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  2. 地球の測り方【第68号音声版】..

「シュトルーヴェの測地弧」は,ウクライナ,ロシアを含む10か国に跨がる珍しい世界遺産で,地球の大きさを測るために用いられました.この号では,古代エジプトのエラトステネスやスウェーデンのセルシウス,そしてドイツ系ロシア人シュトルーヴェが取り組んだ「地球の測り方」をご紹介します.

毎週金曜日朝7時にアート,リベラルアーツと科学技術に関するニュースレター『STEAM NEWS』を発行しています.詳しくは STEAM.fm をご覧下さい.

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Photo by NASA

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市ですおはようございますこのポッドキャストは僕が毎週お送りしているニュースレター スティームニュースの音声版です
スティームニュースでは科学技術工学アート数学に関する話題をお届けしています スティームニュースはスティームボート乗組員のご支援でお届けしております
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改めまして市ですこのエピソードは2022年の3月3日に収録しています このエピソードではシュトルーベの即ちこというとある世界差についてお届けいたします
今回も25分お付き合いください
紀元前3世紀エジプトアレクサンドリアのエラトステネスが地球の大きさを測りました
前々回のエピソード56ではそんなエラトステネスの取り組みについてお話をしています よろしかったら後ほどエピソード56も聞いてみてください
エラトステネスは自身が住んでいたエジプトのアレクサンドリアと同じくエジプトのアスワン 当時のシエネの2点から地球の大きさを推測しました
アスワンでは下地の日に正午 太陽が一番天高く上った時
太陽の光が井戸の真下に落ちるんですね ところが同じ日の同じ時刻つまり下地の日の正午
アレクサンドリアでは太陽は少し傾いていますどのぐらい傾いているかというと
円の1/50 つまり7.2度ですね 太陽が天頂から少し傾いています
これはですね日時計が影を落とすのでその角度を測ることで知ることができました エラトステネスはアレクサンドリアとアスワンつまりシエネの距離を
当時の単位で5000スタディアと見積もっていました そしてこの距離を50倍した距離つまり
25,000スタディアが地球一周の距離だと推測したんですね 現在の単位でいうとこれはおよそ
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4万キロメートルになります この推測これ驚異的に正確なんですけれども
何よりも 地球が宇宙に浮かぶ球体であることを想像しその大きさを測ろうとした
エラトステネスの好奇心と洞察力 これはですね20世紀のアルベルトアインシュタインに匹敵するレベルだと僕は思います
それなのにですね当時つけられたあだ名が ベータつまりナンバー2なんです
アルファナンバーワンは誰かというとこちらも諸説あるんですが まあアルキメデスでいいでしょう
古代ギリシャって本当にこう人材豊富なんですね こんな格言があるんです
人類の英知は時代とともに増える ただし人口はより早く増えるというねこれマーフィーの法則っていう方に乗ってたんですけれども
まあ人類全体としては賢くなって言ってるんだけれどもそれを上回る速度で人口 増えてるから一人一人はね
ひょっとしたらおバカさんになっているのかもしれないです さて西洋において地球の大きさがアップデートされたのは1735年から始まった
即地遠征の時でした この遠征調査はフランス王立科学アカデミーによってなされたんですが
近代的な意味で初めての即地、地球を測るという行為になりました というのもですねこの調査は
赤道方面と北極方面とを並行して調査して 地球がまん丸なのかどうかをも調べたからなんですね
この当時地球は丸いのか、変平しているのか 変平しているのであれば赤道面が太っているのかそれとも回転軸方向にのっぽなのか
科学的な論争がありました そしてここが一番大事なことなんですが科学的な論争に決着をつけられるのは
観測だけです この時パリに滞在していたスウェーデン出身の天文学者
アンデルス・セルシウスの提案で フランス王立科学アカデミーから赤道方面と北極方面へ調査隊が派遣されました
北極方面の調査はセルシウス自身が率いました このセルシウスですが現在の温度メモリーを発明したことでも名前を残しています
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あの1度2度3度4度ってこう 度Cって書きますよねそのCはセルシウスのCです
セルシウスについては僕が発行しているニュースレッターの第46号にも詳しく書いていますので またよかったらね読んでいただければと思います
この調査の時にですね同時にパリの周辺をフランスの天文学者ジャック・カッシーニが測量しています
ジャック・カッシーニはですねイタリア系フランス人天文学者ジョバンニ・カッシーニの息子にあたります
このパパの方なんですが 彼も天文学者で土星の輪に溝を見つけた方です
今でもねあのカッシーニの溝っていう風に呼ばれているんですけれどもそのパパ・カッシーニの息子です
何でも4代にわたってあの天文台の台長も務められたというね 天文学一家ですね
フランス王立科学アカデミーの調査の結果 地球の断面図は楕円形でつまりまん丸ではなくて楕円形で
赤道面が極方向よりも広がっていることが分かりました まあつまり南北にちょっとペチャッと潰れていて赤道面に膨らんでいる
断円形ということがね分かったんです 赤道方面帯は現在のエクアドルに到達し
エクアドルの首都キトとさらに南へ行ったクエンカという街の間で距離を正確に 測りました
この間ですねフランス帯はダンケルクとバルセロナの間で距離を測っています またセルシウスたち北ヨーロッパのラップランドもこれは北極圏ですね
北極圏で距離を測っています これらの結果を赤道方面帯の結束結果と比較した結果
地球は極地に近づくほどペタンコになっていくことが分かったわけです まあこの時期あのメートル砲を作らないといけないという事情もあって非常に正確に
調査を行ったようです
18世紀末に生まれたドイツ系ロシア人天文学者
フリードリヒ・フォン・シュトルーベはより緻密な測量を行いました
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彼は1816年から1855年にかけて当時は一つの国だったスウェーデン・ノルウェーと自身が住んでいたロシア帝国にまたがって
265箇所 およそ2820kmにわたる測量地点を設置したんです
これらの測量地点のうち34箇所が ユネスコ世界遺産に
シュトルーベの測地庫として登録されています 測地庫の庫というのは弓の方ですね
地球の地面がこんな2820kmにわたると庫を描いているのでこれを測地庫という風に呼びます
もともとは2カ国だけにまたがっていた測地庫ですが その後に国々が独立を果たしていったために現在では10カ国にまたがっています
北から順番に ノルウェー
スウェーデン フィンランド
ロシア エストニア
ラトビア リトアニア
ベラルーシ モルドバ
そしてウクライナとなります 日本に住んでいるとですね位置関係ピンときませんよね
僕自身もこのエピソードをそれからニュースレター記事を書くことでようやく頭に入りました
私は高校生の頃は地理がすごく低いです
落題すれすれの点数だったんですが
今は地図の中にこの国が出てくるようになりました
いやー地理本当面白いです 測量地点というのは繰り返し何度も測量するために地面に対して
固定されていなければなりません 僕たちもエジプトのギザ台地を調査するにあたって50年ほど前に打たれた釘を使うことは
もちろんのことですね新しく地面に釘を打つこともあるんですね まあと200年ほどすれば僕たちの釘も世界遺産の一部になるかもしれません
多分ならないです シュトルーベのように冬は雪で閉ざされる地域に測量点を置くということは大変な苦労があったと思います
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まあそれゆえ測量点そのものが世界遺産になったのかもしれません というのもですね時間が経つと測量点というのは埋もれてきてしまうんですね
僕たちの場合も砂漠の砂に埋もれてしまっていつも大変な思いをしています これがですね他の点であれば
測量点から その点を探すということができるんですけれども要は測量点って基準なので
測量点自身を測量点使って探すわけにはいかないので 結構
宝探しみたいなことになるんです 砂漠を歩いて探していくということになるんです
なので調査シーズンの最初の仕事が結構測量点探しということは多いです かつてはねシーズンの最初はあのまず電気工事からとかでね
電気を通す工事をやったりとかしてたんですけれども 最近はあのバッテリーの性能も良くなってきて必ずしもその電気がなくても
計測機材というのが使えるようになってきて そうするとまあ電気工事はしなくていいからとにかく測量点を探さなきゃ
っていうことがね起こるわけですね
以前 エジプト考古学者のマークレーナー博士と一緒に
ギザ大地の測量点を探しながら歩いたことがあります レーナー博士が何十年か前に打った釘がこの砂漠のどこかにあるということだったん
ですね レーナー博士の記憶力は抜群でほどなくして測量点が見つかりました
我々はまあその地点にしゃがみ込んでですね あのハケとかでちょっと周りを綺麗にしてあここにあったって見ていますと
どこからともなく エジプトのご老人が現れたんですね
周りは見渡す限りの砂漠だったんですが ふらっと現れたんですよ
いやもう深底びっくりしましたよしかもね 怒ってたんですなんか手にあのムチのような
まあ柳の枝のようなものを持ってですね カッカして怒ってきて叫ばれたんですねちょっと何言ってたかわからなかったんですけれど
もう何をしとるかーっていう感じでね 怒られてですね
もう僕なんかは絶対絶命かと思ったんですが レーナー先生がレーナー博士が顔を上げられるとそのご老人が
おードクトルマルコではないかというふうなことを言われて急にね 笑顔になられて
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レーナー博士とそのご老人とこう抱き合って早口でね 喋ってらっしゃったんですけれども
なんかそのご老人勝手に僕が威圧すると わしはここをもう40年も守っておったみたいなねことを僕全然雰囲気でね
会話してたのでそんなこと言ってるんだろうなーって妄想しながら 聞いていました
なんか今のめちゃくちゃ余計な話してますね 元の話、シュトルーベの即ち子の話にね戻したいと思います
シュトルーベが即ち子に沿って四五線の長さを測っていた最中の1853年に クリミア戦争が始まっています
その後もアメリカでは1861年に南北戦争 日本では1868年に明治維新がありました
世界が激動していった時代なんですね 現在シュトルーベの即ち子が通っている国々でオリジナルのスウェーデンとロシア以外は
次のような経緯を経て独立しています まずノルウェーなんですが1905年にスウェーデンとの同群連合を解消していまして
無欠の独立を達成しています フィンランドは1917年ロシア帝国より独立を宣言します
当初は王国だったんですが1919年から共和制に移行しています エストニアは1918年にロシア帝国より独立しているんですが
1940年にソ連に占領されて 1941年から1944年はナチスドイツに占領されています
1944年に再びソ連に占領されて 1991年に独立回復しました
エストニアはまあいち早くあの電子政府というシステムを作っていて e レジデンシーというまあ国民ではないんですけれども
エストニア国内で経済活動ができるような権利をですね 申請すればもらえるようになっていまして僕自身もエストニアのe レジデンシーを持っています
ラトビアこちらも1918年にロシア帝国より独立しています 1940年にソ連に占領されて
1941年にナチスドイツによって占領されています 1944年にソ連に再占領されて1990年に独立を宣言
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こちらも1991年に独立を達成しています そしてバルト3国
3つ目がリトアニア 1918年こちらもロシア帝国より独立して同年共和制に移行しているんですが
1940年にソ連に占領されて1941年から ナチスドイツによって占領されています
1944年にソ連に再占領されて1990年に独立を宣言 1991年に独立を達成しています
このバルト3国について日本のメディアはですね 旧ソビエト連邦構成国なんていう紹介の仕方することもあるんですが
あの決してねソ連に望んで参加したわけではなくて占領されてたわけですね その間非常にこう悲惨な国民は悲惨な思いをしていたわけなので
この旧ソ連構成国とはいえですね 構成国と呼ぶのもどうかと思うんですけれども
あの 現在ね例えばエストニアラトビアリトアニアが旧ソ連の国ですよって紹介の仕方
マスコミよくするんですけれどもこれはちょっとね無神経に過ぎるんじゃないかなと僕は思ってます
ベラルーシご紹介しましょう1918年にロシア帝国より独立しています 1922年にソ連に加盟
1941年から独訴戦ドイツとソ連の間の戦闘の激戦地となっています 1990年に独立宣言を行い
1991年に独立しています独立前はですね 白ロシア白いロシアと書いて白ロシアという風に呼ばれていたことも
あります独立後はですねソ連解体後の独立後はですね ロシアを中心に出来上がった独立国家共同体
sm 芸能創設時加盟国となっており現在に至っています こちらねヨーロッパ最後の独裁国家みたいな言い方もされています
まあロシアも対外独裁国家のような気がするんですがベラルーシはそれをさらに 上回る独裁国家という風にね呼ばれています
モルドバ 1918年にモルダビアとしてロシア帝国より独立を宣言しますが
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直後にルーマニア王国の一部になっています 1940年にソ連に加盟1941年のドイツのソ連侵攻によって占領されています
1944年のソ連の反抗によって再びそれに戻っています 1991年に独立を宣言し独立国家共同体に加盟しています
そしてウクライナ 1918年ロシア帝国より独立しました
1922年にソ連に加盟しています 1941年から独装戦の激戦地となっています
一時ナチスドイツによって占領されるんですが 1943年から1944年にかけてソ連が奪還しています
1991年に独立 独立国家共同体の創設時加盟国となるんですが2014年に脱退しています
このようにスウェーデンとノルウェー以外はもともとロシアという意識がロシアのプーチン大統領の頭の中にあるのかもしれません
いやほんと勘弁してほしいですよね 特にベラルーシーモルトバウクライナそしてロシアの西側というのは
ナチスドイツとそれからソ連の戦争で独装戦で激戦が行われています
スターリングラード広報戦というのがですねおそらく最も歴史上激しかった戦闘で 激戦で
この時ですねドイツ軍はウクライナを蹂躙して通って行ってるんですね 今ドイツがウクライナに入っていけないのは
もちろんロシアから天然ガスを買っているという事情もあるかもしれないのですが ウクライナに派兵するということに対しての抵抗感というのが歴史上あるのかも
しれません 隣り合う国同士がね仲が悪いのはもうしょうがないんですけれども
なんとかそれを戦争以外の方法で解決できないかなと思う次第です 今回のエピソードも最後まで聞いてくださってありがとうございました
また次のエピソードで皆様とお目にかかれることを楽しみにしております イチでした
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