キャリアの迷い
STORYS 人生相談室!
STORYS 人生相談室パーソナリティーのミリギャルの原作が投稿された、ストリートJP編集長の清瀬隆です。
メンタルコーチの川端輝です。
このラジオは、日本全国1万人以上の人生に触れ、取材している清瀬と、小学生から社長まで100名以上のお悩みを聞いてきた川端が、
いろんな人生を生きる人たちから寄せてもらった相談をもとに、僕らの今とこれからの生き方について考えてみるポッドキャストです。
このポッドキャストのプロフィール欄から、人生相談を募集していますので、皆さんもぜひ日常で考えていることを投稿してみてください。
それでは、本日もご相談いただいていますので、ご紹介したいと思います。
ペンネーム 迷える会社員さんからです。
現職に不安を感じつつ、外資系に憧れる30代男性の方で、自分の強みを見失い、真の目標がわからないでいるというふうなお悩みをいただきました。
それでは、読み上げます。
30代の会社員です。
現在の仕事に不安や不満を感じつつ、なぜか経営コンサルタントという職業に無意識的な憧れを抱いています。
自分の中に頭がいいと思われたいという欲求があることに気づき、それが本当の自分なのかと悩んでいます。
そんなことを考えていたら、自分が本当にやりたいことがわからなくなってしまいました。
現在の仕事を続けるべきか、それともコンサルタントの憧れを追い求めているべきか、自分の価値をどこに見出すべきなのか、これらの疑問が頭の中をぐるぐると巡っています。
もう年齢も年齢なので、これが転職の最後のチャンスだとも感じています。
ただ、安定した職を捨てる勇気もなく、かといって現状に満足もできず、中途半端な状態で日々を過ごしています。
どうすれば、自分の本当にやりたいことを見つけ、自分らしいキャリアを築いていけるでしょうか、アドバイスをいただけますと幸いです。
アイデンティティの探求
ありがとうございます。
ありがとうございます。
なるほど、頭がいいと思われたい欲求。
ありますよ、恭平さん。そういう欲求。
もう、そうですね。もう、頭がいいと思われたい欲求と、持てたい欲求しかなかったですね。
私の20代は。
今は、頭がいいと思われたい、そうですね。ありますよ、やっぱりあります。
ありますあります。
まあ、ありますね。
自分が正しいと思っていることと反することを相手がしていたら、パッと否定しちゃったりとか、
それってこうじゃないですか、みたいな。
まあ、確かに正論かもしれないんだけど、相手に寄り添ってなかったり、相手の気持ちを考えずに何か上からごめんって言ってたりとかするっていうのがよくあります。
ないなあと思いながら。
ありますね。
そうだよね。
河村さんもそうですけど。
いやー、でもありますよ、多少は。
ありますか。
自分がいいと思ったものとか、一応論に立てて考えたことに関しては、頭がいいと思われたいとはまたちょっと違う質感かもしれないですけど、
ちゃんと考えたからわかってほしいみたいな、そういう気持ちにはなりましたね。
はいはい。
頭がいいと思われたい。
でもこの方はすごく、勉強頑張ってきたのかなっていう気が。
あー、なるほど。どの辺に感じました?
頭がいいと思われたいと欲求があるっていう感じと、経営コンサルタントに憧れがあると。
外資系ですよね、おそらく。
頭のいいのトップオブトップじゃないですか。
外資系の経営コンサルタント。
就職活動とかで言うと、マッキン勢みたいな。
頭のいい代表です、みたいな。
代表、トップオブトップですね。
そこになりたいんだなっていうね、無意識的に。
頭のいい自分というキャラがもしかしたら今の職場であるのかもしれないけど、
ただもっと頭のいい奴がここのマッキン勢というすごい組織の中にいるっていう、そこに対する。
要は自分のアイデンティティが頭のいいことっていうところにあるのかな。
だからそこが自分のそのアイデンティティを追い求め続けてる。
となるとやっぱトップオブトップを無意識に目指してしまっている。
っていうところがあるかなっていう。
ただこの無意識に目指してるっていうのも、
なんかこう、多分ねすごい勉強してきたんじゃないかなっていう、これ勝手な僕の妄想ですけど。
なんか親に勉強しなさいって言われてて。
勉強しないと怒られるとか。
勉強するとめっちゃ褒められるとか。
いい大学入ってめっちゃ褒められたとか。
っていう積み重ねで、
あ、俺は勉強して頭がいいということで親に認めてもらえて自分の居場所ができる。
っていうエピソードがね、
なんかこうネタような素晴らしさの違う本で書いてあったりしていて。
結構そういう人って今多いんですって。
エリートに特に。
エリートにそういう人めちゃくちゃ多いらしくて。
要するにその頭のいいっていうところで褒められてきてるんで。
もうそこが揺らぐともう死ぬも同然で。
もう居場所なくなる。
誰も認めてくれなくなるみたいな感じなんで。
要はそこがもうライフラインになってるんですよ。
多分頭がいいが。
だからそういう感じなのかなっていうね。
頭のいい。
でもね、でも本来はね、頭が良かろうが悪かろうがね、
頭がいい以外にも絶対いいとこがたくさんあるはずで。
うん。
これは僕が危惧してるのは今AI出てきて。
ああ、そう思った。
頭がいいって勝てない絶対。
そうなるとこのエリート層のこのライフラインが
AIによって移動されるっていう。
そうなった時にこの方々はものすごい
アイデンティティークライシスを起こすんじゃないかなっていう。
もう日本沈没かもしれないですよね、なんかわからない。
そうそう。
頭のいい。
頭のいい人の金税とかそこにいる人たちがもううわーって。
もう俺はどうしたらいいんだってみんななる。
本当にやりたいことがわからないっていうことに気づいてるわけじゃないですか。
頭がいいと思って欲求にも気づいてるわけで。
確かに自分の人生における状況の明快さみたいな、
わかりやすさみたいなものは格段に落ちたけど、
でもこの人の中での情報量、自己理解の量は増えてて。
だからこういう状態に陥ってるこの人の方が頭がいいですよね、この人。
ビフォーアフターで言うと。
なんかこう進んでるっすよね。
AI時代の影響
下がってるわけじゃなくて前に進んでるから、
その状態を楽しめたらいいのになっていう。
なんかすごい懐かしさ的かもしれないし。
俺って頭がいいと思われたいって欲求で生きてきたの?みたいな。
俺が本当にやりたいことってこれじゃなかったの?
じゃあ俺って一体どうなってしまうのか?みたいな。
はいはいはい。
シーズン2始まりそうな感じが。
そうそうそう。
うわー!みたいな攻撃の展開っていうことが、
もちろん漠然のシーズンとなり、
未来が見えなさすぎて不安も押し寄せてくると思うんですけど、
そこに変化というかボラティティの大きさも、
変化の度合いの大きさを楽しむというか、
っていうのはちょっとあれと一つ楽になるかなというか思いましたし。
確かにね。
あとやっぱり本当にやりたいことなんて分かんないよね。
分かんないと思いますね。
分からないケースバイケースというか、
昨日やると分かんないと思うんだよな。
僕は多分ね、誰よりも多分、
自分探しみたいなことをしてきた自信はあるんですけど、
小さい頃からうじうじずっと考えて、
俺という人間は何者かとか、
自分は何をやりたいのかみたいなのをずっと考えてきた気がしますけど、
分からない。
この時はこういうことをやりたいと思ってるし、
でもあの時はこう思ったしとか、
最近こういう人に出会って、
この道もいいなと思い始めたとか。
これっていうものがやっぱり、
そもそも本当にあるのかなというか、
そこは本当にやりたいことが一つに絞れてて、
分かってるっていう状態に基準を置いちゃうと、
それがぐらつくと怖くなっちゃうけど、
本当にそれって人間って、
あなたってやりたいこと分かってるんですか?
そこが多分本質かなと思うんですよね。
とかとかとか思いますけどね。
そう。
ちなみに、
そうと思いましたね。
最近読んでる本が、
人はなぜ7年で飽きるのかっていう本を読んでまして、
たまたま図書館で見つけたんだけど、
世界一受け取り授業とかに出てたような人が、
人がなぜ飽きるかとか、
トレンドってなぜ生まれるのかみたいなところを、
結構研究してるような人なんですけど、
飽きるっていうことは、
僕も全部読破してないですけど、
飽きるっていうことは、
生存本能の表れだというか、
飽きることで人間は生存してきた、
あるいは生存してきた種が飽きるっていう特性を持ってたか、
どっちかであろうみたいな話をされてて、
これだって思ってることが興味がなくなる、
次に関心が移ることによって、
人は環境を変えようとしたりとか、
複雑性を受け入れようとしたりとか、
一定の場所に留まっていくことって、
それはそれでリスクじゃないですか。
インターネットとか電子数字機の到来したのに、
携帯電話が到来したのに、
ずっと電話ボックスで電話かけるみたいなのに、
ずっとなっちゃうと、
例えばあれかもしれないですけど、
動きがあるみたいなところは、
人間のポジティブな肩書きかもなとも思ったりします。
やりたいこと、飽きますよね。
飽きるし、
それを肯定した方がいいし、
そういう自分を。
そうね、それは一個楽になると思うな。
この方はやっぱり、
今まではね、
頭がいいと思われたいっていう価値観のもと、
頭がいいと思われるゲームをしてたっていうことなのかな。
頭がいいと思われるゲームをまだ続けようとしてると。
無意識に。
でもそのゲームに飽きてるのかな。
頭がいいと思われるゲームに。
飽き始めてる自分がいるんだけど、
今までそのゲームしかプレイしたことがない。
それ以外のゲームのプレイの仕方がまず分からない。
もうコントローラー何買えばいいか分からない。
どういうゲームの買えばいいかも分からないぐらいの状況になってると、
違うゲームを遊ぼうとなる。
なんでそういった意味ではさっき言ってたシーズン2の始まりであり、
全然違う自分の人生というゲームのプレイの仕方を学びながら、
そもそもどういうゲームをプレイしたいかっていうところから、
考える時期なんだろうなっていう。
頭がいいと思われたいっていう、
欲求があることに気づきっていう。
自分がやりたいと思ってたことが、
頭がいいと思われたいっていう欲求にとらわれてる自分による選択だった
っていうことに気づいたわけだよね。
自分の本来の欲求なのか、それとも何か自分の承認欲求とか、
要はその仮初めの、本質的じゃないもの特性によってもたらされてるものなのか、
わからなくなってきたっていう感じでもあるんだよね。
そんな時期もあったんじゃないですか、秋岡さん。
こんな時期しかないですよ。
こんな時期しかない。
玉ねぎみたいなもんですよ。めぐってもめぐっても。
でも小さくなってくるじゃん、玉ねぎ。
次本体が出てくるかなと思ってめくるんだけどまた皮みたいな。
むいてくんだけど全部皮であれみたいなっていう感じ。
そういう捉えどころのないものだと思うんですよ、自分というのは。
この方が言ってる、中途半端な状態で日々を過ごしていますっていう。
中途半端な状態の重要性
中途半端でいいじゃないというところは持った方が良いと思うんですよね。
中途半端なものを中途半端なまま保持しておくっていうところにちょっとパワー使われると良いかと思いますね。
白黒をつけようとするから苦しくなっちゃうし、白黒つけられないんですからね。
そんなパチパチいけないじゃないですか。
そんな簡単じゃないと思うんですよ。
白黒つけられた方が楽だけど。
こっちはAだしこっちはBみたいな。
これは昨日はAだったけど今日はBで、こういう条件下だとCにもなるし、たまにABにもなるよみたいなそういうもんじゃないですか。
それが本質だと思うんで、中途半端な状態を保持する。
それがリアルなんだったらそのままいけばいいと思うんです。
頭が良いと思われたいという欲求があることに気づき、それが本当の自分の中どうか悩んでいますっていう。
そこは悩んでるんだったら検証しに行ったらいいと思いますね。
この方が言っていらっしゃる、転職の最後のチャンスだと感じてますっていう。
転職は確かに最後のチャンス。
30代だとそんなあれかもしれないですけど、転職以外でも確認できるんですよね。
経営コンサルタントっぽい職業に就かなくても、経営コンサルタントっぽいことってできるわけじゃないですか。
復業でもいいし、復業で経営コンサルタントやってます。
経営始めた友人とか知人に無料でやるからみたいな、俺こういうスキルセットあるからって言って、経営コンサルタントっぽい仕事やってみて自分が楽しいと思うかどうか。
っていうのを検証してみるとか、そういうのをやられていくと良いと思います。
ちょっとずつね、体験しないとわからないですからね。
外資系の感じがちょっと入ってきたんで。
インスパイアされやすい。
タマネギ人間なんだよ、ほんとに。
中途半端な状態ってだけ今日伝えたけどね、僕は中途半端な状態を維持しようと頑張ってるんですよ、ずっと。
この数年、中途半端を味わう。
その心は?
そのままでいいかな。
その中で何かが生まれるだろうなっていうね。
大きな流れを、波を待ってる感じでもあるのかな。
抗えない何かがいつか来るだろうっていう感覚。
すべての可能性を生かすって感じ?
選択の自由と経営コンサルタント
すべての可能性を生かしながらも開いてるって感じ、すべて。
すべてに開きながらも、いつその可能性という波。
多分その可能性の中でも、これはもう飲まれるしかないみたいな可能性の波が来ると思っていて。
その波が来るのに備えて一応、鍛錬はしてるって。
鍛錬はする。
でも、どれかの波に自分から向かわないというか。
波が、抗えない波が来るのを待つっていう。
貼っとく感じですか?
貼って、貼ってはいるかもしれないですね。
でも、全力でそこのパドルはまだ抗えではいないというか。
向こうからその波に飲まれる炎を待つっていう。
っていう感じですね。
抗えない波が来るのに備えて一応、鍛錬はしてるって感じ。
抗えない波が来るのに備えて一応、鍛錬はしてるって感じ。
抗えない波が来るのに備えて一応、鍛錬はしてるって感じ。
向こうからその波に飲まれる炎を待つっていう質感ですね、最近は。
いいですね。非常にいいと思います。
やっぱその中途半端な状態って、
どっちつかずでダメだって思いがちだけど、
中途半端な状態って、それはそれで素晴らしい状態ですよね。
そこって保持するのが難しいし、
そこだけでしか見えない、そこにいるからこそ見える景色もあるだろうし、
そこにいるからこそ出会える、掴み取れるようなものもあるだろうし。
人間ってそれを疑うんだよね、人間の脳って。
そこがすごく自分は難しかったんだけど、
やっぱり今まで企業をしてスタートアップに入って、
うりゃー上々だーっていう世界観の人だった人は、
そういうものを目指さず、
中途半端に全部一気にこれやるぞっていう感じじゃなくて、
どれもなんとなくやるみたいになってて、
意外と勇気がいるし、
意外と難しいっていう花火がありましたね、この4年、3、4年ぐらい。
そっか、河童さんおりゃーの人だったもんね、前は。
おりゃー、割とおりゃーだった。
割とおりゃーだったもんね、確かに。
そうか、それはそう考えるとすごい差ですね、確かにね。
何かにコミットしなきゃいけないみたいな、そういう固定概念。
時間も心も頭脳も全部コミットしなきゃいけない、1個に。
1個にっていうところが。
そうだね、1個にってところがポイントかも。
そうしないと果実は得れないみたいな、そういう思い込みは昔はあったかもしれない。
なるほど、はいはいはい。
でも実際は交通短波でいることでね、それでしか得れないものもあるし、
いろんなコミュニティをまたいだ出会いとかもそうだし、学びもそうだし、アイディアとアイディアがつながるっていうのもそうだし、
その状況だからこそ世界を本当の意味で中立で見れるっていうのもそうだし、
コミットしてないからね、どれにも。
どれにもコミットしてないけど、全部には思いはすごくあるんで。
思いはあるけど、時間とかっていう意味でのコミットはしてないって感じだから。
はいはい。
だから頭脳と、リソースというコミットだけがコミットではないなっていう気づきですね。
リソースのコミットがなくても、気持ちとか願いとか思いのコミットがあると、
良い緩いつながりとか、そういう良いものも生まれるんじゃないかなとちょっと思ったり。
あーめっちゃわかる気がするわ、めっちゃわかる気がする。
逆に言うと、リソースをコミットしてても心が開いてなかったら、
願いとか思いとかそういう他者に対する自分の開示がなかったら、
すごい抽象領域の話だけど、入ってこないよね、多分。
なんかこう、コミットするぐっと熱を入れて一曲集中でやるみたいなのって、
少し心が閉じて、熱をぶつけにいくような感覚があるけど、
それはそれで何か、突破するものもあるかもしれないけど、
あんまり開いているっていう感覚はすごいわかる気がしたな。
昔からすごくお世話になっている経営者さんがいて、
その方の人脈が尋常じゃないんだけど、
俺は結構断ったのよ。
自分は今これがやらなくちゃいけないから、その人に誘われたこと?
キヨちゃん一緒に会社やろうよとか、
キヨちゃんこれ誘わってもらって、中断版になっちゃうし、
自分は今ここに集中しますみたいな、言ってたんだけど、
そういうのは彼が言ったのは、
別に僕の誘いに対してとかじゃなくていいんだけど、
それにかかっていったほうが結構いいよ、みたいなアドバイスをしてくださって。
別に時間を使う、たくさん使えばいいってわけじゃないし、
短い時間でも本当に濃く使うとか、
いろんなところに開いていったほうがいい、みたいなことをおっしゃったんですよ。
いろんなものを掛け持ちしていいっていうことをおっしゃってて、
ああ、なるほど、みたいな。
それでいいの?それもいいのか?みたいな思いましたね。
もちろんその中でも処置や選択、あれはいると思うんですけど、
何でもイエスマンだと微妙かもしれませんけど、
しかも川端さんは複数のジャンルがあったときに、
芸人も今やってて、今経営もやってて、メータルコーチもやってるじゃん。
それぞれさ、さっき勉強、単純に勉強してたんですけど、
それはそれで大事だよね。
明確なたどり着く最終地点は、思い描きたいですね。
しばらくはなさそう。
そう。
自分の道を歩む
さらに、まずは、
長い一週間ですからね。
一週間とか、
なんか明確なたどり着く 最終地点は思い描けてはいないけど
まあこれも前したような話だけど自分のあり方と何を世の中に届けたいのかってところだけは
軸として持っておいて それを実現するために自分はどういうスキルを身につければいいのかっていう感じなのかな
どういうあり方と どういうスキルがあるとそこに近づくのか
ほとんど道ですよそういう意味では ひたすら道を歩いてるっていう
自分のなんちゃら道を自分で作る 茶道とか宮道みたいな感じで自分の人生という道を
歩む感覚を作るといいのかなって 今ちょっと喋りながら思いました
あーなるほどね
例えば武道とかって別に目的があるわけじゃなくて道だから
武道という 武というそのあり方をただ体現する道をただ歩んでる
それが生き甲斐にもなるし自分の道にもなるっていう
だから自分という人生の道を多分作るといいんだろうなって それが何々道になるかってところは
まあね本当の道を歩んでいく中でブラッシュアップされると思うんだけど
いいこと言いますね
なんかねそういう確かに丸々道みたいなものを 自分の丸々道を作れるといいんだろうね
そういう人が自分を持ってるって言われるような 人だろうね
自分の意思があって だからまあその人たちって
こう 何かしらの職業についてようとも別にその職業選択に重きがあんまないんだよね
だからこう 自分がどうありたいかっていうYの部分が一番重要であって
そこで その中でどういう選択をしていけば どういうワッドを選べばそのYがよりこう
Yになれるかっていうところだから
この方の経営コンサルタントっていう職業で 無意識的なほうからでなった時に
じゃあ経営コンサルタントを分解していくと
じゃあこの人経営コンサルタント何にっていう 何に惹かれているのかっていう部分が出てくると思うし
なんかね
やっぱその自分の選択の中にある何に惹かれて 自分はその選択をしようとしているのかっていうところに意識が向いていくと
なんかこの選択じゃないってもいいんだとか こっちでもいいじゃんとか
あとはなんか自分がこれ選んでたのはこうだから 自分ってこういうことをやりたいんだなとか
そういうところに意識が向いていったりしますよね
なんか
ね マイウェイ
そう 道ですよ 道 清瀬道ですよ
清瀬道
そう
清瀬道
清瀬道は何ですか
清瀬道は何でしょうね
どんな道ですか 清瀬道は
清瀬道はちょっと玉ねぎの皮を剥きまくって途中だからな
剥きまくった結果の中心はどんな道
いや僕の中心は
なんすかね 最近ちょっと思ってるのは
日常が守られたらいいなって思ってますね
僕の日常 マイデイリーライフをですね
を守ることというか
の本とした日々を生きる
僕が分かんないけどね 今考えてることは
今 人生を残すとかっていうサイトをやりたいとかやってますけど
ああいうのも その人の日常の保全 自分の日常を残すことだし
守ることだと思うんですよね
あとなんか 僕 食とかにも関心があるんですよ
体にいいものとじゃないものとか
あんまり知られてないけど こういうのは体にいいし
でもこういうのは体に悪いとかっていうのって
消費者は分かんないっていう
でもそこってなんか 消費者の日常を奪ってる企業もいれば
守ってる企業もいて
そういうとこに怒りを覚えたりとか
戦争もそうだし
ちょっと重役についてる偉い人 国の偉い人とかが
これって国民のためにならないよな みたいなことを
自己中心的だよな みたいなことを思ってやると
腹が立ったりするわけですよ
日常を奪ってることだと思うんです
たわいもない日常 交通事故とかも許せないし
なんで酒飲むんだよ みたいな
日常を守るとか保持する 保全するみたいなこと
たわいもないが 自分の関心にあるのかなっていうのは
最近思ってますかね
キャリアの意味の模索
なるほどね じゃあ清瀬道は 日常を守る道なんですね
だから 言葉にすると途端に うーんって感じだから
でもなんか もうね
いいんですよ やっぱり 内的なこっちかな
楽しいなとかで いい気がすんだよね
いい気がすんだよな
自分の頭の中で 俺はこうだっていうふうに
思った時点で外れちゃうというか
愛してるよって言った時点で 抜け落ちてくじゃないですか
何かが
何かそういう記号とか
自分の心の中に沸き起こる 欲求とか想像
うわーっていう モチーフみたいなものを
変に記号に押し込めなくても いいとは思うんですよね
だから こうね こっちかなと思いますみたいな話で
何かいい気がすんだよな
こういう職業じゃないと ダメなのかなっていうのも
記号だし ある種
何かまあ そういうのにね
押し込めなくてもいいのかな と思いますね
ちなみに川端堂は
川端堂はもう何ですか ちょっと時間割れかもしれないですけど
最後に川端堂を聞かせていただいて
川端堂
川端堂に入りたい人 いっぱいいるかもしれないですね
いや 川端堂はね
僕も川端堂に入れてくださいね
俺も川端堂に入れてもらうかもしれないし
川端堂は
いやー難しいですね
そう言われると
そう言われるとって
自分で言っときながら
おけいが散々堂々言ってるんじゃねえかよ
堂々言っときながら 堂々って言われちゃうと
堂々堂って言われると もう分かんなくなっちゃう
すごいなんか アメリカン親父ギャグみたいな
はいどうぞ
堂々堂々堂々
いやーもうなんだろうな
考えない方がいいんじゃないですかね 逆に
もう意味
やっぱり人間は意味に縛られる生き物でもあるんで
でも意味に縛られる生き物なんですけど
でもね人間は意味がないと生きていけないんですよ結局
意味に縛られるという病にかかってるんですけど人類は
でこの病は治らない病
僕も言っときねこの意味という病を
どうにか払拭しようと頑張ったんですけど
人間は多分この病はもう治せない病です 意味という病
あのーえっとね
アウシュビッツを生き延びた人の本があるんですけど
アウシュビッツってドイツで
解析会の人
それでも私は生きるみたいな本だったかな
その人も言ってたのは最後生き延びた人はみんな
自分の性に対しての意味づけができてた人だけが生き延びた
なんで意味を
性に
なぜ意味が生きてるかとか
なぜその
ちゃんと意味づけができてた人
ここからどうなるかとか
ただその時点で絶望して意味を見失った人はみんな死んだ
自殺したってことですか
自殺した人もいるのかもしれないし確かいたのかなわからないですけど
そうですしやっぱり気力を失っちゃうんですよ意味を見失うという人は
ここで伝えたいポイントは
なるほど
なので人間はそういった意味で何かしらの意味が必要な
動物なんだろうな
という風に
自己再構築の旅
最近はまた3週ぐらいして思ってます
なるほど
そういった意味で自分の胴を
多分
生き延びた人は
何かしらの意味が必要な動物なんだろうな
という風に
そういう意味で
何かしらの意味が必要な動物なんだろうな
という風に
なるほど
そういった意味で自分の胴を
多分ね何かしら意味付けすることは大事なんだろうな
いや素晴らしい
素晴らしいですね
意味に知らばられて意味を脱しようとしたけど
意味からは脱せられず
でも逆に意味があるからこそ人間の
きらききらめき
突き抜けるものが生まれてくるんだって話ですよね
意味を肯定していくと
意味を肯定していくしかないんだろうなって
最近この半年ぐらいは思ってますね
それは素晴らしいですね
やばいな
なおかつ意味というものは
常にアップデートされるものなので生きてくる中で
なので自分の胴は
もちろん何かしら近い質感の胴は
みんなそれぞれあると思うんですけど
常に意味っていうものは
自分を力づけてくれる意味というものは
常にアップデートされていくものなんだろうなと思う
めっちゃいいじゃないですか
いいな
っていう
思いつきながらそんなことを思いました
なんかちょっと悔しいですね
悔しいというか
僕はちょっと言わせてもらうと
意味に縛られるのがもう嫌になって
もうやめたってなって
前も言ったけど
バカになろうみたいな
何もわからなくなろうみたいな
考える力を捨てようみたいな感じに
振り切ったんですよね
いろいろ大変だったんですけど
意味から逃れようとして
でもまたその意味の意義を再構築するみたいな
そこにもう行ったっていうのは非常にいいですね
非常にいいな
なるほど
素晴らしいですね
多分その瞬間で初めて
自分らしい意味が出てくるのかなっていう
僕もそういった意味ではまだ構築中ですってところであります
意味は
意味と自分の道は
意味と自分の道は構築中
道々を言ってた人が
道々を言ってた人がもう全然
道なんて
上手、強調教でしたもん
確かに
道なんだって感じですね
そうですね
こんな感じです
じゃあちょっと
道の意味をめぐる旅と
道々をめぐりしないように
道々をめぐりしないように
やっていきましょう
スッキリしました
ということで
ストーリーズ人生相談室は
いろんな人生を生きる人たちから寄せてもらった相談をもとに
僕らの今とこれからの課題について考えているBotcastです
このBotcastのプロフィール欄から
人生相談を募集しておりますので
皆さんもぜひ日常で考えていることを
投稿されてみてください
それではまたお会いしましょう
お会いしましょう