そうですね。そんなすごい特別なことをしてるわけでもなくて、もちろんコーチとかつけてる方とやってることは、デジタルだとそんな大きくは変わんないと思うんですけど。
本当に自分の人生の目的とか、人間としての在り方みたいなところが、多分コーチングしてる人とかだとあると思うので、それを大冗談において、それに向かっていくために今自分が不足してるものは何かとか、
もしここに向かっていくためにどういう経験を自分はすればここに向かえていっているのかとか、どんな体験をこの自分の体は体験したいのかとか、そんなことを思いを馳せながら、
まずその北極性、自分の、僕の場合だと自分の人生の目的は生身の体でこの現実世界を楽しみながら、その体験の中で人類のメタ認知を上げていくみたいな、そういうすごくぼんやりとした、もうちょっと細かく書いてるんですけど、大枠ではそんな北極性があって、
それをするためにはどうしたらいい、去年、今年は何をしたのか、ところと、一番最初にそこをやりますね、今年、去年立てた目標とそれの、なんかそこに向かっていけたのか、ところとか、みたいなことを考えながら、目標は立ててますね、で、その中で芸人の活動も入ってきたんです。
おー、なるほどね、なるほどって言っちゃったけど、なんか思ったより、崇高でっていうのは変な言い方ですけど、そうだな、もう、なんか一、なんだろう、一サラリーマン目線で聞いたときに欲しい答えじゃなかった、みたいな。
本当ですか、違いました。
いや、本当ですかっていうと、いやいや、なんか期待、期待、輝明さんの回答として期待してたものではあったよ。
あー、なるほど。
なんか、あ、だし、なんか、まあしっくりきたっていうのが素直な感想なんですよ。
あのー、なんだろう、それぐらいふ、ふわっと構えるって言い方あるかもしれないけど、あのー、なんだろうな、ま、人類って言葉も出てきたし、しかも人類のメタ認知を上げるってさ、絶対定量的な数値にはならない。
なんだろう、うん、絶対ならないじゃん。
でも、それに自分が寄与したい、寄与するとしたらなんだろうっていう考え方は、なんか、目の前の積み上げよりも、なんだろう、一段、目の前の積み上げ、あるいは誰かに与えられた目標を淡々とこなしていくっていうのと、なんか別次元の活動になりそうだなっていうふうに思ったんですよ。
うーん。
自分一人が、その、人類のメタ認知向上に寄与してるとしたら、たぶん、まあ、ユーモアを通じてだと思うみたいな発想で、芸人の養成所にたどり着いたとか。
そう、そういう考え方。
そうですね。それも、どうです、ユーモア通じてというか、まあ、それに関しては、たぶん自分の精神的な修行っていうところもちょっと一つ含まれてるんですよね。
精神的な修行。
うんうんうん。
僕、僕の感覚として、そんなに思ってね、そんなボケたり、ユーモアを発揮しまくるタイプの人間ではないんで、でもなんか、何でしょうね、なんか、ステージに立ちたいっていうわけのわからない情情動が年始ぐらいで湧いたのと、
あと、まあその苦手だからこそ、こういったことが、たぶんやることで、たぶんこの生きてる間に体験できる一つのアトラクションみたいな捉え方なんですよね。
それを体験することで新しい自分と出会えるかもしれない。
で、それによって精神的な修行ができるし、なんか違う道が開けるかもしれない。
で、なおかつその活動、精神修行でもありながらも、自分の人類のメタ認知を向上させるっていうところにもつながっている活動っていう感じなので、
なんで自分の精神修行プラス、さっき言った北極性にも向かってるっていう、この掛け算の活動の一つっていう感じで芸人はトライしてみたっていう感じです。
なんかすごいな。なんか芸人養成所入った時に書いてたノートがあるから、輝きさんのね。
そうでした。
で、そういうのを見て、もう何書いてあったかは覚えてないんですけど、たぶんそこまでしっくりこなかったですわ、その時聞いて。
でも今はすげえわかるな。なんか自然なことだったなっていうのがわかったし、なんか注目したいのはなんか浄土が生まれたっていう部分かな。
はいはいはい。
その、なんかやるにあたってもう心が動いたんだっていうことを無視できなかったっていうことだよね。
そうですそうです。なんかステージ立ちたいなって。今まで裏方だったなみたいな感じとか。
うんうん。
まあそれで表だったらどんな体験なんだろうなと。
あとなんか結構逆、一般的な考え方とは結構逆説的でもあると思うんですよね。その苦手なことをやる。
だいたいキャリアとか年収上げるって話になってくると、得意なことをやれみたいな。そうすると年収上がっていくぞみたいな。
でもそれってすごいつまんない人生だなって思う。
要は同じ体験を繰り返すってことじゃないですか。
しかも繰り返せば繰り返すほど得意になってくるんで、そこに精神的な負荷はない。
でもそれって人生スパンで見たときに、なんか楽なことして金稼いだなっていう見え方もありますし。
でも逆にこのなんか全然不得意な人前でボケて滑るみたいなことをするって、ものすごい感情の触れ幅がある。
人生とかこの世というものを一つのディズニーランド的なアトラクションとして途絶えると、めちゃくちゃ楽しいアトラクションなんですよ。
そういったものを繰り返すことは人の精神的な熟達にもつながっていくんじゃないかなっていう仮説があり、
なので芸人のチャレンジってところはそういう側面が大きいです。
苦手なことを克服するアプローチと得意なことを伸ばしていくっていうアプローチで全然違う側面があるけれど、
そうだな、確かにライフハック的な文脈で言うと得意なものを伸ばしてそこで頑張るといいっていう、
その方が精神衛生上も良いし、あと例えば会社の中で他の人は大変だって言ってやってるけど、本人は苦にならないみたいな、
そういうものを見つけて伸ばしていくと金銭的な成功は近づくみたいな、そういう話があってそれつまらんって言ってるわけ?
なんだろうな、それを切り捨ててるとも聞こえなかったな。
どっちかっていうと苦手なことに捉えすることによる副次的な良いこととして精神修行になって、
自分の人生の幅が広がるし、今まで苦手だと思って決めつけていて、遠ざけてたものが自分の内側に入ってくるみたいな、
はいはいはい、そうです。
そういうものもたくさんあるよねっておっしゃってる。
そういうものもたくさんあるので、やっぱ可能性が広がりますよね。
なるほどね、なるほどな。
面白いな、なんか最近私はこのポッドキャストね、かがやきさんとこれやっていて、
もともとおしゃべりするのは好きだったんですよ。
で、人前に出て司会をやるとかファシリテーターやるとか、
そういう機会は割と会社生活、社会人生活、学生の時からあったので、こういうこと得意だって思ってたんですけれども、
結局なんだろう、クラスの表勤者みたいな、
このクラスの表勤者、この部署の表勤者、この会社の盛り上げ役みたいな、
宴会部長の域を出てないわなっていう風に、やっぱり振り返れば思うわけですよ。
誰も聞いてないポッドキャストを配信し続けて、最近YouTubeまで出ていて、
そこのステージ、ステージって呼べるかわからないけれど、
身内の中で盛り上げて楽しくやる、以上の誰が聞いてるかわからないところに自分たちの話をしていくっていう、
結構でかいハードルが自分の中にあったなと、それを越えて今うまくできてるかわからないけれど、
自分の感覚はすごく広がった感じがあるんですよね。
新しい地平線を越えた感じですね。
地平線が広がったっていうのかな、
一つできなかったこと、精神的なハードルがあってできなかったことを今やっとるというのはあって、
そこまで考えて始めたことではないんですよね。
得意なことの延長で面白そうだからって言って始めたんですけれども、
確かに後々考えると自分なりの北極星の近づく行為かなっていうふうには思うので、
僕みたいな人間が川崎さんの話を聞きながら思うのは、
僕も北極星を明確に掲げて、そこと照らし合わせて、
自分の今選ぶ行動がそこに近づくためにどんな説明がつくかって考える癖をつけといたほうが良さそうだなっていうのはすごく思いましたね。
いつからそういう考え方で、年末年始の目標、典型、振り返りってやってるんですか?
そうですね、いつから。
でもこの5、6年じゃないですかね、そこまで北極星を意識するようになったのは。
若い頃はどうしても全年比超え年収とか売り上げとか、そんなことをベースだった気がしますけど、
瞑想修行に行ってからかもしれないですね、そういう意味では。
そこに近づかないと絶対に人は幸せにならないっていうか、
北極星立てずに売り上げばっかり上げてても、全然違う北極星どころかも全然違う場所に住んでることもあり得るんで。
そこをね、忘れてしまってる人が多いですよね、自分の北極星は。
なるほどな、確かに。確かにっていうのはおこがましいかもしれないんですけど、
人財産を築いた経験ないのでありますけど、
家庭質問ってあるじゃないですか、コーチングとかでも、もしこうだったらと思いますみたいな話で。
じゃあ例えば、僕はフリーランスなので、来年は日本に帰って、奥さんの稼ぎだけでひもみたいに生きていくわけにはいかないので、
自分で売り上げ目標を立てなきゃいけないとなったときに、
じゃあやっぱり大台1000万、あるいはフリーランスだから2000万、3000万とかそういう目標を立てたときに、
じゃあこれが仮に100倍だったらどうみたいな。100倍達成したらどうっていうのを考えたときに、
たぶん売り上げ目標を立てる、そしてそれを追いかけるだけだと、
心が満たされない可能性って初めてそこで気づく気がするんですよね。
今あんまりすっきりした日本語をしゃべってない気がするんだけど、
仮にその売り上げの数値の目標っていうのが自分の北極性と結びついていれば、迷わず追いかけられるし、達成したときにすごく意味を感じられると思うんですよね。
ただ数字を数字として追うとそこに意味が伴わないし、結局意味を問う気がするんですよね。
特に自分の特徴なのかもしれないんですけれど、何か大きなことを成し遂げたときに、
で、それってどんな意味があったんだっけ?って。
これって人の普遍的な仕組み?なんていうんだろう。
そうなりそうだなって思ったんですけど、しっくりきます?言ってること。
難しいな。
意味の部分。
意味の部分。何だろうな。
意味とかうるせえよっていうのが一つ側面としてはあると思うんだよな、見方としては。
例えば会社で活躍してた先輩とかって意味とかうるせえからやることやるんだよと。
特に営業組織とかにいると、意味を考えるのはお前の仕事じゃなくね?みたいな感じなんですよ。
意味とか言わずにやることやって、その上で自分でやりたいことも仕事の中で叶えていくんだみたいな。
そうすると大きな成果が出せると。大きな成果が出せると大きな仕事を任されると。
大きな仕事を任されると次のステージに挑戦できて、自分が成長できるよっていう。
ことを会社にいると言われるし、今これ聞いてくれている人たちもそういう覚えってあるんじゃないかなと思うんですよ。
今考えるとそれってある程度会社という枠組みでそうだったなっていう。
あるいは誰かに雇用されるっていう会社で働いていく。
転職をしたとしても自分の経験全部履歴書に書いていくみたいな考え方で成り立つ考えだったかなと。
もし自分自身が目標を立てて、誰にも何もお願いされてなくて、何がしたいんだっけってなったときに、
意味なんか考えずにとかやってると、幸せを定義するのは難しいけど、僕ら戦略的幸福論なので、
そこをあえて研究していきたいなと思うんですけれども。
他人から評価されることを前提に、その評価を最大化していくっていう活動なのであれば、意味について考えなくても良いかもしれないけれど、
最終評価者が自分自身だと、死ぬときに自分の人生振り返るの自分だとすると、
ポラリスみたいな、北極星みたいな考え方って大事にしなきゃいけないのかなと思ったんですけど。
大事ですよね。
確かにそうですよね。
会社員やってると、むしろそこを忘れさせようとしますよね。
そこに気づかれると会社として都合が悪いんで。
必ずしも会社のビジョンとその人の北極星が合うことはない人もたくさんいると思うので。
そうですよね。なのでスタートアップとかは会社としてのビジョンをちゃんと掲げて、個人とのすり合わせをしっかりしていくってこと。
パーパス系みたいなことにも言われてますけど、そんな質感もありますよね。
パーパス、それもそれで会社側の論理な気もしちゃいますけど。
会社、僕は転職エージェントだったので、心がけてたのは転職をしたいかもしれないって言って相談に来てくださる方と話していて、
あなたの言ってることって別にあなたの会社でできますけどねっていうところをまず一緒に追求するんですよ。
今言ってる不満とかって会社のせいじゃないですよねっていうところをまず探していって、
大いに納得していただける場合には今の持ち場で頑張ってくださいっていうふうに話していく。
それがどうにもならんってなった時に、じゃあ原因はこれで、例えば人間関係だとしたらこの人が好きじゃなくて、
ここで耐えるよりは他に行った方がいいですねっていうような原因を特定した上で話をしていたんですよ。
それって応用可能というか、会社の中で自分の社員、会社のメンバークラス、課長クラスの人たちが自分の会社で頑張っていくためにどういうことを考えていけばいいのかっていうふうに応用が可能な話だと思うんですけれど、
一周回って、日本でも従業員と会社っていうのは契約関係で、労働者は労働力を提供する代わりに賃金をもらってるっていう、
この契約関係に過ぎないんだっていうところをもう少しドライに捉えた方が心身の健康とか保ちやすいんじゃないかなと思うんですよ。
日本人の場合それ少なそうですね。外国人とかはあまりそこを捉えないイメージありますね。欧米は特に。
イメージありますよね。ちょっと主語をでかくするのは気をつけたいなと思いつつ、やっぱりでもこっちでロンドンで今妻が会社で働いてますけど、
やっぱりこう、カム&ゴーというか、パフォーマンスが上がらなければ首で同僚がいなくなるみたいなこともしょっちゅうあるし、逆もしっかりですよね。
仕事見つけたから転職するっていうのは突然だし、そういうもんだと。お互い様なんだからっていうのはあるけれど、
日本だとやっぱり就職活動で一生懸命自己分析とかをさせて、修行経験のない学生に今までの20年前後の人生で何があなたの判断基準になってましたかっていう自己分析をさせて、
その中でポテンシャルの高そうな人を10年20年働いてもらうっていう前提で採用していくじゃないですか。
新卒一活採用と年功上列っていうのがセットになっていて、そうするとお互い様って思えないですよね。
基本的には専門性がないけど10年鍛えてもらってみたいな。10年経ってようやく一人前みたいな。部下も持てて。
そうすると会社に世話になってた分返してから去りなさいみたいな話とか。あるいは基本給は家賃なんだからみたいなね。基本給分は働けみたいな。
発言とか。ごぼっともなんですけどね。数字を上げるという機能のために雇用してるんだから。
正論ですよ。
正論なんですけど、家賃を払って文句言っていいとかじゃないけど、なんだろうな。会社の論理の方が強いケース多いなって思うので。
そこの労働者側も労働力を提供している側なんだと。そう考えると義務は果たさなきゃいけないから家賃は払わなきゃなって多分納得いくし。
一方でね、家賃払ってそこに住んでるだけなんだとしたら、自分の生活環境が変わったらもっといい場所に動いてもいいじゃんかと。
まあまあまあ、なんだろうな。だから2025年はみなさんね、転職しましょうっていう話がしたいわけじゃないんだけど。
そうですね。
なんかそうですね、すごく日本のそういう新卒採用とかでキャリアを積んでる方々って結構ある意味で幼い地面があると思うんですよね。
外資系とかだと、生きるか死ぬかっていう状況で経済的に首が切られてもよくて。確定申告とかも自分で、アメリカ人とかも。
日本の会社員の方々ってそういったものも全部会社がやってくれていて、確定申告とか年末調整とか。
なおかつずっと育ててもらってきてるっていうスキルのない状態で。
だから本当に家族と変わらないっていう。家族経営っていうね。家族経営というか、そんな言葉昔はあったと思いますけど。会社は家族みたいな。
その感覚なんで、なんか子供の精神性のまま止まってるっていう見え方もあるな。
なんか会社員の友達と話したいと思ったんですよ。
そこらへんの社会の構造仕組みを知らなすぎる。税金がいくら取られてて、社会保険をいくら会社が払ってきてとか。
要は、お母さんが家賃払ってて、高熱機も電気電話払ってくれていてみたいな。
そういう状況が、日本の日系企業と新卒から叩き上げの人って、そんな状況を何十年もしてるみたいな。
本当の意味での、本当の意味で社会というところに放り投げられていないというか。
それを感じる瞬間って、フリーランスになった瞬間とか、起業したり独立した瞬間。
そういう時に初めて、あ、それってこんなに会社に守られてたんだ。
っていう感じにもなってるなっていうのをね、あの間ちょっと話してて思ったんですよ。
そうなってくると、やっぱり子供の頃って、親の言ってることが絶対みたいになってくるじゃないですか。
で、同じことが形を変えて会社で起こってる。
会社の言ってることは絶対であり、会社のために働く。