ポッドキャストと緊張感
スーパーナチュラルハイテンションズ
こうやってね、僕と水野さんが今喋っている会話って、やっぱりポッドキャストを撮っているという、特殊なケースではあるよね。常に意識していないとはいえ、言っても、やっぱり第三者が聞いているという、どこか緊張感があるのかもしれない。
緊張感とは別のところで、逆に言うと、僕たち二人がリラックスしているのかもしれない。向けられている緊張感がちょっと違うのかもしれない。
そういうところがあるのかなと思って、今聞いていて。また別種の緊張感というか。そうそうそうそう。だから、二人のコミュニケーションに関しては緊張感がある。出たところに向かっているというか。リスナーさんに関しては。
何か喋るときに、僕ね、結構最近、接客するときもそうなんですけど、ポッドキャストを撮っているからかもしれないですけど、結構意識して喋るようにしてますね。
何でかというと、編集しててもそうですけど、自分が勘に触る自分の話し方の癖があるの。それは結構直そうかなと思ったりとかしました。難しいんですけどね。癖で出をしても出てしまう。他人はあまりどうも思っていないかもしれないけど、自分が受け入れられるような。そういうのは消すようにはしている。
でも逆に言うと、人にとってはそういう癖が心地よかったりする可能性もある。よくポッドキャストの話だと、あんまり癖をとるなと言いますよね。それはキャラクターですからね。
あと一つはね、僕もそうなんですけど、いつからかわかんないですけど、やっぱり言葉、この喋りにね、結構壁があるんですよね、人と。結構ね、それはね、なんかあるな。だからさっき水野さんが言った文面的な言葉になってしまう。
書き言葉としてしか使われないような言葉を喋る。それはよくわかるな。
僕は18歳で高校出てね、美容室っていう、美容師っていう、どちらかというと女性の世界に入ったわけですよね。
僕は小学、中学、高校生と、もう一気に体育会系なんですよ。
結構ね、中学生の頃もそうでしたけど、結構ね、言葉汚いってよく昔言われたんですよ。割と短期だったし、比較的乱暴だったんですね。口調とかが。
美容室に入った時に、やっぱり女性の世界ということで、まずね、言葉遣い直したんですよ。まずね、俺ってやめたんですよ。
で、接客の時も、俺って言ったらすぐ、俺って言った瞬間、あ、私とか、僕って言い換えて。
あと、飯、飯食べに行くっていうのも、すぐご飯食べに行くとかね。
それもそう、ちょっと汚いですけど、しょんべん行ってくるわ、おしっこ行ってくるわっていうのも、お手洗いに行くように、お手洗いに行くとか。
もうね、言うたびに、なんて言うんですかね、直してたんですよね。
で、まあちょっと気をつけて気をつけて、本当に気をつけて、今みたいな喋り方だったんですよね。割となんかこう、割とソフトだって言われるんですよ、喋り方が。
物腰柔らかというか。
でもね、これってね、実際だいぶん自分の中に身についてはいるんですけど、結構作られたものなんですよね。
でも性格もそれに合わせて変わってくる部分もあるんじゃないですか。
変わってきますね。絶対的にそれは変わってきますよ。
言葉遣い変わると、やっぱりその生き方変わるというのは確かにあると思いますよね。
僕は逆に、最近は俺を使うようにしてるんですよ。
なんていうか、特に女性の前では俺って使うようにしてて、男性性を表面化させようと思って。
なんていうか、ちょっと汚い言葉を使うんですよね。
クォーゼとか。
クォーゼかっこいいな。
ニック・ウィニフォーゼとか。
まあでもそれいいんじゃない。
僕だって今でも、嫁さんにLINE返すときに、俺って入れるの躊躇します。
やっぱそうなんですね。もう女性の前では入馬な。
いや、それ男性の前でもそうだよね。
それに変えてきたから。
変えてきたから。もうなんかね、忌ましめになっちゃってる。
だから俺って言った瞬間、私。だから妻にも私って自分のことを私って入れます。
じゃあ私は自分でご飯を食べます。今日はみたいな感じで。
俺じゃあ夜ご飯食べてくるよって言わないです。
この前もそうなの。なんかね、やってるときに一回消してね。
ちょっとなんかこう、モヤモヤっとしてね。
俺って入れて。
で、私はって入れて。
自己表現の葛藤
ちょっと油断すると、なんか俺みたいな言葉。
えっとね、これはね、もう一段階あって。
ちょっとね、そろそろ第三者に開けてる自分があってもいいなと思うようになってきたの。
なんかね、ちょっとこう、ニュートラルになりかけてるの。
一時、自分を一生懸命作ってきてて。
それが、なんかのタイミングで、ちょっともう少し人に、
なんかさっき言ったように、言葉遣いが自分自身の生き方変えるじゃないですか。
やっぱこういう喋り方することによって、結構壁作るんだよね。壁作ってんだよね、やっぱり。
なるほど。
だから、そういった人に対して物腰柔らかというか、印象をどう考えずに素直に出てくる言葉っていうのを大事にするって感じですかね。
多分ね、そうじゃないとね、やっぱり本当に自分がこう感じてることとか表現が、多分ね、ニュアンス変わってきちゃうと思う。
俺がこう思うよって、こう、うちから出てきた、俺がこう思うよって発すると思うことと、
一回ワンクッション置いて、あ、私はこう思いますよっていうのがね、全然変わると思うんだよね。
あれでしょ、俺っていうのはもうなんていうのか、自分が多い状態っていうか、なんかその自分の原初的な感情みたいなのが出てるときに使う一人称って感じですかね。
そうだね。
僕っていうのは、その客観的に、角が立たないというか、落ち着いた人柄としてのもう一人の人格っていう。
なんかね、最近それがあるから、それで妻にLINE返すときも、なんか俺と私で迷ってしまったというか。
これがね、多分5、6年前だったらそんな迷わなかったと思う。
ここに来て迷い始めたね。
面白いですね、それは。
なんかそろそろ、もっと自分らしさとか表現の仕方って、なんか自分で自分の表現をね、湾曲させてるような気がするんだよな。
そうですね。
確かに。ある種の他人からの印象を気にした状態で言う言葉って自分の感情ではない部分がありますね。
小生は。
小生、50くらいで小生いけるかもしれない。
50、60くらいでしょ。50でも若いでしょ、小生は。
風俗店の感想レビューで。
小生、ついに満を持して、あいかちゃんとご対面。
天使のような笑顔みたいな。
風俗レビューみたいな、よく使われる一年生ですけど。
小生。
例えばね、自分がもう少し20代、30代。
20代、30代はね、俺、俺、俺で突っ走ってきて。
40代、30代、40代に初めて私ってなるんだったら、全然違うと思う。ニュアンスが。
自分はガンガン自分で前に前に出ようとしてた時に、私、私、私で来て。
今度はまたどうなるんだろうね。
それがワンクール来てさ、また戻ろうとしてくると。
余計複雑になってるんだよね。
面白いですね、それは。
でも水野さんも近いものがあるよね。
そうですね。
30になってね、ちょっとこう、自分のね、一人称の表現の仕方をさ、大きく変えるっていう。
そうですね、男らしさみたいなものをちょっと意識するように。
逆行してる感じはありますけどね、時代に。
ちょっと男らしさみたいなものがけんやされる中にあって。
結局、なんか強い自分をちょっと作りたいなっていう部分もあって。
俺を使う時が最近増えましたね。
はいはいはい。
ずっと僕でしたけど。
でもそうだよね。
あの、僕もずっと今言ってるように。
その、一人称ね。
俺にするか私にするかでも、すごく葛藤が生まれる。
そうですね。
それくらいやっぱり言葉の力が強いよね。
確かに。
だから、結局人格が先に来るか言葉が先に来るか。
言葉遣いと自意識
どっちも結構相互的で、言葉から規定される人格もあると思うんですよ。
言葉で逆に形成されていっちゃう。
そうですね。
なんか結構、一方通行みたいな感じがしてて。
最初から、だんだんその言葉を使っていくうちに、自然になっちゃうんですよね。
自然になっちゃうんですよね、その言葉が。
僕とか、入話な言葉遣いが。
だから、どこかで自動に自分の入話な言葉遣いに合わせた事故っていうのが形成されていっちゃって。
そこを、もちろん穏やかなことはいいことだけど、時に弱さを感じることもあるみたいな。
あとは、自分からちょっと離れてしまっている部分もある。
そこはすごい、自意識との距離の取り方が難しいんですね。
一人称と言葉遣いっていうのと。
はいはいはい。
あのー、クチャラって言うじゃないですか。
クチャクチャクチャ音叩く。
あー、はいはいはい。
あれにすごい嫌われてると思うんですよ、世間的に。
はいはいはい。
僕、クチャラ、正直言うとそんなに嫌いじゃなくて、
クチャクチャ音叩いて食べると、しずる感があって、逆に美味しそうだなって思う時もあるんですよ。
しずる感ってどういうこと?
なんかちょっと食べ物の質感っていうか、ジューシーな感じみたいなニュアンスだと思うんですよ。
なんかその、クチャラ、えっと、テレビでどっかで加藤浩二がイセエビを食べてて、
イセエビをクチャクチャ食べる番組を見たことがあって、
あれ美味そうだなって思ったのがきっかけだったんです。
はいはいはい。
なんかね、その、俺と僕っていうのの対立関係って、
クチャクチャ音叩いて食べるか、口閉じて食べるかと似てる気がする。
そうかな?
ちょっと違うか。
でも絶対いると思うんですけどね、クチャラ嫌いじゃない人。
あんまり、逆に言うと気にしてもないね。
あんまり気にしてないね。
口開けて食べるの、結構嫌われるじゃないですか。
でも、ブラピ、ブラトピットって結構食べるシーン多くて、
食べるシーンだけで一本動画作られてるぐらい多いんですけど、
ブラピはあれ口開けて食べてるんですよ。
めっちゃ美味しそうに食べる。
それかっこいいからじゃない?
それか。加藤浩二もかっこいいもんな。
あれか。結局そこも?
ビジュアル?
ビジュアル。
そうなんですかね。
なんかね、すごい最近世間との乖離を感じますね。
作法に関して。
はいはい。
でもそこらへんってどうなんだろうね。
僕ちょっとごめんなさい、分かんないな。
僕ね、人と比べて圧倒的に食事する回数が少ないんですよ。
食事する機会が少ないんですよ。
なるほど。
そうそうそう。
あんまりイメージ分からないんだよね。
人の食事してるシーンとかっていうのは。
僕結構食べ物への執着あるんで、
なんかね、そうだよねって言いましたけどね。
失礼なんだけど。
違う違う、グルメ。
もう、小さい頃におじいさんと一緒に食べたカレーうどんの食べ方とかよく覚えてないですよね。
なんか、カレーうどん。
うどんをご飯の上でバウンドさせて。
バウンドさせて、うまいよね。
で、くちゃくちゃ食べてたっていう場面を覚えてて。
時々あれ一人で真似したりしてますね、一人で。
誰も見てない時にですけど。
僕全然しますよ。
お店でも全然するし。
バウンドさせます。
ご飯をね、うどんの中に入れちゃったりしますね。
なんか、まあまあ、自意識と作法の距離ですよね。
ケースバイケースなところもあると思うんだけどね。
面白いですね、一人称と。
食文化と方言
そういうことが最近あったね。
あと、僕は富山県民でありながらもともとの生まれがね。
やっぱり富山弁あんま出ないんですよ。
富山弁っていうのは。
やっぱり18の時に強烈に言葉遣いを注意したせいで。
あんまり出なくなっちゃったんですよね。
なので、この歳になって京都の自分の田舎の言葉が出るって羨ましいんですよね。
名古屋弁は僕出ますよ。
名古屋弁は出ますけど、
でも僕の自体の、ちっちゃい頃から培ってきた。
自分の文化を持っている文化って富山だから、本当は。
なんかそこのね、方言を出している人を見ると、なんかいいよね。
いいなと思って。
確かに。
うらやましいし。
なんかそこにね、やっぱりその人のスタイルが見えてくる。
なんかそうでありたいなと思うんだよね。