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2024-05-06 11:11

あの地獄のような受験勉強って全て無駄だったんじゃ‥という話② #63

受験地獄シリーズPart 2。
過当な受験競争は、すでに戦後世代から始まっていた。そして、競争が白熱するにつれ、徐々に若者のバカ化が進んでいくまでのお話をします。

受験競争で玉砕された団塊ジュニア世代のエピソードもぜひ⇩
『団塊ジュニア世代の不幸は、核家族が原因だったのではという話 #37
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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日も、昨日の受験勉強が無駄だったんじゃないかっていうシリーズのパート②になります。
今日はですね、前回もね、ちょっといろいろ振り返ったんですけれど、もう少しね、しっかり振り返りたいなと思います。
ちょっとね、私の頭の整理っていう感じなんですけれど、結局ですね、私たちのこの団塊ジュニアの世代の前の団塊の世代、この世代は何かと悪く言われてね、悪役みたいにされている世代なんですけれど、
実際ね、この人たちはこの人たちで、めちゃくちゃ親から教育虐待を受けてた人が多いと私は思うんですよね。
私の母親とか周りを見てもですね、この世代はね、この世代で強烈にね、親からやっぱりいい大学行って、いい会社とかいい職業に就きなさいっていうことをね、めちゃくちゃ言われて育っている世代だったんですよね。
さらにですね、この前の世代、だからこの団塊の世代の親がそれをやったわけなんですけれど、この団塊の世代の親っていうのが、まさに戦争で生き残ってね、家庭を築いた世代なんですよね。
例えばもううちの祖父母で例えると明治の最後生まれとか大正時代の生まれの人たちですね。この世代からですね、いよいよ各家族がもう始まってるんですよね。始まるんですよね。
その前のだからおじいちゃんおばあちゃんたちがね、自分たちが子供の頃っていうのはもう多産家族っていうんですかね、もう一家に10人もね、10人以上の子供がいたりとかっていうのがザラで、血格とかもあったので、子供はたくさん産んで、そのうちの半分ぐらいしか生き残らないみたいな、そういう時代だったとはいえ、
たくさん子供がいたので、一人一人の子供にそこまでエネルギーを注いだりっていうことができないような家庭がほとんどだったのが、戦争後、新たに日本がいろいろ家族計画でね、
奨励された家族構成が、まああの夫婦と子供2人っていうね、あの4人の各家族というものになりましたので、いよいよね、ここからあの親の目がね、もう子供にグワッと集中する時代が始まったわけですよね。
もうそれまでの、その祖父母の時代はもうね、たくさん兄弟もいるし、あともうみんなでこう結構その、そのなんていうかな、自分の家族だけじゃなくて、おばさんの家族とかおじさんの家族とかもみんながわりと大家族でね、一緒に協力して住んでた時代なんですよね。
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なので、あの同じその親戚同士、この3世帯、4世帯ぐらいがね、もうみんなで合同で住んでて、みんなでなんかこう、あの子供の面倒見たりね、あのだから親戚とかいとこのなんとかちゃんとかね、あの自分たちの兄弟だけじゃなくて、そのいろいろいとことかそういうはとことかね、そういうのがもう一緒に、あのごったにでね、あの育ってるみたいな家族が多かったのが、もう戦後はね、一気にこの、
あの各家族にもう急激にあの変わるわけですよね。でここで起こることが結局お父さんっていうのはもうフルタイムであの仕事に出るサラリーマンになり、でお母さんが専業主婦で家にいて家事と育児をやると。
で子供二人のね、面倒を見るっていうこの今の現代型のあの家族がまあここでスタートするわけですよね。でその前のね世代、なんでここまでこの段階の世代あたりからね、あの厳しくされたかっていうと当然その前っていうのはあの本当に一部のね、秀才だけが大学とか行けたんですよね。
だからうちの、うちのっていうかごめんなさい、祖父母の世代とかっていうのはもう大学行く人っていうのは本当に選ばれた人だけだったんですよね。でほとんどの人は大学とか行かないでもう労働者になってたんですよね。
あの商売人になったり、農家で農業やったりとか肉体労働やったりとかっていうまあそういう職人とかね、そういうのだったのがいよいよこの戦後はあの企業型のね、サラリーマン社会っていうものに変換。
肉体労働の社会からこのビジネスマンっていうんですかね、サラリーマン社会に変換していって、それと同時にその家族のありようみたいなものも大きく変わってくるわけですよね。
ここがやっぱりあの大きなポイントで、団塊の世代を含む戦後生まれ、戦後育ちの人たちが結局まあ本当にこの各家族の中でね、親の期待を一心に浴びて育っていくという、
現代型の家族の在り方とか、子供の教育をどうするかっていうことの価値観がもうこの辺りから始まっていたっていうことなんですよね。
なので今の受験をさせたがる日本的な受験を中心とした詰め込み教育っていうものがね、意外にももう戦後からもう全部始まっちゃってるっていうね、
あのことをねやっぱり思いついて、これはねもう相当根が深いんだなと思うんですよね。なのでやっぱり結局こういうね、いい大学入れるかとか、そういった競争っていうのは全ての人が平等にもちろん勝てるものではなくて、ごく一部の人だけがね、やっぱりここで成功者になるわけなので、
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そこで成功できなかった人たちのその無念の気持ちっていうんですかね、それをやっぱり子供の世代に託していくっていうことを延々と3世代、4世代にわたって続けてきてるっていうね、ことなんでしょうね。
この受験地獄がね、ずっと親の代から始まっていたっていうことと同時に、もう一つね私がすごく気になるなと思っていることが、どんどんどんどんなんかこう、あの知的レベルがね下がってきてるような、あのちょっとねかなりあの私今際どいことを言ってることは自覚してるんですけれども、
まあこれは一意見として聞いていただきたいんですけれど、そのやっぱり私たちの親の代の前あたりですね、ずっとだから親の代含めて、あの前のねやっぱ戦後育ち、戦後生まれの人たちのやっぱり教育レベルっていうんですかね、知的レベルっていうのはすごく高かったように思うんですよね。
あの普通のサラリーマンでも、あの当時ってね、あの3つも4つも新聞をね読んで、あのいろんなね情報をやっぱりあの仕入れたりとか、そういうのが当たり前だったりして、あのなんか必ずしもね別にあの一部のね、あのすごい知識層のなんか学者みたいなね人とかに限らず一般のあの人もね新聞読んでね、あの教養を身につけようとしてたんですよね。
で、どんなお家にもね、ちゃんと百貨辞典とか、あと文学全集ですよね。あの日本の文学全集、あと世界の文学全集っていうのも必ずセットで、まああのそこそこのお家だとねみんな買い揃えて家にあったりとかして、あのみんながみんなね読んでたかどうか怪しいんですけれど、まあでもね、やっぱりあの敗戦後の日本っていうのはね、やっぱりあの戦争でね、あの国の言うことを信じてね、あの戦争の中でね。
あの国の言うことを信じてね、あの戦争にあのみんなでこう借り立てさせられてね、挙句の果てにまあああいう無惨なあの経験をしているっていうのもあるので、まあ絶対にね大勢の言うことは信じないぞみたいなね。
自分たちは自分たちでちゃんとあのみんなに騙されないようにね、あの知識と教養はつけなきゃいけないっていうね、そういう問題意識がねた、たぶんねすごくあったんだと思うんですよね。なのでみんなその大学行く行かないだけじゃなくてね、あのみんなで一生懸命ねよく勉強して教養をね身につけてたように私は思うんですよね。
あのね、例えばあの寅さんですね、あの男は辛いよのあの映画とか見ててもね、あの広志っていうね、あのだから寅さんの妹の桜の旦那ですね、あの人はねほんと町工場で働くあの何ていうかな、あの作業員なんですけれど、あの彼ね、だからもちろん大学なんか出てない人ですね。
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なんですけどね、いつもね、新聞読んでるシーンが出てくるんですよね。だからああやってね、ほんとに一般庶民もね、一生懸命世の中の流れとかね、そういうことを学ぼうとしていた時代なんですよね。
で、自分みたいな苦労はさせたくないので、えっとなんだっけ、吉岡秀孝っていう俳優がやってるあの三千代っていうあの男の子が出てきますね。あの子は結局大学に進ませようとして、この桜とね、この広志っていう夫婦は一生懸命ね、子供を勉強させようとしてるっていう設定でしたね。
あれなんかね、だから本当に昭和史、あの昭和の歴史をね、もうまさにあの見るようなね、映画なんですよね。うん。
まあ話を戻すと、まあだからね、ほんとにみんな一生懸命に教養を身につけようとしていたはずなんですけれど、どんどんどんどんね、なんかバカになってきてるようなね、あの気がするんです、日本人がね。
その割にはこの受験の、あの受験戦争の加熱ぶりっていうのはね、どんどんその加熱度を増していくにもかかわらず、それとね、もう同時進行のようにして、あのバカ化はね、どんどん進んでるような気がしてならないんですよね。
で、ちょっとね、かなりあの波紋というかね、なんかいろいろ反対意見を呼ぶようなことを言ってるところでね、今日は終わろうと思うんですけれども、あのね、こういう加熱していく受験競争みたいなものの背後で、どうしてこういうふうにね、教育そのものとか教養とかそういったものがね、だんだん崩壊していったのかっていうところをね、次回お話ししようと思います。
はい、それではごきげんよう。
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