2024-07-14 14:09

対象物と自分との距離の話:アソシエイトとディソシエイトについて

最上和子さんのWSの感想を書く気にならない件
https://stand.fm/episodes/6691a210acd7d1ff79a3345a

少し前に話した学びの本質の話
https://stand.fm/episodes/668c5c5bf1d43d7b248bf7a6

この2つの話はおそらくリンクしていて、
対象と自分との距離という同じテーマで語れる気がしています。

NLP(神経言語プログラミング)ではアソシエイトとディソシエイトと言われるようです。
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00:01
おはようございまーす、まーくんでーす。
今日は7月14日の日曜日ですね。やっていきたいと思いまーす。
なんか昨日だっけかな。完了と未完了の話をしましたよね。
もがみ和子さんっていう舞踏家の方のワークショップに行って、
その感想が書けないっていう話を、何日か前からシリーズっぽい感じでお伝えしてるんですけど。
感想が書けない理由。書く気にならない理由は、
感想を書くと自分のワークショップが終わってしまう感じがするから。
っていうのが原点の僕の答えなんですけど。
終わっちゃう感じがするんですよね。
感想を書くとひとこぎりしちゃう感じ。
これ以上そのワークショップから学びが引き出しづらくなっちゃうんじゃないかみたいな、そういう懸念があって。
きっと書く気にならなかったんだなって、振り返ると感じたりするんですけど。
なんでじゃあワークショップが終わっちゃう感じがするんだろうって、
ちょっと深掘りしてみると、感想を書く行為って、体験したものの中にどっぷり使ったままだと書きづらい。
書けるのかもしれないんですけど、僕が感想だと思っているものって、
体験から一歩距離をとって、その体験の中で自分に何が起こっていたかっていうのを分析するみたいな、そういう感想を想定してたんですよね。
なので、僕にとって感想を書くっていうのって、その体験、ワークショップの中の体験を自分の中から切り離して、外に出して、眺めてみて、距離をとって。
そこで何かを書いていく。体験から距離をとって眺めてみて、それで何か巻き付きなり、振り返りなり、わかるんですけど、書いていく。
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っていうのが感想なのかなとか思っているので、自分の中からその体験を切り離す必要があるんですよ、僕が感想を書こうとすると。
いろんな書き方あると思いますけど感想も。僕が嫌ってた感想、書く気にならなかった感想っていうのは、自分の中からその体験を切り離す必要があった。
なので、切り離したくなかったんですよね、僕は。ワークショップの感想を切り離したくなくて、ずっと自分の中に留めておきたかったんですよ。
その体験の中でずっと生きていたいっていうか、体験を自分の肌にまとわりつかせたまま暮らしているほうが、後からいろんな気づきがまた出てきやすいなと直感で感じていたんでしょうね。
もちろん自分の中では意識の中には昇ってなかったんですけど、そういう感覚っていうのは。
ただ振り返ると、自分はワークショップの感覚を切り離したくなかったんだなっていうような気づきがちょっとあったりしました。
最近も少し話したんですけど、学びってなんだろうねっていうことを話したときが、今週の前半かな、前週かな、あったんですけど。
何かを新しく学ぶときって、僕が今まで積み重ねてきている自分の経験というか、自分のものの見方っていうのを一回全部放棄して、
新しい学ぶ対象に向かうのが良いと思ってたんですけど、
それはなんでかっていうと、なるべく自分の主観を取り除いて、新しく学ぶ対象をなるべく可能に受け取りたい。
情報の語りやりがなかったり、講師の先生が言っているその意図をなるべく汲み取って自分のものにするっていうか、学ぶっていうか。
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それを目指していたので、なるべく自分の、そのときの放送では来歴とか言ってたんですけど、
自分の経験値、来歴、主観、ものの見方、そういったものを排除してみるっていうのが、学ぶスタイルとしては良いものだと思って。
ずっとそれを目指してやってたんですけど、
なんかそれって、学ぶ対象を自分から切り離してる行為だなって思ったんですよね。
学ぶ対象を自分から切り離して、なるべくそのもの、学ぶ対象をなるべくそのままを見ようとしているんです。
そのままを見ようとするのって自分から切り離してるんですよね。
自分のフィルターを通して見るっていうのを、一旦やめようっていう営みだと思ってるので。
なんかこの話が、舞踏の感想を書けないっていうのとリンクしてきてる感じが自分の中でしていて。
舞踏のほうは、ワークショップの感想のほうは、自分の中でとどめておきたい。
なるべく自分の肌感覚として持っていたいっていうものでしたよね。
学ぶ対象を自分から切り離して、そのものありのままを見る。
それを目指してたんですけど、最近、学ぶ対象を自分から切り離さないで、
本当に自分の来歴を動員してみちゃえばいいじゃんって、なんていうんだろうな。
新しいものを学ぶときって、もっと自分の今まで持っているものを使って理解してもいいんじゃないっていう発信を見たので、
結構僕が信頼している人の発信で。
なので、ああ、どういうやり方もあるかと思ったんですよね。
そういう学び方って、自分から切り離した、僕がさっきまで言ってたような、そのものを見る。
自分の体験から切り離してそのものを見ようとするっていうよりも、
もっと自分の肌に近いものとして理解しようとすることですよね、と思っていて。
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自分が今まで生きてきたものの見方とか感じ方とか、来歴って言っちゃいますけど、
来歴を使って新しく学ぶものを解釈したり見たりしていく。
そういう学び方があってもいいんじゃんっていうよりもっと、
そういう学び方をしましょうっていうおすすめがされてたんですよね、そういう発信を見たので。
で、この感じって、さっきのワークショップの、
その体験を自分から切り離すとか、自分の中に持っておくとか、
対象との距離感。
今日は対象との距離感の話をしたかったんですよ。
めちゃめちゃ前置き長くなったんですけど。
対象との距離感。
なんかこう、その対象が心地いい距離感ってあるよなーって思っていて、
対象が心地よかったり、自分が学ぶだとか振り返るだとか、
まあ人間関係もそうですよね、距離感。
そういう距離感でそれと付き合っていくか。
そのあたりが最近ちょっと自分の中で、ヘーマっていうタイプですけど、
距離感って自分で調節できるなっていう気づきがあって。
NLPとかでもよく言われるんですよね。
NLPって神経言語プログラミングっていう、カウンセリングの流派って言っていいのかな。
割と自己啓発とかコーチングカウンセリングの文脈で出てくること多いんですけど、
神経言語プログラミング。NLPって言われてますね。
NLPでも過去の記憶とか体験とか、
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距離感を調整してみるみたいな。
自分の中に引き付けてみるとか、遠くから遠くに遠ざけてみるとか、
角度を変えてみるとか、色が付いてるか付いてないかとか。
今四角と反修してますけど、感覚でもちょっと変えてみるとか、
感じ方を変えてみるとか、そういう操作がNLPの中で語られることがあって、
あ、そういうことなんだなって。
NLPで言われているこの距離感の操作の仕方が、
最近感じた学び方だったりとか、
ワークショップの体験の、自分の中の保持の仕方とか、
そのあたりは繋がってるなっていうので、
かなり興味深いテーマだと思っていて、
自分の中では。
もうちょっと深めていきたいなと思っているっていうのを、
今日の放送で言いたかったんですけど、
すごく哲学的な話になってしまったなと思っていて。
休みの朝からこんな話をしてすみませんね。
どれぐらい聞いてくれる人がいるかわかんないんですけど。
そんなことを考えてました、最近。
物との距離ですね。
人間でも体験でも記憶でも。
距離を自分の思い通りに調節できるようになりたいですね。
なんか面白いテーマな気がする。
ちょっとやってみたいなと思います。
何か参考になれば幸いです。
ではまた明日。さよなら。
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