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今週は「数学を永遠に変えたフランスの美少年」エヴァリスト・ガロアについてお話します.フランス革命真っ只中の1811年,パリ郊外にガロアは生まれました.時代のずっと先を行っていたガロアの理論は当時受け入れられず,ガロアも革命と恋に翻弄され,20歳で命を落としてしまいます.

毎週金曜日朝7時にアート,リベラルアーツと科学技術に関するニュースレター『STEAM NEWS』を発行しています.YouTube,ポッドキャストでまとめもお送りしています.詳しくは STEAM.fm を御覧ください.

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[音楽]
市ですおはようございますこのポッドキャストは僕が毎週お送りしているニュースレター
スティームニュースの音声版ですスティームニュースでは科学 技術工学アート数学に関する話題を毎週お届けしています
はいこのポッドキャストですね
もともとそのスティームニュースの音声版ということでお送りしていたんですけれども 音があの今週も音声版をお届けしていくんですけれども
撮り方録音の仕方をちょっと変えようと今日は思っています というのはですねこれまであのまあどちらかというとできるだけそのニュースレターの
内容に忠実に内容を音読するという形でお届けしてたんですねそのためにあの センテンスごとに
4では録音止めて4では録音止めてということをしていたんですね まあシーズン2なってからですねシーズン1の時は振り返りをお届けしていたので
まあ一発撮りをしていたんですけれども あのシーズン2になってからは音声版ニュースレターの音声版ということで
できるだけあの本文に忠実にお届けをしていました ただ僕があの他にあの暮らせていただいているポッドキャストとか youtube とかは
ほぼ一発撮りなんですね おそらくあの多くのユーチューバーの方があの撮った後だいぶねあのあちこち編集していいよ
飲んだところとか言い間違えたところとかを5カットしてつないで 行かれているんですけれども
僕はなんかこう一発撮りが好きでもともとなのでできるだけね一発であの 間違いは間違いでも残すようにしていこうかなと思ったんですけれども
この音声版に関してはこの steam ニュースの音声版 steamfm に関しては 少しねあのまあ後から編集をほとんどしてなかったんですけれども
8途中でねまあつまむという こと
をやったりとかそれから録音中にですね 8
バイカ止めてお水飲んでまた進めてということをねしていたんですけれども 今日はもう一発撮りでお届けしようと思っています
というわけで今週のニュースレターです 今週のテーマは数学を永遠に変えたフランスの美少年ということで第41号
あのお送りしていこうと思っています あのポッドキャストは
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8シーズン2-23号にあたるんですけれどもまあニュースレターの方では41号の内容 になりますちょっと茶を飲ませてください
はい正直に言うとお酒です今ニュースレター配信の前の夜に 録音しております改めまして
1ですおはようございますこのニュースレターはスティームボート乗り組み スティームニュースの有料高読者様のサポートでお送りしています
で8ニュースレターの中では最初にまあ近況をねご報告させていただいているんです けれどもこれはですね別のホットキャスト無理難題というポッドキャストで
川に落ちた話というのでお話しさせていただいているのでここでは繰り返さずに省略を させていただきたいと思います
さて 今週のテーマ改めて美少年フランスの美少年数学を永遠に変えた美少年
ガロアという方のお話をさせていただきたいと思います 1811年エバリストガロアはパリ郊外に生まれました
時代はですねナポレオン一世によるフランス第一帝政です フランス革命って僕はの
高校1年生の時ですかねあの世界史習うじゃないですかもうね全然面白くなくて 興味持てなかったんですけれども大人になってからこうフランス
の歴史を持ってもめちゃくちゃ面白くて なんでこんな面白いものをあれだけつまらなく教えられるのかとね
疑問に思ったぐらいなんですけれどもそのフランス第一帝政というねナポレオンが定位に ついた
時に生まれたのがこの 今日話題にする今週話題にするエバリストガロアです
1811年ねこれはのチャイコフスキーの序曲1812年という曲があるんですけれども こちらに描かれたロシア戦役の1年前
つまりはナポレオンの絶頂期なんですね ロシア戦役というのはナポレオンが60万人の兵士を連れてロシアに攻め込んだんですね
60万ですよ 今の感覚で言うとどうでしょう60個子弾
ですよね だから相当な陸軍を引き連れてナポレオンがロシアに攻め込んだんですけれども
なんとですね5000人の兵士とともに配送する 1万に残ってなかったんですねもう
惨敗ですねナポレオンから見れば大失態に終わります まあその結果1814年ナポレオンは追放されフランスは王政に戻りますこれ王政復古と
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言いますあのブルボン王朝が帰ってくるんですね ちょうどその頃ガロアの父親今今週話題にしている
ガロアの父親の方なんですけれども公立学校の校長で 詩人でポエットでその後
長女にもこう担ぎ上げられるんですね非常に人望の厚かったまあインテリだったということだと思います
ガロアの母親はパリ大学法学部教授の娘で ギリシャ語とラテン語に堪能でしたまあこの時代女性が学者になるというのは非常に
難しかった 時代ですね同時代フランス初の女性数学者というのは
偽名を使って男性として大学に入学したとかそういう時代ですから まあ彼女がその大学教授でなかったというのも仕方ないんですけれども彼女は大学
教授の娘でギリシャ語とラテン語に非常に堪能だったそうです つまり
ガロアは絵に描いたような文学少年とした教育を受けました 実際その詩の才能
ラテン語であるとかギリシャ語当時の古典の教養ですね で詩を書くことができたそうで日本で言えば明治時代に夏目漱石が漢詩が非常に
上手だったと言われているのと似たような感覚かもしれません ガロアはパリの名門高校
理性ルイルグランに12歳の時に入学します すごいですね12歳ですねここでどういうわけか
ギリシャ語やラテン語に突然興味を失ったんです 数学に目覚めたんですね
人類にとってはありがたいことなんですけれどもご両親にとってはもうあれほど教え込んだ ギリシャ語やラテン語に興味を失っておいおいと思われたかもしれないです
ルイルグランの後輩に数学者のエルミーとそれから理論物理学者のポアンカレーがいますから この高校も何かこう数学
導く力があったんでしょうねエルミーとというのは
そうですね理工系の大学学部いけば必ず習う 複素行列の
複素数の行列ですねを研究した大数学者ですしポアンカレーといえばね
相対性理論の
数学的な解釈を導いた著名な数学者理論物理学者ですね ガロアは
この在学中にルイルグラン在学中にルジャンドルの非科学の基礎2日間 ラグランジュの数値解法の解法という本を8日間で読んだと言われています
これあの教科書なんですね で1年とか2年とかかけて読むような教科書だったそうですちなみにあのラグランジュも
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ルジャンドルも有名な数学者です そしてガロアはまあこれで数学に目覚めてですね16歳の時に
フランス最南下は理工系の最南下 グランゼコールの一つエコールポリテクニークを受験するんですが
落題してしまいますちょっと早すぎたのかもしれません ちょっとお酒飲ませてください
今ねラム酒飲んでると しかしですねあの悪いことだけではなかったんですねガロアはの飛び級で
まあこの高校の飛び級で数学特別級に進学できたんですね そこで数学教師リシャールに出会います
リシャールの影響でガロアは17歳にして 人生最初の論文
循環ごめんなさい間違えました あってるか
循環連分数に関する位置定義の証明というまあ翻訳が付けられている論文を書いています これが1829年4月1日のことでした
その1ヶ月後にですねさらに新たの新しい論文を書いて すいませんロレッツが回ってなかったですね
その1ヶ月後に新しい論文を書いて 数学者
講師に頼んでフランス学士に提出するように求めています 講師はねあの石文展で有名な講師ですね
フランス学士院というのはまあ
数学者あるいは科学者も含めて フランスのトップの科学者の集まりですね
ここに今提出を求めましたここで認められるということはまあ一流ということになろうか と思います
ガロはねここで人生好転しかかったに見えたんですけれども 同じ年の7月ガロアの父親が自殺してしまいます
ガロアの父親はまあ自由主義の考えかと思った人物だったんですがでなおかつまあね 長々に選ばれたりとか人望も扱ったんですけれども
この王政復興が起こったことで
まあちょっと裏切り者に背中から刺されるような形で避難されてそれに耐えられなかったんでしょうね
自殺をしてしまいました その直後にですねガロアは2度目の受験をしていますエコールポリテクニックをもう一度受験をしていますが
落題していますまあ伝説によれば5体によればですね試験官がつまらない質問を繰り返した ためにガロアが怒ってこう黒板消しを投げつけた
ああせいだと言われていますがなんかありそうな話なんですね でエリエゴメンサーエコールポリテクニックは生涯2回しか受験できない決まりになっていたために
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今ガロアの望みというのはここで立たれてしまったわけです ただその数学教師リシャールがガロアをなんとか大学に進めてあげようと思ったらしくて
エコールプレパラとはまあフランス語で準備学校という意味なんだそうですが後のエコール ノルマルですねあの市販学校には入学することができました
あのよくね教科書でエコールノルマルになったと言われているのその実際にはのエコール ノルマルシペリウルという高等市販学校とちょっとレベルの高い
大学に入学できたそうですまあそれもね大したもんだと思うんですけれども本人として はやはりそのエコールポリテクニックへの思いというものが断ち切れなかったようですそれがまあ
後々ね 時系にもつながっていきます
1830年 ガロアが高等市販学校で再出発を始める年だったんですねところがこのその前年
この高校ですねあの
リセルイルぐらいにいた時に提出した1829年にかけてコーシーに提出した論文 なんですけれどもこれどうなったかというとなんとですねコーシーがなくしてしまったんです
よねもういい加減のおっさんですよね 実際何があったのか分からないんですけれども結局コーシーはガロアの論文をこのフランス学士
に提出しなかったんですねロボなされちゃったんですね 似たような経験僕自身もあるのでとある学会にですね
論文提出したところ あの
事務局長のところでなくされていてまぁ後から出てきたんですけれどもね そういうことはまあままあるということ
ではないでしょうかそこでまあガロアは1830年に再び 論文をフランス学士に提出します提出先なんですけれども
学士の審査員を務めていた数学者風利へでした 審査員を務めていたとさらっと言いましたけど当時の風利へといえば
まあフランスの学術会の大御所中の大御所 もうトップオブザトップスで
まあ風利へがんこのガロア君よく頑張っとるねといえば ガロアも一躍得金の人になったはずだったんですね
しかし ここにも不幸がやってきましたなんと風利へが論文を受け取った直後に休止してしまったんです
1830年5月16日 いやガロア本当ついてないですよね
これが1830年もう一度言います5月16日です そしてフランスは1830年7月27日を迎えます
フランス7月革命であるとか栄光の3日間とも呼ばれる市民革命で 王政復古でねそのナポレオンが追い落とされてブルボン王朝が
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帰り咲いたのが再び市民の手によって打倒されたんですね で2回も論文をなくされたガロアひょっとしたらこの7月革命に影響を受けたのかもしれません
ガロアは当時流行しそうだった共和主義に傾倒しています 共和主義っていうのはねあの現在あまり聞かない言葉でむしろ共産主義だ方だったら
ね聞くかもしれないんですけれども当時はまだマルクスも 論文発表してなくてマルクス主義もなかった時代
ですから共産主義というのはこわだかにね言われる時代ではなくて ガロアが傾倒したのは共和主義
いいですあの英語でとリパブリカンですね 共和主義山が君主による政治ではなくて
民衆による政治の参加を求めるというものですねまぁ共和主義となま 古くは猫大ローマまで遡るんですけれども
厳密に言うと民主主義と共和主義とは少し違うわけですね民主主義とはギリシャで こなわれた直接民主性を求めるのは究極の民主主義であるとするならば
共和主義というのは古代ローマのように間接民主主義間接民主性 のようなことになるんですけれども当時の位置づけとしてやはり王政に対する共和主義ですね
王国ではなく共和国を作ろうということに関する政治活動だったわけですね
ガロはかなりあの過激な活動政治活動したそうです秘密結社にも加わって しかもですねそのエコールノルマルの校長がどちらかというと保守的な当時の意味で保守的で
王政に神話的でエコールポリテクニックの方が割とまあ 共和主義であるとかまぁ自由主義に近い考え方だったそうなので
まあエコールポリテクニックの憧れもあったんでしょうかあのエコールノルマルの校長を まあ学校新聞とかで侮辱したんですねその結果
1831年1月4日付で 退学処分との受けていますただしその1月4日より前にガロは自身が自分で退学をしたそうです
この時ですねガロはの仲間19人が国家転覆を図った角で逮捕されています ただまあその頃をすでにあのガロはですね
あの政治過激政治活動家ではあったんですけれども数学の研究を続けていたそうで 過激という言葉がね今あのそうですね今の若い人たち過激という言葉がまあ
あのアグレッシブぐらいの意味だと思うんですけれども 僕よりもさらに上の人ね現在
靴ですかねまあ 昭和20年代30年代生まれの方過激というとね左翼活動みたいなことをね意味
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されるそうなんで僕昔ね とある人物にいや過激な話ですねって言ってものすごい怒られたことがあるんですけれども
ただまあ共和主義というのはこの時代19世紀フランスではあの どちらかというと左翼なんですね
確信なんですね今共和主義というともうどちらかというと保守の分類に入りますけれども 当時はまあ
サイクだったわけですねでその最高活動をしていた ガローの仲間19人が逮捕されていましたでガロはただその傍ら数学の研究は続けて
いて 同じくこの1831年1月17日学士委員に3度目の論文提出を行っています
これはガロはが2回も論文なくされたことを知った数学者ポワソンが ガロはに
腐らずにも一回出せよというふうに エンカレージしたわけですね背中をしたわけですね
ポワソンはね あのポワソン方程式というのは
そうですね物理学で使いますかね あのラプラス方程式と並んでポワソン方程式というのはあの
量子力学じゃないや8 特殊相対論の音会なんか出てくるものですね
使います でパーさんがこのガロアニー
ある分書きもう一回出せよというふうに言ったわけですね で
その頃なんですけれども あの実はガロアは逮捕されています何があったかというと
あの
1831年の4月 ガロアが学校を出されたの1月ですねちょうどその頃のガロアの仲間19人が逮捕
されていました4月にそのガロの仲間が釈放されたんです 5月9日にガロアたちが釈放パーティーを開いたんです
このパーティーには結構著名なね
小説家であるとかまあ識者が集まっていたそうなんでこれは結構細かく記録が残って います5月9日のパーティーでガロアちょっとはしゃぎすぎたようで
まあ王政の批判王様の批判をした過度で次の日5月10日に 政府によって逮捕されます
でまぁ裁判になりました6月15日の裁判で無罪をねまあ弁護人が頑張って無罪を勝ち取ったん ですけれども
ガロアは その後7月14日にまたたびまた調子乗ったんですね
で 調子乗ったというか
まあ共和主義者から見たら当然の行動を行ったんだけれどもまあ国が王政であったために 王の批判というのは許されなくて7月14日に再び逮捕されて
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10月23日についには金庫6ヶ月の有罪判決を下されます これがまあ1831年のことですね
この大歩は6月15日が逮捕じゃないですねごめんなさい無罪勝ち取ったのが6月15日 で最大方が7月14日なんですねその間の
を まあわずか4週間程度の間にポワソンがガロアに手紙を書いていた時期が重なるんです
けれども 残念ながらそのガロアの絵の手紙ポワソンが書いたガロアへの手紙というのは
ガロアが 刑務所に入ってから届けられたんですね
でガロアはあのこの刑務所の中でポワソンからの手紙を読んでいます
ところがですねこの1831年の末から1832年明けにかけてパリでこれらが大流行するんですね
でまぁ刑務所の中も衛生状態考えるとこれはいけないということでガロアは 景気を1ヶ月残した1832年3月16日に刑務所から近くの療養所に仮出所をしています
そこで運命がね大きく変わるんですね ガロアは療養所の医師内科医の娘のステファニーフェリスポトランデュモテルという
女性に恋をします 名前がね少し長いんですけどもあの彼女の
お父さんも2つ名前を持っていて多分ステファニーフェリスも2つ名前が繋がっていると思うんですね
欧米の方でねよく名前2つ持っていらっしゃる方いるのでミドルネームじゃなくて本当にファースト ネーム2つある方
いらっしゃるので日本の文献だとねステファニーとだけ書かれていることが多いんです けれども
あの僕がちょっと見た感じ調べた名前調べた感じでステファニーフェリスがまあファースト ネームじゃないかなと思ってニュースレターにステファニーフェリスという風に書かせていただいています
ちょっと お茶お酒飲ませてください
でガロアはねあのステファニーフェリスにまあ告白するんですけれども この1832年の5月14日の
日付が入っているまあ礼儀正しい手紙が残っていまして 振られちゃいますがロアステファニーフェリスに振られちゃいます
ステファニーフェリスにはどうも婚約者がいたらしいんですね しかもその婚約者がガロアへ決闘を申し込んだんです
決闘です 1832年5月30日これはあのステファニーフェリスの婚約者が自分が侮辱された
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それを回復するためにはお前と決闘して勝たねばならないということだと思うんですね この時代ねあの決闘はすでにあの
フランスでは違法とされていたんですけれども まあ司法も多めに見ていて
日本でもね決闘罪と罪がありますよね決闘するの違法行為なんですけれども 当時フランスでも14世紀を最後にね合法的な決闘というのは禁止されていたんです
けれども ただまあ多めに見られていたことそれから決闘のルールというものがまとめられつつあった時代
なんですね で当時は19世紀になっていますから
あのサーベルではなくてピストルによる決闘というのが流行していました でまぁガロアたちもあのピストルによる決闘をねあらかじめ決めたんだと思われます
ガロアは決闘の前日に3つの手紙を書いています まあ1つ目は
すべての共和主義者へというふうに当てたもので自らの死を予見して 自分はこういうくだらないことで死んでいくというのをね嘆いたものでした
またこれガロアはまだ勝つチャンスもあったと思うんですけれども 自分が死ぬと決めつけて
それを嘆いていましたこれがまあ後々ねミステリーとも言われるんですけれどもガロアは 死を予見しています
2つ目がですね共和主義者への友人へのもので決闘相手も共和主義者 だろうということをにおわせる内容で
これがね後々ねこの決闘は陰謀だったんじゃないかとかあるいはガロアの 遠回しにね政府転覆を狙った
なんか芝居だったんじゃないかとも言われる理由になっているんですけれどもガロア 手紙の中でいやつまらない女に引っかかったみたいなことも書いています
ただこれし本当ところはねどうだかわかりませんというのは ステファニーフェリスがガロアに少しね
好意的な
態度を見せてガロアがまあ舞い上がったのかもしれないですしなぜかロア20歳 ですからね当時ね
30でも40でもね男は舞い上がりますからねまぁ女性もかもしれないですけども まあ舞い上がりますからね彼は舞い上がっちゃったのかって話もありますし今婚約者が
偽物だったという説もあります それから共和主義者の同僚のスパイだったじゃないかあるいはまあ逆に欧西側のスパイ
だったじゃないかと説まであります これはねわかりませんそして決定的なのがガロアの3通目の最後の手紙
親友であったオーギュストシュバリエに当てた8ページの手紙だったんですね これにはポワソンから返された論文の修正やまあそれに新しいアイディアを書き込んで
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ガロアはできればこれをドイツの数学者ガウス大天才ガウスやヤコビーというねこれも大数学者 なんですけれども
送って意見を求めてほしいと書いていましたがロアはジグマシのだろうけれども この数学の内容をドイツの数学者たちに送ってほしいというふうに書いたんですね
手紙には僕にはもう時間がないとも書かれていたそうです 実際ですね20世紀になってドイツの数学者ワイルという方
これもねあの大数学者なんですけれども彼が このガロアの手紙を
読んで内容の新しさと深さを考えると人類史において最も重要な書き付けだろうと 述べています
ワイルもね後にあのアインシュタインの一般相対性理論に 幾何学的解釈を与えるという意味で非常に重要な音数学的功績を残した方なんです
けれどもその彼が ガロアの功績を非常に高く評価しています
ガロアの血統相手なんですけれどもデルバンビルという人物ではないかと言われていますが もしそうだとすると1831年の初めに逮捕された19人の一人なんですね
ガロアが釈放祝った共和主義者の一人で
これが本当なのかどうかというのはまだわかっていません それからガロアと一緒に牢屋に入っていたデュシャートレという人物ではないかという説もあるん
ですねこれどちらも本当か分かりません ガロアと決闘した相手が誰なのかは今でもわかりません
5月30日の朝 パリ近郊の沼の付近で決闘が行われましたが
ガロアは お腹を銃で撃ち抜かれピストルで撃ち抜かれ放置されました
相手がねそのまま去ってしまったのはわかるんですけれども 決闘には必ずねセコンドという改善人が立ち会うんですね
それぞれ双方立ち会うんですけれども ガロアのセコンドもガロアを見捨ててるんですよ
これがねちょっと理由がわからなくてまぁこれがまぁ陰謀論であるとかガロアの芝居説 とかもつながるんですけれども
ガロアは放置されちゃうんですね 近所を農家の方がファーマーが通ってガロアを見つけて病院に掻き込むんですね
これが午前9時頃だったと言われています 決闘はね早朝ですから6時頃かもしれないです
当時の決闘のルールでいくつか残されていてガロアたちがどんなルールで決闘したのかわかってないんですけれども
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まあ僕が調べた範囲で文献には載ってなかったんですけれども 交互に銃を撃つというスタイルもあったそうです
で一発目でお腹に当たってしまったのかあるいはガロアの銃には弾が入ってなかったという説まであるので
もうこれはわかりませんただガロアが撃たれて相手は生き延びただろうということなんですね
ガロアは病院に運ばれて
ガロアがね弟がいてハルフレッド弟がいて駆けつけるんですけれども亡くなる直前翌日亡くなるんですけれども
ガロアは泣かないでくれ二十歳で死ぬのにはありったけの勇気がいるのだからという最後の言葉を残して
亡くなりました 結局ねそのガロアの決闘が何のためだったのかというのは
わからないんです永遠の謎なんです ステファニー・フェリスガロアが恋焦がれたステファニー・フェリスなんですけれども
実はその婚約者がいたかどうかわからないんですけれどもそのずっと後ガロアが亡くなった8年後の1840年に別の人
名前わかってます言語学者のオスカー・テオフィル・パリニュー
ごめんなさいバリニューですねちょっとね老眼で字が読めないんです 言語学者のバリニューという方と
結婚しています 全然ガロアの決闘相手として名前が変わった人とは違う人と
結婚していますガロアは何だったんでしょうか
ニュースレターの方ではガロアが数学に残した計算機科学に残した
業績をね 非常に短く書かせていただいていますガロアが
数学の功績たくさんあるんですけれどもその中でもとりわけ計算機科学 いわゆるコンピューターサイエンスに残したものはガロアフィールドというもので
これは
有限の数 について
算数ができるよということなんですね普通数というのは無限にあるじゃないですか 012345678910111023って言って無限に続くんですけれども
数にはね上限があってもいい例えば100までの数というのでも 十分に
算数というのが成り立つんだよということをね 言ったんですね
例えば ガロアのね一番簡単な例で言うと
0と1しかないまあ要素が2つしかない算数なんですね そうすると0+0は0で0+1は1で1+0は1ですね1+1が2になる
そうなものなんですけれども今考えているガロアフィールドは0と1しかないので1+1 はどうなるかっていうと
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0になります1+1は繰り上がって0になるんですね こんな
ちょっと何か足りない 数でもちゃんと算数というのが成り立つんだよというのを示したのがガロアの発想
でした これがその1830年代に
言われたんですけれども 算数って何だろう計算って何だろうって考え始められたのが
もう19世紀も終わりから20世紀にかけてなのでガロアは少なくとも50年は先行って たんですよ
だからガロアの論文がなくされたっていうのはある意味仕方なかったのかもしれ なくてもし提出されていたとしても理解者がいなかったかもしれないんです
今週はそんなガロアについてお話をさせていただきました どうでしょうちょっと一発撮りでお聞き苦しいところあったかもしれないんですけれども
またねコメント残していただければと思いますツイッターでも結構です twitter @kana_yaです
ニュースレターの読みいただいている方はですねマッシュマロという匿名Q&Aサイトへの リンクも貼っておりますのでマシュマロ投げていただいても大変結構です
今日は聞いてくださってありがとうございました また次週おそらく次週お会いできると思います
あとポッドキャストですね他に無理難題というポッドキャストとかなやフリカというポッドキャストをやってます
かなやフリカの方は youtube から音声だけ切り出しているものです
無理難題の方はね本当にね あのアジェンダを決めずに内容を決めずに僕が大阪弁でわーわー喋ってるだけの
短めのポッドキャストですもう一つねあのちょっと表で言いにくいようなことサイド b という こちら有料ポッドキャスト月240円でやらせてもらっている
有料ポッドキャストなんですけれどもこれはもうあの本当興味あればで結構ですので 聞いていただければと思います
アップルの方限定ですサイド b はねこういうのさあプロの方限定なんですけれども 他の3つのポッドキャストは
マンドロイドでもそれからマックの pg でも聞いていただけますよろしかったらチェックしてみてください 共同聞いてくださったありがとうございました市でしたでは
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