恋愛の突発性
お聞きの皆様、おはこんばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今日はですね、先日ちょっと会った方とね、喋っていて、いろいろね、今まであまり深く聞いたことがなかったようなお話とかもね、ゆっくりと喋ることができて、
へー、そうだったんだーとかね、いろいろ思うことがあって、ちょっとそんな話をしようと思うんですけれども、
いろいろいろんなことについてね、仕事のこととか、今抱えている家庭のいろんな悩みとか、いろんな話をしたんですけれども、
一つね、過去の恋愛の話とかっていうのをちょっとしていて、そうかーと思ってね、恋愛について珍しく話をしようと思うんですけれど、
恋愛ってね、私はそんなに過大評価してないんですよね。
今、時々伊藤陽介さんね、ボイシーでパーソナリティをしておられる伊藤陽介さんのところで結構、この結婚とか恋愛の話とかをね、一緒にさせていただいたりとかして、楽しくね、いろんな話してるんですけれども、
この伊藤さんなんていうのは、もう恋愛男なんですよね。恋愛が大好きで、恋愛史上主義者なんですよ。
なんですけれど、私なんかはね、恋愛は私のプライオリティの中ではめちゃくちゃ低いんですよね。
これはね、若い時はもちろんそうじゃないんですよ。
だんだんだんだんだんだんだんだん下がっていって、だからね対照的なんですよね。伊藤さんはもう未だにね、いろんな恋愛とかして、結婚もね、あともう目前まで、結婚まで行きかけて、
うまくいかなくなったような恋愛とかもいろいろあって、それでも今なお恋愛を信じてるんですよね。恋愛の力をね。
私はもう1ミリも信じてないんですよね、恋愛をね。恋愛っていうのは、本当に私にとっては突発的なもんなんですよ。
だから、前ちょっとセレンディピティって話をして、今回だから本当セレンディピティがあったので、久しぶりになんかちょっとゆっくりと、今までそんなに深くお話ししたことがない人とね、ゆっくりと話す機会があって、
楽しくいろんな話ができたんですけれど、それと一緒なんですよね。恋愛っていうのは望んでたりとか、計画したりとか、するものではなくて、ある日突然にふっと、ふっとね、起こることなんですよね。
だから悪く言うと事故みたいなもんですし、よく言うとセレンディピティですよね。ふと偶然が重なって、何かひょんだことからね、ポッと突発的に発生する、2人の人間の間で起こる、科学反応みたいなもんなんですよね。
これはもちろん、恋愛感情が起こり合う相手であれば恋愛になるし、普通に友情関係とか、あとはその仕事のね、間柄で、この人と仕事したら面白いなとかね、そういう、昨日私は自分の、私の履歴書で話したみたいに、なぜかこの岡田と仕事するとうまくいくなとかね、それも一つの何か科学反応が起こってるわけですよね。
いろんなことがあるんですけど、恋愛っていうものはちょっとね、その中でも、やっぱり濃度が高いですよね。人間関係の、仕事で相性がいいとか、話してて馬が合う友達とか、いろんなその、人間同士の間で起こる科学反応の中では、かなり恋愛っていうのは濃度が高いものだとは思います。
なんですけれども、これは突発的なことなので、永遠にはもちろん続かないし、永遠どころかものすごく短命なものだと思うんですよね。
で、悲しいことに恋愛っていうのは本当に運命的に起こるので、本当に運命だと思っちゃうんですけれど、恋愛のからくりっていうのはもう完全に科学でも解明されてしまってるんですよね。
恋愛と人生の履歴
なんで恋愛っていうものが起こるのか、なぜ人間が恋に落ちるのかっていうことはもう完全に科学的に説明がついちゃってるんですよね。いまだに宇宙のブラックホールが完全には解明されてないことを思うと、恋愛っていうのはもう悲しいぐらい理論から何もかも分かっちゃってるんですよね。
で、一番分かってることとして、もう4年も持たないってこととか、そういったことは本当に悲しいぐらい、もう夢もクソもないわけですよ、ここは。だからこれは気の迷いだったんだっていうね。
でもそれでもね、若い時はずっとこれは気の迷いなんかじゃなくてね、やっぱり何か運命的なものがあるんだと。じゃなかったらね、こんなにたくさん人がいるのに、なぜかこの人をやっぱり好きになったんだよと。いっぱいいろんな人がいるのに、よりによってこの人を選んだってことは、やっぱり何か運命的な赤い糸みたいなものが2人の間にはあるんだって。
信じたくなるんですけれど、ないんですよね、たぶんね、そんなものはね。
だからいろんな条件が重なって、ある人を選んでるのはこれ運命だって思っちゃうけれど、運命じゃなくて、そこも説明がついてるんだと思うんですよ。
でもこれ説明がつくからって、じゃあ説明しろって言われたらすごい時間かかるから、あえて言いませんけれど、恋愛っていうのは所詮偶然と偶然が重なりあって、この人大好きかもって信じ込んでるだけの心理的な事象に過ぎなくって、結局はね、からくりは単に子供を作るためのものでしかないわけですよね。
子供を作るために、やはりその気になるために恋愛っていう一つのメカニズムが発動してるに過ぎないんですよね。
でもね、恋愛が一つね、何かこう意味があるとするならこれだなって思ったのが、過去にどんな人と恋愛してきたかっていうのは履歴書みたいなもんだなぁと思ったんですよね。
で、ある年齢まで生きてて、何て言うのかな、自分の人生っていうもの一つの小説と見立てた時に、全く恋愛がなかった人生とあった人生ではそりゃ違うわけですよ。
だからそこで、子供あるなしとかね、子供を持つために誰かと繁殖行為をするとかね、そんなの味気ないじゃないですか。
ここでやっぱり恋に落ちて、それは例えね、科学的に証明ができて、気の迷いだったとしてもですよ。
気の迷いだったとしても、誰かのことをすごく好きになったある時間があってね、それが1年だろうが2年だろうが、長くもって4年だったとしてもね、やっぱりそのある時期すごく人を好きになって、その人と一生懸命何とか歩み寄ってね、すり合わせして、
何とか2人で一緒にうまくやっていく方法を一生懸命模索した結果ね、どこかでうまくいかなくなるわけですよ。
結婚っていうのは、伊藤さんにいくら説明してもたぶん一生わかってもらえないんですけど、全く別の行為なんですよね、結婚っていうのはね。
結婚と恋愛の違い
でも恋愛っていうのは、いつか終わるってわかっていることを終わらせたくないと思って悪あがきすることなのかなっていうのが一つ私が思ったことなんですよね。
心のどこかで、もう結婚というものに移行しない限りは終わってしまうんですよ。
結婚というものに、激しい恋愛の果てに結婚という形に結びついたとしても、結婚という行為に、結婚というシステムに移行した瞬間に、それは恋愛としては終わっているんですよね。
恋愛としては結婚は維持できないんですよ。
たとえどんなに激しい恋愛の果てに結ばれた相手であってもね、もう結婚というふうな段階に進んだ瞬間に、恋愛としては終わってしまってるんですよね。
だから終わらせない限りは結婚は続かないっていうことが言いたいんですよ。
だからそのまま恋愛の時の熱い状態で結婚しても結婚は長続きしないので、嫌が多にも恋愛という行為は終わらせて、
パートナー、あくまでも生活を維持させていく共同経営者、共同パートナーというものに移行しないと、結婚というものはうまく操縦していけないものなんですよね。
だから恋愛出発であっても最終結婚という段階に進んだところで、そこの変換というのはしていかないといい結婚にはなり得ないんだっていうことが、
今度伊藤さんがもし結婚うまくできたらね、そこは自ら体験していくことなのかなとは思うんですけれど、
話を戻すとね、恋愛っていうのは、だから恋愛なんですよね。恋愛っていうのはいつか終わるもの、短命で終わるものなんだけれども、短命で終わるからこそいいのであって、
いい恋愛っていうのは、もし自分の人生を小説に例えたときに、やっぱり学業に専念していた時期とかね、仕事に夢中になってた時期とか、ライフステージっていろいろあるわけじゃないですか、
その中でもこの誰々さんと恋愛してた時間、次また新たな出会いがあって、その人とのまた熱い恋愛があって、10代の恋愛、20代の時の恋愛、30代の恋愛、40、50、また60、70、
そのどこの年齢で恋愛したかによってもまた全然色合いが変わってくるし、だからね、なんていうのかな、恋愛っていうのは自分の人生の何か大事なチャプターっていうのがショーですよね、ここのハイライトみたいなもんですよね。
過去の恋愛の価値
だからいろんな人生のステージがあって、ライフイベントがあって、でもその中でも結婚よりもさらに恋愛のチャプターっていうのは華やかなチャプターですよね。
だからそこのハエある華やかなハイライトとなるチャプターを飾る相手っていうのはそれなりの相手であって欲しいなっていうね、すごい周りくどい変な話をしてるんですけれど、
ただね、その方とお話ししててね、すごく本人にとってはね、あの別に今更な感じだと思うんですけど、聞いてる私からしたらね、いや濃密な恋愛してるなって思ったんですよね。
だから本人はでも終わったことだし、それなりにいろんな嫌な思いもされてるでしょうし、そこの恋愛っていうのは深ければ深いほど、やっぱり傷も折っちゃうんでね、すごいやっぱり一生消えない傷っていうのが残るんで、痕跡ですよね。
すごいリングで戦った後の傷が残るみたいな傷がやっぱり残ってるんですよね。これは一生消えないので、そういう傷をお互い与え合った相手っていうのはやっぱりそれなりの相手であって欲しいなっていうことを、この人の過去の恋愛の話を聞いてて思ったんですよね。
改ざんしてもいいんですよ。自分の過去の、自分の過去っていくらでも改ざんできるし、自分の過去っていうのは自分だけのものなので、それをね、誰か赤の他人に私ってこういう経験してきたんですって言った時に、いくらでも脚色もできるし、いくらでもね、
本当はもっと貧乏くさい人生なのに、ちょっとカラフルな人生に脚色することもできるんですけれども、できたら本当に華やかな方がいいに決まってるじゃないですか。
で、実は最初にね、本当に好きになった相手とは、こういう恋愛だったんだよねって言った時の恋愛っていうのが、しみったれた恋愛よりはね、こんな素敵な人とこんな素敵な恋愛したんだなっていうね、そういう華やかなチャプターがある人ってね、やっぱりその人生そのものも魅力的だし、その人本人もね、すごく魅力のあるものになるわけですよ。
だから恋愛がもし役に立つことがあるとするならば、なんかね、振り返った時に自分が20代の時こんな恋愛したなとかね、30代の時にこんな恋愛したなとかね、40代の時になんかこんな不倫したなとかね、なんかね、自分がばあさんとかじいさんになった時にふと思い出した時に、
あの時の恋愛ってなかなかいい相手ってね、魅力的な相手と魅力的な恋愛っていうか、魅力的な時間を共に過ごしたなっていう、後から過去を振り返って初めて価値が出てくるものなのかなと、それが恋愛の正体かなっていう風にこの方とお話をしていて思ったりしました。
はい、というわけでね、恋愛についてお話ししてみました。ごきげんよう。