岡田との仕事の葛藤
お聞きの皆さま、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
岡田の続きになるんですけれども、いよいよですね、岡田はこうやって着々と独立の準備をしながらも、このブラック企業でバリバリ仕事をしつつ、私とコンビを組んで、いろんな案件をやっていたんですが、
ついにですね、2人が引き離される、引き裂かれることになります。まるでね、本当にすごく腹が立つんですけれども、悲しい恋愛ドラマみたいなね、そんな状態で、
結局、私たちが仕事を一緒にしていることを心よく思っていない、社内の動きっていうのがずっとあったんですが、ずっと数字が良かったので、私に対してだけ嫌がらせする程度で、
つまり、私だけなんか変なね、意味もなく赤替えさせられたりとか、そういう変な嫌がらせを受けるだけ程度でね、とりあえず済んでいたんですが、ついにね、この岡田がね、いろんなポカを始めたんですよね。
最初ですかね、何回か前にお話しした、着工のタイミングがずれてしまったのにお客さんに連絡するの漏れていたりっていう案件とか、あとね、他にもちょっとね、3発4発、いろいろね、この岡田がお客さんに連絡しなかったっていうね、大きなクレームじゃないわけですよ。
何かこう、全く違う商品をお客様のところに取り付けてしまったとかね、何かこう重大な工事ミスがあって大変な事故が起こるとか、そういったことではなくて、もう本当に些細な営業担当さえしっかりしていれば、未然に防げたような小さなミスが大きなクレームに発展したようなことが、ちょっとね、度重なって起こってですね、
どうしてもここに関しては、私が関わっていたっていうのは大きい案件ばっかりで、基本的には営業担当が全部お客様の窓口になるんですよね。
だから私のような設計とか、あと施工管理とか、そういった人が関わっていたとしても、お客様とのやり取りっていうのは常に営業担当がやるので、こういったね、小さな連絡ミスみたいなものはね、もう防ぎようがなかったんですよね。
こういったことが度重なって、ついに大きなクレームになってしまって、それでね、結局もう一人でやらせちゃダメだっていうふうになったんですよね。
私自身は音が目はなかったんですよ。明らかに営業のミスだっていうことは、上の人たちも分かって、私自体は音が目はなかったんですが、もう岡田の自由にはさせないっていうふうになって。
私はね、もういきなり京都に行ってくれみたいなね、京都のエリアを任せるみたいになって、だから神戸から引き剥がされたんですよ。
社内の人間関係のトラブル
岡田はもう神戸の方だけども、施工管理とそれから別のプランナーが作って言って、私の上司の非常に優秀だった愛さんっていう人がいたんですけれど、この人が岡田の専属の設計担当ということになってですね、事実上私たちは引き剥がされたんですよね。
まあしょうがないなと思って。で、一方ね、私は心のどこかではね、ちょっとほっとしている部分もあって、岡田はね、本当にずっと一緒に仕事したので、彼のいいところとかもいろいろ見てはいたんですが、一方でね、前回もお話ししたように彼が非常に人格的に不安定な部分があるということも分かってたので、
やっとね、そういう意味じゃもう強制的に引き剥がされたんで、ちょっと実はほっとしている部分もあったんですよね。すごく私に依存し始めていたし、結局会社の取り決めとか、いろんな外圧とかにも一切動じないんで、すごいワンマンで、何ていうかな、優位か独尊な性格なんですよね。
それで別に、あなたはいいですよっていうね。あなたは別にこの会社で出世する気もないし、ここである程度ノウハウと人脈さえ手に入れたら、とっとといつでも一刻も早く辞めようっていうね、計算の下に動いているけれども、私自身はそうじゃないわけじゃないですか。私は別に岡田の会社に行きたいと思う。
話がちょっと前後しましたけども、この一緒に仕事してたのが何年間だったかちょっと、何年間かとにかく一緒に仕事してる間ね、毎日一緒にいて、毎日ね、ささやきおかみみたいにね、僕が会社を作ったらこんな感じにしてこうであーで、だから絶対一緒にやりましょうよ、一緒にやりましょうよって言ってね、ずーっとくどかれ続けたんですよ。
ね、だからうちの、うちってごめんなさい、ずっとうちとか言ってもう辞めたブラック企業ですけども、ここでね、本当に嫌な女がいてね、もう本当に嫌な女で、この人はね、岡田の一個上です。だから1979年生まれになるんですかね、ほぼ岡田と同世代の女だったんで、だからつまり私にとってはやはり年下の女性だったんですが、
この会社の社歴が一番長い人だったんですね。まあとにかくそのブラック企業なんで、サイクルが早いわけですよ。みんなせっかく入っても1年もたないでどんどこどんどこ辞めていくので、めちゃくちゃ新陳代謝してる会社だったんで、この私より10歳近く若い子のオツボネがオツボネになっちゃってるわけですよね。
だから年齢関係なく自分が一番古株なんでね、すっごい祝ってたんですよ。気に入らなかったんですよね、私のことがね。ことあることにいろいろ目つけられてたんですけども、この岡田と仲いいのも全部気に入らなくて、いろいろ嫌がらせを受けてたんですが、彼女がどこまで何を疑ってたのかわからないんですが、
私たちがだから、なんか男女関係になってるみたいなことを思ってたっぽいようなことは後で言われたんですけどね、他の人からそういうことを疑われたっぽいよってバカバカしいと思ったんですが、だからね、いろいろ確かに私は毎日のように岡田に耳元で囁かれてたんですよ。
毎日囁かれてたんですが、それは愛の囁きじゃなくてですね、リクルートだったんですよね。悪魔の、悪魔の囁きですよ、もう本当にぜひ僕についてきてください。僕と一緒になればこんなに楽しく仕事ができますよみたいなね、悪魔の囁き。
全然愛の囁きとか誘惑の囁きでも不倫でも何でもなくてですね、本当にそういう悪魔のリクルーティングだったんですよね。でも私はね、全部右から左で全く聞いてなくて、もう絶対誰がこいつの面倒なんか見てやるかっていうね、だから仲も良かったし、彼がすごい努力してることもある種の能力があることも分かってたんですけども、一方でやはり強引すぎるんですよ。
こんな人と一緒にいたら、もう全部巻き込まれて大変なことになるし、こんな人が作った会社なんて冗談じゃないわと思って、全く彼の会社に入る気はなかったんですよね。
一方、こういう色んな出来事が起こって、私と彼は引き離された上に非常に立場が悪くなっちゃったんでね、岡田がね。だから口がね、もう社内では聞いてはいけないみたいな、今考えると本当にバカバカしいんですけどね。
だからしばらくお互いね、もう社内では口を聞かないようにしてね、ちょっと距離を空けたりとかしてる時期もありましたね。周りにも目つけられてて大変だったんで、一旦距離空けたりとかしてる時期がありました。
だからね、今思うとこういう組織ってね、本当にバカバカしいんですよ。バカバカしいんですけれども、やはり一定の集団で秩序を保っているものなのでね、ここでワンマンに自分の流儀で何でもかんでもやる人がいると、それは不協和音を起こすわけですよ。
独立への道
一応この会社では基本的には500万ぐらいの金額以上の大きな工事になれば、あと間取り変更とかが発生する場合は必ず施工管理と設計を入れると。だから営業担当だけで動くんじゃなくて、必ず三味一体でやるっていうルールがあったりとか、あと一応設計の人たちも緩くエリア分けがあったわけですよね。
基本的には営業から声をかけられれば、その時空いてれば受けるっていう風になってたんですよ。営業の人数に対して設計が明らかに人数が少ないので、たった3人とか4人しかいないところに営業自体は当時30人とかいたんで、この人たちをこの3,4人で裁くわけなんで、
その時もパツパツであれば、緩くエリア分けしてたとしても、今空いてるのは私だけですみたいになれば、引き受けたりとかっていうことをしてたんですよね。だから私は一応大阪を受け持ってはいたんですけれども、そもそも私の上司の藍さんはめちゃくちゃ忙しかったんで、
それはね、もう私が神戸の遠いエリアをやってたのは藍さんも助かってたはずなんですよ。岡田が受け持っているエリアっていうのは特に遠いところだったんでね。三宮よりさらに向こう側のエリアだったんで、それはね、私が代わりにそこ行ってるのは非常に助かってたはずなんですけれど、どんどんそうやってうるさく言ってくる人がいて、なんかは面白く思われず、
でも二人でバンバン数字上げてたんでね。数字がいいうちは見逃してくれていたんですが、こういうトラブルがたまたまポンポンと立て続けに起こったときに、そこをね、よしチャンスみたいな感じで一気に二人を引き離して、全く全然違うグループ分けにして、
私はもう京都、京都とかね、そういう遠い遠いまた別の意味で遠いところ受け持ったりとかして、まあもうだいぶ長いことね、あの結局岡田が私より先に辞めたんですが、それまでね、ついに最後はもう一緒に仕事したことはこのブラック企業においてはなかったんですね。
なんでまあそんな感じで離れてたんですけれど、いよいよ彼ね、辞めるタイミングあたりからね、また私に裏からコンタクトを取ってきて、神奈さんいつ来てくれますかみたいな、もう絶対来てくださいと、もうずっと待ってますっていうね、ものすごいもう熱烈な救愛を受けていてですね、ちょっと検討しますということでね。
で私もいろいろまたね、いつどのタイミングで辞めようかっていうのは迷ってたんですね。
で前もそれ私の履歴書であの車で事故って話をした回があったんですが、あれが私が辞めようと本気で思ったきっかけだったんですよね。
もうこれ以上働きすぎたら、いよいよ本当にやばいっていうことが、物理的に事故という形で起こったんで、あれでようやく私も目が覚めたというか、やっぱりこの今の働き方をずっと続けるのは、私もだんだん年齢がね上がってきているし、もうこれは難しいなと思ってやっと辞める気になったんですよね。
で岡田は私より、あれどれくらいかな、半年くらい先に辞めたんですけども、辞めるのもねおかしくて、結局岡田はだからちゃんと計画的に辞めるつもりだったんですよね。
水面下でもう不動産屋さんとちゃんと提携もして、で自分に出資してくれる公務店さんもいて、でそこからちゃんといろいろ準備して、ちゃんと会社名も作って、
でそれもねひどい話で、岡田が私より半年先に辞めてたんですけども、裏で私に連絡常に取っていて、でちょっと神奈さんね、あの名刺を慌てて作んなきゃいけないんで、もう明日には印刷所に回さなきゃいけないから、なんか適当に作ってって言ってね、まだ私はブラック企業にいるんですよ。
でその私にいきなりねロゴと、名刺用のロゴと、なんかもうとにかく作れって言われたんですよ。でね、もうそんなの、でもう締め切りいつだって言ったら、明日でシューって言う。えーって言う。もうね、もう辞めてもお前これかよみたいな。
岡田との関係
でまぁとにかく名刺でも私作ってあげたんですよね。名刺っていうかそのロゴもね適当な素人が作ったやつですよ。だから誰かプロに頼めないのかって言ったら、いやもう明日なんで、明日にもう印刷所に回せないと間に合わないんでシューって言って言われて、えーって言ってまぁ適当に作ったやつが割と最近までずっとそのロゴでやってたんですよ。
でやっとね、あのプロのあのデザイナーさんにね、あのちゃんとした正式なあのロゴを作ってもらったのはつい割と最近なんですよね。恥ずかしい話が。でも頼むからこれ買いたいって言って、お金がかかるからもうこれで十分でシューって言って、ずっとこれで言ってたんですよ。
あーもうひどい。で話をまた戻すと、だから私はまだ辞めてもないし、行くとも言ってないのになぜかもうそういうふうにも実は裏でなんだかんだってもうすでに岡田に使われていたんですよね。
でもこのままじゃもうまた岡田のいいようにされると思って、で私はその事故した後ぐらいから真剣にこれはもうこの会社を辞めるときだと思って転職活動を始めてる、始めたんですよね。であのいろんな会社受けたりとかして、であともうちょっとでね、あの大手リフォーム会社にね、もう内定をもらったんですよね。
でもう行く気になってたんですけれど、なんかねでも引っかかってたんですよね。でこの辺りは確かあの私の履歴書で話してたんでね、もう重複になるんで詳しく言いませんけれども、なんとなくねこのままでいいのかなっていうのはちょっと頭の中にあったんですよね。
でまあずっと岡田がずっとくどき続けてきていてですね、でもう彼は私より先に辞めて、もう最初から結構一人でやってたんですが、なんかそれなりに売上も上げて今のとこなんとかスタートはそれなりにぼちぼちやってますみたいなね。
であの岡田がね、絶対絶対豆じゃない岡田が毎週のようにね、どうでちかみたいな。なんか理由もないし用事もないのに、なんか急にLINEが来たりするんですよね。今どうしてるんですかみたいな。
どうしたんだよとか思って、だからね今思うとだからちゃんとあのやっぱりね、くどき落とすためにね、ちゃんとしっかりね、私のなんかこうズボンの裾を握ってるみたいなね、背中のなんかこうシャツをこうグッと握って逃げられないようにね、なんかしてるみたいなところがあって。
でまぁちょっとどうしようかなとかって思ってて、それで結局ね、うちの母親にね、ちょっと相談してたんですよ。どう思うって言って。うちの母はもうとにかくこのブラック企業がもうマジでやばいと。
もうこんな会社にいたらもううちの娘がいつ何があってもおかしくないっていう危機感があったんで、もう一旦ね、この会社を辞めるためだけにもその大手リフォーム会社行ってもいいんじゃないみたいなことを言うぐらいね、早くもうこのブラック企業を辞めてもらいたがってたんですが、
この岡田のね、ずっとオファーを受けてることは、母はねすごく前向きっていうか、あの岡田君とこ行けばいいじゃんみたいなことずっと言ってたんですよね。私がどうしても岡田を信用しきれてなくて、もう散々このブラック企業でいろいろ一緒にやって、彼の良くないところとか見てたんでね。
どうせね、彼の会社なんか行っちゃったら、またずっと彼の、まあその、なんていうかな、尻拭みみたいなことばっかりやらされるんじゃないかっていうことを何より恐れてたんですよね。
それとちょっと精神的に、どっかね、やはり支配してくるようなところがあるような気がして、すごいね、とにかく警戒してたんですけど、母に言われたのが、いろいろ岡田君にはそれなりに未熟なところとかもあるのかもしれないけども、畑からね、いろいろあんたからの話を聞く限り、本当に多分あんたのことを必要としているし、
あんたの能力を高く買っていて、あんたのことをある程度ね、自由にやらせてくれる人なんじゃないの?っていうことを言われたんですよね。
その視点っていうのは私には全くなくて、いかに有能な、できる社長の下で働くかとか、どうしてもこの会社がちゃんとした会社なのかとか、絶対潰れないかとか、そういうところに目が行きがちですよね。
岡田の経営ビジョン
もちろんそれは何より大事かもしれないんですけれども、それだけじゃなくて、いかにあんたという人を理解して、自由にやらせてくれるかっていう観点で見たときには、大手企業は良くないし、
でも散々私が今までいろんな会社で、特に中間管理職の人とかから嫌われるというか、いびられてきてるのを見てるんでね。だからいろいろそういうことを考えると、意外に岡田くんっていうのは悪い選択肢じゃないかもよ、みたいなことを母に言われたんですよね。
それはね、ちょっとすごく目から鱗っていうところがあって、あるときね、そういうのもあったんで、初めてね、岡田になんでそんなに私を自分の会社に引き抜きたがってんのっていうことをね、バンと割とオープンにというかストレートに聞いてみたんですよね。
そうするとね、岡田が、いや僕はだからもともとずっとアパレルをやってたんで、憧れがあるんですって言うんですよね。憧れって何の憧れっていうと、デザイナーさんとかね、そういうのをずっと横でまあなんとなくね、自分なりに見ていて、すごいものを作り出せる人っていうのがね、憧れがあったって言うんですよ。
自分はそういう才能が全くないと。だけどこの人たちが自由に創作をするためには、やはりその数字を作らなきゃいけないと。その数字を作ってこそ、この人たちが新しいものを生み出したりとかっていうことを支えることができるんだっていうのをね、なんとなくその自分がファッションの世界にいて、本当に末端とはいえね、そういうのを見てきたんで。
やはりね、その生み出す人たちに対する憧れと、そういう人たちをやはり支えなきゃいけないっていうね、なんかそういうのがあるんだって言われたんですよね。
というところでね、今日はここで終わって、続きは次回とさせていただきます。ごきげんよう。