社労士ラジオ、サニーデーフライデー!
はい、こんにちは。田村陽太です。
今日もね、一人語り回をしていきたいと思うんですけれども、今日はですね、こちらのテーマにしたいと思います。
座右の銘を持って働こうというテーマでいきたいと思います。
この前ですね、とあるセミナー用の資料をですね、講師用の紹介資料を作っていた時に、座右の銘を記入するところがあったんですね。
座右の銘って、私の中ではこれだっていうのはあったんですけども、
実際なんでこの座右の銘にしたのかなっていうところを、ちょっと深く考えたことがなかったので、
今日はですね、座右の銘をなぜこんな言葉にしたのか、私の座右の銘はなんなのかっていうところをですね、
ちょっと深掘ってお話ししていきたいなと思います。
リスナーの皆さんも、この座右の銘をね、ぜひ自分の中で決めていただいて、
それがなんでこういう座右の銘にしたのかなっていうところをですね、
ちょっと振り返って考えていただけたらいいなと思ってですね、今日はお話ししていきたいなと思います。
座右の銘のメリット、こうやって座右の銘をね、僕も今日今回考える機会が持てましたけど、
なんでこういうのを考えなきゃいけないのかなっていうのを振り返ってみたんですが、
これ3つで座右の銘を考えるメリットってあるかなと思ってます。
まず1つ目はですね、自分がどんな人かっていうのを理解してもらいやすいっていう意味でも、
この座右の銘を決める、理解しておくっていうのが大事かなと思いますね。
例えば会社の中とかでもミーティングとかするじゃないですか。
自分がプレゼンの時もあったりとか聞く時とかもいろいろあると思うんですけども、
この人はどういうことを大事にしているかっていうことが最初に理解していれば、
自分がこのミーティングの時にはこういう発見をした方が話がうまくまとまるなとか、
話がスッと伝わるなっていうのを事前に察知することができると思うんですよね。
例えば努力系のとか根性系の座右の銘が好きな人とかね、
なればなるみたいなね。畠田信玄さんも言ってますよね。
なさねばならぬ何事もならぬは人のなさる何けりぃみたいなね、言ってるじゃないですか。
そういう努力でなんとかなるんだっていう方もいらっしゃると思いますし、
あとナンクルナイサ系。ナンクルナイサ系ってなんかちょっと失礼な感じもしますけれども、
例えば人事を尽くして天命を待つみたいなね、
努力はするけれどもその結果どうなるかわからないっていう、
そこら辺は神のみぞ知るみたいな感じで、
簡単に言うと楽天的な感じで考えてる方とかいろいろいると思うんですよ。
その方がどういうことを自分の軸として信念として思っているかっていうのを知ると、
会社でも働きやすくなっていくのかなっていうのがあるので、
そういう意味でもメリットがあるのかなと思いますね。
2つ目は困った時であったりとか苦しい時の自分の心の拠り所みたいなところですごい重要かなと思ってます。
仕事をしていたらやっぱり会社とかですと人間関係、上司であったりとか先輩であったりとか、
いろんな方と関係を作りながらお仕事をしていくじゃないですか。
なんでこういうことになってしまうんだろうとか、
自分の思ったような結果にならないこともあると思うんですけども、
そういう苦しい時にも自分の大事にしている言葉はこういうことだな、
だから自分の結果、頑張った努力とかに対しても報われないことがあるな、
これは例えばですけど、そういう形で苦しいことも自分の今置かれている状況っていうのを
ポジティブに変えれるような状況にすることができる。
その自分がどういうことを大事にしているかっていうのを振り返ると、
今置かれている環境をプラスに持っていけるっていう意味でも、
この座右の銘っていうのはすごい重要なものかなと思います。
3つ目に大事だなと思う、座右の銘が大事だなと思うメリットとしては、
判断に悩んだ時の判断材料になるってところがありますね。
これ前回ぐらいの回でもお話ししましたけども、
自分がこのまま進むべきなのかとか、
これを一回退いてやめるべきなのかっていうところを、
常に自分で判断してやる機会も独立して増えてきました。
そういった時にも、これってやるべきなのかな、やらないべきなのかなって考える時に、
座右の銘っていう、自分がこの考えに基づいているんだって思いがあると、
困った時に後押しをしてくれるというか、
この座右の銘で私は大事にしているから、その考えを基づいていくと、
多分こっちの道を進んだ方がいいな、ちょっと違うなっていうような判断もしやすくなるのかなと思いますね。
こういうのがなかなかないと、初めてのお仕事であったりとか、
やったことがないことがあった時に、どうやってやったらいいのかなって迷うことがあると思うんですよ。
自分で語れなきゃいけないと思うんですよね。
座右の銘のいいところっていうのは、その座右の銘にした理由っていうのが、
必ず自分の今までの経験だったりとか、物事の価値観とかに基づいているので、
他の方が言っていることじゃなくて、
ちゃんと自分の中で吸収して、言葉を噛み砕いて得た知見みたいなところがあると思うんですよ。
一時情報っていうんですかね、自分で見たり聞いたり触ったりしたことで、
これは大事だなと思った、自分の人生とか働く上でこれは大事だなと思った、
そのエッセンスっていうのは本当に100%詰まっている言葉だと思うんですよね。
そういった意味でも、やったことないことに関しても、
おそらくこのことに関しては、今までの経験上、
この座右の銘に信じていけばこういうことがうまくいくっていうのが、
自分の経験で語るという意味でも、具体的に判断できるという意味でも、
この判断に悩んだときの材料として、この座右の銘はなると僕は思っています。
そういった意味でも、働く上で自分がどういうことを大事にしているかっていうのを、
短い言葉、座右の銘、ことわざみたいな感じですかね、にするといいのかなと思います。
ちょっと僕、これ調べてみたんですよ。
座右の銘ってどんな意味なのかなって、辞書で調べてみたんですが、
座右の銘とはですね、
僕は今座右の銘にしてますね。
そのアルメニアで出会った方はですね、
その方がこのLife is what happens to you while you are making other plansっていうのを大事にしていたんですが、
僕と同じようにバックパッカーとしていろいろ旅されてた方なんですね。
旅されててたまたま訪れたアルメニアっていう国に魅了されて、
アルメニアの方と結婚もされて、現地の方と結婚されて、
今ではアルメニアの日本語学校で日本語を教えられてる方なんですよね、と飲んだのかな。
一回飯行ったんですよ。日本語学校に遊ばせてもらって、そこで僕学生だったんですけど、
現地のアルメニア人の学生に日本語を教えるみたいな授業に参加させてもらって、
その後にご飯行ったのかな、ご飯行ったり飲みに行ったりとかしたんですけど、
その時にふとその方から言われた言葉っていうのが、
まさに僕が考えていたことだなっていうのが体現していた言葉だったんですよね。
もうビビッときたって感じですね。
この言葉って、一言で言うと神任せみたいな、運任せみたいなところあるじゃないですか。
自分で努力もっとしろよみたいな、結局他に運に任せているのかよみたいなところあると思うんですけども、
このふっと気が抜けている感じの言葉っていうのが、僕の今までの経験ともすごく合ってるなっていうのは思ったんですね。
なんでこういうことが合ってるなと思ったかというと、大学の在学中でもそうですし、
大学でいろいろバックパッカーしていても、自分が思っていたこととか、もともと考えていることっていうのをやっても、
自分の期待通りの結果にならないとか、成果が出ないなっていうのが結構あったんですよね。
例えば、大学の在学中にマレーシア語を勉強していたんですけども、
大学の3年生の終わりかな、終わりから4年生にかけてにマレー語のスピーチコンテストっていうのを、
世界の80カ国ぐらいの代表の方がマレーシアに集まって、
マレーシア語でスピーチをするっていうのがあって、そこの日本の代表として僕選ばれたんですね。
選ばれて、何回も予選とか準決勝とかいろいろやってて、
上位5名の5カ国代表に選ばれる決勝まで僕進めたんですよ。
初めて日本代表として進めたんですよ。
進めて、もう本当に練習もしたし、現行もネイティブの先生とも本当にいろいろ考えて練習したし、
もうこれで絶対決勝でも優勝するんだって気もして、本当に努力したんですね。
努力したんですけど、結果決勝で3位にも入れず、ただの決勝進出みたいな結果に終わってしまったんですよ。
こんなに努力したのに、なんでうまくいかなかったんだろうなっていうのはすごい悔しくて、悔しかったんですよ。
マレーシアから日本に帰ってきて、マレー語のその時の先生ですね、教授の方も見ててください。
ちょうどテレビ中継されてたので、スピーチコンテンツの姿を見てくれたんですよ。
その時にも田村君すごい頑張ったし、めっちゃ努力してるのは分かったけれども、
一番最後にちょっと私が気になったこととしては、やはり自分が優勝できなかったとしても優勝した方に対して敬意を表すというか、
ちゃんとその方が優勝したってことをちゃんと褒めたたえないとダメだよねって言われたんですよ。
僕当時の時、本当に悔しくて、本当に努力したのに報われなかったっていう悔しさで、
優勝者の方の名前言われた時に拍手できなかったんですね。
自分の悔しさでいっぱいで頭抱えて悔しかったみたいな感じしてたんですよ。
優勝をできなかったとしても相手の方に対しては報われたことに対してちゃんと褒めたたえなきゃいけないなっていうのを頭叩かれた感じがしたんですよね。
自分で頑張っても自分が必ずその結果通りに出せるわけでもないし、
それはもうタイミングが悪かったんだなっていうふうに思わないと、
今後自分の人生そういうことばっかり起こっていくんじゃないかなっていうのを、
教授の方から言われて大事にしなきゃいけないなっていうのは強く思ったんですよね。
そんなのも一つありましたね。
大学の時にチャンスっていうのは自分で掴み取るものじゃなくて、
結局タイミングであったりとか運っていうところもあるので、
チャンスって与えられるものなんだなっていうのはすごく強く思ったんですよね。
バックパッカー中もそうですね。
自分が行きたいと思った場所が美容だったなと思ったりとか、
自分がこう思うっていうことを貫き通すと、
旅行中に出会った人とかとお店の人とかと喧嘩したりとか、
自分ではこういうのをしたいと思ったけれども、
結局その旅行の人から騙されるみたいなことが結構あったんですよね。
自分が思っていることっていうのは必ず達成できるわけじゃないっていうのはすごい知ったんですよね。
それはそうですよね。
自分が思っていることって少なくともこうなるだろうっていうような期待がある状態で行動するじゃないですか。
いつの間にか期待しすぎになっていることもあると思うんですよ。
自分のいつも考えていることっていうのは自分の経験だったりとか、
自分が想像しているものの範囲内でしか範囲内のものなんだから、
自分が思っている期待以上のものって生まれないじゃないですか。
その辺ってそれはもちろん自分の思う通りに結果にならないよなってことはありますね。
しかも結果も自分でコントロールできるわけじゃないので、
自分がどれくらい努力したとしても結果に繋がるわけじゃない。
これなんか当たり前のことじゃないですか。