1. 現役リフォームプランナーの業界裏話
  2. 天才的な恥知らずについて #404
2025-07-02 25:49

天才的な恥知らずについて #404

新刊本の出版記念イベントで、太宰治が嫌いだという編集の岡崎雅史さんのことを思い出し、こんな話になりました。

『凡夫 寺島知裕。「BUBKA」を作った男』
樋口毅宏著
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サマリー

このエピソードでは、樋口竹広の小説『ボンプ』の出版記念イベントを通じて、ダザイオサムや三島幸男などの作家について語られています。特に、ダザイオサムの「天才的な恥知らず」という評価や、三島幸男のノーベル文学賞に関する逸話が印象的です。谷崎純一郎に関するエピソードでは、彼の手紙や猫への愛情、出産に対する考えが取り上げられています。また、太宰治や三島由紀夫との対比を通じて、谷崎の文学と私生活のこだわりについての洞察が示されています。三島幸男や太宰治の文学的な側面を探求し、当時のパーソナルな手紙と現代のデジタルフットプリントとの対比について考察しています。

出版記念イベントと作家たち
お聴きの皆様、おはこんばんちは。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
少し前になるんですけれども、樋口竹広さんという作家が、ボンプという小説を出版されて、それの出版記念トークイベントに行ってきたんです。
その時の話なんですけれど、これはこの界隈の方ならよくご存知な、コアマガジンというB級出版社で、実際に起こったその当時のいろんな賃事件とか、いかにスレスレでみんなが仕事していたかという話なんですよね。
それが本当の裏テーマなんですが、表向きの立て付けとしては、この時の寺島智洋という、本当に能力がなくて、何もこだわりのない人なんだけれども、ただ上昇志向だけがあって、どうやって自分が会社で出世できるかということにしか興味がない、非常に俗物な人物が先日亡くなったと。
その人が亡くなった記念として、寺島さんのメモワールという立て付けになっているんですが、実際はコアマガジンで寺島さんの裏で、いかに才能がある人たちがスレスレで仕事していたかという、ロポルタージュなんですよね。
大変でもとても面白い本で、私も大変感激して、出版記念イベントに参加してきたというわけなんですけれども、ここでトークイベントが終わった後、サインをいただくために並んで、樋口さんからサインをもらって、横に編集の岡崎さんという、コアマガジンで当時、寺島さんの部下として、いろんな伝説的な雑誌を手掛けておられた編集の方が一緒にいたんですね。
私は当たり前みたいにして、樋口さんのサインをもらった後に、岡崎さんのサインももらいに行ったんですよ。そうすると、岡崎さんがね、俺とか関係ないし、俺のサインとかもいらないでしょ、いらないでしょ、とか言ってね。
すごいね、ウッディーアレンみたいなね、オドオド、え、ムムーとかってなっちゃって、なんで俺のサインなんか欲しいんですか?とか言われたんで、ダザイオサムがね、お嫌いだっていうくだりがね、とても印象的でしたって言ったんですよ。
そしたら、あ、読んでくれてるんだ。それだったらって言ってね、もうコロッと態度を変えて、さらさらってサインをしてくださったっていうことがあったんですよ。
これはね、この樋口さんの小説の中で、この寺島さんのメモワールを書くにあたって、いろんな取材に、あとその寺島さんのそのね、生まれ育ちのその故郷とかね、そういったとこ、いろいろ二人で出歩いたんですよね。
で、その時のくだりがちょっとこの小説の中に出てくるんですね。で、岡崎さんにこの樋口さんが嫌いな作家って誰ですかって尋ねたらですね、ダザイオサムが嫌いだっていうふうに答えてるんですよね。
で、その理由がとにかく天才的な恥知らずだからっていうふうに岡崎さんは答えてるんですよ。で、とにかくその同じ時代にすごい文豪がね、たくさん日本にいたんだけれども、その誰よりもね、大して別に知識も教養も高かったわけじゃないのに、何となくこう人の
地部っていうんですかね、人に見られたくない、見せたくないその端の部分っていうのをね、すごく上手に描いて、それで多くの人から共感をね、集めたっていう、そのそういうふてぶてしいところが嫌いだっていうね、ものすごく面白いこと言うなと思ってね。
特にすごく興味深いなと思って、私はこれが印象に残ってたんですよね。だからここをちゃんと取り上げることができたんでね、岡崎さんがサインをくれたんでよかったなと思ったんですが、このダザイオサムなんですけれど、私自身はダザイオサムは別に好きでも嫌いでもない小説家です。
小学校の時に走れメロスとかね、読まされたりとか、割と馴染みが深いというか、読みやすい作家ではありますよね。ちょっとこのダザイオサムの世代より少し前の夏目漱石とか森鴎外とかが非常に難解で読みにくいことを思うと、ダザイオサムっていうのはとても読みやすいですよね。
三島幸男の文学賞
やはりそれが理由だからか、今でも若い人たちからは大変人気があって、そして海外でもすごく人気があるんですよね。だからいつ言ってもですね、このダザイオサムのお墓っていうのは未だに綺麗なお花がお供えされたりとかしてるそうですよ。
まあまあそんなことがあって、それでふとねダザイオサムといえばっていうことで思い出したのが数年前なんですけれどね、5年ぐらい前ですかね、ダザイの今まで公表されていなかった手紙が出てくるんですよね。
これは誰かこの文学関係者にあてた手紙で、僕がその文学賞をどうかどうか僕にね、この文学賞を推薦するようにね、だから受賞できるように推薦してくださいって言って、この選考委員になり得るような人だったと思うんですが、そういった人たちに一生懸命無心をしている手紙が出てくるんですよ。
いかにもねダザイオサムらしいなと思ってちょっと笑ったんですけどね、このニュースが出た時に。そこからねさらにまたいろいろ思い出していて、三島幸男がいますよね。三島幸男はやはり同じように誰か関係者、誰だったかな、誰かに
自分がねノーベル文学賞の候補になったんですよね。ノーベル文学賞の候補になって、僕がこれを受賞できる確率はどれぐらいでしょうかっていうことをね、やはりこの文学関係者の中で聞いている手紙が出てきたのと、あと自分が受賞を逃して、実際にこのノーベル文学賞を受賞したのは川端康成だったわけなんですよね。
その時に川端先生おめでとうございますって言って、ちゃんとお祝いの手紙を送ったのも全部残っているわけですよ。三島はこの後結局自分が作った新右翼の縦の会のリーダーとしてですね、防衛省、今のそこのビルを選挙してそこの屋上で切腹自殺するっていうね、すごい、すごい、いまだに社会を揺るがすような事件を起こして死んでいったわけなんですけれども、
三島はね、私ちなみに大好きな作家です。三島は潔くね、自分が文学賞をどうも取れなさそうだなって言った時も潔くね、あ、わかりましたっていう感じでね、特にそこに対して不平不満も言わずに散っていったんですよね。話は関係ないんですけど、縦の会と言えばですね、私はあのこの阪神館でもね、あの神戸エリアでも仕事してるんですけれども、
日曜日になるとね、この右翼のね、凱旋車がね、いっぱいよく走ってるんですよ、今でもね。で、縦の会ってね、ドーンって書いてある。凱旋車が結構ね、わーって出るのがすごい、すごい楽しくてですね、もうついね、カシャカシャカシャカシャとかで写真撮ったりとかして、あの心がちょっと高揚してしまうんですよ。
今の縦の会とね、あの当時三島由紀夫がね、発足させた縦の会とはまるで違うということはね、従順わかってるんですけれども、あーと思ってね、なんかこう当時の三島がね、生きていた頃の、なんかこのね、日本のなんかこうね、あのなんか空気みたいなものがね、なんかわずかになんか残ってるのかなと思って、ついね、心が高揚してしまうっていうね、ところがあるんです。
で、まあそれは置いといて、で、えーとここからさらにね、話を展開させて、で、じゃあこの三島由紀夫がね、あのまあ、あの河童康成に、あのまあノーベル文学賞は負けたんですけれど、これ多くの人がね、三島が取るべきだって言って、三島の方がね、有力だったんですって。
ですけれども、まだ三島がね、この当時40代とかだったんで、若いからね、で、河童康成はもう結構年長者だったんで、まあこれを逃すとね、河童が受賞するチャンスがないだろうっていう、なんかね、そういう同情表って言ったらね、あれですけど、まあそんなことでとにかく河童康成が受賞しちゃったんですよね。
だからこの、だからもしこのノーベル文学賞を三島が受賞していたら、その後縦の回のね、あの一連の、ああいう切腹自殺の事件とかね、ああいったことがあったのかなかったのかとか、まあいろんな物議がありますよね。
たぶんやってたんじゃないかなと思ったりするんですけどもね。ただ、やはり自分のその文学者としての立ち位置、何かが知りたかったのかもしれませんね。三島はね。で、これね、いろいろまあ話があって、実はこれは、この時のノーベル文学賞の受賞が実は決まっていたのは谷崎純一郎だったんですよ。
谷崎が受賞することはもう100%決まっていたら、ぽっくり谷崎が死んじゃったんですよね。なので、死ぬ、死んだ人にね、あげるのもっていうことで、急遽河童と三島の名前が挙がったっていうことが真相だったんですよね。
でね、谷崎純一郎の話に移るんですけれども、谷崎純一郎はね、この人は東京、日本橋生まれですよね。だからもう本当に東京っ子なんですけども、旧帝国大学だけど、今の東大出てて、本当に本当にあのまあ秀才の人なんですよね。
ただね、この人すごく関西とゆかりがある人で、確か戦争で疎開したりとか、自分がその当時一緒にいた奥さんとかね、女性の影響で関西に何年も暮らしてるんですよ。特に阪神間エリアです。大阪じゃなくて神戸エリアなんですよ。
今もね、東田区だったかな。本当に谷崎が暮らしていた家がね、現存してるんですね。あともう一つはね、足屋浜っていうね、これ足屋なんですけれども、足屋といっても海沿いで阪神大震災の頃にはですね、すごい液状化の被害が出たエリアなんですが、この辺りにね、谷崎純一郎記念館っていうのがあるんですよ。
これはね、別に建物自体は谷崎が暮らしてた家が残ってるとかではないんですが、この辺りにいろいろ谷崎の当時暮らしていた頃の遺品とかね、諸々が展示されてるんです。
私、仕事でこの辺りもいっぱい物件手掛けていて、この足屋浜のね、有名な団地のリフォームした時とかに、この谷崎純一郎記念館に行ったんですよね、仕事の途中でね。すごい感銘を受けてね、感激したんですよね。
もともと谷崎純一郎は大好き、本当に大大好きな作家で、三島幸男だから谷崎純一郎は多分全部読んでますね。大好きだったんですけれどね、さらに好きになったんですよね。
それはね、この谷崎純一郎記念館ね、別に大したことない、普通の鉄骨のね、よくある記念館なんですけれども、中にはね、なんかちょっとギョッとするような展示物もあってね。
谷崎の手紙と猫への愛
あのその頃谷崎が着ていたなんか、ちゃんちゃんコとかね、奥さんの松子夫人だったかな、彼女の着物とかね、あといろんな小説の案を書いているメモとかね。
あと一番ちょっとギョッとしたのはね、その時すごく猫が好きなんです、谷崎はね。猫大好きで、可愛がってた猫の白製が展示されてましたね。
ちょっとびっくりしたんですけれど、いろいろあって、そんな大して大きいところじゃないんですよ、この記念館ね。
で、そこにね、書簡、手紙がね、置いてあったんですね。これ見たらね、もう私笑っちゃってですね。
いやーと思ってね、ちょっとその内容を今から言うんですけれど、これね、人によってはものすごく不快に感じる人もいるかもしれないんですかね。
要はね、こういう内容なんですよ。この時ね、奥さんにあてた谷崎の手紙なんですよ。
どうかどうか、どうかどうかね、今お腹にいる子供を下ろしてくださいっていうね、忠誠することを懇願する手紙なんですよ。
でも、とにかくあなた様の、だから今の自分と奥さんとのね、理想的な関係性が壊れてしまうんじゃないかとかね。
いろいろ書いてあるんですけど、狂った人の書いてることなんで、常人にはね、なかなか理解できないんですけど、
要は私はこう解釈してるんですよ。やはり谷崎純一郎っていう人は、ものすごくこだわりとフェテシシズムのある人なんでね、この奥様を大変理想的な女性として崇めてるんですよ。
この女性が、だから二人の関係性もですし、この女性としての彼女の魅力とか、姿、形とか、そういったことが子供が生まれることによって崩れることを何より恐れていて、
だからどうか今の我々の幸せのために子供は諦めてくださいみたいなね、ことを無心している手紙なんですよ。
これはね、奥さんに対してですよ。自分との間の子供なんですよ。それを忠実しろって言ってるっていうのは、これは人手なしかっていうね、男としても最低のクズなんじゃないかというふうに取ることもできるんですね。
文学賞への無関心
実際私今これ話をするにあたって、ちょっと今wikipedia程度ですけど見てたらですね、実はこれ裏があって、松子夫人の決して頑丈な人ではなかったらしいんですね。
だから健康状態とかがあって、とてもその出産に耐えれない可能性があるから、その彼女の健康をもんぱかって、谷崎に限らずですね、多くの人が妊娠・出産は諦めた方がいいんじゃないかっていうふうに言っていたっていう説もあるんでね。
だからもしかしたら谷崎が奥さんの健康のことを思って、子供を産むのは反対してたっていう可能性ももちろんあるんですよ。あるけれども、ちょっとまあ、でも谷崎のことだからどっちかって言ったら、私がさっき説明した前者の方が可能性として高いんじゃないかなっていうのをね、ちょっと思って
いやーとね、その時思ったんですよ。何が言いたいかっていうと、まず太宰治はですね、自分はもう人間失格だとか、生まれてきてごめんなさいとかね、そういう本当にすごく自分を卑下するような、すごく自分というのはもうゴミだ、クズだみたいなね、そういうすごく自己憐憫の小説を書いていて、それがまた面白くて共感を生むんですけれども
一方でね、非常にだから俗物というか、太宰らしいんですけれども、どうかどうか自分に文学賞をくださいと、それで自分が文学者としての博を与えてくださいということをすごく熱心に思ってたんだなっていうことが、死んで何年も経ってね、現在になってこんな手紙が出てきちゃって白日の下に晒されたりとかしてね、面白いなと思ったり
あと右翼の三島はね、かっこよく私の撮れる確率はどれぐらいでしょうか、みたいなね、問い合わせをして、川端康成先生が撮るんだったらそれはそれで致し方なしって言って、ぷって切腹して死んでいった三島とかね、みんなそれぞれなんか生き様とか、なんかいろいろ面白いなと思ってね、だから死んだ後に出てくるその手紙っていうのがね、その人の人となりっていうのを描いていて面白いなって思って
そんな中、この二人が要するに三島にしても太宰にしても、なんとなく自分が文学賞を取れるのか取れないのかっていうことをとても気にしていたわけですよね
で、一方の取れることが確実されていた谷崎純一郎っていう人はですね、全く多分ね、こんな文学賞を取るか取らないかということにね、おそらくね、ほとんど興味ないんですよ
全く興味なくって、日々の暮らしとかね、わびさびとかね、私が大好きな陰影雷さんっていうね、このインテリアのエッセイとかね、とにかく自分の日々の暮らしとか、自分の好きな女性とか、自分の好きなあれやこれやで、食べ物とかね
もうこだわりとフェテシズムの人なんですよね、そういう中でずっと描いていて、実際三島なんかは谷崎純一郎のことをとても文学者として評価している一方で、谷崎の文学の中にはね、この時代の空気とかね
そういう社会的な、政治的な批判とか、どう思ってるかっていうことがほとんど描かれてないって言ってね、だから時代性が感じられないっていうことですごく批判したりとかもしてたらしいですね
ですけども、たぶんね、天才なんでね、頭も普通の常人の1万倍くらい賢いんで、何も感じてなかったわけないと思うんですが、そんなことよりも自分の端微な世界のこととかね
戦争が起こって住み慣れた東京から離れても、それなりに阪神エリアで楽しく暮らしてね、すごい素敵な勝者な家に暮らしたりとかして、自分の奥さんを綺麗にね、綺麗な奥さん見てうっとりしてたりとか、いろいろそういう人なんで
川端康成の人となり
そんな自分のね、政治経済とか世の中のこととか、戦争どうだとか、なんか興味ないわけないけれども、それを小説に書くっていうのとはちょっと違ったんだと思うんですよね
で、とにかく私はさすが谷崎だということで、自分の奥さんに忠説を促す手紙であってもね、私はすごくそれを読めただけでね、ここの入管料いくらだったかな、500円くらいなんだけども、1万円払っても良かったなって思うくらい感激したんですよね
で、昨日、私はとても私が尊敬している親しい方とね、お会いしていたんですね。私よりだいぶ年長のすごい最上、ものすごく頭の良い女性で、彼女は京都大学出身で、当時外務省で働いてたんですよね
で、外務省にいるんで、いろんな人と会ってるんですね、当時ね。だから、川端康成と会ったって言ってましたね。とにかくね、私が今のこの話を丸々したんですよ。太宰治と三島由紀夫と谷崎がね、自分たちが死んだ後残された手紙っていうのが今も残ってて、面白いよねっていう話をしたんですよね
で、この私の親しい知人のことは、マドモアゼルと呼ぶことにします。パリにね、しばらくいた人なんで、本当にちょっとパリジェンヌを思わせるようなね、いい感じの人なんですよ。デカダンな雰囲気が漂っててね。この人に話をして、さあここでクエスチョンですって言って
でね、太宰治と三島と谷崎、誰がね、一番なんかこういいと思うって聞いたんですよ。そしたら、そりゃあなた、谷崎に決まってるでしょって言ったんですよ。さすがね、私が崇拝するね、あのマドモアゼルだなと思いましたね。
だからやはりね、そういう細かいこととか、世の中のこととか、そんなことはどうでもよくてですね、自分のこだわりの世界の中だけで生きていた谷崎っていうのが、やはりね、誰よりもやっぱすごいんじゃねえのっていうことで、やはりね、マドモアゼルも私と同じ意見だったんですよね。
すっげー嬉しかったっていう、まあそんな程度のことなんですけれどね。でもね、このマドモアゼルはね、以前に外務省とかで働いてるんでね、いろんな有名な人とかとね、実際会ってるんですよね。
川端康成に会ったことあるって言ってたんでね、えーどんな人だったって言ったら、特に晩年でね、川端康成は自殺して死んでるんですけれども、だから晩年だったこともあるかもしれないけど、とにかく変な人だったって言ってましたね。
私はね、川端康成っていうのはもちろん奥さんもいて、だけどもね、もしかしてゲーだったのかなとかってちょっと疑ってたんですよ。っていうのが、なんかすごい老人になってからすごい美少女のね、なんか出てくる小説とか、あとずっと眠っている女の人に惚れたりするとか、ちょっと変な小説書いてるんですよね。
だからちょっと異常性欲者というか、ちょっとそういう異常性があるのか、もしくはですね、そういう小説に隠してですね、裏の自分がそういう同性愛者であることを隠して、ちょっとそういう変な小説を書いてたのかなとかって疑ってたら、全然多分あの人はゲーじゃないって言ってましたね。
ゲーじゃないんだけれども、もう全くだから虚無の人だっていうふうに言ってましたね。とにかくね、緑茶中毒で、ずっとね、お茶をね、もうひっきりなしに飲んで、でね、なんかね、宙をね、ぼーっとね、もうあの見つめてるんですけれど、で多くの人をね、こいつだからそういういろんな人たちを招いて、そこでなんかインタビューするのがね、そのノーベル文学賞を取った時のそのいろんな奇跡があって、
そのノーベル文学賞を取った時のそのいろんな記者集めたりとかね、そういった人集めたりとか、なんかしてる時でもね、全く本人は喋らず、ただひたすらね、あの宙をね、あの全く空虚な目でね、ぼーっと見ている人だったと言ってました。
で、えーとね、ひっきりなしにとにかくお茶飲んでて、だとさらに面白いのがね、えーとその時に河童の奥さんも一緒にいらっしゃったそうなんですよ。その奥さんがね、こういう河童安成みたいな人の奥さんとしては、もう全然イメージじゃない奥さんだったらしくて、あのすごく人は良さそうなんだけれども、でっぷり太ってね。
で、着物着てるのがね、もう前が裸で太ってて、もうヒダヒダヒダヒダしてるようなね、もう着付けもぐしゃぐしゃで、ガッハッハッハみたいな、すげーガサツなね、だから私のあの部下だったら雑みたいな、すごい雑な女だったらしいんですよ。
文豪たちの人間性
うん、でもとてもね、あの、男性というかね、河童の妻とは思えないようなね、失礼な話なんですけれど、思ったんですって。だけどその時ね、チラッチラッとね、河童がその奥さんのことを時々ね、あの見る目がね、すごかったって言ってて、もうね、けがらわしいものを見るようなね、うわーもう最悪みたいなね。
もうチラッと見てはね、ウエッていう感じで横、ぷいって向くんですって。だからもう本当に奥さんのことをね、意味嫌っていたらしいんです。それその、だから見ただけですよ。だからその、あの窓回せるは、見ただけでそう思ってるんですけれど、まあでもね、でも結局自殺していったっていうね、だから謎の人、謎が多い人だっていうようなこと言ってましたね。
うーん、なんかちょっと取り留めもない日本のね、文豪の話をしました。あと三島幸男は本当に本物だって言ってましたね。会ったことはないけれども、本当にすごい人だったと思うって言ってね。で、あの人はね、バイセクシャルよって言ってたんですね。私は絶対ゲイだと思ってるんですけど。で、もちろん奥さんも子供もいるんですよ、三島はね。
ですけれど、まあゲイであるけれども、そういう社会的なね、あの体裁のために女性と結婚して子供を産んでる人はいくらでもいるんで、本当にはやはり男性が好きだった人だと思うんですけれども、まあでもすごいですよね。やっぱスケールでかいですよね。で、まあなんか悪口言ってるようですけど、太宰だってね、まあこういう恥も外分もないところもまた人間味があって面白いじゃないですか。
だから素敵だなっていうね、何がどう素敵なのかわかんないですけど、ちょっとそういう取り留めもない文学論を話してみました。
それとですね、なんかこの時代でこういうふうに、あんまりね多分他人にこの3人ともですね、見られたいような内容の手紙じゃないじゃないですか。非常にパーソナルな打ち打ちの手紙ですよね。
その自分のパートナーか、あとはそういう文学省の先行委員の人にね、書いてたりとか、決してその他の外部の人にね、漏れて欲しくない内容の手紙がこうやってポロポロとね、死んで何年も経ってから出てきたりとかっていうのってね、今の時代の人はね、大変だなっていうのも思ったんですよね。
だってもうデジタルタトゥーっていうかね、フットプリントはそこら中に残ってるんで、漁ればね、いくらでもやばいことね、知られてなかった不倫の事実とかね、なんかもうありとあらゆることがね、おそらくね、掘り起こされるんだろうなと思うと、今からのね、あの有名人、文学者っていうよりは今の時代はね、なんだろう、芸能人、インフルエンサー、こういった人たちはね、だから生前のうちに何とかしとかないと。
もうありとあらゆるものが掘り起こされるなっていうことも思ったりしました。はい、というわけで今日はこれで終わります。ごきげんよう。
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