2024-06-16 12:29

子育てと課題の分離の話:無責任との違いはなんなのだろう?

子育ての中で課題の分離行うことで、だいぶ子育てがやりやすくなったと感じます。

ただ一方で、これって課題の分離というより私が無責任なんじゃないか?と感じることもたまにあり。。。
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どうもおはようございます。まーくんでーす。
今日は6月16日の日曜日です。
始めていきたいと思いまーす。
子育てとか部下がいる人も多分そうなんですけど、
なるべくあんま怒りたくないんですよね、たぶん。
怒りたくて怒ってるわけじゃない。
子供がこぼしちゃったとか、散らかしたまま片付けないとか、いろいろあると思うんですよ。
仕事だったら、任せた仕事を非実に収めないとか?わかんないですけど。
僕は仕事で部下がいたことがないので。
子育ての話で話をすると、怒っちゃいそうな局面はよくある。
だけど、それって怒っちゃいそうなのって、なんなんだろうな。
例えば、飲み物をこぼしちゃったりっていうのを、
これ自分がやらなきゃいけない、拭かなきゃいけない、片付けなきゃいけない、
っていうめんどくささに対して怒ってるんだと僕は思っていて。
それってでも、子供がこぼしたんだから、子供が拭きゃいいじゃんって思うんですよ。
そうするとたぶん怒らなくなるよなーって思っていて。
実際、たぶんアドラ的に言うと課題の分離なんですけど、
僕は結構、子供が何かこぼしたとか叩いて、片付けてって言うんですよ。
それをやり始めたら、あんまり子供がこぼした、片付けない、
そういうものに対してあんまりイライラしなくなったので、
これはいいなと思ってやってるんですけど、いいですよね。
やっぱり、何かおもらしをしてしまった、排泄物ですね。
排泄物をおもらししてしまったとかだと、子供にやらせるとまたさらにぐちゃぐちゃになるので、
それを自分がやるかってなるんですけど。
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怒ったりするのって、自分ごとにしてるんですよね、たぶん。
自分に何か面倒くささとか、嫌な気持ちが発生して怒ってるんですよ、きっと。
なので自分ごとにしなきゃいけないんですよね。
自分ごとにしないっていうのもなかなかね、家族で暮らしてると、
あんまり自分ごとじゃなくて他人ごと。
他人ごとっていうのはそれも表現外ですけど、
自分ごとにすることが求められてる状況で自分ごとにしないと、
またなんかね、家族の中のいろんな運営に支障をきたしたりっていうのも、
結構身に覚えはあるんですけどね。
しかるべきところで、自分ごとと他の人の課題の分離を行うっていうのは、かなりいいなと思っている。
課題の分離がうまくいかなそう。
課題の分離をすることによって、
課題の分離って、確かにアトラーって課題……
自分が取り組むべき課題には取り組みましょうなんですよね。
自分が取り組むべき課題には取り組みましょう。
自分が取り組むべき課題とは何なのかってことなんですけど、
自分が最終的に結果を引き受けなければならないものは自分の課題なんですよね。
たとえば子育てとかにおいて、
子育てってどこに責任が所在するのかってすごく難しいなと思いながらやってるんですけど、
子供が最終的な責任の所在だと思うので、
勉強しないのは、最終的には子供に……
勉強の話をしてますけど今。
勉強の場合は勉強しないと、
最終的に将来に支障を期待するのは子供なんですよね。
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だから子供がその課題を引き受けるべきで、
親はそこに介入しないべき、するべきでない……のはず。
やってるんですけど、
例えばこれが勉強ではないところで、
僕は課題の分離を歌って、あまり介入してないんですけど、
例えば母親、僕の奥さんが、
子供のことを自分ごととして取り組んで、
ことが進んでいる場合、
これって僕はどういう立場を取ろうかなとか。
誰がその課題を引き受けるかって、
何者が絡んでくると、どうしたものかなーってなりますよね。
っていうのが割と発生する子育てしていると。
特に夫婦で子育てを同じくらいコミットしていると、
よくこの場面に出くわすんですよね。
僕が課題の分離とか、
子供の自己実現傾向を信じるとか、
割と理念めいたことを言えてるのって、
奥さんが実際の泥臭いところをやってくれてるからだったりするんですよ。
それってどうなんだろうって思うんですよね。
昨日もちょっとこの話をしたんですけど、
この話は奥さんとの間でね。
今、真ん中の子が幼稚園の年代で、
幼稚園は馴染めなくて辞めて、今フリースクールに行ってます。
フリースクールから今度小学校に上がるんですけど、
小学校で子供が、小学校に行きたいって言ってるんでしょうね。
あ、そうなんだーって言って、行く方向でなんとか乗っていきたいと思うんですが、
ただ旗から見てると、集団生活なじまないよなあ、この子は。
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ただ本人が行きたいって言ってるので、その方向でやります。
特別請求に入れるっていう方法もあるらしく、
少人数だしね。
だからその辺の調整をどうしようかなっていうのを今検討してるんですけど、
僕がこのときに取る立場が、
課題の分離っていう側面もあるし、
子供の自己実現傾向を信じるとか、
そういう理念めいたことを謳っていて、
僕は基本的に不介入、あんまり介入してないんですよ。
成り行きを見守る、なんとかなるように祈りながら見守る。
それも無責任だなーって思ったりもするんですよね。
結局、この泥臭いこと。
例えば、今だったら領域に通わせてみようかとか、
あとは、小学校に入るにあたっては特別請求に入るのがいいのかどうかとか、
その辺の、学校に入る前の準備段階の調査とか、
いろいろやってくれてるのは奥さんで、
僕のこの感じって奥さんに依存してるんですよね。
奥さんがいろいろやってくれてるから僕がこういうこと言ってられる。
そういうのをすごく理解はしている。
そういうのあるよねっていうのを、二人で昨日話してて、
ああまあそうだよねって共通認識を持ってるんですけど。
課題の分離、難しいですね。
課題の分離とかって、責任を持つべきところを持たないのも課題の分離っぽく見える。
が、それは本当に本来あるべき姿なのかとか、
いろいろ検討するところがあるなと思っている次第ですね。
基本的には子育てにおいては、課題の分離って必要だなと思うんですが、
どこまで分離するか。
スパッとは一筋縄ではいかないんですよね。
っていうのが最近の感想ですね。
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これも難しくて考えすぎなのかなーとかいう気持ちもありつつ、
うーんって思いながら日々過ごしてる次第ですね。
こんなこと考えてるなーっていうのがあるので、もし参考になればってところですね。
ちょっとまた逃げ切れない感じですが、こんなところで終わりたいと思います。
ではまた明日。さよなら。
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