この番組は、観察密度が異常に高い人間の思考ログです。 普通の人が言語化しない違和感や、小さなズレだけが静かに拾われていきます。結論もオチも教訓もなく、意味づけや整理も行われません。 ただ、処理されない思考がそのまま流れていきます。 語りは雑談のように軽く、ところどころに哲学的な視点が混ざる、ゆるい「雑談 × 哲学」の構造で進んでいきます。 語り手は日本に暮らしながら、日本の内側の空気に同調せず、 どこか外側から世界を見ているような距離感を保っています。肯定でも否定でもなく、ただ観察だけが続きます。 宗教を離れた経験がありながら、怒りや回復の物語には向かわず、 救いを探すこともない。ただ通り抜けて今にいる。 その静かな距離感が、語りのトーンとして滲んでいます。発達特性と宗教離脱という背景を持ちながら、 どのコミュニティにも属さず、どのラベルにも依存せず、 説明することなく、ただ背景として薄く残るだけになっています。弱さの語りにも回復の物語にも向かわず、 起きたことを起きたまま置いていく。 その乾いたトーンが、この番組の雰囲気をつくっています。 外側から見ると何も起きていないように見えますが、内部では小さな違和感が積み重なり、独特のズレが静かに可視化されていきます。 どの物語にも価値観にも組み込まれないまま、 長い時間をかけて、世界の揺らぎだけを記録し続ける番組です。
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!
00:03
静かに 流れ続けていた
その途中で スマホの充電が97%で止まっていた
それは 記録されることもないはずの
小さな揺らぎだった けれど
この番組は そういう揺らぎだけを集めている
特別回です。 朝撮ってます。
自分はですね、まずここまで
番組名について考えてて、自分というものを振り返ってみてですね。 最初は一つの側面から見てると思ったけど、結構自分の各地に迫れてるの気がするんで今回はお話したいんですけど
まずですね
宗教を辞めて
こんな
にぎるな自分が生まれたと思ったんですよね。 ただ
そうではなくて、もともと 元から究極的な現実主義の
自分だったんだなって気づきました。生まれた時からということですね。 だからこそ宗教やっていたけれども
熱心だったんですよ。でも拒絶反応があったし
まあちょっとやそっとの疑問じゃないんですよ。 熱心であればあるほど疑問だらけでも大変でした。
で、辞めてからというものを
救済に逃げることもなく、意味を求めることなく
意味というものをどんどん剥ぎ落としていって
究極的なリアリストになったんですけど。 ということでここから本題なんですけど
自分は全部ただのものなんだ。この世の中のものはただのものなんだと。 まあそう思ってるけどもそう言い切るタイプの人間ではないと思うんですよ。
もちろん冷めてはいますけどね。
もちろん意味とか希望を根本的な真実として扱っているわけではもちろんないんです。
人生に対して絶対的な意味は求めてないし、まあそもそもあると思ってない。
認めてないと思うんですね。 でも人間の感情とか生活とか
あとは細部とかですね、そういう細部、そういうとこを
現象として感じてるっていうことですね。
だから日常を完全に無価値化してるわけじゃないんですよ。 だからまあ意味が信用できなくなったわけです。その後に
皆さんイメージする理系オタクみたいな現実的じゃなくて
03:05
最後に残った感触を見てるんですよね。わかりますかね。
だから希望を過信しないし、努力進行を絶対化しないし、物語に飲み込まれない。
でも生活感覚は切り捨ててはいない。
結構いるんですよ。リアリストで、現実主義者で、感覚も鈍ってる人、感実性もない人。
まあそれはそうですよね。冷めていたらそうなりますよね。
でも自分は感実性までは殺しないんですよ。
つまり意味を信じてる人は物語を信じる。
意味を指定してる人は全部無価値なものだと考えて、感覚まで鈍るんですよ。
不思議ですよね。鈍るんだったらもう全部どうでもいいってなるはずなんですよね。
でも細部を見てるんですよ。
自分で言うのもなんか変な感じするけど。
一番こういうことだと思うんですよ。虚無に飲み込まれなかったのではなくて、
虚無の中でですよ。感覚だけは異常に生き残ってるってことです。
パラドックスは多分ありますけど。
でもそれはそういう表現してるだけであって。
まあでも珍しいですよね。
普通と違っては虚無は絶望に行って、絶望から破壊とか、
あと逆に快楽に走ることもあると思います。
または全部どうでもいいとか。
でも自分はどうでもいいへ暴走することはなくて、変化をしないことをモットーにしたんですね。
つまり日常のルーティン同じ行動、考え方を繰り返すこと。ループさせること。
それによって生存し続けてるんですね。
生きたいわけでもないかといって、死にたいでもない。
どちらにも意味がないから、現在の状態を保留してるっていう状態なんですよ。
人間はただの生物だっていう意識によってこうやって生きられてるってことですね。
つまり自分は寿命を全うすることにも寿命を全うしないことにもどちらにも意味を感じてないわけですよ。
いずれも物語に思うんですね。
まあでも他の動物も考えてみればそうですよね。
生きる意味なんて感じてもいないわけですから。
06:03
そうですね、宗教を目指しとって、成功とか思想ですね、あと恋愛、哲学、スピリチュアルに走るんですよ。
一方で、これはどの程度いるかわからないけど、イリズムに行く人はあまりいないと思うけど、そっちに行った人は
快楽、自暴自棄、破壊、無感覚、どうでもいいに走るんですよ。
でも自分はどっちにも行ってないんですね。
しかもそのことを正当化するつもりもないんですよ。
普通と違ってただ正しい道に進んでるっていう正当化することもないんですね。
ってことは規律っていうのは、規律正しくっていう、変ですよね。
自分は正義感はあるんですけど、正義感とか何か目標を目指してとかじゃなくて、
自分が崩壊しない、壊れないために、ちゃんと生活が回っていくための静かな意地でしかないんですよ。
だから自分は壊れようともしなかったしかといって、
救われようともしなかったしかといって壊れようともしなかったんですね。
だから虚無っていうこと、虚無っていうのはニヒリスティック、わかるかな。
生きることに意味がないっていう事実に適応できてしまったっていうことですね。
逆に言うと意味の大会となるもの、あるいは虚無の中にいる快楽っていうのもあると思うんですよ。
どちらにも適応できなかったってことですよね。
ちょっと変な言い方すると希望にも逃げず、絶望にも溺れなかった。
何も信じないで、でも何も壊さないで、そのまま残り続けたってことですね。
ここから大事なんですけど、リアリストって現実的に地に足がついてて、
感情論とかじゃなくて事実を見てる、そんなイメージありますよね。
あと合理的成功確率を見るっていう方、そんなイメージもありますね。
でも自分は希望そのものを疑ってるし、意味そのものを疑ってる。
自分は宗教で変わりなさいと言われてたんですけど、
変わるということすら、
昨日言いましたね、目的っていうのは未来の解釈、理由っていうのは恋の解釈なんです。
つまり物語なんですよ。
つまり変わるべきっていう前提すら自分は疑ってるんですね。
絶対的心理とか運命とか成長神話とか、希望の物語とかそういうものを一切信じてないし
信じてないんですね。
09:01
だから現実を信じてないし、そういう物語っていう嘘を排除して、
その残ったところに自分は存在しているイメージですね。
普通ですね、その規律のことですけど今度は。
秩序って言葉はいいかなと思ったけど、楽だからやるとか、効率がいいからやるとか、成功するからやる?
そうではなくて守らないと、ルールを守らないと自分が崩れてしまうからやってるんですよ。
これも大事なことなんですけど自分にとって。
変化すると崩れる可能性があるんですよ。
だから変化を起こさないですよね。
ただし静止してる、それが停止ではいけないんですよ。
崩れるから。
面白いものですね。変化しても崩れるし立ち止まっていても崩れる。
だから淡々と続けるんですね。
このループの中にいるんですよ。
次の話ですが理系オタクみたいなものに対する興味というのはないんですね自分は。
手触りに興味があるんですよ。
希望とか努力とかそういう低悪化がついたものを不純物だと思っていて、
自分の日曇り生活をさせてきたのは事実だったはずなんですよ。
だったはずと一応言っておきます。
でもこれも大事なんですね。
自分は意味をどうするかというと、
オモチャとしてツールとして使ってるんですよ。
救いではないということですね。
救いではなくてオモチャとして使ってるんですよ。
これも大事なことで、
物語っていうのは嘘にしすぎなくて、
努力すれば報われるとか、
いつか何者かになれるということなんですよ。
変化するってこと自体がそうなんですよ。
生活の一つ一つの変化がそうなんですよ。
よく言いますよね、
人生の自分のドラマの主人公でいなさいって。
自分なんてそもそもあると思わないし、
主人公として生きることにも拒絶してますね、自分は。
希望とか感情っていうのは嘘つくけど、
心っていうのもたなる現象でしかないから、
実体のないものしか嘘つくしか思えないし、
思えないっていうか、
そうだと思うんですよ。
でも自分が繰り返してるルーティンは嘘つかないんですよ。
物理的な現象っていうのは嘘つかないんですね。
そういうことなんですよ、さっき言った。
理系的なものには興味ないってことは。
嘘をつかないって意味では信じるっていうか、
興味はあるけど、物に興味あるわけではないんですよ。
12:01
興味があるから現象を見てるんじゃなくて、
それしか信じられるものがないから見てる感じ。
だから宗教という信仰を規律で上書きしたっていう甘われな人でしょうね。
自分はもちろん絶望すれば物語の一部だと考えてます。
いつか報われるっていう未来の物語を信じるんじゃなくて、
この瞬間に起きてる物理現象を積み上げることに集中してるってことですね。
だから意味ってものを持ちすぎないようにしながら、
このポッドキャストで24時間の自分の歩みを誤差なく記録してるってことですね。
ドラマではなくて、
鮮密な存在としてここで話してるってことですね。
不思議ですね。意味を信じてるから生きるんではなくて、
規律があるから気づいたら生きてたっていうことですよね。
逆説的ですけど、
規律に意味を感じてるからそれをやってるわけじゃないんですよ。
規律を大事にしてたら結果的にここにいたっていう状態。
だから救いとしての意味は捨てたけれども、
動物としての意味は残しておいたってことですね。
逆に映画の世界に入りたいっていうような変な気分ですけど、
意味はある意味では残してある意味では消し去ったってことです。
ただですね、冷めてるとはいえ血が通ってるんですよ。
この感触っていうのは血が通った感触ではあるんですよ、血が通った感触。
だからポッドギャスで話してるってことは、
芸的な分析でも脚本のある物語でもなくて、
物語っていうか意味付けしてるわけじゃなくて、
事実と向き合い続ける中で抽出された、
純度の高いって自分で言うのもなんだけど、記録だってことです。
だからただの物として世界を扱ってしまえば、見てしまえば、
言い切ってしまったら楽かもしれないけど、
ポッドギャスでそれじゃ何も語れないわけですから。
見つめ続けてるってことですね。
高い解像度で見つめ続けてるってことです。
まあはっきり言って矛盾してますよね。
でもこれが自分の人生哲学なんですよ。
だから安易な物語、意味という物語に行けなかったけど、
でも虚無に伸びにくまれないようにはしてきたってことで。
分かりましたかね。
ただの物だと捉えてるけども、
生身の人間として、
虚無なものを感じ取って、
ポッドギャスで話してるんですよ。
だから虚無って物を見続けながら教師質疑ながら、
15:01
でも飲み込まれず、でも物語も逃げず、
起立そして事実の手触りだけで生き続けてるってことですね。
いろんな物を観察してきましたから、観察機と観測機として。
だから成功とか希望といったストーリーに逃げないで、
あんまり綺麗に言うつもりはないけど、
自分をそこにある事実として捉えてたってことですね。
だから意味なんて物は、
退屈をしのぐための、
贅沢に倒すだけの道具に過ぎなかったんですよ、この10年以上。
もう一度起立についてですが、
前向きな秩序ではないんですね。
生きる意味がないと考える事すら自分にとっては物語なんですよ。
でもちょっと話しとれますけど、変化を起こすこと。
意味を感じてますよね。
さっき変化に物語があるって言ったけど、
変化の先に何かあるから変化するわけであって、
生物ですからわざわざ意味を感じないと変化しませんよ。
ここでこれも大事なんですけど、
秩序じゃなくて脅迫観念みたいなものなんですよ。
もう逃げ場がないですよね。脅迫的なまでの執着。
これによって生き延びてきたわけですね。
命の恩人なわけです。
だから絶望してる人ってドラマチックになってるんですよ。
自分は今ある状態を維持してきましたね。
何かになろうとする努力とは違って、
努力とは違うのが継続ですよね。
生活の一つ一つに最低限の意味を感じていて、
でも意味を持ちすぎないようにしている。
しかし人生哲学的には意味を感じているし、
理系的な意味で現象を見ているのはなくて、
それしか信じられるものはないから現象を見ている。
ただポッドキャストで話していることは、
そこまでただのものとして扱っていないんですね。
でも自分は救いを求めなかったし、
でもどうでもいいとならなかったし、
希望はないけどそれを淡々と生きているわけですね。
では次の話ですが、
自分が自暴自棄とか破壊に焦らなかったのって、
それも物語にしか過ぎないと思っているから。
だって自分は過去に宗教をやっていて、物語を信じすぎておかしくなって、
だからそれ物語に逃げるわけはないですよね。
あとこれもこの後話すかもしれないですけど、
普通ですね、物語だと気づかないんですよ。
18:04
ドラマを見ているときと同じで、
人生の身とかなんて物語と気づいて、
しかも自分はですね、残念ながら幸か不幸か、
物語というのは嘘だと気づいてしまったんですね。
現実とはだいぶずれがある。
つまり幻想でしかないと気づいてしまったんですよ。
普通は物語だと気づいても、
それは嘘だとは認識しづらいかもしれないですね。
あまりにも冷め切っているから、冷え切った考えだから。
というかそれに認識するのが怖すぎますよね。
世の中じゃ何にも信じられなくなるじゃないですか。
こんな嘘ばかりで、
そこでその虚無を凝視し続けながら、
直立してこれてしまったんですね。
別にいいんだけど。
普通にヒリズムってですね、
虚無に入られなくなって、破壊あるいは快楽という
ドラマに逃げ込むことで、
逆に、逆説的に自分の意味を持たせようとするんですよ。
でもそういうのってパフォーマンスでしかないですよね。
さっきドラマチックって言い方したけど。
全部どうでもいいっていう自暴自棄な、
あと虚無的なのも投げ出してしまう。
そんなことをしたら、
そんな器用にできないんですよ、自分は。
人生哲学的に言っても、
一つの物語でしかないし。
普通はですね、成長は成功のために
懸命に生きるわけですけど、
自分はここにいるという、
事実を維持するためだけに
ルーティンを遂行してるんですよ。
あと自分は人生は暇つぶしだと思ってますね。
高所な目的、真理がないからこそ、
どうでもいいと思ってる。
こう言ってる哲学者じゃなくて、
哲学者でもいいかもしれないけど文化人で、
過去の歴史の偉人でいますね、たくさん。
これ目的意識じゃないんですよ。
なのに一ミリも狂りもなくやってるわけですね。
必要な遂行をしてるわけですよ。
ここでボッドキャストに話したように
聞いてもらえれば分かると思うんですけど、
必要なまでに済むのも狂いもなくルーティンを
こなしてますから。
一生懸命って言葉嫌いなんですよ。
正確に存在し続けてるってことですね。
もちろん物語には逃げないで、
虚無を背景として受け流しながらも、
21:01
でも虚無に巻き込まれることなく、
溺れることなく、
規律秩序によって何とか生きてるような感じですね。
だから自分は意味を変化することに、
意味を感じないから、
今あるこの秩序、規律を維持することに
全力を注げてるし注いでるし、
だから現状を維持するってのは
マンネリ化でもなく停滞でもなく、
虚無の重圧を押しのけるための手段だったんですね。
あと自分は物語っていう嘘も嫌いだけど、
人は人間ってほとんど演技して生きてると思うんですよ。
それも嘘だと思ってるんですよ。
物語同様、ありふれたものではあるけど、
それも嫌いなんですね。
もう本当に逆にこれこそ逆説的に
綺麗事だとしか取られないぐらいのことかもしれないです。
それぐらいありふれてますから。
あとですね、これも大事なんですけど、
自分は物語と虚無のどちらにも寄りかかってないんですよ。
素晴らしく生きるっていう嘘もそうだし、
絶望もそうですね。
どちらにも寄りかからないで。
でもこれって中立的、中央、ニュートラル。
世間の人こそバランスをとってそれができてるはずだけど、
大抵の人はニヒリズムになるか、
ほとんどの人は物語を信じてるわけですね。
完全に人生に意味がないなんて人いないじゃないですか。
物語をほとんどの人は見てしまってるんですよ。
そこに逃げてしまってるって言ったら本当に言い過ぎかもしれないですけど、
それが習慣化してしまってるんですね。
でも中には本当に動物的な感覚で生きてる人もいるけど、
それは生まれ持ったものじゃない。
自分の場合は遺伝的と言うよりも宗教をやめてリアリストになったっていうことなんですよ。
もちろんもともとリアリストではあったけど、
動物的な感覚で切な的でとか動物的な本能的でとかそれとはまた違うんですよね。
でも自分は生物としてただそこに精密に留まり続けるっていう地点にいましたね。
もう10年以上前から。
そこからどんどん意味というものを剥ぎ落としていったんですよ。
圧倒的な虚無ですよね。
でも規律という物理的な手触り、この矛盾を抱えて、
矛盾が誰よりも嫌いだけど矛盾によって生きてこられたのかなと思います。
でも巨悪関連だけの規律だったらやらされてる感じがありますね。恐怖を伴ってますよね。
24:08
でもそうじゃないんですよ。
だから巨悪性障害とは違うのかな。
自分はこれによって生き延びてこれたと思ってるんだけど。
すごいですね。エンジンに叩いれば意味はないけど止まる理由もないから、
かなり正確なリズムで吹かし続けてると言うですよね。
この正確なリズムでなぜか吹かし続けてるってことが肝で、
これなくてもいいと思うんじゃないですか。
不合理だと思いますよね。
でもそうしないと止まってしまうんですよ。
自分はストイックなんですよ。でもこれは立派でありたいからストイックではないんですよ。
虚無という巨大な重力に引きずり込まれないために、
またその重圧には押し潰されないようにって言ってもいいかもしれない。
そのために自分はここですごい細かく話しますけど、
目の前のディテールに執着してしまうんですね。
さっきも言ったように、希望とか意味は嘘つくけどミスをしない。
正確に動くという物理的な結果は嘘つかないし、
あと一つでもミスをすればそこからどうでもいいっていう
崩壊が始まることを知ってるからなのかもしれないですね。
無意識にわかる。
そんな可能性もありますね。
空白を脅迫的な窓に埋め立ててるというか。
これ面白いですね。未来への期待、希望ですよね。
絶望、過去への後悔とするならば、
全てなくして変化も必要としないし、
最小限の駆動によって淡々と生きてるような感じです。
2比率の物は一線を隠してますよね。
では次の話ですが、リアリストについてもう一つ話したいんですけど、
リアリストっていうのは地に足がついてるんですよ。
現実をしっかり見てる。
そういう意味で幻想を見てないっていう、自分とはちょっと違う形ですね。
理想論とかではなくて、しっかり現実を見て見据えてるみたいな感じ。
地に足がついてるみたいな。
でも自分はここ以外に立つ場所はないから、
消去法でしょうがなくここに立っているような感じなんですよ。
意味があってここに立っているんじゃなくて、
ここにしか立つ場所がないからこうするって感じ。
あと、動物的な本能っていうのもあるでしょうね。
生きてこれたのは。
何の意味があるのかってノアが疑っても、
身体が生存を維持してこようとしてきてるからっていうこともあるんですよね。
意味があろうとなかろうと、
そういう駆動を行うってことですね。
27:01
でも普通絶望したら、
今は絶望してるけどいつか変われる、いつかどうにかなるっていう物語を描いてしまってますよね。
つまり絶望イコール希望なんですよ。
だから希望持ちたくなかったら絶望も持っちゃいけないと思うんですよ。
普通矛盾をなくしたいですよね。
こういう人いるかわからないけど、
意味を全員否定して、
でも生存の感触だけは手放さない。
この矛盾は耐えがたいですよね。
どっちかに偏りたくなりますよね。
偏れればいいんですよ、偏れないんですよ、自分は。
絶望に逃げることもできないし。
では次の話ですが、意味がないという考えに自信を持って、
希望だけでなく快感すらも持ってはダメだと思ってるんですね。
あとで絶望するから。
そうすると続かなくなるんですよ、絶望。
そしたらもちろん続かなくなりますよね。
何かを続ける。
完璧主義になってはいけないんですよ。
そのために意味を持ちすぎてはいけないんですよ、自分は。
生きてこれた技術ですね、これが。
快感を希望を持つことは後の絶望という反動を生むから、
つまり破壊を生むから、完璧主義になってない。
だからこそ生きる意味を持ちすぎないように、
中圧から逃れるためにここまでの話をやってきたわけです。
絶望という負の物語が生まれるのを避けてきたわけですね、
そういう技術によって。
そうするためには完璧主義を避ける必要がある。
そのための意味の軽量化でもあるんですよ。
でも意味はないという考えに自信を持っていくこともやっぱり
ダメなんですよ。
でも変な話ですよね、意味の無さを燃料にして生きてこれたんだから。
でもそれによって守られたという感覚が強いかな。
あとですね、これも変な自分の新たな特徴ですけど、
物理的なものに利権は興味を持ちますよね。
でも自分は人に興味を持つんですよ。
アスペルガー諸国で物に興味を持つ人多いんですよ。
自分はアスペルガー諸国なのに興味ないんですよ、物に対して。
物に手応えを感じているから興味ないってことですね。
人間のバグ、矛盾に関することで、
人が嘘をつく矛盾した物語に人間で、
物語に逃げる生き物であることを見続けてきたということですね。
普通は、理系的な関心というのは法則性を知ることで満足するわけですよ。
30:06
でも自分がないのは、物理的なものに対して、
物というのは嘘をつかないけれども当たり前すぎるからですね。
そういった法則性は当たり前すぎるから興味を持てないんですよ。
なんか変な話ですね。
道具としての物としては必要である。
物理的な現象は必要である。
ただ、興味の対象ではないんですよ。
法則が一定である物には自分がどんなに鋭く観察眼を向けても歪みがないんですよね。
変な話ですけど、歪みに興味を持つんですね。
確かに音楽もそうだったかもしれないです。
なぜアスペルガー証拠群という特性を持ちながら、あえて人に対して興味を持つかというと、
不合理だったり、いろんな社会のバグは暇つぶしとして良かったんでしょうね。改札対象として。
自分はリアリストでしたけど、リアリストというよりは、幻想を解体する、幻想を検知する人間なんですね。
人間の嘘を見抜くことに注力してきた。
自分は行動の手順だけじゃないんですよ。考え方に至る所に、考えやルーティン、ルールがあるんですよ。
こう考えるというルールを設けることで、余計な幻想が入り込む隙を無くすわけですね。
だから、脅迫感でもそうだし、虚無に飲み込まれないためですね。
徹夜したルールの中で生きているからこそ、完成を増儀済ませてという言い方は前にしたけど、
夜中の曖昧なルール、その場の物語で動いている矛盾がバグのような浮き彫りになってくるから、ここでそういうことを話しているんです。
物語によって平気で世間の人は嘘をつくなと思ってますね。物語によっちゃってるんですよ。埋もれちゃってるんですよ。
この規律はですね、後から付け足したというよりも骨格に直接書き込まれているような印象がありますね。
じゃないと続けれないんですよ。新たに何かを始めても続けれないんですよ。
でも自分の意思とは関係なくこの規律、ルーティンは自分の意思とは関係なく行われてきましたね。
誰かに操られているわけではないんですけど、自分で決めたことではあるんですけど。
自分がなぜ撤退を排除しているかというと、これを信じれば大丈夫という柱を一本立ててしまうと、
その柱が折れた瞬間に、つまり心が折れた瞬間にシステム全開が崩壊するからですね。システム全開が崩壊します。
33:01
何かに依存することで、その変化があったときに、うろたえてしまうということですね。
何かに依存しないから、どう変化しても外部の状況が、どう変化しても、
淡々と自分の生存するためのルーティンは淡々とこだして生活ができるということです。
だから絶望にも希望にも逃げなかったというのはそういう意味もあるのかもしれないです。
あとは、期待という山を作らないことによって、絶望という谷も消去されること。
33:36
コメント
スクロール