2024-08-26 16:41

死なないために生きてるわけじゃないという話:コンフォートゾーンから出る勇気

コンフォートゾーンから一歩踏み出す勇気はどこから湧いてくるのかという話です。


#コンフォートゾーン #価値観
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おはようございます、まーくんでーす。
今日は8月26日、月曜日ですね。やっていきたいと思います。
よく他の配信者の方の放送を最近聞きに行ってるんですけど、
その中で気になることをおっしゃってる方がいて、
ちょっとそれについて話そうかなと思ってて。
難しい話をするんですけど、
人は何のために生きるのかみたいな話をしている放送だったんですよね。
ん?違うか。その放送の趣旨は違うな。
その中で言っていた内容が、
人は死なないために生きてるんじゃないっていう話でした。
人は死なないために生きてるんじゃないんですよね。
人は生きるために生きてるんですよね。
この違いは何なんでしょうね。
新しいこと、慣れないことを避けましょう、みたいなのって、
人間の本能の中に組み込まれている気がしていて。
よく自己啓発界隈だと、安全領域とかコンフォートゾーンとか、
そういう言われ方をしますけど、
自分が知っている領域の中で生きるのって楽だし安心なんですよね。
例えば、めちゃめちゃブラック企業で本当に死にそうになりながら働くのでも、
そのまま働き続けることを選択する方もいる。
なぜかというと、すごく大変だけど結果が読めるから。
すごーく大変だけど、そのすごーく大変なのが今後も続いていくっていう結果はわかるから、
結果がわかるっていうところを重視して、
すごーくブラックな企業を辞めないっていう選択をする人もいる。
それぐらい結果が読めないことを、
自分がわかってない新しいことをやるのってハードルが高い。
なんでかっていうと、多分人間の歴史の中で、
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人間の歴史っていつからなんでしょうね。
紀元前3000年とかからたぶん、人類の歴史とされる記録に残っているものはあるんでしょうけど、
たぶんきっともっと前からあるんですよね、記録に残っていない。
それも含めたずっとすごーく長い歴史の中で、
人類が未知のものに手を出すのはやばい。
暗闇の中は危ないから入るなとか、よくわかんないものは食べるなとか、
そういうのって、まだ身の回りの安全が全く保証されない時代を生き抜いてきた人間の本能としてはすごく重要な気がする。
が、今はそんなに即死ぬようなリスクにまみれた世界で我々は生きてるわけではない。
選択を誤ったら即死につながるような世界に生きてるわけではない。
なのでちょっと、人間が持っているそういう未知のものに手を出さないっていう本能と、
今実際に暮らしてる世界にギャップが生じてるんですよね。
だから、より良いっていうか、生きやすいっていうか、
自分が生きたい生き方っていうのが、もしかしたらあるはずなんだけど、
新しいことに挑戦しづらい、したくないなっていう、
人間が本来持っている動物的な本能が、
ちょっと抵抗勢力、自分の中で抵抗して、新しいことをやりづらくなっている。
なんか冒頭言ったような、死なないために生きてるわけじゃないよねっていうのは、
多分その辺が絡んだテーマなんですよね。
昔は死なないために生きていたのかもしれない。
わかんないですけどね。
異色獣が整ってない状態で、全然身の回りが安全じゃなくて、
なんとか次の代理子孫をつないでいかなくちゃいけない。
なんとか死なないで生き延びて、次の代に無知をつないでいくっていうのがすごく大事だった時代もあるはず。
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人類の動きの中で。
ただ今は結構その辺が、
日本で暮らしてるからこういうこと言えるんですけどね。
世界の人たちはというのは一旦置いときますよ。
今、日本で生きている人たちは、基本的には異色獣は整っているはず。
ある程度はね。レベルはいろいろあると思いますけど。
その中で、死なないための選択をしていくか、
自分がどう生きるため、どう生きたいかっていう選択をしていくかっていうのは結構違いが出るはず。
どうしたらいいんでしょうね。
どうしたらいいんだろう。
死なないために生きる選択もできる。
死なないために生きるっていうふうに選択する場合は、どんどんディスク回避をしていけばいいと思うんですよ。
でももし何か、自分はこういうことをしたい、こういう価値観を大事にしていきたい、
こういうことを実現したいっていうのがあるんだとしたら、
そういう選択をしたほうがいいよなあと思う。
僕は死なない選択っていうよりは、どう生きるかっていう選択をしたいので、
いろいろ新しいことをやろうとしている。
その配信者の方が言っていた、なんて言ったかな。
ちょっとあの放送チャンネル忘れちゃったんですけど、すみません。
死なないために生きてるわけじゃないよね。
っていうのって結構僕の中で刺さったんですよね。
まあそうだよなあ、その通りだよなあ。
でも一方で死なないために生きている人もきっといるよなあとか。
死なないために生きるって結構本能的なとこだもんなあとか、
いろいろ考えていた次第ですね。
周りのリスクをどう見積もるかですよね。
身の回りのリスク。
自分が生きたいって思う人生を選択する。
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それに当たってどんなリスクがあるか。
どういうことが起こりそうか。
どういうことが起こりそうかわかったら苦労はしないですよね。
わかんないですよね。
僕もなんか、自分の話で恐縮ですけど、
正社員から派遣社員に完全に舵を切ろうって。
昔は正社員で働いていて、
正社員で最初販売店放りに入ったんですよね。
次に広告代理店に入ってコピーライターをやっていて、
めちゃくちゃ残業がすごかったんで、
家庭にめちゃめちゃ負担を敷いたんですよ、そのとき。
かけてしまって負担を。
で、これはダメだなと思って。
コピーライターこそ我が道ぐらいのことを思ってたんですけど、
家庭に迷惑をかけるのは違うなと思って。
またすごく方向を変えて、公務員になろうとしたんですよ。
公務員楽そうだしとか、公務員の方に怒られちゃうかもしれないですけど、
当時の僕はそういうふうに思った。
公務員楽そうだし、公務員になろうと思って。
結局公務員にはなれなかったんですけど、
公務員的な組織で働くことができた。
で働き始めて、公務員も部署によってはめちゃめちゃ大変なんですよね。
僕は人事課だったんですよ。
人事課に行ったら大変で、
そこでも家族にすごい迷惑をかけて、毎日仕事が遅くてね。
大変な思いをさせちゃったんで、これは僕は正社員に向いてないなと思って。
正社員になっちゃうと、僕はセルフブラック企業になるんですよ。
だからね、仕事に自分の生きざまを投影しちゃうんですよね。
仕事の中で自分の生きた証を残そうとしたんですよ。
なんででしょうね、これ。
仕事に打ち込みすぎちゃうんですよね。
これよくねえなと思って、正社員辞めようと思って派遣者になったんですよね。
派遣者になると全然先が読めないなと思って、
すごく不安になったんですよね、正社員から派遣者に切り替えた当初。
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当時仲良くしていたその方はね、ピアノをずっとやって、
ピアニストをやりながら対人支援をしている。
対人支援をライスワークにして、
ピアニストを目指しているっていう人と仲良かったんですよ、当初。
ちょっと今、僕のほうが引っ越しちゃったんでそれになってますけど。
その人は、僕よりそういう道、不安定な道を言っている先輩なわけだったんですけど、
この人から、大丈夫だよ、なんとかなるよって言われて、
そうか、大丈夫か、なんとかなるのかって思って、
ほんとかなーと思いながらやってたんですけど、
まあなんとかなったし、今もなんとかなってるので。
なんとかなるのレベル感によりますけどね。
正社員のときよりはそれは、派遣者員になって収入は下がったりもしたんですけど、
それでも家族に迷惑をかけるよりマシだし、
自分はそうだな、家族に迷惑をかける生き方は、
それは、どんなに仕事上で目標を持っていても、
それは自分の中の、本来追うべき目標ではないって感じてたんで。
本能的にね、と思う。
そのあとまた7つの週間とか、自己啓発界隈のいろいろ知識をつけていって、
自分で気づきも得て、今はやったそうだよなって思うんですけど、
当初はなんとなく感じてた具合ですね。
家族に迷惑をかけるような目標の追い方は違うなって思ったんで、
正社員から派遣になったりしたんですけど。
自分の中で何が大切か。
その価値観を実現するためには、どんな生き方を選択していけばいいのか。
そこかなと思いますね。
確かに新しいことをやっていくのは不安なんですけど、
自分の中の価値観に取った選択ができていれば、
なんか自分の中で、心の灯台じゃないですけど。
とりあえずこっちの方を向いて進んでいけばOKなはずっていうもの。
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全然真っ暗闇だけど、全然先が読めないけど、
とりあえずこっちの方を向いていけば大丈夫なはずっていうのが、
なんかあれば、それがたぶん価値観とかだと思うんですけど、
なんかあれば、多少安心。
死なないために生きているっていうよりは、
自分の価値観に生きる、生きるために生きるみたいな。
ということが多少はね、人間の本来の本能に打ち勝って、打ち勝って。
対立関係に従うのももったいないんですけどね。
心のブレーキって大事っていう側面もあるので、
ブレーキのない車には乗らないじゃん、みんな、みたいな。
何らかの安全装置としてそういうブレーキはあるので、
そこは尊重はしたいんですけども、
やっぱり自分の大事にしたい道はこっちなんだっていうのを、
そっちの方よりアクセルを踏んでいけるような。
ブレーキも大事にするとね。
なんか自分の価値観がその辺の勇気をもたらしてくれるのかなっていうようなことがしております。
なんかいろんな話ししちゃったんですけど、
今日なんか参考になれば幸いでーす。
ではまた明日。さよなら。
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