美輪明宏さんの訃報と追悼
お聞きの皆様、おはこんばんちは。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。 今朝なんですけれども、速報で三浦昭宏さんが91歳でお亡くなりになったというニュースが飛び込んできまして、非常にちょっと今日はしんびりした気持ちで、なんか寂しいなぁと思ってね、三浦昭宏さんが私は好きだったんですよね。
年齢が91歳で、しかも三浦昭宏さんはずっと体が結構弱くて、何度も生死の境をさまようような病気も克服してこられたりして、決して元々頑丈な体の人ではなかった。
わりにはね、91歳まで長生きされたんでね、まあまあまあね、と思うんですけれども、でも寂しいなという気持ちはちょっとどうしてもあって、ちょっと今日は三浦昭宏さんのことについてお話ししたいなと思ったんですよね。
美輪明宏さんの波乱万丈なキャリア
三浦昭宏さんのことは多分皆さんよく知っている方もいらっしゃると思うんですけれども、この人はね、何度も何度もキャリアに浮き沈みがあってですね、元々は丸山昭宏っていう名前で、絶世の美少年として世の中に出てきてね、歌手として大変な人気を博したんですけれども、その後落ち目になってね、忘れ去られたり売れなくなったり、
キャリアをどん底まで落ちたと思うと、また蘇ってきたりっていうね、何度も浮き沈みを体験されている人なんですよね。私の世代が三浦さんを好きになったのは、この人のキャリアの3度目ぐらいのピークの時だったと思うんですよね。
でも結局その後、何度も浮き沈みがあった後、結局は息の長い、ずっといろんな世代の人たちからなんとなく親しまれるというか、知られたタレントとしてね、生涯を全うされたなぁなんて思ってね。
例えば私の親の世代とかにしたら、超有名人なんですよね。この当時はシャンソン歌手として、しかも最近のね、金髪に染めている三浦さんをね、見慣れた人にしたら、なんか変なおばさんみたいな人だという感じがすると思うんですけども、この若い時の写真をね、一度ちょっとネットで見てもらいたいんですけれど、こんなに綺麗な人いないっていうね。
もう信じられないような、絶世の美貌の人なんですよね。最初にブレイクしたのがですね、銀座のね、シャンソン喫茶っていうのが当時あって、シャンソンを聞かせる喫茶、喫茶って言っても多分お酒も出すようなところだったと思うんですけれども、銀パリっていうね、銀座の銀にパリね、フランスのパリ、銀パリっていう有名なシャンソン喫茶があって、
そこに絶世の美貌のボーイ兼歌手がいるっていうことで、大変有名になってですね、当時のね、文化人、有名人とかね、政治家とかがみんなこの丸山昭寛を見に来るっていうぐらいのね、そういう存在だったんですよね。
で、ここで最初に見染められたのが三島由紀夫。最初というか、いろんな人から見染められた中の一人が三島由紀夫だったり、寺山修司だったり、あと誰だろう、野坂明義とかね、吉浩純之介とか、あとイラスト、ソレイユっていうね、有名な少女雑誌、今で言う女の子用のファッション雑誌の先駆けですけれども、
そこでイラストを描いていた中原純一とかね、そういう曹操たる人たちが丸山昭寛にね、会いたいがために今常連になったみたいな、そういう人だったんですよね。
美輪明宏さんの出自と特異な美貌
で、この人自身は長崎の出身で、被爆してるんですよね、原爆のね。
で、さらにですね、この出自も非常に変わっていて、この長崎市内にある花町出身なんですよね。
だから、誘拐とかね、そういう女郎や女郎というか、売春している女性たちがいるようなところの息子だったんですよね。
でも、経歴は間違いなく日本人の親の間で生まれてるんですけれども、何かね、何かいろんな人種の違いが混ざったような、もう信じられないぐらい美しい人なんですよね。
ほりが深くてね、ぱっちりした目でね。で、あとこの人はゲイでね。それを隠すことなくずっと美少年としてね、お化粧したりとかね。
とてもだから、今で言うお姉キャラ、オカマのタレントさんとかね、オカマっていう言葉はわざと言ってますから、差別的な意味じゃなく。
で、そういう人たちの先駆けですよね。たぶん一番、三脇博さんが一番先だったと思うんですよ、誰よりも。
この後いろんなカルーセル牧とかね、いろいろあのピーターとかね、いろんな人出てきますけれども、たぶん一番最初が三脇博さんだったと思うんですよね。
で、まあそういう男だけども、女のような格好したりね、女装したりとか、もうその両性固有的な美しさを持った人として出てきて、そして多くの文化人やね、クリエイターから愛された人ですね。
この人自身も歌を歌ったり、お芝居したり、いろいろなことするんですけれども、この人自身が何かこう特別歌が上手いとか、そういったこと以上にね、才能ある三島由紀夫とか、なんだっけ、寺山修司とか、そういった人たちに何かこう芸術的、何かこう創作意欲を掻き立てるような、ミューズのような存在の人でもあったと思うんですよね。
『黒トカゲ』と三島由紀夫との関係
で、私はちょうどね、これ何年ぐらい前だったか、かなり前ですけども、20年ぐらい前に三羽さんのね、黒トカゲっていうお芝居を見てるんですよ。
で、これが私が三羽さんを、実物のね、三羽さんを見てる、これが一度だけなんですけれども、素晴らしいお芝居でしたね。
で、これ、黒トカゲっていうのは、原作が江戸川乱歩の推理小説というかね、ミステリーで、これを三島由紀夫が舞台用に脚本、脚色していて、それが全てこの丸山明洋のために、黒トカゲ作ってるんですよね。
それぐらい惚れ込まれてて、この二人が恋愛関係だったのかどうかっていうのはね、ちょっとよくわからないんですけども、三羽さんはね、堂々とゲイなんですけれど、三島由紀夫もゲイだったんですね。
奥さんもいて、子供もいらっしゃるんですけども、一応だからバイセクシャルとも言えるし、ただこの人ね、三島由紀夫は仮面の告白っていう、一番最初に書いている辞伝小説があるんですね。
めっちゃ面白いんで、よかったら読んでほしいんですけれども、仮面の告白はもう、私は多分三島由紀夫の小説ってほとんど読んでて、どれも面白いんですけども、大好きですね。大好きなうちの一つです。
これで、せきららに自分の同性愛をちゃんと告白してるんですよね。だからゲイだと思うんですけども、だからといって三島由紀夫と三羽明宏が恋愛関係だったかどうかちょっとよくわからないんですけど、それ以上にね、やはり三羽明宏を見ていると、いろいろ創作欲を掻き立てられて、いろんな作品を作っていったんじゃないかなと思うんですよね。
寺山修司も多分同じだと思います。恋愛関係というよりは、そういうお互いにクリエイティブなインスピレーションを与え合う、いいパートナーシップみたいなのがあったのかなと思うんですけれどもね。黒トカゲもね、その頃、今思うと三羽さんも70代だったかもしれないけども、ちゃんと声も出てたしね、美しかったですよ。
転落と再生の人生
話戻すと、だからこういう沖谷というかね、花町、裕閣から出てきた異能の人、そして信じられないほど美しい三羽明宏なんですけども、いろいろこうやってシャンソン歌手として大ブレイクするんですけども、いろいろ実は裏であって、一旦消えちゃうというかね。
売れなくなって、どん底まで行って、体も悪くしたり、あと破産したりね。破産というより、お金を全部騙し取られたのか、何かしてとにかくお金もなくなったりとかね、あと家族をみんな養ってたりね、いろいろとにかく20区、30区、40区だったりとかしてるところも、またそうなると誰かからフックされてね、甦ってきたりとかっていうのをして、
結局はね、最後こうやって、今日も三羽明宏さんが死んだって言ったら、速報でニュースが流れるような、いろんな世代の人から親しまれる人としてね、最後を全うしたんだなぁなんて思って。
『紫の履歴書』との出会いと勇気
私が三羽明宏のことはね、存在としては知ってたんですよね。だから私が好きなジャンルの中にいるんでね、この人。私は江戸川乱歩も大好きですし、三島由紀夫も大好きだし、寺山秀次も好きだったんで、当然三羽明宏のことは知ってたんですけれども、ただね、ファンになったのは、だって直接この人のお芝居とか見れてるわけじゃないんで、
エンターテイナーとしての三羽さんを直接見る機会っていうのは、私の世代はあまりなかったんでね。私が三羽さんを好きになったのは、紫の履歴書っていう辞典を出されてるんですね。
この紫の履歴書っていう本は、大大大ベストセラーで、何度もね、絶版になってはまた新装版で再版されたりとかっていうことを繰り返してて、今も出てるのかなぁ。でも多分ね、これでお亡くなりになったんでまた出るような気がしますね。
すごい私はこの本をちょうど、非常に苦しい。私ごとで大変恥ずかしいんですけども、離婚した後、ついに社会人になるために漕ぎ出すことになった時に、いろいろ苦しい思いをしてたんですね。
一旦は結婚して専業主婦に、短い時間なんで、わずか2年だけなんですけども、専業主婦だったのがね、離婚してまた自分は自分で社会に出ていかなければいけないってなって、いろいろ苦しんでたんですよね。
さらに非常に辛い恋愛もその後してたんです。すごく辛い恋愛を実はしてる時期がありまして、すごいね、発砲塞がりだったんですね。精神的に。もうどうしようっていう。キャリアもどうしていいかわかんないし。
まだ離婚の板でもなんとなくまだ引きずっていて、せっかく出会いがあって、そういう恋愛してても、これも発砲塞がりだったりとかで、非常に辛い時期があったんですよね。
その時にこの紫の履歴書をなんとなく、なんかね、読んだんですね。これ手に取って。すごいものすごく勇気づけられたんですよね。この紫の履歴書は本当に名長で、すごいいい話なんでね、またこれも三島由紀夫の仮面の告白と合わせてね、これも読んでいただけたらと思うんですけどもね。
『紫の履歴書』に込められた苦難と再生
これはね、詳しくは言わないんですけれども、この三島さんがね、すごい大ブレイクして華々しくデビューするんですけれども、やはりね、これ被爆してたことも原因だったのかわからないんですけど、非常に体が弱かったんですよね。
体も悪かったり、あと経済的にもものすごく貧乏だったり、成功したけどまた貧乏になったりね。自分にたかってくる身内とかね、金鶴としてね、いろいろたかられていたりとか、利用したり騙されたり、あと恋愛でもものすごく辛い思いをされてたりね。
三島さんはですね、これ自分で告白されてるんですけれども、当時の超人気イケメン俳優とね、恋愛関係だったんですよね。
当然その相手の二枚目俳優は、二枚目として普通の女性に人気があるような俳優さんだったんで、当然二人の同性愛とか絶対にバレてはいけないことなんでね、秘密の恋愛してて、でもその人が若くして死んでしまうんですよね、事故でね。
その死に目にも会えなかったりとか、秘密の恋愛なのでね、誰にもバレてはいけないっていうので、ものすごい悲しい別れを経験されてるんですよね。
長く苦しい秘密の恋愛、最後はそういう相手が亡くなったことで終わってしまった恋愛とかね、いろんなその自分の病気、そしてその経済的なこと、あとキャリアのこと、あと恋愛のこととかありとあらゆることで、
発砲ふさがりだったところをまた希望の光を見つけてね、そこからまた再生していこうっていう時に書かれた本なんですよね。
めちゃめちゃ勇気づけられて、最終的にこの人ってそういう人になりましたよね。
美輪明宏さんのスピリチュアルな側面
なんかちょっと少しね、スピリチュアルなこと言うんで、そこはちょっとね、多めに見ないといけないんですね。
天草しろの生まれ変わりだとか、あといろんなこの人、いろいろ霊が見えるとかね、霊っていうのかな、なんかオーラが見えるとか、ちょっとややスピーなんで、この人。
ちょっとそこはね、みわさんなんで、ここは多めに見ないといけないんですけれども、でもね、いろんな苦労をされて、そこから再生していこうっていうね、ものすごく勇気づけられる時点だったんですね。
紫の履歴書、あれじゃないですかね、細木和子の魔女の履歴書とは違いますからね、あれは詐欺師っていうかね、女役山、実態を告発するノンフィクションなんですけども、この紫の履歴書はみわさん自身が自分の数奇な反省を振り返っている辞典なんですよね。
唯一無二の履歴書という生き方
これ読んでね、逆境から立ち上がっていくっていうところにね、シンプルにそこに非常に感動というか、勇気づけられるっていうのはもちろんなんですけれども、この当時だから多分30代後半とか40になる前に書いてたと思うんですね、これ最初の。
どんどんこれ何度も何度もベストセラーになるんで、何度も真相版になって多分歌詞修正したりとかもされてるんでね、だけど一番最初にこれ書いた時はまだだからなんだかんだ言って意外に若いんですよね。
ですけどもこの時に思ったんです私、自分も例えばだから紫の履歴書じゃなくて何でしょうね、自分の履歴書っていうのは、これだけいろいろ苦難や辛いこととかがあっても、三浮博の履歴書って唯一無二じゃないですか。
全てがね、全てがとにかく。だからなんかね、そういう意味でもなんかすごい勇気づけられたんですよ。
だからこの三浮博さんが体験してきた苦難とか苦労とかっていうのは、私ごときのしょうもないねスケールのちっちゃな苦労と比べたら全然比べ物にならないということはちょっと一旦置いておいて、でも自分の範囲ではやはりその時やっぱ辛かったり苦しかったりするわけですよ。
私自身もそのやっぱり当時のその私の同世代の人たちと比べるとちょっとやっぱりやや変わった環境で育ってきたっていうのもあって、もうこれことごとく私はこれコンプレックスだったんですよね。
どうしてうちはこんなに他の人の家と違うんだろうとか、なんで自分はこうなんだろうとかね。すごい全てがね、なんかあの孤立感を持ってたんですよね。なんか他の人と違うっていうことがいろいろあって。
で、でも三羽さんのね、なんかもうこんなすごいもうなんか人一倍苦労もしてるけれども、人一倍なんかこうやはり愛されてもいるこの人生って、いやーと思ってなんかすごいね、なんかそういう目で読んだんですよね。この紫の履歴書っていう本をね。
だから履歴書っていうのはまっすぐ何かこう挫折がなく淡々とね、なんかまっすぐな方がいいっていう風になんか思い込みがあったんですよね。まだ若くて私も。
ですけども、波瀾万丈、山あり谷あり、谷底の一番下まで落ちてもうまたね、また戻ってくるみたいな。また落ちたりとかね。そういうのとかなんかこれが全部履歴書っていう風にね、言ってる三羽さんのその強さとか、そして自分はユニークなんだっていう。
圧倒的自己肯定感の高さですよね。三羽さんの。それにね、なんかすごい勇気づけられたんですよね。だからその本の内容そのものがとても前向きな。どんなに困難があっても、今私はやっぱりまた前向きにやっていきますっていうその内容そのものもなんですけれど。
こういうね、波瀾万丈の自分の人生を紫の履歴書って題名にしてね、バーンと出せる三羽さんの圧倒的その自分のその色々複雑な出自とかね。この人も絶世の美貌ではあるんですけど、これがそのだから芸能人っていうかね、タレントになってからは長所としてなってますけど、実際はねこんな美しい人がこの
敗戦後の貧困の極地だった日本でこんな美しい人はやっぱり完全に浮いてるわけですよ。だからひどい目にもあってるんです。めっちゃ差別もされてるし、宇宙人扱いされたりね。
決してこの美貌が得をしているだけではないわけですよ。ものすごいひどい目にもあってるんですよね。だけどそういうことも全部ひっくるめてこれが私だっていうね。いうのが紫の履歴書っていう本だったんですよね。だからそっか私はこれからいろいろあっても自分の履歴書をこうやって作っていってるんだなっていう風にね思わせてくれたんですよね。
晩年の活動と平和へのメッセージ
晩年の美和さんの活動としてはね、占いの人と変なオーラが見えるとかいう番組やったりとかしてましたよ。あれは一切見てないんですけども、でもね、ちょっと特別な人なのでね。
あと最後にね、原爆を体験されている美和さんは最後までね、ずっと戦争には反対というか、平和を何よりもね、絶対にもう二度と戦争を起こしてはいけないということをずっと言い続けておられたんですよね。
まあでも本当に見事な紫の履歴書だったなというふうにね思います。はい、それでは美和明寛さんにご冥福をお祈りしながら終わろうと思います。ごきげんよう。