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スピーカー 2
なんで俺ばっかりみたいな。
でも本当にこれはね、家の家事とかでも一般のどこの家庭でもよくあるような、
その旦那さんか奥さんかどっちにしてもね、そういう感覚ってあると思うんですけど。
スピーカー 1
なんか人気のせいか知らないですけど、眼鏡がすごい曇るな。
なんだこれ。ちょっと外すか。
スピーカー 2
そう、あると思うんですよ。
でね、そういうことに対して、ヨガ的なね、視点で言うと放置の精神が足りないとかね、
スピーカー 1
自分のやっている行為に対して見返りを求めない、
スピーカー 2
カルマヨガとか言いますけど、自分が与えられている行為とか、
行っている行為っていうものをただただ捧げるっていうことが大切だっていうような話とかもあるんですけど、
それで言えば、普段僕はおそらく放置の精神というよりかは、
スピーカー 1
例えば自分が係りのこととかやらなきゃいけないことを担当していることができないこともあるし、
それをマリコさんがやってくれるとき、サポートしてくれるときっていうのもあるから、
スピーカー 2
自分もそのお返しじゃないけども、
そういうつむじのお世話をマリさんができないときに、自分もそういうときはやってあげなきゃっていうようなお返しみたいにね、
それが平等だよねみたいな、なんていうのかな、ポイント性みたいな考え方。
ポイントがお互い同じぐらい、労力のことを今ポイントって言ってますけど、
同じぐらいのバランスになるようにするためにやるとか、
それが一方に偏っちゃったら、どっちかに不満が出るから偏らないようにするとかね、
そういうような考え方をしているんだと思うんですよ。
スピーカー 1
さっき言ったね、そういうことを考えずに、そもそもどっちかとかじゃなくて、できないんだったら助けてあげようっていう、
スピーカー 2
それがいつもそうだとしてもそうあるべきだと本来は思うんですけど、
そういうような発想になったときって、ものすごくポイントの計算を一生懸命するんですよ。
どういうことかっていうと、昨日は僕はやったよなとか、一昨日はマリコさんが全部お世話してたかとか、
その前の日は僕が半分やって、マリコさんが半分やってたよなとかって言って、
要はポイントを遡って計算して、今どっちがポイントが溜まってるかみたいな計算をしだすんですよ。
そんなのもうわかんないじゃないですか、過去のこととかもずっと遡っていけば。
もちろん何分やったとか、何のお世話したとか、そういうのでポイントがどのくらいあるんだみたいな計算ってできないから、もうわかんないんですよね。
だけど、なんていうのかな、そのもやもやしてる気持ちをすっきりさせたい。
スピーカー 1
これが自分の思い過ごしでもやもやしてるのか、
実際よく計算すればマリコさんの方がやってるんだったら、まあそれはしょうがないなって思えばいいし、
スピーカー 2
よく計算した上で僕の方がやってるんだったら絶対これは正当な意見だよね、みたいなことを考え出すんですよね。
わかりますよね、たぶんね。わかる人はわかると思うんですけど。
でもそれってやっぱりすごく無意味で、そういう心の状態になってるとき、イライラしてしまったりとか、余裕がないときとかっていうのは、
まあ結局答えは出ないんでもやもやしたまま終わるんですけど、よくよく考えたらこれ全然ミスをしてたなっていうことが一つあって、
僕は家庭の中ではどちらかというと仕事をするのが一番の役割の人なんですよね。
マリコさんが生き物とか家のこと、家事をやることがメインの役割。
僕は仕事をしてお金を稼ぐんだよね。
スピーカー 1
だから常に、男性の場合このパターン多いと思うんですけど、
スピーカー 2
俺は仕事してるんだからとか、自分が仕事してて、うちの場合はね、僕家で仕事してますから、
その目に見える範囲で僕が仕事をしてるときにマリコさんが、例えば好きな映画を見たりとか動画見たりとか、好きなことをしてるっていうのはよくあるんですよ。
その時に、僕は仕事をしてる、彼女は好きなことをしてるみたいな目線で見てしまうことがよくあったんですよね。
でも今回のこともそうなんですけど、よくよく考えれば、そもそも自分で仕事をするっていうのを選択してるし、
スピーカー 1
僕は仕事でうまくいかないこととかつらいこととかもあるし苦労することも多いんだけど、そういうのもひっくるめて仕事をしてるのは好きなんですよね。
自分が選んでしたくてしてるんですよ。言ったことないし、わかんないし、多分うちはしないけども、逆のパターンで、
じゃあもう僕家のことするから、ゆっくり家のことしたいから、マリコさん仕事頑張ってよって言ったら、それも別に成立すると思うんですよ。
スピーカー 2
そういう選択もあると思うんですよ。だけどそれは僕が自分でしたいからしてるんですよね。
スピーカー 1
そう考えた時に、結構ね、僕家を開けることも多いんですよ。
スピーカー 2
例えば、この間の5月にもありましたけど、年に1回トレイルランニングっていう山を走る競技の大会を主催してて、それに対してものすごく準備の時間とか割くんですよね。
スピーカー 1
それって僕が好きでやってて、それはもうライフワークの一環みたいな感じなんですよね。
スピーカー 2
そういうことをしてる時って、家のこととかってほとんどマリコさんにやってもらってたりするんですよね。
でもそれって僕は仕方がないでしょって思ってるところがどっかになったんですよ。
好きでやってるんだけど、なんていうのかな、娯楽じゃないみたいなね。
みんなに楽しんでもらうためとか、大会の存続域っていろんなところにあって、地域の貢献とか、自然保護とか、山の保全とかね、そういうことにも関わっているので、
スピーカー 1
なんか僕がやってることは大義名分がある。
スピーカー 2
マリコさんが家でのんびりしているのとは根本的に違うでしょみたいな話に思ってるわけです。
なんか伝わってるかなこれ、うまく話ができないんですけど。
スピーカー 1
そういう時に散々逆のことが起きてるわけですよ。
スピーカー 2
自分は好きなことやってて、家のこととか暮らしていく上で必要なこと、家のこととかは全部マリコさんが1日中やっている。
それが5月の大会の2週間前とかになると、もうずっとそれが毎日のように続いていくわけですよ。
僕がさっき言ったつむじの世話を今日1日ほとんど僕がしてるじゃんっていうのは、そのたった1日だけの話なんですよね。
スピーカー 1
だからこれって要は判断能力が鈍ってるってことなんですよね。
冷静に考えればわかるはずなのに、こういうことを考えるのって、やっぱり自分が自分ばっかりやってるみたいな、
自分がその能力に対してネガティブなマインドを持っている状態の時に、
スピーカー 2
この判断能力というか、事実として客観的に正しく見ることができなくなってしまってるっていうことなんですよ。
スピーカー 1
こんな当たり前のことではあるんですけど、そっかって思ったんですよ。
スピーカー 2
結局、いろいろと自分の中でも今回何がいけなかったんだ、なぜこういう思考になったんだろうっていうのを考えると、
やっぱり自分に余裕がないとそうなるなと思ったんですよね。
余裕があれば素直にマリコさんにちょっと行ってきてくれないっていうふうにお願いすることもできると思うし、
スピーカー 1
そもそも余裕があれば自分が行ったとしてもお世話をすること自体は楽しいんですよ。
スピーカー 2
やっぱりすごく可愛いので、僕はツムジが草をバクバク食べてるのを見るのがすっごい好きなんですよ。
生命力を感じるっていうのもあるし、美味しそうに草をむしゃむしゃ食べるんですよね。
スピーカー 1
だからそれをするのも嫌ではないし、もし自分ばっかりやってないかなって思ってしまったとしても、
スピーカー 2
冷静に考えられるときは、いやいやいや、普段、僕こんだけいつもやってもらってるじゃないかって思えるっていうのもそうだし、
それはね、だから冷静に判断することができる状態であることが大事っていうことになると思うんですけど。
だからね、ちょっとすいません、本当今日はうまく何が言いたいのか分からなかったかもしれないですけど、
言いたかったのは、負の感情に流されている時っていうのは何かを冷静に判断することが全然できなくなるなと思って、
普段、さっき言ったように、僕がいろんなことをしてもらったりとか、自分が好きなことをやらせてもらっているっていうことをすっかり忘れて、
自分ばっかりがやってるみたいな、全然事実とは違うような認識をしてしまうっていうことがあるっていうことがお話ししたかったんです。