1. 現役リフォームプランナーの業界裏話
  2. プロフェッショナルの流儀 #466
2025-11-04 22:22

プロフェッショナルの流儀 #466

母を見ていて、改めてプロフェッショナルとは何なのかを考えさせられた‥というお話です。

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サマリー

リフォームプランナーの寸尺かんなさんが、母の珍しいコンサートに参加したエピソードを語ります。母は演奏活動に対する緊張感を抱えながらも、モーツァルトやメンデルスゾンの曲を演奏し、成長した生徒たちから感謝される様子が描かれます。音楽教育において、G先生は生徒それぞれに適した指導を行い、演奏の喜びを与えています。母はG先生から学び、音楽の楽しさを次世代に伝えようとする姿勢が強調されます。

母のコンサートへの参加
お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
昨日なんですけども、うちの母親が、久しぶりに、とても小さい規模とは言っても、コンサートをやったんですよね。
母親のコンサートっていうのはね、めったに行かないんですよ、身内っていうのはね。
もうある時期が来るとね、そんなもう自分のスケジュールが空いてるとかでもない限り、わざわざ行ったりしないっていうスタンスなんですけれども、
今回はすごく内輪でやるっていうことと、来る人たちが、私もよく知っている、母のなじみの、昔からの知り合いとかファンとか、あと生徒たちとかだったりするんで、招待されたんでね。
まあじゃあ行くわっていうことで、最後打ち上げまで参加してきたんですよね。
こういうことって、ほんと極めて珍しいというか、母が演奏してるとかね、その演奏にまつわるいろんな活動してるのは、母の営業中なんで、それは。
営業中を家族が邪魔してはいけないっていうのがあって、あんまりそういったところに参加したりとかしないもんなんですけれどもね。
あとは子供の頃から、わー、えー、なんとか先生のお嬢さんなんですねーとかって言われて、キャーとか言われるのがもうすんごい嫌だったんで、なるべくひっそりと目立たないようにするっていう習慣がついてるんですよね。
で、まあ昨日行ってきてですね。で、まあ母はね、あのまあ段階世代なんで、まあもうね、そろそろ後期高齢者で、で、もう母はね、よくも悪くも全然欲がない人で、なるべくね、もう演奏活動もね、このコロナの時期っていうのがバーっとのきなみ、そういうエンタメ系というか、いろいろそういう演奏会とかイベントとかそういったものがのきなみ、リアルでできなくなった時期がありましたよね。
で、あのタイミングをいいことにね、まあこれがいい口実になって、このままもう演奏ができなくなったらそれでいいや、みたいにね、なんか思って、もう事実上そこで、なんかこういい感じで、あの演奏家としてはね、あの引退して、フェードアウトすればいいな、みたいに思ってたみたいなんですよね。
そういうのが、うちの母親は、あのなんかね、あのこれはずっと言ってるんですけどね、この私なんかみたいな素人から見ると、熟練してきたらだんだんだんだんもうステージなんてしょっちゅうしょっちゅう演奏会してるんでね、慣れてくるものかと思いきや、慣れることっていうのはね、全くないらしいんですよ。
毎回ね、もうもう心臓が本当に止まるんじゃないかっていうぐらい、あの恐怖でね、もう本当に心臓が破裂するぐらいの緊張感でステージに行くらしいんですよ。私はこのコンサートの2時間を耐えれるんだろうかとかね、もし演奏中に倒れたらどうしようとかね、もうそういう嫌なことばっかり思うらしいんですよね。
これが熟練してきて、経験値を積んで、マシになるどころか、年齢を重ねれば重ねるほど酷くなっていくっていう風に言ってました。
だから自分の体力に対する自信がなくなってくるみたいなんですよね。
演奏活動自体は慣れてるはずなんですが、もう自分自身がいつどうなるかっていうことを思うらしくて、だからもうだんだんだんだん年をとってくると演奏会自体が面倒くさくなってくるっていうことがあるからね。
いまだに悪夢も見続けてるんですよ、母はね。もうかれこれ何年間も、コロナのあたりから演奏会らしい演奏会してないのに、なんか相変わらず楽譜を忘れて本番を迎える夢を見たりね。楽器がないのに、あと30分で幕が上がるとかね。
そういう変な想像ばっかりして、もうはーって怯えながら目が覚めたら夢だったみたいなこと。いまだに70も後半になってもまだそういう夢を見るぐらい、舞台っていうのは怖いもんらしいですね。
そんな母なんですかね。昨日はね、本当にそういう、そろそろ先生もずっとなんか演奏してないし、先生もまた演奏やってくださいよみたいな、周りからのちょっと後ろ盾があって、すごいちっちゃい規模でね、もう本当にうちはしか呼ばないような感じで、一緒にみんなでね、演奏するとかだったらいいよみたいなんで、やったのが昨日のコンサートだったんですよね。
とても良くてですね、自分の母親ながら、とても感動したんですよね。昨日弾いた曲っていうのは、母のお箱の曲なんですよね。もうあえて言いませんが、モーツァルトのとある曲だったり、メンデルスゾンのとある80奏だったりね、そういう曲で、とっても私自身も大好きな曲だし、母が得意な曲で、相変わらずみずみずしい、すごくいい演奏をしました。
演奏活動と緊張感
母はね、わりとモーツァルト、メンデルスゾンとか、シューベルトとか、ハイドンとか、そういうね、すごく可憐な曲が得意なんですよね。
それはいいんですけどね。でも昨日、とにかく久しぶりに母の演奏を聴いてたっていうのもあるし、みんなね、母に是非内輪のコンサートやってくださいっていうことでね、後押しした人たちもみんな昨日来てて、最後打ち上げもね、いかにうちの母にお世話になったかとかね、涙ながらに母にとてもよくしてもらったとかね、
生徒さんとかがね、みんな話しててね、もう下は高校生からね、もう上はね、もう今ももうすでにいろんなオーケストラとか、活躍してる人とかね、もういろいろもう上から下までいろんな年齢幅の私ぐらいの年ぐらいまでね、いろんな人がいたんですが、みんな口を揃えて、非常に先生にはいろんな影響を受けて憧れの人ですとかって言っててね。
そういうのを自分の母親のね、自分の母親がどういう先生だとかどういう演奏家だとかっていうのを、あんまりね、その人から聞かされるのっていうのはなんかこそばゆいというか、なんか何とも言えない気持ちなんですけど、多分ある程度有名な、著名な親を持ってる子供だとこういうなんか苦労というか、なんかこういうのってちょっと気持ちわかってもらえると思うんですけども。
なんかね、子供の頃はそんなちょっとしんどかったんですけども、私もこの歳になったら、すごいそういうのもフラットに聞けるようになって、そうですかそうですかって言って、ちゃんと母親の娘をちゃんと演じましたけどね、その場はね。
ただすごくね、私がずっと感動して見ていたのはね、一人のある生徒から、母の生徒さんから、いやーごめんなさいね、かんなさんって、かんなさんにとっての大事なお母さんを私たち生徒がね、独り占めというか、私たちに結構お母さん奪われたっていう気持ちありませんでした?って聞かれたんですよね。
だから寂しい思いを娘としてしたんじゃないですか?っていうことを聞かれたんですけども、これはね、私も全く、もう一切ないんですよね。
これはね、実際ね、この母のような仕事、多分俳優さんとかもよくありますよね。有名な、とある有名女優さんの子供が、なんかもうすごい悪になって、いろいろ事件起こしたりとかってね、あったりとか、結構不良になっちゃったりとか、そういう話ってね、実際うちの母の同業者の中にもいっぱいいるんですよ。
で、中にはね、かわいそうにうちの母と違って、うちの母はもう2回も、私というものがありながらね、小さい私を置いて、再婚したりとかしてるんですが、母の同業者なんかはね、最初の子供の父親とは離婚した後、女で一つで育てて、その後子供のことを思って、再婚もしないで頑張ってたような人もいるんですよ。
で、そんなとこの子がね、逆にすっごいグレちゃって、お母さんとも口も聞かないみたいな子になってたりね。結構ね、どこの子供も、なんか親子関係がうまくいってないところって結構あるんですよ。
でもね、うちはこれだけめちゃくちゃだったんですが、母がね、あの全然私は母をその恨んだりとかしてなかったし、あと昨日興味深かったのは何十人も生徒さんいて、私結構ね、今までに母から聞いてる人ばっかりだったんですよ。
何ちゃんがねーとか、何君がねーとか、この間あのせっかくのコンクール落ちちゃってねーとか、この子はどっかのオーディション受かってねーとかね、今度パリのコンセルバトアルに云ったらかんたらとか、いろいろね、そういういろんなエピソードを生徒さんたちの話を何気に聞いてて、初めて昨日、お母さんがよく話してた人がこの人なんだっていうことでね、本人に初めて会って、
あのそういえばいろいろね聞いてきたんだなっていうことをまたそれもね思って、あのその場にいたんですよね。だから忙しくてねしょっちゅう家にいない母でしたけども、なんだかんだでね、あのよく会話してたんですよね。
私が母に、こうやってベラベラ、私こうやってね、おしゃべりプランナーなんで、いろんな母にあの見てきた映画の話とかコンコンと、母をオーディエンスにね、しゃべったりしてたらしいですよ、子供のとっから。ちゃんと聞いて!とか言って、ちゃんと聞け!みたいな。
言って、忙しい母をね、ガッて拘束してね、何時間もスピルバーグの映画のいかに素晴らしいかとかって話したりしてるような子供だったらしいですよ。でも、ちゃんと母は母でね、私にいろんな話をしてくれてたんですよね。仕事の話、生徒の話とかね。
あとね、今から話す内容が今日のテーマなんですけども、母がね、どこでだったかな、おいたちシリーズだったと思うんですけど、母がいかに苦労が多い人生だったかって話したんですけれど、最初に留学したニューヨークのね、ジュリアドーン学院では、超エリートばっかり教えているすごい先生の元に行って、
結果ね、まあちょっとそれはね、落ちこぼれたんですよね、母はね。もうあまりの、だからもうスーパースターみたいな人ばっかり育てているようなすごい先生で、
まあだから、一人一人の生徒の目線に立って優しく教えるみたいなタイプの先生じゃないわけですよ。もうあの、お前の今の弟では、カーネギーホールの一番最高列の観客には聞こえないぞ、みたいな、そういう指導するようなレッスンだったらしいんですよね。
でもそこでもう、その当時、母が留学した頃っていうのは、もう大スターが揃い踏みみたいな時代だったんですよ。こういうね、本物の天才になると、大学なんかもちろん行く必要ないんですよ。
母の過去と教えを受けた先生
もう大学どころか、高校も中学も出てなくたって、それこそ10歳でもスーパースターになって、世界中を興行したっていいわけですよね。
だから、そういう人たちがいる中で自分は、所詮日本の一部のその年代の中で優秀だった程度のプレーヤーだと母は言うんですよ。そんなような人がニューヨーク行っても全く通用しなくて、結局落ちこぼれた結果、うちの父みたいな、ろくでなしに引っかかって結婚するような羽目になったんですよね。
でも、それがなかったら生まれてないんでいいんですけれど、一旦それで大学を中退して、一旦日本に帰ってきて、結婚と育児に専念しようとしたけれども、うちの父の不義理で離婚する羽目になり、そこからもう一回私はやり直すんだって言って、
私ぐらいの実力だったら、やっぱりちゃんと大学は出てないと、学位がないと日本で働くにしても、どこで働くにしても通用しないっていうふうに思って、もう一度一年発起して子供連れて、もう一回今度はニューヨークじゃなくて田舎の学校に行き直すんですよ。
田舎の学校に行ったのは田舎だから行ったわけじゃなくて、そこには自分が憧れていたとある名先生がいたからなんですよね。この先生を仮にジー先生と呼びますが、この人は東欧圏のチェコだったかポーランドだったかのユダヤ系の移民の先生です。
この先生が名手で、その先生に習いたいということで、その学校に行ったわけなんですが、ここで母はいろいろあってから、20歳で最初ニューヨーク行って、一回日本帰ってきて、なんだかんだお金貯めたりしてから再度留学して、その時は3歳だったのかな。
3歳の私連れてとにかくもう一回アメリカ行って、ここで初めて本当に音楽の喜びとか演奏する幸せっていうのをこの先生から教わったっていうことは繰り返し私聞いてたんですよ。今でも母の楽器ケースの中にはこのジー先生のブロマイド写真が入ってます。
ケンタッキーフライドチキンのおっちゃんみたいな顔して優しいおじいちゃん先生なんですけども、母がいつも子供の私連れてレッスン室に行ったら、私のこともかんなーとか言って可愛がってくれる優しい優しい先生だったんですけどね。
この先生はニューヨークの先生とは違ってとても温かい先生で、いろんなレベル感の生徒がいるんですよね。もうその上から見ると本当のスーパースターで今もCDバンバン出してるようなね、もう皆さんももし名前を私が言えばクラシックが好きな人だったら知ってるような人もいます。
そんな人から、うちの母ぐらいの人から、もっとそこまで優秀じゃない人からいろんな生徒がいるけれども、それぞれのレベルに合わせて優しく指導してくれる先生だったそうなんですが、この先生の最高のいい点は、自分で弾いてくれる先生だったらしいんですよね。
こういう指導者っていうのは、例えば野球とかも一緒だと思うんですけど、すごく自分が一流プレーヤーだった人ほど、先生としてはそんなにいい先生じゃなかったりするケースが多いんですよね。
たとえば野球とかでもテニスでも、すごい一流プレーヤーの人ほどいい指導者には多分ならなくて、2番手3番手ぐらいの二流三流の選手の方がすごくいい指導者になったりっていうのは往々にありますよね。これは演奏の世界でもそうで、そのニューヨークで習った先生っていうのはもう一切自分は練習、自分自身が楽器を弾いて指導するというタイプの先生ではなくて、あくまでもメソッドで教えてくる先生だったそうです。
ところがこの田舎で行ったこのG先生は自分自らね、弾いてくれるらしいんですよね。このG先生のその音を聞いて、初めてね、ふわーってね、心臓に羽が生えるみたいな。羽が生えるみたいな。わーって湧き立つような喜びが溢れてきたらしいんですよね。
でもわーなんて楽しいんだろうっていう。でもその先生が弾いてくれるモーザルトとか、これがモーザルトなんだっていうふうに本当に感激して、そこから初めてですよ。もう多分母は4歳とかぐらいから英才教育でずっとこの楽器をやってきてるんですけど、一度も楽しいと思って弾いたことないらしいんですよね。
ただ上手いね、才能あるねって言われてずっとやってきただけで、ただできるからやってたっていうだけだったんですが、初めてこのG先生に習って、音楽って楽しい。弾くことって楽しい。音楽っていうのは聞くのももちろん楽しいですけども、弾く喜びっていうのはまた無常の喜びですよね。おそらくね、私は弾けないんで、どの楽器もどんなに楽しいだろうと思いますよね。
だからこの演奏する喜びっていうのを初めて教えてもらった。しかもどんな生徒であろうと、どんな能力の生徒にもその生徒に合った指導をしてくれる。
例えばだから母なんかはソリストっていうのは、ソリストっていうのはだからもうこの演奏の世界で言うと、野球で例えるのもあれですけど、ピッチャーみたいな存在ですよね。一人でマウンド立って試合を作るような。野球においての一番の主役ってのは多分ピッチャーだと思うんで、ピッチャータイプのプレイヤーからそういうキャッチャータイプから打席に立って打つ人。
打つ人も3番4番バッターだけじゃなくて、1番2番8番9番とかあるわけですよね。そういういろんな人の適性とか能力とか資質みたいなものを見て、そのいろんな生徒たちを指導したっていう、そういう先生だったらしいですよね。
だから自分はこのG先生の文科生だっていうことが、すごく母のプライド、誇りになってたんですよね。だから母はプレイヤーとしての自分の最大の欠点は野心がないことだってよく言ってました。
だからもっと自分がハングリーで、もっと野心家だったら、もしかしたらもっと有名になったり、もっと成功したかもしれないんだけども、正直そこまで自分には有名になりたいとも成功したいとも思わなかったと。今ぐらいでちょうどいいと思ってたんで。
欲望の深さみたいなものもやはり才能の一つだと思うんでね。あるレベルまでっていうのはみんな同じく才能があるんですけど、そこからさらに抜きんでた成功を収める人っていうのはトム・クルーズじゃないですけどもね。さらなる努力を惜しまない人とか、さらに上を目指していく野心がある人とかっていう風になってくるんだろうなと思ってね。
それも非常にね、だから母の話を聞いてて興味深いなと思って昔からよく聞いてたんですが、昨日とにかく良かったなと思ったのが、そういう母のね、そのG先生から学んだ、そういういろんな生徒たちへ教える、生徒たちそれぞれのレベルに合わせた、だから訳隔てがないんですよ。ソリストクラスのスーパースターになるような生徒だけじゃなくてね。
音楽の伝承と喜び
そういう街で先生、ピアノの先生やるぐらいの人であっても、それより以下であっても、趣味で演奏する程度の人であっても、それはそれでそれぞれの最上を引き出してあげたいっていう、母の指導スタイルっていうのは明らかにG先生から来ているのと、あと一番生徒たちに伝えたいことっていうのは、いかに成功するか、いかに大きなコンクールで入賞できるかとかね。
いかにこの有名オーケストラ、ベルリンフィルに入れるかとか、そういうこと以上に、母が後進の人たちに伝えたいことっていうのは、音楽っていうのは素晴らしいものなんだ、楽しいことなんだ。
モーツァルトってこんなに弾いてて楽しいでしょっていう。自分たちが楽しく弾くからこそ、聴いてる人も楽しめるもんなんだよっていう、ここをG先生から教わって、それを自分もまた生徒たちに教えていきたいっていうのがあるんですよね。
これはね、昨日すごい感動しちゃって、自分の母親の自慢をしたいわけではなくてね、そうではなくて、こういう継承していくっていうことの大切さですよね。
やはりね、どんどん新しいものが日進月歩で誕生していき、新しいものを追っていくっていうこともとても大事なんですよ。
だから例えば母の世界でもクラシック音楽の世界でも、やはりね、次々に新しい考え方とか、新しい奏法とかね、奏法って弾き方ですよね。そういったものがいろいろ出てきたり、解釈も変わってくるわけですよ。
例えば、モーツァルトとかベートーベンとかクラシックの音楽って当然数百年前の音楽なんで、その数百年前には今の楽器じゃない、昔の楽器で弾いてたわけなんで、その楽器で弾いたらこういう音になってたはずだよねとかね。
そういう、過去をなるべく忠実に再現するっていう考え方もあったりとか、逆にハイブリッドがたまりますね。そういう古い音と音を今の楽器で再現するとかね。
いろんな工法があって、そういう新しく出てくる、いろんな考え方とかメソッドとかっていうことももちろん学んでいって、ついていかなければいけない。一方で、そういう昔自分が習った先生からのいろんな教えっていうものをまた更新に伝えていくっていうこともすごく大事なことで、
昨日母の演奏会と打ち上げで私がすごく一人でジーンと来ていたのは、この点に鉄することの大切さっていうのを本当に染み入るように思ってたんですよ。点がつながって線になるっていうね。点と線っていう松本星長の小説がありますけども。
だけどこの点に鉄することの大切さっていうのは、文化とか芸術とか全てですよね。やっぱり歴史の点に、自分も点に過ぎないという謙虚さ、そしてでも点には点のプライドと、そしてそれを更新にやっぱり教えていくっていう自分の使命みたいなものが一人一人にあるんだっていうことですよね。
これがある意味でのプロフェッショナルなのかなっていうことを思って、点に鉄すること、そして自分が点に鉄してきた結果、ここがこの大事なとこなんだよっていうことをまた次の世代に教えていくっていうことですよね。これがプロフェッショナルなのかなっていうことをね。
はい、というわけで今日はこれで終わろうと思います。ごきげんよう。
22:22

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