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お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日は、バカ科の最終回のつもりです。 何を話そうかと思っているかというと、もうねあらかた言いたいこと結構
吐いたんですけれど、最後にですね、ちょっと面白い逆転現象についてお話ししようかなと思っています。
これはですね、結局こうやってどんどんね、ちゃんと真面目に勉強して大学まで行って、社会人になったりとかしている人たちが、どんどんバカになってきているよっていう話をずっとしてきたんですけれど、
それとはね、裏腹に、あの結構ね、不良になっちゃったり、不良っていうのはね、別に何も本当にヤンキーの人たちに限らず、大学とかまでね、行ったりとかしてても、やっぱりね、ちょっとグレちゃったりね、
親とうまくいってなくて、反抗したりね、そういった人たちも含めて言ってるんですけれど、
こういうふうにね、ちょっと、やっぱりまっすぐ育たなかった子供の頃、思春期、そういった時にね、非常に苦労した人たちは、逆にね、とてもたくましく、しなやかにね、生きている気がするんですよね。
っていうかもう、気がするっていうか、もう確信ですね、これは。またまたね、英語で言うとストリートスマートって言うんですよね。こういうのね、生きるにたくましいっていう意味なんですけれど、
これと対応なす言葉として、アカデミックスマート、これはだから勉強とかね、学校とか優秀だったっていう人のことですよね。
ブックスマートっていうのはさらに、本とかね、そういう知ったかぶりみたいな感じですよね。
机上の勉強とかね、そういったことはある程度できるけれど、現実をまだ知らないっていうような感じのことを言うんですよね。
このストリートスマートっていう、やっぱり苦労してね、子供の頃から家庭環境が悪かったりね、親とうまくいかなかったりとか、いろいろね、そういったことで苦労している人たちっていうのは、
学業に専念できませんのでね、早々に中学や高校で中退してしまって、不良になったりしている人ももちろんいるでしょうし、
たまたまね、そこは何とか踏ん張ってね、高校は卒業したりとか、そこから高卒で社会人になるとか、あと大学まで行ったとしてもですね、
やっぱりなかなか周囲に馴染めずね、親とも関係がうまくいかないまま大人になって、
ずっと苦労した人たちっていうのは、あんまりね、そういう家庭環境で苦労せずね、両親揃って何不自由なくね、学業に専念させてもらって、
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真面目にやってきた人たちよりもね、結果的にね、成人してからの人生がね、やっぱり明らかに変わってきてるんじゃないかなというふうに思うんですよね。
私はよく不良を美化しすぎるということでね、ちょっと咎められたりするんですけれど、これはね、やっぱりある種その不良の人たちに対する共感っていうものもね、ちょっと含んでるんですよね。
私はね、自分で言うのも何なんですけれど、結構そこそこのお嬢さんなんですけれど、とは言っても、この私の世代としてはね、すごく珍しいシングルマザーの子供なんですよね。
この時代っていうのはね、ほとんど離婚してる人っていうのはいなくて、まれにね、私別してお父さんがいないとかね、お母さんがいないっていう人はいたかもしれませんけど、
もうそのね、親が片親で子供育ててるっていう人はまずいなくて、そこそこ人数多かったですけれど、同級の中で片親の子ってね、私ともう一人しかいなくて、二人ぐらいしかいなかったですね。
そんなような時代だったので、まあね、この時代に父親がいないっていうだけでもね、かなりちょっと危異な目で周囲から見られるような環境だったんですよね。
祖父母もいて、忙しいとはいえ、母はね、私を本当に愛してくれていたとは思うんですけれど、まあいかんせんね、とにかく忙しく働き回ってた、破天荒な母だったんでね、やっぱりそれなりにね、子供時代っていうのは私、案外苦労してまして、
結構ね、不良にこそね、ならなかったですけれど、やっぱりもう学校とかはね、もう全然行きたくなくて、サボってね、いろいろ、そんなね、だからうまくいってないんですよね。
なのでね、本当の不良の人たちと仲良くなるほどにはいかなかったんですけれど、同じクラスのね、何不自由なくやって真面目に勉強やってるような子たちよりもね、この不良の人たちに対する方がね、やっぱりなんとなく親近感を持ってたっていうのがあるんですよね。
そういうことは置いといて、結局ね、やっぱりこういう苦労してた人、だから子供の頃にね、苦労してる人っていうのは、あとやっぱり自分の力で、結局環境をね、開拓していくしかないわけじゃないですか。
親とかが段取りしてくれたりすることはないわけなのでね、なんとか自分の力で生き抜いていかなきゃいけなくなるので、おのすとね、やっぱりたくましくなりますし、やっぱりなんとかしなきゃっていうことでね、あんまり条件的には不利な、例えば家庭が裕福じゃないとか、学歴がないとか、いろんなそういう負の条件を背負いながらもね、やっぱり生きていくしかないわけなんで、
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一生懸命ね、やっぱり頑張って生きている結果ね、やっぱり大人になるのも早いっていうか、精神的な自立も早いし、あとそういう恋愛とかそういったこともね、
まあその早熟になりすぎて悪い面っていうのももちろんあるんですけれど、やっぱりその中年になってもね、そういう自分のね、パートナーを見つけることができない人よりはね、ちゃっちゃかそうやってやっぱり恋愛のスキルとか、
自分の意中の相手をやっぱりちゃんと射止める、そういうハンターとしてのね、能力とかっていうのは、私、これはすごくすごく大事な能力だと思うので、こういったこともね、やっぱり長けてますしね。
勉強こそしてないもののね、やっぱりこの起点が効くっていうんですかね、やっぱり人間力が高くなるんですよね、どうしてもね。
なのでね、やっぱり真面目にやってきた人よりもね、こうやって一時期ね、すれたり不良になったり、やっぱりその挫折したりね、してる人たちっていうのはね、やっぱりね、その後なんか人生をたくましく生きてる感じがするんですよね。
なんか案外、ヤンママっていうね、今もヤンママって言うんですかね、ヤンキーでね、早くに子供ができてね、結婚してお母さんになったりしてるような人たちって、なんかもう結構ガーっていう感じで、なんかこうたくましく生きてますよね。
で、私がいつも大好き大好きって言ってる職人さんたちもそうですよね。この人たちもいろいろね、若い時は苦労したりとかしてると思うんですけれど、なんとかね、手にショップつけて頑張ってやってますよね。
なのでね、こういう人たち見てるとね、そこそこ私は大学も出てね、いい教育を受けてきた人間ではあるんですけれど、こういう人たちと喋っててね、全然、何て言うんでしょうね、なんか話してて物足りないなとかね、知的レベルが合わねえなとか、一度も思ったことないんですよね。
むしろ、大卒のね、人と喋ってるよりね、もっと楽しく、熱い話ができたりとかする部分があって、やっぱり、そういう勉強とか、そういうことができるできないっていうことよりもね、こうやって人と人間として熱く生きてきたっていうかね、苦労して、自分でやっぱり自分の道を切り開いてきた人の人としての厚みみたいなものってね、
やっぱり勉強ができることよりもね、あの価値があったりする部分があるんですよね。先ほどから熱くって言ってるのは、あのホットの熱いじゃなくて、厚みのあるの厚みです。
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なのでね、こうやっぱり、自分の足でね、歩くっていうか、自立して生きていく。親が敷いてくれたレールとかね、大人の言う通りに素直に従順に生きてる人っていうのはまだ自分の人生を歩んでいないわけですよね。
そういう人と違って、やっぱり早い時にね、親が悪い人の場合もあるでしょうしね、そういったところから一生懸命、親から反抗したり、早々に自立せざるを得なくなってとか、本当にかわいそうな目にあってる人ももちろんたくさんいるんですけれど、そこをやっぱり乗り越えてきた人っていうのは本当に強いので、
今ね、やっぱりこの馬鹿化にもう一つ対抗できるものがあるとすると、教育や教養ももちろん大事なことなんですけれども、これがなかったとしてもね、この生きることに対する強さっていうんですかね、たくましさみたいな。
これはね、やっぱりこういう勉強ができる、教養があるない、そこにね、同じように大切な生きていくためのスキルかなっていう気がするんですよね。
こういう人たちはやっぱり安々とは諦めませんし、挫折にも強いですし、そして何よりもね、やっぱり自分の感みたいなものとか、そういったものがすごく嗅覚が働くんですよね。
なので、簡単に人に騙されたりとかね、甘い蜜に群がったりとかね、そういうところが少ないような気はします。
でもまあね、私が大好きな職人さんたちの中にはね、パチンコ狂いの人とかね、中にはそういう人もいるのでね、別に決してみんなが立派な人たちだって言いたいわけじゃないんですけれど、
ただね、やっぱりいろいろ散々言ってきたね、やっぱり自分でものを考えられない人たちと比べるとね、ちゃんと自分でものを考えてますよね。
決してアカデミックでもないですし、非常に知的教養が高いわけでもなくても、やっぱりね、これはこれで私は非常に尊敬の気持ちを持つんですよね。
なので、今日ね、最後、このバカ科の最後なんですけれど、こういう、じゃあね、これはね、反知性主義みたいなことを言ってるつもりはないんですよ。
ヤンキー最高だぜみたいなね、勉強なんかできなくたって、たくましきゃもう勝ちだみたいなね、それを私最後の結論として言いたいわけじゃないんですけれど、
何かね、やっぱり、あまりにもね、この大学、いい大学にね、進学して、いい人生を送るみたいな、この画一的な価値観を信じすぎてきた結果、
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何かね、もっと大切なね、人生をね、人生ってやっぱり厳しいものだと思うんですよね。
こうやって、やっぱり20年30年40年経ってる間に見事に世の中ってね、子供の時と全く違う世の中になってるわけじゃないですか。
あの頃絶対に潰れないと思ってた会社が、今の時代は潰れますし、産業もビジネスも全部どんどんね、やっぱり変わっていくし、価値観も変わっていくし、
強かった国が弱くなり、弱かった国が強くなりっていうね、もう本当に何もかもがね、やっぱり時間の経過とともに変わっていく中にあって、変化に強くなければ、やっぱり生きていけないということなんですよね。
この変化に強いっていうことは、教育とか教養も大事ですけれど、こういうね、やっぱりある程度苦労して、強靭な精神とか臨機応変に動けるフットワークの軽さみたいなね、こういったこともね、やっぱりとってもとっても大事なんじゃないかなと思ったのでね、
これを最後にちょっと付け加えて、何とかね、もうバカ化はやめようよということをね、自分自身に対してもね、私自身の自戒の気持ちも込めてね、言いたいんですよね。
それともう一つはね、こんな感じでね、子供の頃苦労することは決して悪いことじゃないんですよ。これはね、究極の虐待とか、もう殴るけるして育てられた悲しい子供時代とかね、そういったことも後で悔しになるよとかね、そんなことを言いたいわけじゃないんですよ。
でもね、決して恵まれない環境にいたりとか、理想とは言えないようなね、理想的な環境とは程遠いような生まれ育ちであってもね、それはね、意外に大人になってくるとね、それが勝ちにつながるっていうのかな。
そこで養った精神的たくましさみたいなものがね、最終的に生きてきたりするので、この人生の勝ち負けっていうのは、少なくともね、生まれ育ちとか、出た大学とか、入った会社とか、結婚した相手とかでは決してないということだけは言えると思います。
はい、では今日はこれで終わります。ごきげんよう。