだったよね?10日ぐらい?
そう1週、10日ぐらいでしたね。1週間とちょっとぐらいでしたね。
2人で来たもんね。
それでこんな仕事あるんだっていう衝撃を受けまして。
来たねっつって。
もうビビッと来ましたね。
ビビッと来て。
楽しいって思った?
楽しかったです。
まあ、なんていうんだろうな。
塗装とかそこら辺のことではあったんですけど全然それでも楽しくて。
平成に木触ることさえが楽しかったので。
ここに入りたいなと思ったんですけども。
当時は入る隙がない。
隙がない。
多かったんだ。
あの時結構職人もいたしね。
4、5人、4人ぐらいいらっしゃいましたもんね。
大抵今募集もしてなかった。
あの時だからもううちは雇えんけどねっていう前提やったもんね。
そういった段階でそういう話でしたね。
それでまあそのまま流れるがままジェネコンに入ったんですけども。
まあやっぱりちょっと違うなと思いまして。
その時に僕のシンクのことをインスタでフォローしてずっと見てたんですけども。
その時にちょうど職人さんを募集しますっていう投稿を見まして。
隙が出た。
隙ありって思って急いで。
その時はもう電話じゃなくてDMだったんですけども。
送らせていただきまして。
それで宮城さんとですね時間作ってもらってお話しして。
行きちゃいなよって言って働きさせてくださいって。
そうか。
っていう経緯ですね僕は。
もうあれだよね。
きっかけインターンのインスタDM申し込みっていう。
やっぱなんかすごい現代風なアプローチじゃないですか。
アプローチはそんな感じやね。
同期としても作ることが好きで。
自分の手で何か作りたいみたいな。
そうですね。
やっぱり大きいものの一部を作るとかいうのではなくて。
自分で作れる全てを自分で作りたいなっていう考えだったので。
シンクも一つのお客さんを全部か全部ではないですけど。
なるべく作り手は一人で担当してっていうやり方じゃないですか。
スタイルが。
そこにも魅力感じたのがありますね。
ありがとうございます。
なるほどという感じ。
こういうのもなかなか。
おもろいんじゃないこの回。
足ります?
全編後編になるかもしれない。
全編後編から別れそうな勢いあるね。
わかんないけど。
まあいいや。
じゃあ次。
慎太郎さんの。
僕も老いたちから話すと。
長くなりそうやろ。
かいつまんででいいよ。
かいつまんで。
小さい頃からものづくりとかが好きで。
おるよね。
図工とか美術とか好きで。
なんとなく建築学科っていうものを探して建築学科に入って。
やっぱり就職ってなると建築業界じゃないといけないのかなと勝手に思ってて。
家具業界についても全然ほとんど知らないっていうのもあって。
で、翔太と一緒で。
できれば大きい建物の一部っていうよりかは住宅ぐらいの自分の範疇内のものづくりをしたいなっていうのが。
あって住宅メーカーの現場監督になりました。
住宅の現場監督。
本当は設計も志望してたんですけど現場監督になって。
ほんとそれも翔太と同じような考え方で。
自分が作ってるわけじゃないことへのもどかしさと。
自分もものづくりだったり絵描いたりが好きだったので。
そういう自分の強みを生かしたいなって思ったときに。
なんか現場監督ってもっと適してる人が。
自分じゃない。
自分じゃなくても。
自分じゃなくてもできるなっていうのが。
綺麗に言ったね。
ありまして。
自分の強みを生かせることをしたいなとちょっと思ってたところに。
職場の上司に。
糸島の家具屋さんのところに。
仕事中に連れて行ってもらうきっかけがありまして。
そこは一人でされてるところで。
すごくその時にビビッと来て。
こういう仕事があるんだと思って。
自分で設計して作って取り付ける。
もしくは売るっていう。
家具業界っていいなと思って。
そこにお話を聞きに行って。
全然家具業界のことについて知らなかったので。
まずどうやったら家具屋さんになれるのかっていうのを聞いて。
これは後から。
三畳くんやろ。
三畳屋に。
三畳屋に。
三畳屋に。
三畳屋さんに行って。
聞いたところこういう方法があるよっていうのも多分後からまた話すと思うんですけど。
あって最後にシンクファニチャーがちょうど今募集してるよっていうのを教えていただいて。
僕その時はメールで三宅さんに。
僕はちゃんとメールしました。
DMじゃなくて。
なんかさ家具屋って持って行った時大体お施主さんいてさありがとうございますみたいなあれめっちゃ嬉しくてさ。
あれモチベーションのすげー重要なところ占めてるのにさ。
大工さんも途中で引いてしまうやん。
完成知らないものなんだ。
最後のお礼は家具屋さんが言われるみたいな。
すげー美味しいとこ取りなのにあれなんか。
なんかさあれ大工さんとかも引き渡し忙しいからあれやけどもちろんお礼は言ってるんやろうけどね。
でも出来上がった時の最後のとこにさ追って欲しいなっていうのはあるよね。
それありましたね。
途中で引いてあと知らんっていうのはなんかちょっと気持ち悪い感じが。
大手住宅メーカーだからもうほんと絶対来ないからどんどん次に大工さん行くけど。
そこありましたね。
小さいコンテンとかだともしかしたら最後。
当料だけで呼んでたのね。
頼付けに来たりとかちょっと仕上げに来たりする可能性もありますけど。
それも絶対なかったから。
大工さんともそこの辺がちょっと違うなと思って家具屋さんの特殊性という。
造作家具屋の特殊性があるなと思っているかな。
タカちゃんの?
僕そうですね。
え?タカちゃん?
いやいや俺かな。
どうやって家具屋さん。
どうやって入ったかか。
俺とタカちゃんはどうやって入ったかって聞いたことないかもしれない。
ほんと?
僕はまず大学はプロダクト専攻で。
プロダクトの中でも家具をやりたいっていう風には公言してたんですけど。
最初から?
研究室の配属の時にね。
みんなやっぱりカーデザインとか家電デザインとかそっち方面人気で。
僕の研究室も実際その2つがすごく多かったんだけど。
ちょっと僕だけ色が違って家具やりたいんですよねみたいな感じ。
他の研究室とかに割と家具やりたい人とかランドスケープみたいなやる人とかもいたんだけど。
ちょっとそっちの線とも違うなんかプロダクト的な家具っていう当時は意識があったからその研究室でそこでしてたけど。
いざ就職する時にじゃあどこにどうアプローチしていこうかっていうので。
その考えでいくと家具メーカーなのかなって思いながらちょっとでももやもや違うような気もするって思いながら。
何社かアプローチしてその時は求人してないとか断られてて。
そういうのを知り合いの建築事務所の設計事務所の方に相談したら知ってるとこあるからじゃあ大川に見に行こうかっていうんで連れて行ってもらって。
で実際そこの紹介されたのは別注家具屋さん特注造作家具屋さんを紹介されてそれでその人を介していろんなメーカー何社か見てみようかって言って連れてってくれたんだけど見てもしっくりこず。
でその方のいろいろ回ってくれた方のお仕事をよくよく聞くとこれやんと思って。
うち一人で全部1から10まで全部作ってやるし別注家具っていう職種で毎回作ることも違うし。
すごいやりがいのある仕事だよっていうふうに言われて。
それやん。
あなたやん。
あなたやん。
ちなみに募集してるけどねって。
で車の中で言われてじゃあお願いしますと。
そんな車の中とかで。
そうそうそう。
それで建具と家具としてる会社だったんですけどそこに就職して家具の製造をやることになりましたね。
そういう入り。
工場見学というか。
就職活動気味?
就職活動で何社かアプローチして実際アダルトとかも受けたし。
そこ落ちたけど。
落ちるとこあるんですか?
それは全般的にもう制作で探してたんですか?
職人募集で。
職人募集で。
とかあとなんだろうな家具製造とかいろいろキーワードは自分の中に置いてそういう感じで入って。
さっき家具の仕事って最終的に有り難がられていいねって話あったんやけど。
これ僕そういう入り方してそこの工房に入ったんだけどそこでやってる家具って最終的になんかそういう目に合わない日の目を浴びない家具だと思う。
マンションとか。
マンションの作り付け家具とか病院とかなんだろうな施設系の造作家具とか。
どっちかというとボリュームがある。
そうそうそう。
まとまった量の家具建て具屋さんみたいな感じでね。
そうなるとやっぱりエンドユーザーの人と顔を合わす機会がまずなくて。
これで評価といえばあの施術検査とか社内検査の付箋。
あれババババって貼られるじゃん。
手直しに行く。
手直しに。
あれがなかった時に当たり前の仕事をしたんだなって。
なるほど。
ちょっと悲しくて。
これ悲しいなあっていうのはあって。
でまあしんちゃんとねこうしてやるようになってからはまあ楽しいですね。
入る時にそういうとこまでは何だろう想像じゃないけど入りたいって選ぶ時にそこまでは見えてなかったっておかしいけど。
そこっていうのは。
だからそのさ俺もそうやけど入ってお客さんからありがとうって言われるのが嬉しいっていうのも。
今みたいに入った工場がそういうマンションのやつをたくさんやってるっていうところまでは最初に分かってはなかったのか別にそこに関しては。
それは分かってた。
だけどもう作りたいが強かったから入った時はもう転職かと思って。
作るのは楽しいよね。
そうそうそう作ること自体は楽しくて。
ただそれが俺の仕事何のためにやってんだろうみたいな。
だんだんステージが変わってくるというか。
実際に感謝されて初めて気が付く嬉しさでもありますもんね。
そうよね。
まず同期としては作りたいっていう方がやっぱり。
同期としては作りたいだね手を動かしたいって。
みんな多分そうやろうけど。
そうです。
トラックで取りに来てっていうか工場から一本も出らん職人というかさ。
そういうところもたくさんあるよね。
あるよね。
もう工場出しっていう人たち。
だからああいう人たちも多分新作作るのは好きと思いたいけど作るのは好きでやってて。
お客さんがどういう顔したとか現場にどう収まったとか。
そういうのを知らんで次の製作にかかるやん。
なんか一番そこが楽しいっていうか一番最後のおいしいところになって思うよね。
今思えばそうだね。
だからうちっていうかシンクファニチャーとして施工を他社に振らないとか任せない。
作った人たちが行くっていうのはやっぱり間違ってないっていうか。
たぶん工場たちが一番やらしい話儲かるというか儲かる。
効率的やけん。
そうそうバンバン回せるけん。
職人さんが工場からいなくなると経営的に行くとそれは大打撃なわけで。
だけどやっぱりモチベーションを保つというかモチベーションを上げる意味でも取り付け作業とお客さんとちょっと話すとかはすげえ大事じゃないかなっていう。
そういうとこも見えたっていうのもありましたね。
見ると。
インスタとかホームページとか。
俺はでもそういうの言ってたかもしれない。
ここは譲れないところで。
うちはこういう仕事やけんここが楽しいよっていうのはやっぱり言ってたからね。
っていうわけです。
なるほど。
じゃあ三宅さん。
俺はどっから話すんだろうね。
そうやろ。
大学生たし生まれたときから。
何歳でとか。
みんなと一緒で物作りが好きな少年。
絵とかね。
絵描いたりとか物作ったりは好きで。
俺も建築士志望で。
高校の先輩がそういうこと料理の道に進むって急に言い出して。
その先輩のお店をじゃあ僕が設計しますよっていうところから設計師になろうっていう。
単純な理由で建築系の大学に入る。
いい話。
そこまではね。
やっぱり設計師は繊維引くだけ。
作るのはさっき言った大工さんだとか。
いろんな業種が集まって家とかお店ができるんやけど。
なんとなく自分で作ってるっていう。
多分聞いてて思ったのがみんな感覚一緒なんだなと思って。
自分で繊維引いて自分で作って完成させるっていうのがいいなって思い寄って。
それで家具にすごい興味持ち出しとって。
ただどうしようかなっていうのはあったけど。
研究室の配属とか決めるときに俺結構バイトに明け暮れてて。
配属のときにいかなかったんや。
そしたらヤンキーではない。
そしたら衣装系のところはバーって埋まって。
福祉工学をやってる研究室に一人だけポツンといられたんや。
一人だったの?
一人だったよ。誰もいなかったもん。
これはもう俺建築士じゃなくて家具だなって思えたんやけど。
福祉工学で論文出さないといけんから
引き出しのつまみの形状で障害とかどれが一番引きやすいかとかみたいな研究を家具にしてね。
その頃から俺家具の方に行くしかないみたいになった。
研究室配属で衣装系から外れたってところで
家具の方に路線を全振りするんやけど。
家具屋さんをどこに入ろうかなってなったときに
やっぱり自分で作らないと意味ないから
ベルトコンベア式にっていうか