2024-07-09 12:34

学びの本質とは何かという話:学ぶ対象と自分の距離

話しながらすごい気づきが降りてきた回でした。

新しいことを学ぶときは自分の来歴と切り離さない、という教えは私の直観に反していたのですが、
いやむしろ、来歴と結びつけるからこそ自分の血肉になるのだと思い至りました。

自分の来歴から切り離して、素直に、自分の解釈を加えずに新しいことを学ぶのは、一見良いことのように思えますが、そのままだと学びの対象と自分の間に距離があって自分のものにならないのですね。

どこかで腹を括って自分の中に取り込む必要がある。

【参考】
宮越大樹さんの動画
https://youtu.be/nOwaQDgv7_c?si=lcR6HQF6JNpo_GEd

中島智さんのポスト
https://x.com/nakashima001/status/1809911122067427490?s=46
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00:02
おはようございます、まーくんでーす。
今日は7月9日、火曜日ですね。やっていきたいと思います。
最近立て続けに、今までの自分の考えと違う考えを提示されたので、
今までの信念というか、思い込みだったのかな。
思い込みなんですよね。そういうのが揺らいでいるっていうのがあって。
新しいことを学ぶときに、どういうスタンスで学ぶかっていうお話なのかな。
僕はずっと、新しいことを学ぶときって、なるべくまっさらな気持ちで、
自分の解釈を加えないで、とりあえず言われたことをやってみる。
言われたことをやってみる、なるべく素直な気持ちでやってみる。
そこから、教えてくれる人の意図を汲み取ったりとか、
学ぶ対象のことの理解を深めるとか、そういう当たり方をしてたんですよね。
これはなんか、セミナーに出るのもそうだし、何か本を読むとかもそうだし、
講演会を聞くのもそうだしとか。
僕の場合は主に本ですね。そういう当たり方をしてた。
最近見た、僕はよくコーチングの関連動画で三谷越大樹さんというプロコーチの動画を見てるんですけど、
新しいことを学ぶとき、コーチングとか何でも。
その動画はコーチングの文脈だったんですけど、
新しいコーチングの技術とか考え方を学ぶときに、
自分のこれまでの経験とか、そういったものもぜひ導入してくださいと。
ぜひ駆使して吸収してくださいという言い方をされていて、ほーっと思って。
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自分の解釈で学ぶことを捉えていいっていうことだと僕は理解したんですけど、
ほーっと思って。
今までの自分の考えと真逆なことが言われていたので、意外だったんですよね。
ただまあ、それもそうだよなーって思ったりもして。
結局は自分の解釈からは人間逃れられないので、
どうしても何らかの解釈を加えて新しいことに当たっていく必要があるし、
まあでもそんな小難しいこと言わないでも、
それもまだ自分の中で消化しきれてないんですけど、
効率がいいってことなのかな。何なんだろう。効率なのかな。
もっと自分の行ってきた道を信じてもいいとかそういうことなのかな。
ちょっとまだ自分の中で咀嚼がしきれてないんですが、動画でそういうのを見たことがあって。
昨日Twitterでフォローしてる人、中島さとしさんだっけな。
間違ってたら本当にすみません。中島さとしさんだった気がする。
芸術領域の方ですね。
ちゃんと確認しよう、名前を。
今Twitterを見てまーす。
あ、中島さとしさん。当てた。中島さとしさんってよかった。
フォローしてるんですけど、昨日見たツイートで、
大学で教えてる人なんですけど、芸術関係の。
学生の人によく言うんだと、自分の来歴を……なんて言ってたんだっけな。
ちゃんと見よう。Twitterを見てます。
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もうすぐ出てくる。
新しいことを学ぶときに、自分の来歴と切り離さないでくださいって言ってたんですね。
そうだそうだ。厳密に言うとそういう感じのこと、ツイートでおっしゃってて。
これも、さっき言った宮越大二さんの動画と同じことを言っていると僕は理解していて。
来歴か。来歴と切り離さない。
この辺の感覚が咀嚼しきれてないが、たぶん同じことを言っていて。
それを最近割と立て続けに見たので、結構自分の中で衝撃だったんですよね。
素直さ。
わかった気になっちゃうのは嫌だなと思ってるんですよね、自分。
何か解釈を加えるとわかった気になっちゃう気がするんですけど、そう思っていた。
でも人間はわかった気にならないと、分かり終わらないっていうか。
いつまで経っても他の人のことなんてわかんないんですよね。
なのでどっかで見切りをつける必要がある。
特に学ぶこととかって、どっかの段階で自分の血肉としていく必要があって、
どっかの段階で自分で引き受ける覚悟が必要なのかな。
わかる。わかる。誰かが言っていたことをわかる。
誰かが言っていたことをわかるっていうのは対照化してるんですよね、それを。
僕がやろうとしていたのは対照化である。
誰かが言っていたことをそのまま正確に受け取ろうとしている。
自分のものになっていないっていうことか。
来歴を切り離さないっていうことは、自分のものに振るっていうことか。
自分の中でいろいろ気づきがあったんですけど。
聞いてる人はなんのこっちゃだと思うんですけど、
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たぶん僕がやろうとしていた素直に何かを新しく学ぶにあたって、
素直でなるべく言おうっていうのは、情報として取ろうとしていたんですよね。
外にある情報を自分と切り離して、反則者として見る、
正確に捉えようとするっていうのを今までやろうとしていた。
が、身にならないのか、それだと。
どこかで自分の内側にしっとる必要があって、
それが解釈だったり、来歴と切り離さないだったり、そういうことだったりするのかな。
あーなんかけっこうフに落ちたな。
聞いてる人はポカーンかもしれないんですが、
ちょっとね、自分の中でね、今日これを話そうと思って話してるんですけど、
このテーマをどう扱おうかなって思って、
自分の中で付着しきれてないぞこれって思いながら喋り始めてるんですけど。
なんかフに落ち感ありますね。
何か自分の中で引き取ってなかったんだなあ。
そんな気がする。
引き取る覚悟が必要なのかもしれない。
そういうことかもしれない。
やっていこう。引き取っていこう。
自分の来歴と切り離さないでいこう。
そんなふうに今感じました。勝手に。
謎解ですね。謎解だと思うんですけど聞いてる側からすると。
自分の中でフに落ち感がありますね。
なので、たぶん僕の中の理解で言うと、
何かを学ぶときに自分のものにする。
学びを自分のものにするためには、自分の解釈を加えないと。
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自分の解釈を加えるっていうのは、来歴と切り離さないというか、
自分の中の知識を動員してそれを知ろうとする。
新しいことを。それをやらないと自分のものにならない。
それをやっていきましょうっていうことだと思います。
何か参考になれば幸いです。
今日おしまいにしたいと思います。
また明日。さよなら。
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