1. 現役リフォームプランナーの業界裏話
  2. われ泣き濡れて古家とたはむる..
2025-12-14 25:00

われ泣き濡れて古家とたはむる【五】 #496

京町家シリーズ。
もともと、とてもエコでサスティナブルだった日本の伝統工法が、なぜなくなっていったのか‥という話。

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サマリー

古家のリフォームプロジェクトにおいて、寸尺かんなが京都の伝統工法や警官条例について話しています。特に、エアコンの室外機の設置や歴史的建物の耐震技術について考察しています。日本の伝統工法とサステナビリティの重要性が強調されています。特に阪神淡路大震災を経て、建築基準法が新しい工法へと移行する中で、伝統的な京町屋の保存活動が続いていることについて触れています。共町屋の哲学に関しては、古い家が持つ美しさや機能性、またそれを守り育てることの重要性が語られています。

リフォームプロジェクトの進行
お聞きの皆様、おはこんばんちは。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
相変わらず京都なんですけれども、今日はお客様が立ち会いで現場の確認がございました。
これはね、現場の進捗をお客様に直接見ていただいて、現時点でご要望とね、それていないか、
何かここからさらにこう、もっとこうしてほしいとかね、そういったことがないかどうかというね、現地確認の日だったんですよね。
で、幸い、とても現状には満足いただいて、このまま進めてくださいということでね、無事に終わりまして、ほっとしているところです。
はい、えーとね、今、現段階はですね、ちょうどもうほぼ中の大工仕事が終わっている状況です。
だからお客様が希望していた間取りですよね、壁とか室内とか、そういったところが一応できていて、キッチンとかお風呂とかはもう据え付けている状態なんですよね。
で、いよいよ来週の月曜日からですね、内装に移るんですよね。
で、内装というのはクロス屋さんが壁紙を貼ったり、あとは今回はね、やはり今日待ち屋ということで、
なるべくね、1階のLDKのメインの場所は車間でね、土壁にしてもらおうということで、
えーとね、私もね、大変楽しみにしているんですよね。
そういった作業がいよいよ月曜日から始まります。
で、まあそんな感じですかね。
で、あと残りはですね、外回りとしては、この京都の警官条例っていうのがあって、
京都はね、この警官区域があるんですよね。
で、このあたりは好き勝手にピンクの家とかね、そんな家は絶対建てられなくて、警官条例に則した色合いであったり、
あの、素材とかにしなきゃいけないんですよ。
で、ここの今私が手がけている今日待ち屋も、もちろんこの厳しいエリアの一角にある家なので、好き勝手には建てられないんですよね。
で、ここも京都市役所と何度かやり取りをしまして、無事に申請が受理されまして、
で、あの、訂正する箇所とかもいろいろいただいて、
例えばね、どういうことかというとね、もちろんね、色も限定されてるんですよね。
焦げ茶と黒と、あとなんだ、あのなんだ、あの土の色ですよね。
だから、ベージュ色というんですかね。
ジュラック壁のオード色みたいな、ああいった色で、なおかつね、光沢があっちゃダメなんですよ。
ピカピカしてたらダメで、あの、ちゃんとツヤがない状態の色合いじゃないとダメとかね。
で、シルバーとか真っ白とかもダメなんですよ。
こんな感じでね、非常に厳しく制限されていて、木はOKなんです。木材はOKなんですけれども、
えーと、なんだっけ、金属で、とにかくね、だからペカペカしてたらダメなんですよね。
で、そういったことも全部図面に、あの、ちゃんと作図でちゃんと表現して、
色もちゃんと着色した図面を提出して、で、色もね、ちゃんとマンセル表って言って、
あの、色のね、色相、あの、色合いですよね。
あと、明るさ、それから鮮やかさっていうね、この3つの属性をちゃんとね、数値とか記号で表している、
まあ、この色をね、あの、ちゃんと体系立てているシステムなんですよ。
で、これね、なんか持ち運び用のね、このカラーチャートの、あの、サンプルのね、ブックみたいなのがあってね、
これいつも、大抵持ち歩くんですよね。
で、この色で、外壁の色どれにされますかとかって、お客様と打ち合わせしたりとかする時に使ったりするんですけれど、
ちゃんとね、このマンセル表の、あの、なんか、この数値もね、ちゃんと図面に入れて、
これがね、あの、明度とかね、彩度とかがある程度、ちゃんともうこの範囲とかって決められてるんですよ。
で、これがね、あの、ずれ、あの、違うと、もうここも訂正されるんですよね。
これだと明るすぎますとか、規定の色じゃないとかね、黄色だとか、青とかはダメだとかね、そういうのがあるんですよ。
で、この辺も全部提出して、OKもらってから、えー、外壁周りやるんですけれど、
で、これもね、1個私訂正くらったのは、えーとね、どうしてもね、エアコンの室外機。
これがね、この家に、あの、3つ付ける予定なんですけれども、2階に設置するエアコンの室外機がね、どうしてもこの通り側に面している、
1階とね、2階の間の、なんていうのかな、えーと、下屋ですね。
下の屋、あの屋根の屋って書いて下屋って読むんですけれど、この上にね、どうしても1台の室外機を置かなければいけないんですよ。
あの、京都のね、街並みとかご覧になったことがある人だとわかると思うんですけれど、
よく通り側に、えーと、エアコンの室外機がね、ポンと屋根の上に乗っているところって見たことあると思うんですけれど、
これをね、私うっかり図面にまあ、それ書いてたんですよ。
そしたら、これはちゃんと、あの、この、なんか、木のね、格子でカバーをしてくださいと言われましたね。
だから、はい、わかりましたって言って、もう一度ここに格子で、この室外機を隠している、あの、カバー付きの絵に作図を直して、もう一回再提出しました。
はい、こんな感じで、だから無機質なものとか、まあ、だからエアコンの室外機っていうのは、まあ、白っていうかベージュ色みたいな、
まあ、そういう、まあ、だから京都の景観にふさわしくないような色味になるんでね。
で、これを黒く塗ったりとか、うん、する、したらOKなのかもしれませんが、それはね、絶対剥げてきますんで、
まあ、これをとにかく、この、木の縦山のね、木格子で、まあ、覆うという処置をこれから取らなきゃいけないんで、
またまた大工さんにはね、あの、中の工事が終わっても、いろいろやってもらわなきゃいけないことがまだまだあるんですよね。
まあ、そんな状態です。なので、まあ、これで、あの、ここからいよいよね、年末年始、多少、あの、挟んで、
えー、まだまだこれから、まあ、工事は過強だという状況なんですけれど、
まあ、このね、京町屋なんですけれど、京町屋の私、この設計塾っていうね、ところに、まあ、参加してるんですが、
警官条例と建築規制
えー、ここでね、非常に面白い話をちょうどこの間聞いてきたんですよね。
えー、ここに携わっている方たちは皆さん、あの、ベテランのね、一級建築士の先生方で、
で、京町屋にも非常に、まあ、造形が深い人たちばっかりが、えー、この研究室にいらっしゃって、
で、我々にいろんなことを教えてくださってるんですよね。
えー、まあ、この間、その、講師を務めてくれた一人の先生がね、まあ、とても、すごい感銘を受けましてね。
まあ、あの、そもそもね、日本に、まあ、代々伝わってきた、この伝統工法と言われる、あの、建築工法なんですけれども、
これは、まあ、あの、石の上に、あの、木の柱を立てて、
そして、上に、もう本当に、金物一切使わずに、木の組み合わせ、あの、木を、こう、組み合わせて、あの、作っていって、
で、上に重たい屋根で蓋をして、えー、あの、建てるという建て方なんですよね。
で、これはね、だから、今の考え方っていうか、耐震のやり方とは全く違うんですよね。
今の建て方、在来工法と言われる木造住宅の一般的な建て方っていうのはもう、皆さん多分、見たことあると思いますが、
コンクリートでガチガチに固めた基礎と、まあ、鉄筋も入ってますよね。
で、これでもう、万弱な土台の上に、ようやく、あの、柱を立ててね、木材をパンパンパンと、あの、組み合わせていって、
で、もう、あちらこちらに筋貝とか、金物で固定したりとかして、で、軽い屋根を上に乗せて作ると。
だから、土台をしっかり固めて、あの、直下型の強い地震が来ても、あの、土台がしっかりしてるんで潰れないよっていう、あの、価値観で建ててるんですよね。
で、一方の、えっと、もともとの日本に伝わる伝統工法の建て方は、もう、石の上にただ木の柱が乗っかっているだけ、一切固定はしてないんですよね。
で、上に重たい屋根を乗せて、それだけでもう、蓋をしているような状態なんで、
まあ、一見ね、今の、あの、建築の工法を知っている者からするとね、こんなに弱いものなんだって。
私も今回ね、この、最初にね、その古いっていうか、その、直していくところを解体した時にね、まあ、びっくりしました。実際に見てみてね。
ただ、これは、以前もちょっとどこかでお話ししたと思うんですけど、一応今回これ、耐震診断の一級建築士の先生を別に大阪から呼んで、その先生にちゃんと見てもらった時に、その先生も言ってたんですよ。
これは今の建築基準法に照らし合わせると、完全に違法建築になっちゃうんですよね。
うんですけども、これはこれで非常に理にかなっていて、これはこれで別に、あの、悪い建て方でもないし、これが地震に弱いとも言えないんだよねって、その時言ってたんですよね。
耐震技術の考察
で、それがとても印象に残っていたら、今回のね、このマチアの研究、研究塾の方でも先生がね、同じことをおっしゃっていて、でね、この伝統工法がね、もう徹底的に悪者にされて、
消滅に近いような状態で、違法となった決定的な原因が2回あったそうなんですよね。
まず1回は、日本が第二次世界大戦でアメリカに敗戦して、一気にアメリカの文化とかが流れ込んできたことが大きいんですよね。
ここではアメリカの2x4、2x4っていうのはもう板だから、パネルでパンパンパンと立てていくという工法ですよね。
これがね、どんどん日本もアメリカナイズっていうかね、アメリカのやり方をもっと取り入れなさいっていうのは、別に直接的な圧力じゃないと思うんですけれど、
多少のそういう内圧みたいなものがあって、どんどんアメリカのスタイルが踏襲されていくんですよね。
この日本の伝統工法のやり方ですと、構造がすべて剥き出しなんですよね。
例えば柱も見えてますよね。柱と柱の間に竹を編んだ編み編みがあって、そこに土をベタベタ塗って土壁を作ると。
このやり方ですとね、どこが傷んでるかっていうのはすぐわかるわけですよ。
今ってね、やたらサステナビリティ、サステナブルとかSDGsとか言って、環境保護とか、いろんな資源をもっと大事に有効活用しようとか、いろいろ言い出してますよね。
でも、もともと日本はとてもサステナブルな社会であり、またそういった家を作ってきたわけなんですよね。
だからそこらにあるどこででも採れる木と石で家を作って、そして土壁を塗ってね、どこにでもある素材ですよ。
藁とか竹とか、そこらで採れる土で土壁を作って、土壁が剥がれてきたらまたすぐに簡単に手に入る材料でまた直していくという風にね。
すぐにね、だから目に見える形で家を作って、あと障子とかですよね、建具とかもね。
あともう一つ私は感動したのが、大抵ね、日本っていうのはやはり中国とか朝鮮とかからね、いろんな文化とかが入ってきてるんですよ。
ですけども、このね日本の引き戸、襖とか障子とか引きますよね、左右にさらさらと動かしますよね、この文化は朝鮮にも中国にもなかったそうなんですよ。
だからこの建具ね、いろんな扉とか柔環境とかっていうのは、多分に中国や朝鮮からいろんな影響を受けて日本は発展しているんですけれど、
ここにおいてもね、日本はオリジナリティを発揮して、いやこれいちいちね、取ったり外したりとかしてすると出入りが面倒じゃんっていうね。
そしたら右左にスライドさせることで簡単に開け閉めできたら便利だよねって言って、こういったね今の引き戸っていうものを作ったのはね、日本オリジナルだって言ってました。
すごい感動しましたね。全然知らなかったんで、そんなことを。だから向こうだと、手前に引いたり押したりすることで突き出す形で開け閉めするんですよね、中国とか朝鮮の建具はね。
でも日本の場合は左右にスライドして簡単に開け閉めができるものを発明したりとかね、素晴らしいですよね。
でも話を戻すと、そのようにね、とてもサステナブルな日本の住環境がアメリカのね、ツーバイフォーの工法が取り入れられたりとかして、このパネル工法っていうのは結局骨組み全部隠してしまうんでね。
内部で例えば柱が折れてるとか、どこかがシロアレに食われて、なんかだんだん曲がってきたりとかしてもですね、もうパネルで隠されてるんでわからないわけですよ。
昔の日本の建て方だったら、なんかちょっと柱が水でね、ふやけて腐ってきてるなとかね、シロアリ被害とか全部それわかるわけですよね。
だからなるほどなと。そしてね、次にこの伝統工法がもうダメになったのが、1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災なんですよね。
阪神淡路大震災の影響
神戸市を中心に、この近阪神エリアが大変な被害を受けた大地震だったわけなんですけれども、これ私、今もね、神戸のリフォームはたくさん手がけてるんですけれど、いまだに阪神淡路大震災の爪痕っていうのは非常に深くてですね、
今でもね、神戸の人たちはとてもね、地震が来た時のことをいつも頭に念頭に置きながらね、リフォームの打ち合わせなんかしててもね、大阪の人とは全然違いますね。防災意識がとても高いんですよね。
話を戻すと、この阪神淡路大震災で多くの家が倒壊したんですけれども、これがきっかけでね、いよいよこの伝統工法の家はやばいっていう風になっちゃったんですが、これでもね、神戸って実は全然伝統工法の家は京都とか大阪みたいにたくさんないんですよ。
もともとここはもう戦後に昭和の家がたくさん建っているエリアなんですよね。割と新しい場所なんです。なのでそんな京都みたいに何百年前とかね、そんな幕末以前のとか江戸時代の家とか、大阪も結構ね、あるんですよ。
空襲でね、だいぶ焼かれたりしてるんですけれど、大阪はね、結構あちらこちらに町人の町や商人の町や部家の家とかね、あと浄化町とかもあったりするんで、めっちゃ古い家とかあるんですよ。平気で江戸時代の家とかも残ってたりするんですけれども、こんなのは神戸にはあんまりないんです。歴史が割と新しいんですよ、神戸はね。
だからほとんどは、主に昭和とか戦後に建った家が多いにも関わらず、なぜかね、ここで一気に伝統工法の家がダメってなっちゃって、全部先ほど言ったように在来工法で、全部ね土台はしっかり固めるっていう今の建て方に全部変わってしまい、建築基準法もそれを基準に全部改訂されてしまったんですよね。
というわけでね、京町屋は今こうやって再生して残していこうということを取り組みをしている人たちが一部にいるんですが、現状の建築基準法でいけばこれは違法建築とみなされるんですよ。
とは言ってもね、これは大切な京都および多くの日本における文化遺産なんじゃないのかっていうことも一方で思われていて、こういう活動を保存していこうという活動もあるので、ようやくね、私が今通っているこの再生塾とかも含めて行政と掛け合ってですね、いろいろね、いろんな取り組みをしてるんですよ。
例えば、今ってもう階段を掛け替える。階段掛け替えるって例えば、昔の家ってすごい階段の傾斜が急だったりしますよね。あれ非常に危ないので、傾斜の角度をもっと緩やかな、上りやすい階段にね、掛け替えたいと言っても簡単じゃないんですよ。
増改築証明書っていうのを発行してもらって、一級建築士とかね、これちゃんと診断できる人に見てもらって、ちゃんとこれはバリアフリーになっているとかね、耐震の条件を満たしているとかっていうね厳しい審査を通らないと許可が下りないみたいになってきてて、だから普通にね、もうそういうのが必要ない。
つまりはね、こういう増改築証明書がないとリフォームローンとか住宅ローンとかがもらえないんですよ。
すごいややこしくなってて、キャッシュでね、別にバンって買って、増改築証明とかいらないっていうようなね、お客様の場合はいいんですけれど、ローンを借りて家を建てたり、直したいという人はね、増改築証明がもらえないとダメなんでね。
だからつまりはね、国はね、案にリフォームをやめさせて、新築を建てさせたがっているっていうのがね、すごいあるんですよ。だからとても矛盾してるんですよね。
サステナブルとかね、SDGsとか言って、古いものを大切に使いましょうとかって表向きは言ってるんですけれど、実質的には長年ね、新築の家をバカすか建ててきたっていう背景があるんで、いまだにね、あとは経済政策としても新しい家をたくさん買わせて、建てさせてっていうことで長らくね、これが経済政策の大きな根幹になってきたという背景があるんでね。
もういよいよね、もう古いもう、築60年とかね、戦後だいぶ時間も経ってきて古い家が増えてきたっていうのがあるので、なるべくね、もう潰してね、安全な今の基準を満たした新築住宅にね、何ていうかな、誘導したいっていうのがもう国のね、根担が見え見えなんですけれども、
そういったところを、共町屋の場合は優遇措置で、そういった厳しい増改築署名とかを取らなくてもOKにしたりとかね、あとはこういう親の代から共町屋を相続した場合は、ちょっとこの固定資産税とか、相続税を従来のね、何パーセントって言ってたかな、3割は安くしてあげるとかね、そういったことを今私が入っているね、この町屋研究室、
共町屋研究室の理事長が行政に掛け合って、そのようにね、優遇措置を無理やりやらせて、今度、次の建築基準法の改定の時にね、そういったことが全部盛り込まれていくそうですよ。
なのでね、今もう毎日のようにね、2,3件ずつ共町屋が消滅していっているらしいんですね。なので、このままでいくと、もう何年か後には完全に共町屋がなくなるんじゃないかっていうね、スピード感で、なくなっていっている背景には高いお金かけてね、今私が手掛けているリフォームもそうですけど、すごいお金かかるんですよ、共町屋を直すっていうのがね。
そこにね、厳しいいろんな規制を設けたりとかしたら、もうめんどくさいし、もう嫌だってなって、もうぶっ潰して、もうさらちにして、法日客のためのちょっと低層のホテルにしたりね、3階建てぐらいのホテルにしたりとか、商業施設に変えちゃったりとかっていうのがもうすごい多いんですよね。
結局ね、共町屋を残したいと言っている、今の私が入っている研究室の人とかもみんなそうなんですが、これね、単に共町屋を残したいっていうだけじゃないんですよ。
彼らの願いは、その共町屋の佇まいだけ残して、中は実はカフェとかね、レストランとかって今もいっぱいありますよね、あと民泊にしたりね、ただそういうものではなくて、本当にちゃんと京都で暮らしている人が暮らす住居として残したいっていうのが説にあるわけですよ。
つまり季節とともに、先ほど言ったようにもともと非常にサステナブルな作りをしているんですよね。この伝統工房の家っていうのはね、どこにでもある素朴な素材で簡単に手入れをしながらね、慈しみながら、家を直しながら何百年というかね、100年以上持たせる家っていう発想なわけですよ。
共町屋の美しさと哲学
今みたいにもう20年か30年しか持たないパフパフ住宅じゃなくて、もう何だったら、直しながらだったら何百年でも持つ家だっていうね、そういう発想で立てられている。なおかつ、これはね、共町屋に特に顕著なのかもしれませんけど、カビではない、派手派手しくない。
パッと見てここはすごく豪華で金持ちそうな家だなっていうのは絶対に京都ではダメなんですよ。それはもう品がない、洒落てないっていうふうに判断して、なるべくカビではなく質素なんですけれども非常に品良くセンスがいいというかね、洒落ているっていうね、意気であるっていうことがとても重んじられているんですよね。
で、季節を感じながら日々の些細な日常を慈しみながら過ごすっていうね、これが共町屋というかこの古い家のある種の哲学みたいなものなんですよね。
それをね、そのやっぱ習ったんでもうめちゃくちゃ感動しちゃって、そうか、単に古いものを残していくっていうね、その文化遺産としての共町屋ではないんですよ。
あとなんだっけ、はんなりとかね、京都を表すのにいろんな古めかしいことがいいっていう、そういうのがあるんですけど、そういうものじゃないんだっていうことをね、この建築士の先生はおっしゃっていて、
共町屋っていうのはそこに何気なくあって、私たちの日常、暮らしに寄り添っている、今現在進行形の住まいなんだと。ちょっとずつ自分たちで直すということは、つまり時代とともに変化もしていってるんですよ。
だから200年前とか100年前に建てられたそのまんまをずっと維持していくというものではなくて、やはりちょっとずつ時代の変化とともに少しずつ改良したり工夫して、住んでる人の個性とかね、そういった住みやすさとかに臨機応変に寄り添うような住居なんだというふうに教わったんですよ。
どうですか?だからね、私は京都がやっぱりね、好きで好きでたまらなくなるんですよ。これほど左翼的な教育をね、まさかね、この共町屋の研究室で学ぶとは思ってもいませんでしたよ。
戦後の混乱とかね、あとはその大きな災害とかにかこつけてと言ったら言葉悪いかもしれませんけど、そういう混乱に生じて、国がね、ある意味その大量生産とか大企業の利益を図ってね、コーヒーのね、そういうビジネスに誘導していったと言っても過言じゃありませんよね。
でも昔からずっと住み継ぐ、100年持つ家が、そういう伝統があったにも関わらずね、2、30年でもうボロボロになる家をね、たくさん大量に作って、でまた新たにぶっ壊してね、こうしたね、スクラップ&ビルドで戦後は日本は高度成長を遂げたという側面もあるんでね、
あまりこれを100%否定してはいけないのかもしれませんが、ただ以前は大切に自然と寄り添いながら豊かな暮らしをしていたってことをね、また古い家の再生を通してね、学べたっていうことはね、とてもとてもとても貴重な経験だなと今思っているというお話でした。
はい、というわけでね、引き続き今日町屋シリーズ続きます。ごきげんよう。
25:00

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