映画『ワンバトルアフターアナザー』の紹介
お聞きの皆さま、おはこんばんちは。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今、京都駅の近くのスタバでコーヒーを飲んで休憩しているところですが、
京都というのは、私の中では最奥の街というイメージが非常に強いんですよね。
ここにずっと滞在して、かれこれ1ヶ月以上になりますが、時々映画も見に行ったりしているんですが、
すごく最奥的な映画ばかり見ていて、例えば、黒川の女たちという映画とか、
これはまたどこかで話す機会があればと思うんですけれども、
非常に深刻な歴史的な実際にあった出来事を描いたドキュメンタリー、
それから、これは非常に抽象的な、非常に不思議な内容の映画なんですけれども、
テレビの中に入りたいという、この映画も面白い映画でしたね。
これもパッと見ただけでは全然テーマがわからないような、すごい不思議な映画なんですけれども、
やはり今っぽい内容の映画でしたね。
そして、ついに見たかった映画を見てまいりましたが、
今10月ですよね。私はこれ、今年のベスト1に決定です。
One Battle After Anotherという映画で、何人かの方がすでにめちゃくちゃ絶賛していますが、
これはポール・トーマス・アンダーソンという、私全く同い年のアメリカ人の映画監督で、
大天才の人がいるんですよ。この人は私も本当に本当に本当に大好きで、
この人の映画は全部欠かさず劇場で見ているんですけれども、
今回はこの人の映画としてはかなり珍しくビッグバジェットのすごい映画で、
なおかつ、デカプリオことデカプーが初めてポール・トーマス・アンダーソンの映画に主演しているということで、
非常に非常にめちゃくちゃ期待していて、確かスタイフ界隈でもサニーさんがめちゃくちゃ面白かったと言っておられましたね。
いやー、もうちょっとすごかったですね、これは。
もうあまりにも感動してしまって、今スタバで思わず収録しているんですけれども、
いやー、何ですかこれは。本当に本当に大傑作で、ぜひ今まさにやっている最中なんで、
多くの人に見に行ってもらいたいなと思ってね。
これはちょっとね、私の拙い技術力ではとても語り目解説もできませんし、とても映画的な映画でしたね。
ただ、この映画を見ると、これはね、いろいろいろんな見所があるんですけれども、
親子の映画なんですよね。デカプーのお父さんと娘っていうね、
実はお母さんと革命家のお母さんが出てくるんですけれども、
この映画、めちゃめちゃ左翼的な映画だというふうに思っているんですけれども、
同時に親子愛を描いた話でもあるんですよね。
このね、ワンバトルアフターアナザーっていう映画のタイトルは、
これはね、戦いに就く戦いっていう意味なんですよね。
これはだから日本語に、英語的な言い回しなんですけれども、
炎上に継ぐ炎上とかね、出現に継ぐ出現みたいな、
なんかそういう感じの言い方になるんですけれども、
今ちょっと大変なことになりましたね。スタイフが思いも描けない、
これからビッグスターたちがこっちに映ってくるかもしれませんね。
それはいいんですけれども、とにかくこのワンバトルアフターアナザーはね、
親子愛の重要性
実は親子の物語なんですけれども、これを見てね、
いろいろ今の自分と重ねて見てね、とても感動したんですよね。
ちょっと今シリーズが途中になっているんですけれども、
自分の老いたちについて話している、
親はバカな方が子供はたくましく育つっていうシリーズね、
あれまたやろうと思っているんですけれども、
あれともつながる話だなと思ってね、
とても味わい深く見たんですよね。
実は今私が京都で滞在させてもらっている友達というのがですね、
ちょうどおとといですね、誕生日を迎えて80歳になった大御所の女性なんですが、
年齢を超えてですね、私はとても彼女のことが大好きで、
幸いにもお友達にしてもらっているんですよね。
この人は実はうちの母の友達なんです。
80歳になる今もずっと独身でね、一人でいるんですけれども、
常に男を絶やしたことがないような恋大きい女性で、
頭がもう死ぬほど良くて、自立していて、
私の憧れの女性なんですよね。
もう本当にこんな人になりたいとずっと思っていました。
この人はずっとうちの母のことを、
私の親友、私の親友の娘っていうふうにね、
いつも思って可愛がってくれていたんですけれども、
でもね、友情にも片思いってあるんだなって思って、
うちの母の方はですね、このマドモアゼルのことをもちろんね、
大切な友達だと思っているんですけれど、
親友とまでは思っていないんです、実はね。
母が自分以外というかね、他人で、他人というかね、
他の人で関心を持っているのっていうのが、実は私だけなんですよね。
私にしか関心が実はなくて、
もう私のことが、だから娘なんですけど、
もう大大大好きなんですよ。もう私の大ファンなんですね。
今こうやって音声配信していて、母の悪口とか、
いろいろ愚痴とか言っていて、もうこれも嬉しく聞いているんですよ。
自分が娘にいじられるのはもう至福なんですよね。
娘にいじられるのはもう至福の喜びで、
もう娘には何言われてもいいと。
ただ、昔にはよく言われたのは、
あんたが将来なんか物書きとかになってもね、
絶対死んでから発表しろと。
私の悪口いくら言ってもいいけど、
自分が死んでから言ってくれって言われていました。
でもね、今匿名でね、しかも音声配信で、
母の素性がわからないところでね、喋っているので、
母は気にせず面白がってくれているので、
好きなことを好き勝手に喋っているんですよね。
そういうね、私がこういう発信活動とかする前からね、
ただ私の存在がそこにあるだけでね、
母は本当に好き勝手に適当に、
ほとんど普通の親がやってくれるようなことは
ほとんどやってはくれていないんですけれども、
金だけ出してほとんど家にいなかったですし、
金を出してくれただけ十分じゃないかという意見もあると思うんですけど、
普通の世間一般の母親が子供にするようなことは
ほとんどしてなかったんですが、
とにかく自分は愛されているんだっていうことはね、
もう全身で受け止めながら育ってきたんですよね。
とにかく娘が大好きで大好きで、娘の大ファンなんですよね。
でもね、このワンバトルアフターナザー見てね、
親子ってこれだよねっていうことを改めて思ったんですよね。
だからこの映画は、もう映画については触れませんけれども、
今日はね。
でもこのデカプーがね、ろくでもない父親なんですよね。
ずっと朝から酒飲んだりね、マリファナ吸ったりとかして
ラリっているようなどうしようもないクズなんですけれども、
娘のことは出来合いしていて、
もう本当に誇らしく思っているんですよ。
これがね、やはりね、私自分は子供がいないんでね、
偉そうなこと言えないんですけれども、
自分の子供の一番のファンであるっていうことがね、
何よりも子供がまっすぐ育つ、一番大事なところなのかなと思って
この映画をね、見ました。
そして自分と母のことを思って涙しましたね、本当に。
だから、ろくでもない親だったかもしれないけど、
何かね、自分がピンチになったらね、
デカプーがね、もう血相を変えて娘を守りに走っていくんですよ。
個人の過去と映画の関連
だから、子供がピンチのときは親は飛んでくる。
そして何よりもそれ以外はね、
とにかく子供が可愛くて可愛くてね、
子供の可能性とか才能とか能力をね、
ただ何の無条件に信じているんですよね。
どこの大学へ行ったとか、
その子が何が得意だとか関係なくね、
とにかくこの子はスペシャルだと。
もう本当に可愛い子だって、
もう本当にこんな可愛い子はいないって思って
育てているところとかがね、
なんかずっとうちの親とデカプーを重ねてね、
思わず涙したんですよね。
映画について詳しく言及することは今は避けたいんですが、
これは革命家のお母さんと革命を一緒に手伝っていた
デカプーのカップルから生まれた娘なんですね。
お母さんはね、ある理由で消息がわからないんですよ。
だから娘はずっと革命の英雄のようなお母さんだと
信じてデカプーを奮する父親に育てられているっていう、
シングルファーザーが育てているっていう設定になっているんですよ。
そこもね、すごい私、自分と重ね合わせて見ていて、
私はね、だから前、自分の老いたちシリーズで
無条件の愛と親子の絆
自分の父親が非常にひどい理由で母を捨てたという話をしたんですけど、
実はね、このような事情があって2人が別れたっていうことを知ったのはね、
25歳とかね、もうすっかり大人になって、
自分ももう既に結婚している状態で知らされたんです。
で、父親がね、大きくなった私と会いたいと言ってきたんです、ある時ね。
で、それがその手紙が父から来たので、母はそろそろこの子もね、
もう大人だし、もう本当のことを言ってもいい時だろうと思って、
初めて実はどうしてこういうふうに、
私たちがね、離婚したのかっていう理由と、
父親が非常にひどいことをしたんだけれども、
もう恨んでないっていうこととかね、そういったことを
母から初めて知らされたんですよね。
だから母は私にそういうネガティブなね、非常に自分が辛い思いをしたことを
一言も言うことなく、私を育ててくれたんですよ。
で、それがね、この映画はね、詳しく言いませんけれども、
同じようにね、いろいろ、いろんな理由があって、
母が娘のそばにいないっていうことをね、
デカプーンは、ま、ろくでもない親なんですよね、本当に。
ろくでもない親なんだけれども、娘にね、そういうネガティブな感情を
母親に抱かないように、まっすぐに育ててるっていうところとかね、
で、ま、ある程度大人になって徐々に、母がどういう人だったかっていうことを
この娘は知っていくことになるんですけれども、
母親に対して、母親に対してね、
どういう人だったかっていうことをこの娘は知っていくことになるんですけれども、
ま、でもね、あの、そういうね、あの、親もね、不完全な人間だっていうことを
子供が自然に、ま、知っていき、自分のルーツというかね、
ま、親っていうのは自分の最大のルーツになるわけですからね、
まず自分がどういう質地で、どういう成り立ちで生まれてきたのかっていうことを知り、
そして、ま、その親が果たせなかった、いろんなね、
また俺たちが実現できなかったことをお前は実現していくんだよっていうね、
もうそれだけでね、実はいいんだなっていうことを改めて思ったんですよ。
うん、親っていうのは、もうあれこれあれこれ、
こけそうになっている子供をいちいちいちいち飛んできて、
あの、ね、あの、こけないように、けがをしないように、
何もかも守ってやることが、親の一番やるべきことではないし、
ま、ある程度、あの、この映画の中でもそうなんです。
この女の子はね、あの、とても大変な目に遭うんですよ。
で、それを自分の力でね、親にかばってもらうんじゃなくて、
自分の力で乗り越えていくっていう話なんですよね。
ただもう、デカプーは心配して心配して、
娘を見守ることしかできない、えっと、非力な存在として描かれてるんですよね。
友情の形と変化
ですけどね、物理的に助けたり、守ったりとかしてもらうじゃなくて、
ただ自分を愛し、信じ、そして自分の一番のファンでいてくれてるっていうことがね、
ま、子供にとってはね、何よりありがたいことなんだなっていうことを思ったんです。
こんなに自分をね、無条件で愛し、信じ、ファンでいてくれるって、
英語ではね、アンコンディショナルラブって言いますよね。
無条件の愛っていう、ま、これはできる、できそうでできないことですよね。
うん、本当にね、いい映画でしたよ。
でね、ま、話をちょっとまた戻すとね、
この今私が京都にね、滞在させてもらっているマドモアゼルなんですが、
この人はもううちの母のことが大好きで、親友だと思ってるんですけど、
母は自分の娘にしかほとんど関心がないんですけれど、
うん、ただね、結局回り回ってね、自分が愛する娘がですね、
自分の友達と世代を越えてもうめちゃくちゃ仲良くなってるんですよね。
私とマドモアゼルは、もともとは親友の娘だったのが、
今はその母を、母というものがなくてもね、
私とマドモアゼルの間に強い友情というか、絆が結ばれて、
まあ最終的にね、あの縁関構造で、
母が縁でつながったマドモアゼルなんですけれども、
今や私たちはとても仲のいい友人同士になれたっていうことでね、
一周回って、なんか娘を通して両思いになったんだなっていうことを思ったりね、
してるんですよね。
だから母はそのマドモアゼルのことをそんなに、
ただの知人ぐらいにしか思ってなくて、
マドモアゼルの方はうちの母のことが大好きで、
でも私はそのマドモアゼルのことが大好きで、
で、マドモアゼルもかわいいなって、最初は親友の娘だけど、
よしよし、娘だからかわいがって、
今は二人の間にもね、ちゃんと友情のようなものが芽生えてきて、
やっと私はマドモアゼルと両思いになれたなって、
で、マドモアゼルは私を通して、
まあ母というかね、この親子と両思いになったのかなと思ったら、
不思議だなと思ったりします。
友情にも片思いがあったり、巡り巡って両思いになったり、
人と人っていうのは面白いもんですよね。
親子も含めてね。
ま、とにかく、ちょっとそんな話をしてみましたが、
一戦後、大、大、大、大、大、大、大、大、大、大、大、大、大橋作なんで、
ぜひ見てくださいというのと、
私これ多分後もう何回も、
劇場公開してる間中何回も見にいこうと思います。
はい、それではごきげんよう。
見に行こうと思います はいそれではごきげんよう