そっちの思いが受け入れてあげる方の気持ちが強くなってきたっていう感じですか。
バックパッカーの時も無計画だったからさ、地元の人たちが心配したりとか、
乗っけてってやるからみたいな感じでやってくれたりとか、その時からすごい親切にしてもらっていて、
そういう親切にしてもらった人たちのことは忘れないじゃないですか、やっぱり。
そういうのがイメージにあって、ゲストを受け入れる側として頑張っていきたいなっていうのが強まってきた。
私もそうやってやってもらったようにできたらいいのになっていう流れですね。
長いなってきたと。
そこからその後の話を詳しく聞かせてもらってもいいですか。
その後っていうか、どんな風になっていったっていうか。
ゲストハウスに来てからっていうか。
そうですね、この旅行会社からその経歴ですね。
そうですね、旅行会社で5年勤めて、私は行き足りない国がいっぱいあったので、
南米とか行けなかったし自分のバックパッカー時代に、南米とかアフリカとか行けない国があったけど
旅行会社時代に結構行けたんですよ。
だいたい自分が行きたい欲は満たされた部分もあって、
その満たされたところに自分はこういう風に人を受け入れる方をやりたいみたいなのが重なって、
もうちょっと退職しますということで気に入って。
あちこち日本の国内で色々探して、本当は海外で働いてみたいなっていう気持ちもあったんですけど、
まずまだかなみたいな結論に至り、日本の国内あちこち探したんですよ。
どこがいいかなっていうので。
この渚町、長野県気象部渚町っていうちっちゃい町に縁があって、
来て熊谷さんっていう代表に案内してもらったり、
今働いている職場であるゲストハウスを見せてもらって、
この場所に惚れ込んだし、かついろんな国の人が来るよっていうのが分かったので、
ここだったらいろんな国の人の助けになれるのではなかろうかっていう風に判断し、
東京から移住をしたと。
そういうのがきっかけだったんですね。
渚町に出会った縁ってどういうとこにあったんですか?
最初国内を見て、色々見てて渚町知ったらどういう縁だったんですか?
まず仕事ありきだと思ったので、いろんな求人サイトを見てて、
求人から面接かつ下見みたいな感じであちこち行ってたんですよ。
あちこちで面接も受けてたんですけど、
求人サイトの中には日本仕事百科っていうのがあるじゃないですか、
そこに熊谷さんが記事を載せていて、それを読んで一回ここに来てみてっていう感じだったので、
偶然、ハプニング的に出会ったとかそういうのではないんですけど、それを読んでですね。
その求人で輝いてたっていうのがあって、選んだっていう感じですか。
熊谷さんにとって渚の魅力ってなんですか?
色々事前に知ってて来たって言ったんですけど、渚の魅力ってどんなところにあるっていうのはありますか?
人の暮らしが丁寧なところにすごい魅力を感じますね。
古い家で豊かに暮らすために色んな工夫がなされていて、
全てを便利なものに頼るんじゃなくて、昔ながらの方向で畑で採れた野菜を食べつつ、
小さな木の家で温かく豊かに暮らすみたいな暮らし方にすごい良いなと魅力を感じました。
町の人たちってすごい豆で、四季折々の野菜を使った仕事、
梅仕事、たきのこ仕事、季節によって採れるものを保存食として処理するようなことをすごい豆にやってたりして、
おすそ分けもすごいくれるし、なんかいいなと思うし。
普通に今働いているイーヤンも山の中にあるんですけど、
ここから中銭堂という古い道を歩いていくと、
日本の銀風景じゃないかっていうようなすごい素敵な田舎風景もあったりとかして、
そこはすごい魅力的ですね。
水も空気もうまいし、
満員電車から開放されて、安らぎは感じますよ。
やっぱり東京から二重してきて、そこら辺はやっぱり違うなというのがありますか?
そうですね、ありますね。
そういう思った具体的なきっかけとかエピソードとか何かありますか?
田舎生活がいいなっていうところですか?
何かありますか?
ここだと春になると、ほうばっていうほうむきっていう木があって、
ほうばの葉っぱってすごいいい香りがするんですけど、
ほうばが出始めたら、家の人たちはそれを切ってきて、
ほうばで包んだほうば寿司っていうのを作るんですよね。
それをみんなで作って、みんなで外であったかい春の日差しの中で、
食べたりだとか、みんなその時期ってあちこちの家でほうば寿司を作って、
おすそ分けをしまくるから、いろんなほうば寿司を食べたりとか、
なんかのどかでいいなみたいな。
春来たときそんな感じでしたね。
お寿司に来るんですか?家にほうば寿司こうやって来ましたんで、食べてくださいみたいな。
私に来てくれる。いろんなものを私に来てくれて、野菜もそうだしお米できたよとかっていうのを、
おすそ分けしてくれる人もいるし、お餅なんかも冬場を大量に食べて、
お餅なんかも冬場を大量にもらうし、食べきれないぐらいもらうし、
たけのこもどんだけたけのこ毎日、今日もあく抜きしないといけない。
たけのこ処理にすごい追われるぐらいいただいてるし、
栗の季節はこの辺、栗均等が有名だから、
栗均等、渋滞になるんだよ。
渋滞?
栗均等買いに来る有名なお店に渋滞になるぐらい来て、
ここってライフラインになってる道路が国道19号だけだから、
栗均等のせいで国道19号が詰まって全然動けないみたいな状態になるぐらい風物詩ですよ、渋滞。
栗の時期にはそれが起きるんですね。
時期折々にみんなそうやっていろんなものを当たり前のように毎年毎年楽しみにしてやってるんだなっていうのがいいなと思ったし。
そういうところが魅力に移って渚に移住し始めたっていう感じなんですよね。
具体的に渚でホテルユイヤンさんというか株式会社フォークロアさんで仕事されてると思うんですけど、
今のお仕事内容でどんなことをされてるか教えてもらっていいですか。
お仕事内容はちょっと私が入社した時からすごいいろんなことがあって、
まだ2年経ってないんですけど、入社した頃はガストハウスのスタッフとして海外から来たお客様の対応に当てくれていたんですけど、
冬になるとお客さんが減るので、春に入社して冬になって、冬の間は民家改装作業みたいなのをひたすらやってて、
漆喰も塗ったし、壁も、天井も張ったし、床を打ち付けるみたいないろんなことやってて、
新しいゲストハウスを作ってたからその作業があったんだけど、
今使っているゲストハウスのシーツがくすんできたものがある。それをコーヒーで染めてくれって言われて、
コーヒーで染める?
コーヒー染めっていうことができるんですよ。コーヒーに染めて色をつければくすみも目立たなくなるし、
リウスというかできるからいいんじゃないかって言い始めて、
ハッハッハーみたいな感じで色々調べたり教えてもらったりして、コーヒー染めをやり始めて、
そうすると冬にお客さんがいなくなったタイミングでコーヒー染めDIYをやって、
新しいゲストハウスが出来上がりました。
春、さあオープンしようと思ったらコロナのことでオープンも遅れちゃって、結局9月まで延びたんですね。
延びちゃってお客さんがほとんど来なくなっちゃった結果、私が何をするかっていうところなんですけど、
染めの方をもっと本格的にやってみたいな。
さっきのコーヒー染めの。
コーヒー染めからスタートした染めをもっと本格的に色々やろうみたいなことになっていって、
私も好きだったから全然勉強もしますよって感じでやってたんですけど、
玉ねぎで黄色に染めるとか、この山の中に生えているアカネっていう植物は赤く染まるからっていうので、
アカネの採取の仕方を教えてもらったりとか、この草は染められるとか色々勉強して染め始めて、
もともとゲストハウスの備品として長野県で買ってきた藍染めの手ぬぐいみたいなのがあったんですけど、
それがすごい海外のお客さんにも好評だし、ここで染めてるの?って聞かれたりもしてて、
いやここでは染めてないんだよねって言ってたところから、
やっぱ染めやるんだったら藍染めもやらんといかんやろみたいな流れになっていって、
で、藍染めを去年の8月にちょっと本格的に伝統的な方法でやってるところに研修に行って、
学んできて、その方法を今こっちに全部設備を整えてできるようになったんですよ。
その藍染めの設備っていうの、このオフィシャルのところにあるんですか?
あるんです。工房を作ったんですよ。
川原さん中心にやられて。
そうですね。工房を作ってできるようになって、だから藍染めの商品とかも今たくさん作っていて、
今年の春から染め体験ができるようにどんどん準備をしているので、
私はゲストハウスのマネージャーになってほしいと言われてここで働いてたんですけど、
染め師になってしまったという。
すごいじゃないですか。
いろんなことをするしね、DIYみたいな、ゲストハウスを作るみたいなのももちろん手伝ってたし、
畑、藍を育てもしたんですよ。
元となるもの。
そう、元となるもの。植物の藍を育てて、それを刈り取って、乾燥させて、発酵させてるんですよ、今。
その発酵させ切ったやつで、次また藍染めができる、染め液を作るっていう、一気通貫で全部できるように、
去年はずっといろいろやってて、畑も、田んぼが使われなくなったところを畑にするには水はけが悪いから、水を掘らなきゃいけないって言って、
みんなでひたすらこう、水を桑で掘り続けるみたいなこととかもやってたし、
やれ鶏を飼うぞって鶏がやってきて、鶏の面倒を見たりとか、畑仕事の時を連れて行ったりとか、
だから私がこの会社に入ってからやってきたことって言われると、本当その時の気で、いろいろなんですけど。