岡田社長の若き日々
お聞きの皆様、おはこんばんちは。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。岡田社長の続きになります。
岡田はですね、また話を戻すんですが、大学の頃からアパレルでアルバイトしつつ、モデルにスカウトされたので、モデルの訓練を受けながら、軽い仕事、モデル業もやりながら、
学生生活を送り、そしていよいよ社会に出るという時にですね、もう彼らの世代っていうのは、超氷河期世代だったんですよね。私たち段階ジュニア世代よりも、さらに過酷な就職難の時代で、もうね、花から就職はもうできないっていう感じで、思ってたみたいですね。
この世代はね、私たち前もその配信をしたことがあると思うんですが、すごくね、たくましいんですよね。私たちの世代の人たちみたいに主体性がないというかね、親とか学校の教育でこうしなさいっていうことを、はいって言っていうことを聞いていった世代と違って、花からすごく主体的に動く人たちなんですよね。
だから、もう音声配信のね、あのプラットフォームの社長さんもそうですけれど、起業する人がね、すごくすごく多かった世代だと思うんですよ。
この岡田もですね、学生時代にずっとアルバイトをしていたこのアパレルの社長さんとね、よかったらちょっと君もね、もう就職とかしても多分ないし、あったとしてもそんな望んでるような職種ってないだろうから、よかったらちょっとセレクトショップとかやってみないかって言われて、
その人がね、いくつか持っているあのショップの中、位置、視点を任されるみたいなところから、これはこれなら自分にもできそうだって思って、でいよいよ自分であの本当に自分の店をね、えーとね、三宮かな、三宮かなんかに構えてやりだすんですよ。
でね、驚くべきことにね、まあいろいろ私今まで岡田社長の話って要所要所にしていて、あのね、とんでもないボンクラだと思っている人もいると思うんですよね。うん。なんですけども、なんかね、不思議な才能は多分この人ね、あの認めたくないんですけれど、あるんですよね。
どう聞いてもね、なんか例えば私がカスハラにあった時も、なんか役に立つどころか、まあむしろ足を引っ張ったりね、助けてくれなかったりね。で今私がこのブラック企業で働いた頃も、まあ私が散々彼には振り回されて、あのしんどい思いもした部分があったんでね。
で、そういう話を主にしているので、皆さんね、岡田社長っていうのはイケメンかもしれないけど、まあろくでもない人だなって、まあちょっと分かってほしいなと思っている割には、昨日の配信を聞いても、えー岡田さんってやっぱりイケメンなんだみたいな、みんなどこまでイケメンに甘いんだっていうね、まあ会ったこともないのに、音声配信で私が喋っているだけでも、なんか岡田の評価が意外に高いなっていうのがちょっと腑に落ちないんですけれども。
まあとにかく、まあでも、まあなんかね、めちゃめちゃなようでいて、不思議な才能があってですね。で実はこのアパレルのね、このセレクトショップっていうのは彼はなんと、大学出てから21ぐらいからずっとやってですよ。
で、実はこの今ね、アパレルっていう非常に非常に厳しい業界で、どんどんね苦しい思いをしたらしいんですね。やっぱりどんどんアパレルが稼げなくなって、衰退の一途をたどっていって、これはもうダメだなってなった時に、えっとね思い切って、通販しかもう生き残る道はないと思って店を畳んでね。
リフォーム業界への挑戦
で通販の方に舵を切ったら、実はねその、だから岡田がやっているこのセレクトショップっていうか、このだからアパレルブランドっていうんですかね、は今もね実は生き残ってるんです。
で、それはだから通販でずっと彼の、だから例えば岡田ブランドみたいなね、もうちょっとマシな名前がなんかないことでしょうかね。
なんかとにかくその岡田の会社のこの、えっとだからブランドは残っていて、あの通販ではあのめちゃくちゃ儲けてはいませんけども、黒字のままずっと継続しているらしいです。
で、これはもう自分は完全に手を引いて、岡田のお母さんとね、あと兄弟にもう完全に任せたみたいなんですよね。
で、そこでもう全くもうアパレルはもう稼げない。もう絶対もうこれから衰退していくから、それこそそのユニクロとかね、あのH&Mとかザラとかこういった大手、あのファーストファッションがどんどん出てきた時代ですよね。
もうこれはもうとてもじゃないけども、あの福で稼げないっていうふうに見切りをつけてですね、彼はもう新規行って全く違う業界に飛び込もうと決意をしたんですよね。
で、そのあたりで長らく、大学時代からだったのかな、ずっと付き合っていた彼女と結婚して、家庭も持って、頑張らなきゃっていうことでね。
で、そこでもう岡田としてはね、何でもよかったそうです。その時彼は30、30歳とか31歳とかだったと思います。
で、もう何でもいいからとにかく雇ってくれるとこで、これからだから伸びる業界だったら何でもいいと思って、いろんなところに応募したそうです。
で、そこで何社か、例えば保険のセールスとかね、いろいろあったんですけれど、そのリフォームの方にたまたま募集があったんで応募したところ、
当時ね、このブラック企業は時代がね、またこの時代は売り手市場ですか、逆か買い手市場になったんですよね。
だからつまり雇う方が強い時代で、まただから就職難の時代だったんですよ。
だからこんなブラック企業といえども、何百人も応募に対して人が来てたらしいです。
で、3つぐらい面接をくぐり抜けて、見事にこの何百人受けに来ていたうちの2人で生き残って、
うちのブラック企業に内定したっていうね、それぐらいなんだよっていうね、こんな程度の会社なんですけれども、そういう時代もあったんですよね。
で、とにかくそこでこのリフォーム企業に入って、30年過ぎて初めての業界に飛び込んでね、もう本当にゼロからね、全部自分で覚え込んでいったんですよね。
で、こんなブラックなんでね、最初の2、3日ぐらいだったそうですね。先輩がついて、OJT的なことをね、やってくれたのは。
で、あとはもうさ、あとはどうぞ勝手にやってくれみたいな感じで、いきなりあるエリアを任されて、そこで全部やったんですけども、
彼はね、もうつまり、彼はもう初めからね、ここでサラリーマンとしてこの会社で長く働こうっていう気はなかったんですよね。
とにかくアパレルは、そこそこ頑張ったけれども、もう手を引いて、次なる新しい何かジャンルを見つけて、そこでまた自分で起業することしか頭になかったそうなんですよね。
だから何でもいいからとにかく必死で短期間で仕事を覚え込んで、また早くなるべく早く自分の会社を立ち上げようっていうね、そういう野心を持ってた人なんですよね。
で、ここでもう初めから一人でね、全部自給自足で仕事を覚えていって、職人さんに張り付いてですね、朝から晩まで職人さんのやる作業をずっと横で見て、こうやってリフォームってできていくんだなっていうのを見て、
それまでは洋服を売ったりしてた人がですね、今度はそうやってリフォームの仕事を覚えていって、あっという間にですね、トップセールスの営業マンになっていくわけですね。
岡田の魅力と評価
で、やっぱり見た目もいいしね、お客さんから信用される。何より不動産屋さんから気に入られるんですよね。
岡田のね、面白いなと私が思っているところは、女性からももちろんかっこいいって言われるんですけれど、男性からね、すごく好かれるっていうかね、かっこいいって言われるんですよ。
芸受けするっていう意味じゃ全くなくて、すごくね、ホモソーシャルの男性たちからとても気に入られるんですよね。
なんかそういえば面白かったのが、このブラック企業にいた時に社内、社員旅行があったんですね。ある時ね、もう1回こっきりでしたけどね。
で、社員旅行行った時に、みんな何十人かで行って、男性と女性で、それぞれ部屋はもちろん違ったんですけれど、山梨か何かのね、温泉宿か何かに泊まったんですよね。
で、男優と女優が当然あるんですけど、このね、みんなお風呂、一風呂入って後、みんなで食事する時にですね、「いや、岡田はいい体してるよね。」みたいなことをね、もうね、男同士でベラベラ喋ってるんですよね。
で、みんなのお兄ちゃん部長とかね、その時のトップのお兄ちゃんとかの方がちょっと岡田より若かったと思うんですよね。彼若かったから、その時28でちょっと数歳年上のね、岡田のことも、「お前はもう可愛い男前やからなー。」みたいなね。
岡田さんってかっこいいだけじゃなくて、体もいい体してるんだみたいなね。またみんなちょっと女子社員たちがちょっとドヨメーたりしてたんですけども、野球を長らくやってるんで、がたいもすごくいいんですよね。
ちゃんと逆三角形の、ちゃんと背中が広くて、胸板も厚いみたいな体型をしてるみたいなんですよ。だから男の人からとにかくすごく受けが良くて、だから不動産屋とかに行くとすぐにファンができるんですよね。
岡田さん、岡田さんということで、みんな岡田に是非リフォームのお客さんいるから紹介していいって言って、任せていくっていうのでね。だからどんどんこの不動産ルートでも彼は信頼を勝ち取っていって、どんどんどんどん得意先を増やしていき、そしてお客様からも受けがいいわけですよ。
イケメンだし爽やかだし、きちっとしてるんでね。なんかチャラチャラしたところが全くないんで、すごい好青年だって思われてお客さんからもすごく受けが良くて、数字はすごく良かったんですよね。
それでですね、さらにやはり職人さんからもすごく人気があって、岡田さんはもう男前だなーみたいなね。ヤンキー揃いの職人さんたちからもすごいキャッキャキャッキャとね、もてはやされていて、なんかね王子様みたいになってて、面白かったのがね、元暴走族の電気屋さんがいて、その人がね
岡田社長イケメンですよねーとかって言ってね、いつも仕事もらってる間柄ですしね、岡田を見るとわざとね、ものすごくあからさまなお世辞みたいなことをわざと言ったりしてたんですよ。岡田さんかっこいいな、学生時代ってどんな車乗ったんですかとかって言って、チェロキーに乗ってましたとかって言うと、いやーイケメンに会社もう最高の組み合わせですねーとかって言って
わかりやすいお世辞とか言うと、にっこり微笑んで、岡田がね、いやいやとかね、謙遜しないんですよ。それでね、この元暴走族のね、あの電気屋が、いやー岡田社長ね、あのこうやって持ち上げるとね、普通そこでいやいやそんなそんなとかって謙遜するのに、謙遜しないところがね、またいいんですよねーとか言って
岡田の起業サポート
すごいね、なんかネタにしてたのがすっごい面白かったんですけど、まあだからとにかく自分はイケメンなんだっていう自覚はあるんでしょうね。で、みんなから持ち上げられても別に何にもそれに対して謙遜もしないっていうね、まあでも別にだからって、ほら俺はイケメンでしょみたいな、全然威張ったりとか一切なくて、むしろあんまり外見を褒められてもね全然嬉しくなさそうでしたね。
なんかそれはもうあんまり自分が別に努力して手に入れたものじゃないんで、そこをすごく褒められてもね、あっそうっていうような顔してますね、いつもね。
まあそれはいいんですけれど、とにかく職人さんからもすごく受けが良くて、やはりね、そういったところからチャンスの糸口を掴んでるんですよ。
この職人さんの中にはね、結構たくさんの人を雇って、もう20人ぐらいの大きな公務店にしている人とかね、そういう人も含んでるんですよ。
そういう中からですね、一つとある会社の社長さん兼職人さんがね、岡田くんはねすごい能力高いから、ぜひ一緒に何か事業やらないかっていうふうにね、声をかけられてるんですよね。
どういう内容かというと、だから僕が出資してあげるから、岡田くんが好きなようにリフォーム会社やんなさいと。こうやって雇われてサラリーマンでいるのもったいないよって。だから君は起業してやればいいと。
お金も出してあげるし、いろいろ援助もするからやってごらんみたいなことをね、やはり後ろだって知ってくれる人が出てきたんですよね。その人もすごく信用できる人だということで。
起業する話はね、かなり早い段階から水面下で出ていたそうなんですね。さらに岡田が運がいいのがですね、このように非常に不動産屋さんから信用される人なので、すごくね、この超大手不動産会社。
もう誰もが知っている全国チェーンの大手リフォームじゃなくて、不動産会社のかなり力のある、この不動産屋さんっていうのはね、大体このエリアでセンター庁って言うんですね。支店庁みたいな立場にいるのがセンター庁って言って、例えば
大阪センターとかね、渋谷センターとかっていう感じで、大体駅とかエリアで一つの支店があって、そこのセンター庁になったりとかするんですが、売上が高い店舗のセンター庁っていうのはかなり力を持ってるんですよね。
こういった人たちから一定の岡田ファンみたいな、岡田をとても高く買っている人たちがいて、彼らの後ろ盾があってですね、本来こんなまだ何もないわけですよ。まだ会社自体が立ち上がってもない時からですね、岡田君が起業するんだったら絶対に協力するよって言ってくれて、
早々にですよ、まだ会社の定債が整ってもない時から、さっさととにかく何でもいいから、名義を借りてでもいいから、とにかく会社作っちゃえと。
そうしたら、僕がある程度決済権がある間にもう業者登録してあげるからっていうことでね、この超大手不動産会社の力がある人が後ろ盾してくれてですね、もうさっさとですね、業務提携をできてるんです。
これはとても大きいことで、今となってはもうこれ不可能なんですよ。この時代はまだギリギリちょっとそういう一部の社員の個人的な力でね、こういったこともできるようになってたんですが、もうこのちょっと後、
もう2、3年もしないうちにどんどん社内的なこういったコンプライアンスとかがね、どんどん厳しくなっていって、そんな適当な業者を適当に一社員が気に入ったからって言って業務提携もできないと。
ここで扱う業者とかっていうのはもう直接自分たちその不動産会社の信用にも関わるものなんでね、そんな適当な企業とはもちろん提携できないということで、今はとても厳しいんですよ。
もう企業してから、例えば5年以上経っていて、ずっと黒字だとかね、ちゃんともう右肩上がりに成長できているかとか、あと何人の従業員がいて、その従業員たちっていうのはちゃんと資格を持っている人が何人いるのかとか、そういったところまで厳しく見られて、そういった企業じゃないとこういう大手不動産会社とはもう業務提携できないという風になってるんですよ。
ハードな通勤生活
だから岡田はね、まだ何もない状態で、事務所もまだ借りてないのに、もうさっさとこの、要するに出資してくれてるっていうね、君が起業するんだったら応援するよって言ってくれていた公務店のね、社長の会社のなんていうかな姉妹会社みたいな感じにして、それでまあなんていうか等規模を上げて、それでさっさとまだ何も事務所も借りてなければ何にもない状態で、もうとりあえずですね適当な名前つけて、
で、もうさっさと実はもう社内にまだいる時にですよ、まだこのブラック企業にいる時にすでにそういう業務提携の、もうそういう手続きを済ましてたんですよ。
で、その辺まで整えつつ着々と準備しながら、祝々とね、このブラック企業で売り上げも上げながら仕事してたんですが、とにかく休みもなく働いていてね、もう多分ね月に、だからね週に1回帰れてたかどうかっていう感じだと思います。
で、その時彼はね、奥さんの実家に近いかなりこの大阪からはね遠いところにもうなんていうか住んでいたんですよね。奥さんが子育てしやすいようにって言って、奥さんの実家がある遠方の地域に家をそこに住んでいたので、彼はねすごい通勤が遠かったんですよね。
で、もう2時間くらいかけて大阪に通って、またそこから神戸エリアに行くのにね、車で1時間半とか2時間かけて行くみたいな、もうめちゃめちゃなスケジュールだったんで、もう普通のね勤務日はもう自宅に帰れなかったんですよ。
だから毎日ね、深夜まで働いて、で実家が大阪だったんで、その実家に寝泊まりしてましたね。で、ようやく火曜日の晩から水曜日だけは休みを取ってね、そこは自分の奥さんと子供がいるところに帰るみたいなことをしてたんで、本当にハードな思いをしながら、でもこれもあとちょっとの多分ね、自分が起業するまでの辛抱だと思って頑張ってたんだと思うんですよね。
なんかまたね、結構岡田の話でまた長くなっているんですけれど、また次に続きます。はい、ごきげんよう。